ひとりになりたい②
「ひと雨来そうだな」
門をくぐった途端、岩融が目をすがめて空を仰いだ。曇天は重苦しく、秋の空を覆っている。
遠征から帰って来た第二部隊の面々は、その呟きで皆一様に空を見上げた。
「あ、ホントだ。降り出す前にお洗濯取り込まなくちゃ」
「それならぼくも手伝うよ」
「俺も手伝おう。なあに、この身体だ。すぐに終わろう」
「お前たち、遠征から持ち帰った資材を置いてからにしろ!」
干し場へ歩き出した堀川国広、乱藤四郎、岩融をへし切り長谷部が咎める。今回は不足になりがちな玉鋼を持ち帰ることが出来た。なにぶん量が多いので、3人も洗濯物回収に行かれると困る。
「岩融、お前は俺と来い。江雪と堀川もだ。五虎退と乱。お前たちは洗濯物をやって来てくれ。他の刀も呼んで手伝わせるんだ」
「はっ、はい! 行ってきます」
「任せて。行こっ!」
テキパキと指示を出し、隊員たちはそれに従う。五虎退と乱の姿を見送っていれば、さすがですねと声がかかる。
「長谷部さんは隊長が板についてますね」
「さすが本丸の古株、といったところだな」
「おだてても何も出んぞ」
「おだててはいませんよ。主さんが隊長を任せるのも納得だなって改めて思いました」
と、彼らの顔が空同様に曇った。5日前から顔を合わせてくれないのことを思い出したからだ。
「果たして、今日は……お目通りが叶いますでしょうか……」
江雪左文字が、いつもより幾分沈んだ声で呟いた。
「……さて、どうだろうか……」
各々の溜め息は、哀愁漂う秋の空に吸い込まれていった。
***
「どうして、あなたが……?」
「それはこっちの台詞だな」
と山姥切は困惑の表情を隠さず、互いを見つめていた。数秒目が合ったかと思えば、彼の方から気まずそうに逸らされた。ついでに、少々乱暴に身体を引き剥がされた。見られたくないらしい。
「ここがどこか、ご存知ですか」
「蔵だ」
「蔵? なるほど、そこへ通じていたのですね」
自室のクローゼットの奥は、本丸の裏庭、畑の近く。物置にしている蔵へ繋がっていたようだ。の本丸は時代を渡る時は門につけられた機械を使う。そちらが壊れた場合、または何らかの原因で門が使えない時などに、予備の機械が蔵にあるのだ。公共施設に非常口が複数あるように、本丸にも時を渡る機械は様々存在するのだ。
(大事な審神者が死んでは困りますものね)
人員不足のため、もわざわざ駆り立てられ審神者になったのだ。当然の対策なのかもしれない。
「そこの、壁。隠し通路があったのか」
「そうみたいですね」
が出てきた蔵の壁は、扉があると分からないほど、綺麗に隠されていた。試しに触れてみるが、継ぎ目も何も目印になるものは見つからない。山姥切が場所を覚えていたようで、コツコツと壁を叩いたが、反応はない。どうやらこちら側からは開けられないようだ。
「非常事態か? 本丸に何か、あったのか?」
「え? いえ、違いますよ。その、ええと、実は……」
助けてくれた山姥切には正直に話そうと思い、とりあえず壁から出てきた経緯をかいつまんで説明した。
「そうか」
聞き終えたあと、山姥切はひと言だけ言うと、そのまま床に膝を抱えて座り込んでしまった。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「…………何だ」
「『そうか』だけなんですか」
「あんたは、写しの俺に何を期待しているのやら。何かしてくれるのかとか、図々しい真似はやめてくれ」
「図々しいだなんてそんなつもりは、」
言いかけて、口を噤んだ。
(いや、あったのかもしれません……)
何かしらの反応を、待っていたのかもしれない。期待を、していたのかもしれない。図々しいと思われても仕方がない。
「すみません」
「……写しに謝らなくていい」
「すみません」
「だから、……何でもない」
さて、どうしようかとは気を取り直す。ひとりで考えたいとは思ったが、先客の山姥切がいたからには、いつまでもここに留まり邪魔する訳にもいかないだろう。
(ああ、そうでした)
立ち去る前に、聞いておきたいことがあった。
「あの、山姥切さん」
「俺は山姥を斬ってはいないぞ」
「国広さん?」
「兄弟も国広だ」
「では、山姥切国広さん。あなたはどうして、ここに?」
一拍置いて、答えが返ってきた。
「……静かな所を求めていたら、ここに辿り着いた。本丸には兄弟がいる。短刀たちも、俺と遊んでくれと放っておいてはくれない。だから、ひとりになりたくて、ここを見つけたんだ」
山姥切国広という「個体」は「写し」である自分へのコンプレックスがとても強いらしい。だが、自分を卑下する発言が多いものの、他の刀剣男士とは馴染めているようで、仕事を言いつければ必ずやり遂げる。
どうやらの本丸に来た山姥切国広は、例外だったらしい。顕現した当初から何故か引きこもり体質であった。
部屋からあまり出ず、誰にも顔を見せないのだ。兄弟である堀川国広が様子を見てくれているが、一向に改善される気配はない。短刀たちもコミュニケーションを取ろうと部屋に押しかけているようだが、あまり効果はない。も妙案が思い浮かばず、とりあえず彼の引きこもりには目を瞑っていた。
「あんたには分からないだろう、ひとりになりたいと考える奴の気持ちなんて」
「完璧には分からないです。けど、少しだけなら分かります。今の私も、少しひとりになりたいのですから」
「……」
今のも、山姥切国広と同じように引きこもりである。そして、ひとりになりたくて、逃げた。
まあ、逃げた先に山姥切国広がいた。自分はどこへ行ってもひとりになれないのだな、と諦めにも似た気持ちを抱いていたのだが。
「ここのことは言いませんから。山姥切国広さん、どうぞごゆっくり」
「……ここにいても構わない」
「え?」
出しかけた足を戻し振り返る。彼は己の足を見つめていたが、はっきりとした口調で言った。
「あんたは、今の主だからな。ここにいたいなら、しばらくいたらいい。ひとりになれる場所は、ここぐらいしかないぞ」
「本当にいいのですか?」
「俺と反対側の、隅の方にいれば問題ないだろう。互いに干渉しない。それでいいなら」
「では、お言葉に甘えて……」
は山姥切国広に示された隅の方へ移動し、冷たい床に座った。積み重ねられた道具や物が、互いの姿を隠している。人の気配を感じられない。これなら、ひとりで(厳密には2人だが)過ごせそうだ。
ふうっと安堵の息を吐き、は頭を上げた。
(ほんの少しだけだから)
少ししたら、部屋に戻るから。今だけは、審神者ではない「自分」になりたかった。
***
「雨だ」
誰がそう言ったのか。パラパラと雨粒が落ちてきて、よく手入れされた庭へ染み込んでいく。紅葉した赤子の手のような紅葉に、雫が跳ねて、消えた。
「どいたどいたどいたーっと! なあ、部屋干しするから大広間にいる連中も手伝ってくれよー!」
「大太刀か槍いない? 高い所に引っ掛けて欲しいんだよね、この紐」
「おい、雨に濡れた服のまま廊下を歩くな」
「騒がしいですね……」
「あ、兼さん。今日のおやつは練り切りみたいですよ」
「お風呂湧いてるから、早めに入っておいでね」
「はーい」
「だから廊下は走るなって! あー……」
(秋雨や……秋雨や……)
一句作ろうと頭を捻ってみても、秋雨以降の言葉が思いつかない。歌仙は取り込んだ洗濯物を室内に干しながら、ぼんやりと外の雨を眺めていた。
(主は、この雨を見たら何と話すのだろう。そうそう。空が泣くわけないでしょうと言っていたね。比喩の分からぬ人だ)
自室に引きこもってしまったは、この雨に気付いているのだろうか。屋根を叩く心地よい音に気付いているのだろうか。湿った空気の匂いに気付いているのだろうか。
(どうしてだろう)
どうして、審神者のことばかり考えてしまうのだろうか。いつも口喧嘩ばかりしてしまうのに、顔を見たくて仕方がない。
もしも、もしもだ。歌仙が冷徹の所の蜂須賀に忠告されたように、も同じ言葉を聞かされたのならば。それが引っ掛かっているのならば。気にしなくていいのだと、言ってやりたい。
(失うことばかり数えてしまったら、得たものに喜びを感じられなくなる)
桜が散るように。
月が欠けるように。
形あるものはいつか壊れるように。
歌仙兼定は、それを知っているからこそ、この1分1秒を大切にしたいのだ。例え、初めはあまり仲が良くなかったとしても。口喧嘩が多かったとしても。
(それすら、愛すべき日々なのだと僕は思っているのに。主は……そう、思わないのかい)
あの時。一緒に月見酒をしていた時に。
(出会えて良かった、と)
言ってくれたではないか。
「あ、いたいた。歌仙さん、ちょっといい?」
歌仙はそこで、現実に引き戻された。
「――あ、ああ。光忠か。どうしたんだい?」
燭台切光忠が穏やかな笑みを浮かべ、隣に立っていた。
「今日の晩ご飯なんだけど。主の好きな料理って知っているかな」
「主の……? また、どうしてだい」
「あまり食べてくれてないみたいだから、好きな物を出したら、少しは箸も進むかなと思ってね」
「そうか……、なるほど。いいと思う」
光忠の提案は魅力的に思えた。全快とまではいかないかもしれないが、の気分転換にはなるだろう。
「主の好きな料理か」
そういえば、何が好きだっただろうか。
(……どうやら、僕は主のことをよく知らないようだね)
と言えば、思い浮かぶのは……。
理系で料理が下手で、少しヌケているところがあって、短刀をよく甘やかす。仕事には手を抜かず、よく刀剣男士を気にかけてくれていて、そして……。そして、
(笑った顔が、僕は好きだな)
脳裏に浮かぶ、いつもの笑顔。シャボン玉のように浮かび上がり――すぐに消えた。
「……歌仙さん、どうしたの。顔赤いよ」
「そ、そうなのかい。まさか、いや……、暑いだけさ」
「ええっ? 降ってるし、結構涼しいよね?」
風邪なのかなと光忠に心配される。歌仙は首を横に振って、大慌てで否定した。沸き上がった感情を掻き消すように。
(そんな、まさか! これが、嘘だろう……。知らないぞ、僕は!)
「我こそは之定が一振り、歌仙兼定なり……そう、僕は刀だ刀……」
「うん、そうだけどね! どうしたんだい、いきなり。僕らって風邪ひくんだっけ? 歌仙さん疲れているのかな」
光忠の困惑をよそに、歌仙は洗濯物を握りしめながら己に暗示をかけ始める。人が人なら「頭おかしくなったの?」と訊ねてくる程に。
そんな、騒がしい本丸の一方で。
「……大将……?」
の自室にて、薬研藤四郎が呆けた様子で審神者を呼ぶ。
「おいおい、どこ行っちまったんだ」
遠くで、落雷が轟いた。