定例報告会②
――刀剣男士は人間ではない。
「ええ。そうです、何をそんな今更……」
報告会が終わったのは1時間後だった。退室した途端、は身体が軽くなったことに気付く。あの重苦しい重圧から解放されたのだ、溜め息のひとつでもつきたくなる。しかし、安堵するのは早いとばかりに冒頭の台詞を投げたのは、先に退室していた例の男審神者であった。
困惑すると、冷ややかな眼差しを向ける冷徹。
赤い絨毯が敷かれた長廊下は、2人の声を静かに包み込んでいた。
「今更、か。理解してないようだけどねえ、君は」
「理解しております。理解した上で、彼らをヒトとして扱い、生活しているのですから」
「その結果が、あれだよ。もう少しで審神者を辞めるところだった」
「それは……」
確かに、そうだ。彼が入ってフォローしなければ、はクビだったかもしれない。
「自分の信念を取るか、政府の方針を取るか。そんなのもう明確だと思うんたがねえ」
「……」
「もっとも、君は審神者をクビになっても、研究に戻されるだけだろう。言っただろ、君の能力は高いから、この手の研究では重宝されるって」
と冷徹は同期である。以前は審神者の力を人工的に生み出す研究をしていた。2人に適性があったため、現場のデータ収拾がてら審神者に任命されたのだ。まあ、単に審神者の人材不足というともあるのだが。
「でも、研究者に戻るのは意味がないですから」
「ああ。刀剣男士に情でも湧いたのか」
「否定はしません」
「驚いたねえ、本当に。君はもっと淡白だと思っていたけど。私の観察眼もまだまだ、か」
「それは分かりかねますが、新しい出会いは人を変えますよ。良くも、悪くも」
「ああ、君の場合は悪い方だ」
2人はしばし、睨み合っていた。
「良いか。あれは人間ではない。『神様』なんだよ。あの役人は『妖怪』と言っていたけどねえ。どちらにせよ、科学では証明出来ない。人智を越えた存在だよ」
昔、時の政府は、付喪神を妖怪とするか神と認識するかで揉めたことがあった。そして議論の果てに、政府は付喪神を、神刀、霊力……それらを加味して、敬う存在として『神様』とした。まあ、未だに政府役人の一部では彼らを妖怪と主張する人間もいるので、その辺りのすり合わせは、完璧に行えなかったのである。
「いつか別れの時がくる。仲を深めたら、その時が辛くなる。それだけではない、君と政府の仲が余計にこじれる」
だから、
「だからね。仲良しごっこは、やめるんだ」
冷徹は笑顔を貼り付け、に釘を刺した。話は終わりだとばかりに、彼は歩き出す。彼女は返す言葉もないまま、冷徹と共に控え室へと足を進めた。
(私は、仲良しごっこをしているつもりは、ないけれど)
――いつか別れの時がくる。
その言葉は頭に深くこびりついて、しばらく離れなかった。
***
無言のまま、と冷徹は控え室に戻ってきた。そして、歌仙の姿を見つける。
(あら。冷徹さんの刀剣男士かしら)
他の刀剣男士はいないので、はそう見当をつける。
(珍しい。兼定さんが初対面の方と長くお話しているなんて)
最近、小夜左文字から聞かされたのだが、歌仙は人見知りなのだそうだ。なるほど、これまでの関わりを振り返れば、なんとなく思い当たる節はある。の歌仙だけではなく他の本丸でも、だ。歌仙兼定という「個体」は、総じて人見知り傾向が強いのだろう。
だから、こうして蜂須賀と交流していることは珍しく、歌仙も成長したのだと感心していたのだが、よく観察すれば彼の表情は険しくて、互いの距離は微妙に遠い。成長は……、まだまだ難しいようだ。
「やあ、蜂須賀。帰るよ」
冷徹が声をかけると、2人の刀剣男士は会話を止めた。やはり蜂須賀は冷徹のところの刀剣男士だったようだ。
「あら、連れてくる子を変えたのですね。毎回、大和守安定だったのでは?」
彼は会う度、大和守安定の有能さを自慢してきたものだ。なんだか嫌な予感がして、は問い掛ける。
「彼は元気ですか?」
「ああ、元気だよ。――二振り目だけど」
冷徹はにこりともせず、付け加える。
「蜂須賀はまだ刀解したことはないね。己の使命がよく分かっている。なんとも使い勝手のよい刀剣男士だ」
想定通りの返答に、は微かに顔をしかめた。あまり気持ちの良い返答ではない。蜂須賀はただ何も言わず、柔らかな笑みを浮かべていた。傷付いたわけではなさそうだ。冷徹のそういった言動に、慣れているのかもしれない。
「ふん。他所の本丸の刀を心配しても、しょうがないだろう、殿」
「……失礼致しました」
「本当だよ。君は君の心配をして欲しいねえ。指導係としてそちらに赴くのは、後ほど連絡する。内容はこちらで決めて構わないね?」
「はい。異論はありません」
「そうだねえ、手始めに演練を組もうかな。君の刀剣男士たちの実力を知りたいから」
「分かりました。よろしくお願いします」
「生温い指導はしない。覚悟しておくようにね。では、一足先に失礼するよ」
冷徹は蜂須賀へ目配せし、反応を見る間もなく歩き出す。
「帰るよ。忙しくなる」
「ああ、分かった」
蜂須賀は歌仙へ会釈すると、己の主の後ろへ付き従い、2人は控え室から出て行った。
「いけ好かない審神者だ……」
扉が閉まった途端、嫌味を言い放ったのは歌仙だ。
「兼定さん、」
咎めるような視線を送れば、彼は「失礼」と咳払いした。
「ああ、そうだ。君に訊きたいことがあるんだが」
「ええ」
「かの審神者が言う『指導係』とは、どういうことだい? 一体今日は、何が起こったのか、僕に分かるように説明して欲しいな」
は、数回まばたきを繰り返すと、
「そう、ですね。端的にまとめますと、その『やらかし』ました」
彼女にしては珍しく、苦笑いを零した。
***
は歌仙に取り急ぎの説明をした後、本丸に帰り、全部隊の隊長を招集した。現在、彼女は部隊三まで編成することを許されている。よって、部隊一隊長、兼近侍・歌仙兼定、部隊二隊長・へし切長谷部、部隊三隊長・同田貫正国が、の部屋に集まった。大の男3人がいると、広いはずの部屋も手狭に見えてくるから不思議だ。
「――取り急ぎ、部隊長の皆様にご報告致しました。後で各隊員に伝達して下さい。ご迷惑をおかけしますが、指導係が来た際には、失礼のないようお願いします」
向かいに座った3人の刀剣男士へ、は事の顛末を語り終えた。彼らの反応はまちまちだ。
歌仙は呆れて首を横に振り、長谷部はいつも通りの微笑みを見せ、同田貫はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
部屋は静寂に満ち、誰も言葉を発しようとはしなかった。しばらくの沈黙は、にとって大変居心地が悪かった。だから、
「申し訳ありません」
彼女が土下座をしてしまったのは、仕方のないことだったのかもしれない。この行動に大いに慌てたのは長谷部のみで、「頭を上げて下さい! 主たるお人が、俺たちに土下座等しなくて良いのです」とに駆け寄り、土下座を止めさせようと悪戦苦闘していた。畳にめり込む程、彼女は土下座し続ける。放っておけば、五体投地までするかもしれない。
「お前たちも手伝え!」
「はっ。やなこった」
「気が済むまで、やらせておけばいいだろうに」
長谷部の言葉を一蹴する同田貫と歌仙。
「別に。謝られても、決まっちまったもんは、しょうがないだろ」
同田貫は、心底どうでも良い様子だ。
「指導係っつうのは、何をするんだ。手合わせとか出来るのかよ」
「少しあちらの審神者とお話しましたが、恐らく演練を組むと思います。こちらの刀剣男士の実力を見るとのことです。もちろん、希望があれば、個人で手合わせもしますが」
はようやく顔を上げた。
返事に満足した同田貫の瞳に、生気が宿っていた。戦、と聞けば目が輝くのだ、彼は。
「それが聞ければ、俺はいいぜ。話がこれだけなら、戻っていいか? 他の奴と手合わせの約束してんだ」
「おい、まだ主の話は終わってないだろう」
「大丈夫です、長谷部さん。今日はこれで終わりです。細かいことは後で伝達しますから」
「は……失礼しました」
素直に引き下がるものの、長谷部は不満そうに同田貫へ視線を送り、それに気付いた同田貫は面倒くさそうに顔をしかめた。「いいじゃねえかよ」と目で訴えている。
「解散で構いませんよ。引き止めてしまってすみません」
は笑みを浮かべ(いつもより弱々しいものだったが)、同田貫が手合わせへ向かいやすいように声をかけた。主がこう言っているのだから、口を出す権利もなく。長谷部は今度こそ引き止めはしなかった。
「じゃ、先戻るわ。お疲れさん」
同田貫はそのまま部屋から出て行くと思われたが、
「つうか、あんたは何に、誰に対して謝ってんだよ?」
と、障子を閉め切る際、振り返りってに問うた。
「感情に任せ、危うく審神者を解任され、本丸を手放すところでした。あなた方と、一緒に戦えない。最後まで戦えない。責任を果たせない……、そのために謝りました」
土下座までして、と同田貫は返す。
「土下座までして俺らに謝ってもな、『ハイそうですか』とか『気にすんな』しか返せねえよ。腹ん中は違うかもしれねえ。あんたは主だ。少なくとも、あんたに逆らう奴は、この本丸にいねえはずだ」
例え、今日から主が代わるとしても。
例え、刀解されるとしても。
心では嫌だと感じていても、主のために力を尽くし、振るう。
刀剣男士の刃生は、主と共にある。
いや、が共に過ごして来た刀剣男士は、確固たる絆と信頼関係を築いてきた。を心から慕っている。裏切りなど、しない。
「あんたの気が済むなら、謝ればいいんじゃねえの。誰も、あんたを責めたりしない。きっと誰もが『主は悪くない。運が悪かったんだ』って、慰めてくれるだろうな」
例外もいるだろうけど、と同田貫は小さな声で呟き歌仙を一瞬見た。が、はそれに気付かなかった。彼の言葉のひとつひとつを噛み締めるように聞いていたからだ。
「けどさ、あんたの自尊心ってヤツ? それを守るためだけの謝罪なら、俺はいらねえよ」
「どうた、」
反論しかけた長谷部を、歌仙は手で制した。首を横に振る。同田貫の話を黙って聞け、と。数秒の後、長谷部は渋々立ち上がるのを止め、座り直した。ただし、いつでも動けるよう、少し腰を浮かして。
「主。俺があんたに初めて会った時の言葉、覚えているか?」
「『俺たちは武器なんだから、ままごとする必要なんてない』」
「なあんだ、覚えてるんだな」
「それまで顕現した刀剣男士の中では、特に珍しいタイプでしたので……」
は今でもはっきり思い出せる。彼が初めて、この本丸の方針に異議を唱えた刀剣だったから。
「はっ。……結局、俺はあんたに折れて、この生活も悪くねえと思っていた。が、」
寸の間言葉を切り、
「指導係の審神者が言ってた『仲良しごっこ』も、案外外れてないと思うぜ。俺はたまに戦争していることを忘れる。――この本丸にいると」
ガタン、と。
彼は後ろ手に障子を閉めた。
それは決して、拒絶の音ではないのだが。今のには、確かにそう聞こえたのだった。