小夜左文字、希望を胸に



 僕は復讐に駆られている。胸の炎から復讐の心は消えない。もう、終わったことなのに。

「小夜君、」

 主様に名を呼ばれると、どうしてか復讐の炎は小さくなっていく。不思議だ。


***


 出陣から帰って手入れを終えてくると、廊下に虎が転がっているのに気付いた。虎といつもいるのは、あの短刀しかいない。

「五虎退、何してるの?」
「あっ、小夜左文字さん。しーっ。ですよ! 寝ていらっしゃるんです、主様」

 主様が縁側で横になって寝ていた。その腕の中では何故か今剣が、赤ん坊のように引っ付いていた。……何だろう、ちょっとイライラする。

「僕と今剣さんと、主様とお話ししてたんです。そしたら、今日は天気がいいせいかうたた寝して、そのまま……。僕、どうしたらいいか分からなくて」
「ふーん。とりあえず、移動したら良いんじゃない? ここで風邪ひいたら可哀想だよ」
「そっ、そっか。そうですよね」

 五虎退が、抱えていた虎を小脇に置いた。主様はすやすや寝息を立てていて、一向に起きる気配がない。僕も五虎退を手伝おうか。おんぶも抱っこもひとりでは無理だ。背があったら、出来たのかな。

 僕は足、五虎退が主の脇を支え、寝床へ運んだ。短刀だけれど、力はあるから。今剣はそのまま縁側に置いてきた。そのまま錆びてればいいと思う。

「僕、お布団敷いてきますね!」

 畳に主様を寝かせ、五虎退が布団を出しに行った。僕はすることもないから、黙って主様を観察していた。綺麗な髪の毛に、日本人にしては白い肌と小柄な体型をしている。この間、共に風呂に入ることになったけれど、ちらりと見えた主様の身体は、傷ひとつなく綺麗だった。

 外見だけじゃない。主様はとても博識だ。未来からきた、というのも大きいのかもしれない。僕の「何で」「どうして」に答えてくれるから、主様は好きだ。

「小夜君、綺麗事かもしれませんが、復讐からは復讐しか生まれないのです。恨みを持って事をなして、ああ、すっきりした、と思う人間はあまりいないと思います。切り替えが出来ないし、いつまでもいつまでも、心の中で燻るのでしょうね」

 以前、どうして僕は復讐を求めてしまうのか問いかけたら、主様はそのようなことを答えてくれた。

「主様は、誰かを恨んだことがありますか」
「殺したいほどに?」

 僕は頷いた。

「怒ることは、あります。でも殺したいほどに憎む機会はないでしょう。例えば、今戦っている敵に歴史を改変されて、家族が殺された――などあれば、きっと激しい憤りを感じるでしょう。それこそ、殺したいくらい」

「小夜君、あなたはきっと、何百年も恨みつらみをその刃に宿してきたのでしょう。そうそう、本来付喪神が付喪神になる所以は知っていますか?」
「長い長い年月を経た物や生物が、霊や神が宿る依代になるんだ。それが付喪神」

「そうです。物は人の感情や念が籠りやすいのかもしれません。

 そしてこの私は、物の思いや力を読み取り、戦う力を与える審神者です。戦う付喪神を生み出す存在なのですよ。

 小夜君の思いは、とても深い闇でした。私が飲み込まれそうなくらいに。でも、仕方ないのです。強すぎる願いは呪いとなって、恨みとなって、あなたの中に焼き付いてしまった。負の感情を強く受けすぎたのだから、そう簡単に己を変えられません」

 刀として生まれた時に決められた宿命は、もう覆せない。そう言われた。

「じゃあ。僕はどうしたら?」
「……何のために、その姿になったのですか」
「主様と敵を倒すために、」
「半分正解で半分不正解です」

 主様は、僕の左胸をとん、と指で突いた。心の臓の位置だ。

「あなたは、第二の人生を歩み出すのです。あなたは戦いのために力を与えた存在ですが、それ以外の経験も積んで欲しいのです」
「それ以外の?」
「美味しいご飯を食べること、仲間と喜びを分かち合うこと、悲しみを和らげること、明日も生きたいと思いながら、眠りにつくこと。私はあなたに、それを贈りたい」

 主様はとても、暖かい。僕は優しさというものを、初めて向けられた。

「主様、僕は……直ぐには、無理だと思う。それでも、いいの?」
「はい」
「僕は、復讐以外のことを考えてもいいの?」
「はい」
「殺した人達の分も生きていいの? 楽しい思いをしていいの?」
「殺してきた人たちのために祈ることは出来ます。あなたはね、身体を貰う前は道具でした。あなたの意思ではなかったことを、どうして責られましょうか。楽しい思いをしても、誰も咎めたりしませんよ」

 主様は僕の両頬を掌で柔らかく包み込んだ。

「小夜君、泣かないで下さい」

 主様は零れる滴を拭ってくれる。しょうがないよ、止まらないんだ。僕の心の澱を押し流すような、涙が。

「どうしてだろう。嬉しいのに、涙が出るんだ……」

 僕の復讐の炎は、その日から、本当に少しずつ。米粒くらいずつ。毎日小さくなっていった。





「小夜左文字さん、大丈夫ですか?」
「ん、……うん」

 僕は回想をやめた。五虎退が布団を敷いてくれたらしい。2人で主様を寝かせ、達成感で溜め息をついた。

「主様、お疲れなんですね。ちっとも起きません」
「そうだね。僕らも寝る?」
「ええっ!?」

 僕の提案に、五虎退が目を丸くした。良いんでしょうか、とあたふたしている。主様はそういうの気にしない人だから、別に構わないと思う。

 主様とふれ合う時間は、あまりない。上に立つ人はたいてい忙しい。いい機会だと思う。傍にいたいと思うのは、刀の本能だ。

「いいと思う。僕はそうする。あなたは寝たくないの?」
「ねっ、寝たい! ……です」
「じゃあ、入ろう。おいで」

 僕が左、五虎退が右で、主様の布団に潜り込んだ。暖かい。

 主様の寝顔が見れる。

「主様。僕は、あなたのおかげで……」

『お母さん』という存在が僕にいるのなら。それはきっと、主様のような人なんだろう。

「僕は今、とても楽しい」

 主様の手を握って目を瞑る。

 美味しいご飯を食べること、仲間と喜びを分かち合うこと、悲しみを和らげること、明日も生きたいと思いながら、眠りにつくこと。

 それを胸に焼き付けて。復讐の炎を小さくさせながら。

 僕は今日も、楽しく生きる。