ひとりになりたい①


「あるじさま、さいきんおへやから、でてきませんね」

 あの報告会から5日が経っていた。
 畑当番を命じられた今剣は、昼の陽射しにも負けず、懸命に小松菜の間引きをしていた。

「……最近、全然見てない」

 相槌を打ったのは、同じく内番の小夜左文字だった。

 を最後に見たのは、3日前の晩飯時だったのを記憶している(本丸にいる者は、全員揃って食べるのがルールになっているのだ)。そして次の朝から姿を見せることはなく、は自室で食事をしているから心配するな、と歌仙兼定から通達があった。

 病気ではないらしい。仕事も滞りなく行われている。だが、彼女が姿を見せない理由は不明だ。

 多くの刀剣男士はを心配し面会を希望したが、彼女が許可することはなかった。刀剣男士たちは、渋々現状を受け入れるしかなかった。

「心当たり、ある?」
「いいえ」
「そうだよね。何かした覚え、僕にはないから」
「ぼくもです」

 間引きした小松菜を、用意していた籠に投げ入れていく。間引き菜を捨てるのは勿体ないので、当番が終わったら持ってくるよう、燭台切光忠にお願いされている。今日の晩飯に小松菜を使った料理が一品出されることが確定された。おひたしだろうか。それとも、厚揚げが入った煮物か。それともそれとも、鶏肉との炒めものか。そんな期待をしながら、今剣は唾を飲み込んだ。

 いや、晩飯の料理も気にかかるが。の――自分の主のことが――今は一番気にかかる。

「……指導係が入るって、今剣は聞いたよね」
「ききましたよ。なのかごに、ほかのさにわがくるって。あれ。でも、あれからひがたっているから、もうすぐですね?」

 5日前、彼らはそれぞれ所属している部隊の隊長から、指導係が入る旨を聞いた。他の本丸から来る審神者がどんな人物かは知らないが、が受け入れたのだ、悪いようにはならないだろう。

「それのせいなのかな」
「しどうがかりの、さにわのせいですか?」
「うん。変わったことが、それくらいしか思い浮かばない」

 小松菜の間引きを終え、彼らはゆっくり腰を伸ばした。屈みながらの作業は結構つらい。鍛えているはずなのに、畑仕事の次の日は、必ず筋肉痛になる。手入れで治るそうなのだが、資材が勿体ないので甘んじて痛みを受け入れるしかないのだ。

「……台所に持って行こうか」
「そうですねえ」

 色々疑問が残るものの、情報が少ないので、2人では答えを導き出せない。小夜と今剣は小松菜の入った籠を抱え、本丸へ戻る。その道すがら、2人は本丸の方向からやって来る、歌仙兼定を見つけた。洗濯当番らしく、洗濯籠を抱えている。屋外の干し場へ行くようだ。

「あ! 歌仙! ちょうどいいところにきましたね!」

 今剣はボールのように跳ねながら、歌仙の方へ駆けていく。小夜も負けじと後へ続いた。

「おや、今剣と……お小夜じゃないか」

 元気そうで何より、と歌仙は微笑む。

「何か用事でも?」
「おおありですよ! あるじさまにあいたいんです!」
「僕もです」
「ああ、そのことなんだが……」

 歌仙は大仰に眉尻を下げた。

「主は誰にも会わないと言っている。だから、会わせてやれない」
「ええっ! ぼくたちでも、だめなんですか? たんとうをあまやかすことでゆうめいな、あるじさまですよ!? おちちさわらせてくれる、あの、あるじさまですよ!?」
「今剣……」
「あざとくおねがいすると、ゆるしてくれます」
「あれは、君が勝手に触っているだけだろうに。って、やはり君はわざとやっていたのか。言質は取ったぞ……」

 小夜と歌仙の、氷のような冷たい視線を受け、今剣が頬を膨らませた。さながら風船である。

「むう! いまはそんなこと、いいんです! あるじさま、いったいどうして、ぼくらとあってくれないんですか」
「……どうして、か。どうしてだろうね? 僕も主とはしばらく会ってないから、分からない」
「歌仙も、あってないんですか?」
「近侍の僕にも面会謝絶令は下りていてね。食事を運ぶ時と、仕事の伝達くらいしか話してないよ。それも、扉越しにね」

 一体どうしたのか質問しても、は押し黙って答えないのだそうだ。部屋に通じる扉は全て施錠され、開けてはくれないらしい。

「お小夜、僕はどうしたら良いんだろうねえ……。主の好きにさせようとは考えたが、どうにもこのままだと良くない気がして」
「良くない気がするではなくて、良くないです」

 小夜がぴしゃりと断定する。

「どうして、誰にも相談しなかったのですか」
「いや、あちらがその気なら、僕からは絶対働きかけはしないと意固地に……」
「歌仙」

 咎めるような視線を受け、歌仙は気まずそうに目を逸らした。そうなのだ。近侍にも話してくれないのかと、少し拗ねていた。

「放っておけば直るほど、心も人との関係も簡単なものじゃないですよ……って、江雪兄様が言ってました。主様も人の子ですから、何にだって悩みます。近侍のあなたが一番長くいるのだから、変わったことがあったら教えて欲しかったです」
「それは……ああ、そうだね。肝に銘じて今後、気を付ける」
「はい」
 
 小夜と歌仙。彼らはこの本丸でほぼ同じ時期に顕現したうえ、前の持ち主が同じ細川家だったこともあり、他の刀剣男士より気心が知れる仲だった。だから、歌仙が小夜に諭されるのは珍しいことでもないのだが、

「がいけんとなかみは、つりあわないものですね!」

 今剣は、無邪気に思ったことを口にした。

「それ、君にも言えることだよ。子どもの容姿だからって、主を油断させているじゃないか」
「うん、確かに」
「お小夜、それは今剣の発言に対してかい? それとも、僕の?」
「え……、歌仙の方です……」
「ふたりとも、まんざいはいいんです! あるじさまのはなしをしましょうよ! あいにいきませんか!」

 とは言うものの、

「会いにいきたいけれど、主様は話を聞いてくれるのかな……」
「あってくれますよ。たんとうにあまいあるじさまなら」
「……否定出来ないのが心苦しいね」

(まあ、短刀には甘い主のことだ。もしかしたら、出てきてくれるのかもしれないな)

 話し合いが進む中、歌仙はふと思う。

 が刀剣男士の前に姿を見せなくなった直後のことだ。彼女は同田貫正国の言葉に、僅かばかり動揺していたような気がする。顔に表情が出にくいだが、あの時ばかりは読み取りやすかった。

(僕の知らないところで、あの冷徹とかいう審神者に、何か吹き込まれたのだろうか)

 そういう歌仙も、実はあの蜂須賀の言葉に囚われていたりする。

(替えが利くのなら、別れがくるのなら、始めから深く関わらない方が楽、か)

 が会わない気なら、こちらからお断りだ。そう意地になって日が経ち、小夜に咎められるまで、放っておいてしまった。

「じゃあ、それぞれおしごとがおわったら、あるじさまのへやのまえにしゅうごう、ですね!」
「そうだね……。それでいこう」
「いいですね、歌仙」
「え? あ、ああ。異論はないよ」

 歌仙ははっと我に返り、返事をした。

 あれほど照りつけていた太陽は、いつの間にか、重い雲に隠れていた。


***


 何をやっているのだろう。

 いきなり彼らを避け出したら、不審に思うに決まっている。もう5日も彼らと会っていない。だが、合わせる顔もない。自分の気持ちがはっきりしなくて嫌だったから。

(そう思うのに、どうにも気が重くてしょうがない)

 は自室に引きこもっていた。畳に大の字になって寝転がり、早30分。ぼーっと天井のシミを数えている自分がいた。

(私のやり方は間違っていたのかしら。私の方針であるこの生活を、続けていく自信がない)

 この生活がままごとだ。同じ言葉でも、他の審神者に言われるより、一緒に暮らしている刀剣男士に言われる方が、ショックが大きいのだ。いや、同田貫が悪いわけではない。彼は、を傷つけようとしていない。自分の思うことを正直に伝えただけだ。頭の中では理解している。

 理解していても、しかしいつまで経っても心が追いついてこない。のろのろ、のろのろ。蝸牛か亀のように。

 人の形を与えた。代わりに戦ってもらった。消耗していく彼らに、自分は一体何を与えられるのか?

(心と身体を安らげる場所。皆の割り切れない、どこか寂しいところを埋める場所。ヒトとしての刃生を生きる場所。それを与えられたらと思っていました)

 皆はそれを受け入れてくれているし、楽しく生活している。だが、同田貫のような考えを持つものだっているかもしれない。それすら、考えていなかった。

(いいえ、見ないようにしていたのかも……)

 そうだった。これは、戦争だった。人が作り上げてきた歴史を守るための戦争だった。

「そして、彼らが折れたって。いくらでも代わりが手に入る」

 冷徹のところの供は、蜂須賀虎徹になっていた。あんなに自慢していた大和守安定を折った。彼くらい冷めていた方が、この戦いが終わった時、心が傷つくことはないのかもしれない。政府から何も示されていないが、きっと彼らと別れなくてはいけないのだろうから。

「でも、今から関係を見つめ直したって……」

 もう手遅れですよね。と、呟いた時だった。

 遠くからパタパタ、小気味よい足音が聞こえてきた。今度は誰が来たのだろうか。ここ数日、歌仙以外にも自室前で声をかけてくる刀剣男士はいたのだ。は、その誰にも返事をしなかったのだが。

「はやくはやく! おそいんですよー」
「君が早いんだよ……。まったく、岩融を連れてくれば良かった」
「……彼、遠征に組み込まれてました」
「彼らは2人で一組にしておけと――」
「あまり音を立てて走らないで――」

(兼定さんと小夜君と、今剣君……? こっちに来てる?)

 普段は歌仙だけやって来ていたのに、短刀たちを連れてきている。

 は慌てて起き上がった。心が落ち着かない。扉や襖は施錠、または荷物を積み上げて封鎖しているから、誰も入って来れないのに。

「あるじさまー! あいにきました! おかお、みせてください」

 今剣だろうか。コンコン、と扉を叩く音がする。は息を潜めた。口を真一文字に結び、石像のように固くなる。返事をすれば負けだと思った。

(合わせる顔がない……)

「あるじさま?」
「主様……、寝てる?」
「ほら、ご覧。普段は返事もない」

 続けて小夜、歌仙の落胆した声が聞こえた。の心臓は跳ね上がる。まるで、隠れ鬼をしているかのようだ。隠れている場所を鬼に探り当てられそうな、ひやひやした気持ちである。

「主。引きこもってないで、そろそろ顔を見せておくれ。……本丸の修理費の心配をしたくなければ」
「歌仙、それは脅しだと思います」
「じつりょくこうしは、まだやらないって、いったじゃないですか」

 歌仙が「自称」文系の片鱗を見せたところで、今剣が不穏な言葉を残す。

(そのうち、強行突破でもされそうですね)

 刀剣男士は人間以上の力があるものだから、扉を蹴破ってこちらにやって来るのは造作もないだろう。……それをしないのは、彼らがに遠慮しているから――いや、彼らが「主」を尊敬しているからだった。

(でも、さすがに焦れますよね)

 やはり、は返事をしなかった。

 はひたすら石像のように身を固くして、彼らが帰るのを待った。やがて――、

「ふみをおいておきますね。よんでください」
「また来るよ」

 扉の隙間から、紙が差し込まれた。3人分の足音が遠くへ去ったのを確認し、は大きく息を吐き出した。差し込まれた紙は、今剣が書いた手紙なのだろう。引っ張って手元に置いたが、読む気にはなれなかった。

「私、何をしているのかしら」

 彼らの持ち主なのに。
 今は、その言葉が重い。

「逃げたい」

 ごく自然にこんな言葉が出てきたので、は驚いた。本丸にいれば、誰も彼女を放っておいてくれない。それは彼女が彼らの主だからであり、今まで確かな信頼関係を築いてきたからである。今回これが、彼女の首を絞めている。

(少し、息苦しい。放っておいて欲しい)

 考える時間が欲しい。彼女は素早く立ち上がった。5日経っても見出だせない答えを探しに。

 逃げるといっても、さすがに本丸の外にはいかない。ここではない違う部屋で、独りになりたかった。

(でも、どこへ逃げよう)

 迂闊に外へ出れば、刀剣男士たちに気付かれてしまう。自室に篭もれば、今のように誰彼やって来るだろう。

 考えること数分。

 困り果てたは、とうとう記憶の片隅から、あることを思い出した。

(あ、隠し扉! 隠し扉があったはず)

 が審神者に就任した日のことだ。本丸が襲撃されたことを想定して作られたもので、もしもの時は隠し扉を使って避難するよう、こんのすけが教えてくれたのだ。以外は扉の存在を知らない。これを使えば、誰にも気付かれずに自室の外へ出られる。

 はすぐに行動を開始した。そっとクローゼットの扉を開ける。仕舞っている衣服を掻き分け掻き分け、辿り着いたクローゼットの奥。

 確か、こんのすけは使い方を説明してくれたはずだ。

(ええと、取っ手……ここですね)

 灯りになるものを持っていなかったので、手探りで探し当てた。取っ手を引っ掴み、数度押しては引いてを繰り返し、

「そういえば、どこへ繋がっているか言ってたかし、……あっ、開いたっ! きゃあっ!?」

 押した瞬間、勢い余って扉は開かれた。引力に逆らうことなく、の身体は床へ吸い込まれていく。咄嗟のことで受け身も取れない。来る衝撃に備え、目を瞑った。






「――おい。あんた、どこから来たんだ……」

 戸惑いや不機嫌さがまぜこぜになった声だった。は恐る恐る目を開ければ、視界一杯に白い布が広がっている。身体が痛くない。

「ええと、……山姥切国広さん、ですか?」
「……、あまりジロジロ、見るな……」

 床との接触を阻止し、彼女の身体を抱きとめたのは、「本丸のヒキニート」と揶揄されている山姥切国広だった。