定例報告会①


「わあ、あるじさま。そのきものは、どうしたんですかー?」

 畑当番だった今剣は、休憩のため屋敷へ戻ってきていた。廊下の向こうからやって来たがいつもの巫女装束ではなかったため、不思議に思った。

「お疲れ様です、今剣君。これから少しお出掛けです」

 今剣は初めて見るのだが、が来ていたのはスーツと呼ばれる衣服だった。

 清潔そうな白いシャツに、真っ黒なジャケットとスカート。膝下の長さとはいえ、肌を露出している。髪は綺麗に後ろでまとめられ、現代でいうキャリアウーマンのような、仕事が出来そうな女性へと変貌していた。

 そして、薄くではあるが化粧をしていた。赤い口紅がまた似合っている。

「あるじさま、なんだか、とってもかっこいいです!」

 今剣が目を輝かせ、へ抱きしめてもらおうと駆け寄る。

 しかし、

「おやおや、汚されては困るね」

 今剣は首根っこを掴まれ、猫のように持ち上げられる。犯人は歌仙兼定だ。

「わー、歌仙。はなしてくださいよう」
「君の遊び相手はこっちだよ」

 ひょい、と歌仙は隣にいた岩融に今剣を渡した。彼は先日やってきた薙刀であった。

「がははは、俺と遊ぶか今剣!」
「わーい、岩融! あそびましょー」

 ひと月前ににやって来た岩融は、見事に今剣の抑止力となった。今は一部の刀剣たちの、精神衛生に貢献している。

「ところで主はどこへ行くのだ?」
「定例報告会があるので本部へ行ってきます。本丸を留守にしますので、少しの間、よろしくお願いしますね」

 岩融の問いに、は憂鬱そうに答えた。

「ああ、本丸に帰りたい……」
「まだ本丸から出てすらいないのに……?」

 本当に心から嫌がっているな、と歌仙はが心配になるのだった。


***


 審神者の業務のひとつに定例報告会がある。
 月に一度、政府本部へ足を運び、本丸の運営状況や遡行軍との戦闘などを政府役人たちへ報告するのだ。

 は重い足を引き摺るようにして、時の政府が本拠地としている建物内へ入った。諸々の手続きを済ませ、控え室へと案内される。

「兼定さん、ここで待っていて下さいね」
「ああ。歌でも考えて待っているさ」

 護衛として必ず近侍を連れていくことになっているが、刀剣たちは報告会場へは入れない。宛てがわれた控え室で審神者の帰りを待たなければならないのだ。

「行って参ります」

 報告書を片手に、は扉をくぐった。

「やれやれ、またこれか……」

 歌仙兼定はひとりごちる。

(ここに来る度、主の落ち込む姿を見ているな)

 近侍として数回の付き添いを重ねれば、が本部へ訪れるのを嫌がっているのが分かる。

(さて、言い争いにならぬよう、より一層気を付けようか)

 あてがわれた部屋には、床に赤い絨毯が敷かれ、中央にテーブルが置かれている。白いテーブルクロスが掛けられ、20人は座れそうな大きさである。ズラリと奥まで並べられた椅子の数々。貴族が晩餐でも行いそうだ。

 椅子に腰掛けたものの、歌仙は落ち着かなかった。西洋の──ひいては擬洋風建築の建物や部屋の調度品が見慣れないからかもしれない。

 ふと見た窓の景色は曇り空だった。鉛色の雲は、太陽を覆い隠している。一雨来そうである。まるで、主の気持ちを代弁するかのようだ、とぼんやり考える。

(今の言い回し、なかなか風流だねえ)

 自画自賛した彼だったが、

「隣、いいかな」

 呼びかけられ、そちらへ顔を向ける。

「ああ、どうぞ」

 金色の派手な装飾を纏った、菫色の髪を持つ刀剣男士がそこにいた。彼の第一印象は、

(僕とは感性が違うのかもしれない)

 であった。何でも派手に着飾ればいいというものではない。

「初めましてかな。俺は蜂須賀虎徹。贋作ではない、正真正銘の虎徹だよ」
「初めまして、歌仙兼定だ。風流を愛する文系でね。歌はもちろん目利きも得意さ。よろしく」

 風流でないからといって、挨拶を無視する歌仙ではない。蜂須賀虎徹と名乗った刀剣男士は「目利き」という言葉に目を輝かせた。

「へえ、目利きの腕は十分、か。何だか気が合いそうだね」

 蜂須賀は嬉しそうに笑った。

「君の主も報告に?」
「そうだね。そちらもだろう?」
「ああ。俺は今回初めて近侍としてお供したんだ。でも、君は俺の主を知っていると思う」
「蜂須賀。君の主を?」

 はて、一体誰だろうか。歌仙が不思議に思っていると、

「『冷徹』の通り名の審神者はご存じかな」

 蜂須賀虎徹は眉を下げ、憂いを帯びた声で名を告げた。


***


「──以上です」

 通された部屋には数十人の政府の要人が座っており、誰もが厳めしい顔つきでを見ていた。鉛のような重圧を感じる。はそんな彼らの前に立ち、しかし、毅然とした態度で報告を終えた。その額には汗が浮かんでいる。

「質問はございますか」
「──貴女の報告は簡潔で素晴らしい。しかし、些か他の時代の審神者より進軍が遅いのでは?」

 役人の質問に、更に同調する声が上がる。

「他の隊より出陣回数が少ないと思われる」
「本丸の増築か。必要あるのかね」
「刀剣たちの数が少ない。増やしたまえ」

 それまで静かだった室内に、さざ波のように声が生まれ、言葉行き交う。は、それに丁寧に答えていく。

「はい。刀剣たちの精神、健康面を重視いたしております。故に、進軍が遅いのは認めます」

「しかし、そちらで定められた出陣回数はノルマを満たしております。刀剣の数が少ないのは、現在の本丸では部屋が足りないためです。増築申請が通り次第、増やしていこうと考えております」

 と、役人のひとり──が苦手とする人物で、白髪頭の老人だ──が、

「……君には前回、刀剣たちには我々と同じような生活は必要ないと告げたはずだが」

 つまり、人間らしい生活をやめ、武器の本質を尊重した、戦い中心の生活をさせろ、ということだ。

 本部に来るのが嫌な理由がこれだった。政府と自分の方針がまったく合わないので、こうして毎回やり方を改めろと言われるのだ。
 しかし、はこればかりは従えない。現場で見てきたのだ、政府のやり方では刀剣たちと付き合っていけないと。

(今回も上手く切り抜けられるだろうか)

 はごくりと唾を飲み込んだ。

「しかしながら、彼らも心を持ち、我々と同じ姿を取っているものです。戦い以外の、人の営みを大事にしたいのです。彼らの精神状態で、戦いの結果も変わってきます」
「くどい。あれらは所詮、使い捨ての化け物だ。替えは利く」
「歴史修正主義者と戦っているのは、彼らのおかげです。化け物と言わないで下さい。彼らも個性を持ったヒトで、」

「政府の方針は、いち早く敵を殲滅し、歴史改変の恐怖から国民を救うことだ」

 その一言に、はぐっと押し黙る。

 分かってはいるのだ。自分は、現在政府の意向に逆らう真似をするお荷物なのだと。審神者の力を持つものは現在とても少ないので、政府は常に人材不足に悩まされている。もしこれが解消されたら、は即お払い箱となるだろう。

(彼らが言うことはもっともだ。私も、そう思っていたけれど……)

 が反論しないので、白髪の役人は更に言葉を重ねた。

「君の能力は、決して低いものではない。履歴を見たが、非常に優秀ではないか。審神者になる前は、自らの審神者の力を実験台とし、人工的に力を得られないか研究していたと聞く。

 それが何だね。審神者に任命され、時代を遡ったら刀剣たちとままごとをしているだけではないか。まさか、家族になれるとでも思っているのかね。付喪神とは、人から産み出された物に憑く、ただの刀の妖怪ではないか。我々人間がいなければ存在出来ぬ妖怪だぞ。

 いいかね、ノルマ以上の出陣をせよ。くだらぬままごとは、我々の戦いにはいらん」

 突き立てられる鋭利な言葉の数々は、確実にの胸を抉る。それでも彼女は唇を噛み締め、

「……お言葉ですが、政府の今のやり方では以前通達を受けました『ブラック企業』ならぬ『ブラック本丸』を増やすのではないでしょうか。昨今、この問題が表面化して無視出来ないものとなっております。疲労や精神消耗、不十分な資材の配給では、敵との戦いには備えられません。そして、信頼関係も築き上げなければ、審神者は刀たちに必要とされません。私のやり方は、合理的かと思われます」

「何を、」

「忘れないで下さい。私たちは、彼らを――刀剣男士を、人間のエゴに付き合わせています。武器として使うのならば、わざわざ人型を取らせなければいいのに。私たちは安全な所で指示を飛ばし、彼らに姿を与えて危険な戦場へ送り出す。せっかく、人の姿を与えたのです。刀の時では出来なかったことを、やらせておきたいのです」

 白髪の役人は顔を引きつらせた。今にも唾を飛ばさんばかりの勢いで、の発言に噛みつこうとしている。
 の意見に肯定的な反応を示す者もいたが、難色を示す者が圧倒的に多かった。

「な、なん……これ以上従えんと? ならば、解任も辞さな──」

 その時だ。

 ぱちぱちぱちぱち……、といやに音の良い拍手が突然割って入ってきたのだ。

「――いやはや、殿の名演説、思わず聞き入ってしまいました」

 人の声に色をつけるとしたら、青や水色が似合いそうな、そんな声だった。スーツに身を包んだひとりの男が、室内に入ってきていた。皆、白髪の役人とのやり取りで、入室に気付かなかったのである。

「まだ貴方の報告の番ではない」

 役人のひとりが、彼に重々しく告げた。彼は、そんなこと分かっているとばかりに大袈裟に頷き、

「まあ、私も殿のやり方には賛同しかねます。彼女は刀剣たちの視点に立った意見のようですので」

 軽く微笑むが、それは氷の人形に笑みを貼り付けた様だった。

 そう。彼こそ、蜂須賀虎徹が近侍を務める主。

 ――『冷徹』の二つ名を持つ審神者であった。


***


『冷徹』。

 そう名付けられた由縁は、彼が簡単に刀剣男士を切り捨てる審神者だからに他ならない。

 刀剣たちにもそれぞれ能力に差がある。機動に長けたもの、攻撃に長けたもの、夜戦に長けたもの。ひいては、全体的に能力が劣るものもいる。冷徹は、そんな刀剣を容赦なく刀解する審神者である。

 そして、自分の指示に従わない刀剣も容赦なく切り捨て、代わりを補充する。

 能力が高いものを育て上げ、最強の精鋭部隊を作る。実際、歴史修正主義者との戦いでは一番貢献していると言えよう。

 刀剣男士を用いる本質を見抜き、政府の要望を満遍なく理解する。

 だから、『冷徹』なのだ。

「主から何度かその名を聞いている。朋輩と伺った。前の近侍とも数回話したことがある」

 歌仙は、から聞いたことを思い出していた。

「先日の出陣でも、かなりの敵を殲滅したと聞いた。君が、その冷徹の近侍だったとはね」

 だが、彼の近侍は以前は違う刀剣のはずだ。

「前の近侍は……大和守安定は……つまりは、」
「そうだね。君が大体思っている通りだよ。前の持ち主の影響が強かったから、今の主はそれが気に入らなかったようでね」

 蜂須賀虎徹は、哀しみに満ちた目を歌仙に向けた。

「今は二振り目の彼が本丸にいる。辛いね……」
「そう、か……」

(いくらでも替えが利く、か)

 夢から醒めたような、そんな感覚になる。虚を突かれるというのは、まさにこのことだろう。

(僕らが壊れても、また新しい僕らが生まれ、戦うのだと。記憶はない。まったく、新しい自分なのだと)

 歌仙がこの身体を得て、から初めて聞いた説明がそれだった。とてつもない衝撃を受けたのを、昨日のことのように覚えている。

「君の主のやり方はぬるい。俺の主がよくそう零している」
「……僕は、あの方が主で良かったと思っているけれどね」
「でも、忘れてはいけないよ。俺らは刀だ」

 蜂須賀の意図が読み取れず、歌仙は些か困惑した。

(ああ、それは。僕だって分かっている。僕らは武器だ)

「君は、君らは――勘違いをしてはいけないんだ」

 ――人間の姿を取っても、決して本当の人間には、なれないんだ。

「仲良しごっこはやめるんだ。どうせ替えが利くのなら、初めから深く関わらない方が楽なんだよ」


***


「私から提案がございます」

 一方、報告会には新たな空気が生まれていた。冷徹という男審神者はの前に立ち、

殿は私の同輩です。ここは、私が指導役として彼女の本丸を改善させる。いかがでしょうか」

 恭しく一礼した途端、室内に動揺と衝撃が走った。

「なっ……あなた、何を考えて――」

 冷徹に詰め寄るだったが、唇に彼の人差し指をあてがわれ、微笑まれた。だが、目だけ笑っていない。ぞくり、と背中が粟立つ。

 黙っていろ。そういうことらしい。

 彼の大袈裟な仕草は、まるでピエロのようだ。しかし、演技用の仮面の奥には、氷河のような冷めたい彼の本性があるのだ。

「確かに貴殿は優秀で結果も残しているが」
「ありがとうございます。実は私、教育指導も得意でしてね。万事お任せください」
「いや、しかし……」
「皆様もご存知の通り、彼女も優れた能力を持つ審神者です」

 冷徹の怒涛の勢いに押され、誰も口を挟めない。

「特に、彼女が以前提出した刀剣たちの疲労データは素晴らしい。あれを基に、出陣のノルマが組まれましたね。また、多くの発見を報告し、我々審神者や政府に貢献しております。解任するには惜しい!

 いい指導役――つまり私がいれば、彼女の問題は改善出来ますよ。いかがです? 他にご意見はありますでしょうか?」


 反論者はいなかった。あの、と言い争った白髪の役人でさえ、沈黙を貫いていた。

「承諾ということで、よろしいでしょうか」

 にやり、と口角を上げて、冷徹は笑みを浮かべたのだった。