ひとりになりたい③
ゴロゴロ、と空が唸るような音が聞こえてくる。雷を伴う雨のようだ。全ての洗濯物を干し終えた歌仙は、厨房へ向う途中で、薬研に引き止められた。
「なあ、歌仙」
「おや。どうしたんだい、血相変えて」
「大将どこに行ったか知らないか」
「どこって……彼女の部屋だろう?」
「いや、それがな」
どこにも居ねえんだよな、と薬研が声をひそめて告げた。
***
非番であった粟田口の短刀と脇差たちは、本丸内でかくれんぼをしていたそうだ。鬼は鯰尾藤四郎と骨喰藤四郎がやってくれたらしい。ちなみに、刀剣男士のかくれんぼは、普通の人間からすれば戦闘訓練と大して変わらない。
「屋根裏はなしとは言われなかったんで、俺っちは屋根裏に隠れていた。まあ、手持ち無沙汰になるから、色々動き回ってたら、ああ大将の様子を覗くのもいいよなと思って行ってみたんだ」
「『覗くのも良いよな』って、何だそれは」
「そうだ。良くないだろうが……」
長谷部と同田貫、そして薬研が、歌仙の部屋に集まっていた。長谷部と歌仙は渋面ではあったが、同田貫の反応は薄い。
「まあ、いいじゃねえか。主が行方不明ってのがいち早く分かったんだからよ」
「そうだが……」
「まあまあ、それは後にしてくれや」
苦言を呈す長谷部の台詞を遮り、薬研は続きを話し始めた。
「わざとかくれんぼの鬼になって、本丸中捜し回ってみたが、どこにも居なかったんだ。厠かと思ったが、そこも外れだ。まだ物置や蔵なんかは調べちゃいないんだがな」
「時代を越えたとかは、ないのかい?」
「それはどうなんだ? 原則、審神者が過去に飛ぶことは禁止のはずだ」
歌仙の問いに長谷部がすかさず答える。
「ああ、そうだったね。このタイミングで何も言わず、里帰りするわけもない」
そもそも、の性格からして、書き置きもせずに黙って本丸から出ていくことはありえない。それに、あの冷徹の訪問も間近に控えているのだから。
「そうだ、歌仙の言う通りだと俺も思う。だから、まだ大将は本丸に居るとは思うんだが……」
「捜すしかないだろう」
「ほっとけよ、そのうち戻ってくるだろうが」
欠伸をして、同田貫は長谷部とまったく違う意見を述べる。
「あのなあ、主に何かあったらどうするつもりだ? もしも体調が悪くて倒れていたとしたら……? 主は俺たちと違うんだ、手入れで簡単に治る体ではないんだぞ」
「もしもの話だろ、それ。主は人間で言えば、もう餓鬼じゃねえ。いつまでもうじうじ自室に篭って終わる奴かよ」
(おや?)
歌仙は同田貫の言葉に、眉尻をあげた。何か、引っかかりを覚える。その発言は――、
長谷部の方は、同田貫の冷めた態度が気に入らず、今にも斬りかかりそうな勢いだ。
「貴様、今の主は、審神者『』だ。それを理解して言っているのか!? 不敬もいいところだな!」
「俺は俺なりにちゃんと主を『主』だと理解している。長谷部、あんたに言われる筋合いはねえよ」
「何だと!? 大体、貴様が主に『ままごと』だの『仲良しごっこ』だの言ったからだろうが……!」
「言ったから何だっていうんだ。あんたはそう思わないのか」
長谷部は眉を釣り上げた。掴みかからんばかりの勢いで同田貫に詰め寄り、時間遡行軍にでも話しかけるような、低い声で唸る。
「表へ出ろ。圧し切るぞ」
「お、やろうってか。上等だ、話し合いより斬り合いの方が性に合ってるんでね」
野生の獣のような獰猛な笑みを浮かべる彼らに、薬研は慌てる様子もなく苦笑混じりに、
「どうする、歌仙」
「どうもこうも。止めるしかないだろう」
「だな」
薬研と歌仙は顔を見合わせてうなずいた。
「――君たち、ちょっと話があるのだが、聞いてくれないか」
少しの思案の後、歌仙は清らかな水のような声で、
近侍として、本丸の古株として、間に割って入るように、
「同田貫は、主を信頼しているよ」
言葉を投げたのだった。
***
いつか終わってしまうのならば、関わらない方が楽なのだ。それは、真理のように思える。人は短い生の中で出会いと別れを繰り返していくのだが……、本当に大事な人と別れる時が来たら、その時は。その時は、どうしたらいいのだろうか。
寂寥感で胸が張り裂けるのではないだろうか。
その悲しみをずっと胸に抱えたまま、生きていかなければならないのか。
置いていかなければ、いけないのか。
彼らが大切で大切で仕方なくて、守ってあげたかったから。無理なく過ごして欲しかったから。だから、後先考えず口出ししてしまった。
離れたくないのに、そうすればそうするほど、離れていく方向へ流れていく。縁えにしの糸が切れてしまう。
仲良しごっこ等と言われては、今まで自分が築き上げてきた日々は、一体何だったというのか? まやかしだったのだろうか。
(離れたくないのに)
ふとした時に、蕩けるような笑みを浮かべるあの刀は――
「っくしゅん!」
は肌寒さで目を覚ました。鼻を啜った後、ここが蔵だと思い出す。どうやら、いつの間にか眠ってしまったらしい。
蔵の中は薄暗い。おまけに湿った匂いがする。耳に届くのは――雨の音と、雷だ。
(かなり強い雨ですね。これは、明日も大荒れなのかしら)
聴覚を刺激する滝のような雨音は、まるで自分を叱っているような気がした。こっそり抜け出して、ここに隠れて居るからだろうか。後ろめたいことがあると、何でも悪い方向に考えてしまう。
そういえば、山姥切国広はどうしたのだろうか。先に帰ってしまったか。様子を見るために立ち上がった途端、肩からはらりと布が落ちた。
「あら?」
当然ながら、自分はこの布の持ち主ではない。薄汚れた、少しボロボロの布を拾い上げ、は埃を払った。もしかしたら、これは。
「……ふふ、律儀ですね」
互いに干渉しないなら、と言っていたはずなのに。中途半端に優しいな、とは笑みを零した。やはり、彼は根っからの孤独主義者ではないのだ。
「山姥切国広さん、まだいらっしゃいますか?」
布の持ち主の名を呼ぶが、返事はない。ただ、バケツを引っくり返したかのような雨の音が響いている。は、山姥切国広がいるであろう方向へ足を伸ばす。
「ああ。そんなに疲れていないはずなのに、塞ぎ込むと冬眠するみたいに眠っちゃうんですよね」
眠っていると、彼の端正な顔立ちがはっきり分かる。そこには、絵に描いたような、美しい金髪の美青年が壁にもたれて眠っていた。いつものあの布は、が持っている。隙間から伺うようにして見つめてくる碧眼は、今は瞼の奥だ。
そろそろ本丸に戻らなければ。夕食の時間はまだだっただろうか。部屋に運ばれた食事にいつまでも手がつけられていなかったら、きっともっと心配されてしまう。
まだ、どうしたらいいのか皆目検討もつかないが、これ以上の迷惑もかけたくない。
「起きて下さい、山姥切国広さん」
は、彼の肩にそっと触れた。
「山姥切国広さん」
律儀に名前を呼んで、今度は強めに揺さぶってみる。彼を置いて先に帰るのは気が引ける。干渉してきたのは、彼の方からだ。起こすくらいは、礼儀だろう。
「そろそろ戻りましょう。ここは寒いのですから」
「……、何だ兄弟。俺は今日も外には出な……い、……」
眠たそうに開かれた碧眼に、微笑みを浮かべるが映し出された。
「申し訳ないですが、堀川君ではありませんよ」
「……っ!?」
飛び起きた山姥切国広は目を見開く。己の状況を瞬時に理解し、の持つ布を引ったくった。
「なっ……、あん、……!?」
「山姥切国広さん、あの、大丈夫ですか? 綺麗なお顔立ちなのですから、隠さなくても良いのでは? それに、布が結構汚れていらっしゃるから、お洗濯した方が」
「見るな。いらない。薄汚れているくらいで丁度いい!」
「でも、お陰様で助かりましたよ。布、掛けていただいたようで……」
は、狼狽えて布のお化けのように丸まってしまった山姥切国広を宥めるが……、彼がやっと落ち着いたのは数十分後だった。
***
降りしきる雨の中を、互いに無言で歩き続ける。傘はないから山姥切国広の布で代用した。毛布にも傘にもなる、非常に便利なボロ布である。ただ、時折、の肩が山姥切国広の腕辺りに触れると、まるで静電気が起こったかのように一瞬身を震わせるのには困った。
(嫌われているのかしら)
嫌われることは何もしていないが……。いや、嫌われて居るくらいで丁度いい。今は。
今は?
(ああ、私は。私の人生は、もう本丸なしでは生きていけないんでしょうね)
彼らが刃生を戦いと主のために捧げてくれたように、の人生も彼らに捧げたのだ。今更、刀剣たちと距離を置いてしまっては、心に寂寥で穴が開く。ましてや、審神者を辞めることなんて、出来はしない。
「おい、着いたぞ」
その声で、は我に返った。考えごとをしている間に、裏口に到着していたらしい。すっかり水分を含んだ布を、雑巾のように絞りながら、
「じゃあな」
ぶっきらぼうに言い置いて、山姥切国広は引き戸をそっと開けた。
「……、お風呂に行って下さいね」
風邪ひきますから、と言いかけてふっと笑った。刀剣男士は、怪我や骨折、出血はあるものの、風邪や病気には罹らないのだ。だから、
「温かいお風呂は、気持ちがいいですから」
と言い直して、も本丸内に入る。巫女装束は、洗濯の脱水工程を飛ばしたかのようにべったりと肌にくっついていた。雨水の冷たさが体温を奪い、衣服は生温くて気持ちが悪い。袴を少しだけ摘み上げ、は自室へ急ぐ。着替えを取ってきて、自分も風呂に入りたかったのだ。
「あんた、お節介なんだな。それか、よっぽどのお人好しだ」
山姥切国広は、去っていくの背を見て独り言を零す。
「ひとりになりたいと言っておきながら、俺に構うとはな」
俺たちが、――刀剣たちが、そんなに大事なのか? 俺みたいな写しでも?
そんなことは露知らず、はとある部屋を通過しようとした際、
「同田貫は、主を信頼しているよ」
柔らかな清水のようなその声に、思わず足を止めた。
きっと、その声の持ち主でなければ彼女は、そのまま自室へ戻っていただろう。