一緒にいたい


「どういう意味だ」
「言葉通りに受け取ってくれ。同田貫は主を信じているよ」

 長谷部が怪訝になるのも無理はない。が引き篭もる原因となったのは、同田貫の言葉のせいだと信じているからだ。しかし、歌仙は告げる。同田貫は何も悪意あってに「俺はたまに戦争していることを忘れる」と言ったわけではない、と。

「いや、信じているとは少し違うだろうか。――そうだねえ、主を主だと認めていると言った方がいいのかもしれない。何も悪くてあんな言葉を言ったわけではないのさ」
「そうなのか、同田貫」
「さあな」

 ぶっきらぼうに返事をした同田貫は、何やら溜め息をつくと、そのまま畳へどっかり胡座をかいた。

「貴様、言いたいことがあるなら分かりやす、」
「まあまあ、同田貫は言葉で伝えるのが苦手と見た。歌仙が代弁してくれるんだろう」
「ああ、その通りさ。薬研」

 姿は子どもと言えど、薬研は長谷部より物分りが良い。宥めた甲斐あって、長谷部も渋々座ってくれた。

「いいかい。あくまで憶測だから、もし違っていたら、遠慮なく『違う』と言っておくれ」
「……おう」

 了承を得て、歌仙は同田貫の気持ちを代弁することになった。


***


「良いかい。僕らは早くこの本丸にやって来た。僕は初期刀。薬研は3番目の短刀、長谷部は2番目の打刀。同田貫は丁度、3つ目の部隊を持つことを許された辺りに来た。ここにいる僕らは――言うなれば、古参が部隊長を務めるように主が決めている。

 当初、同田貫は顕現したばかりだというのに、早く戦場へ行きたがった。当然だ、君は……、気を悪くしないで欲しい。同田貫は、実戦刀としては優れていたが、美術品としての価値は乏しかったと聞く。評価が低かったと。ああ、そうだろう。刀剣男士として顕現されて、やっと活躍出来る場を得られたんだ。気持が逸るのは仕方がない。

 長谷部も薬研も覚えているだろう? 主は、同田貫をすぐに出陣させることはなかった。『3日後に出陣。それまでは許しません』そう命令した。僕らは、顕現したばかりでは人の身の勝手が分からない。まるで、赤子が成長するかの如く、様々なことに慣れなければいけなかった。歩く、走る、掴む、食事、睡眠、会話……。大体勝手が分かってくるのが3日目辺り。他所は知らないが、この本丸は、顕現させた刀剣をすぐに出陣させない。そのような方針を取っている。

 だが、同田貫はこの方針に真っ向から反発した。『俺たちは武器なんだから、ままごとする必要なんてない』。長谷部も覚えているだろう? ああ、そうだね。さっきのように激昂したね。案外短気なのかもしれないね、君は。……僕もだって? 一体どこが。ははは、――その議論は後でしようか。

 話を戻そう。同田貫は、『刀』として生きたかった。けれども、主は僕らを『ヒト』として生きて欲しいと願っていた。完全なる食い違いだ。今までの刀剣たちは、特に反発もなく、共に暮らしてきた。同田貫は、初めての『反発者』だったのさ。

 主は……。それでも同田貫を戦場に出さなかった。ヒトとして生きていく方針を貫いたのさ。これから生きていく上で必要なことだから、と。『ままごと』を止めなかったんだね。彼女は、僕にその心を少しだけ漏らしてくれたよ。

『せっかくもう一度、チャンスを与えられたのです。彼らの刃生が、「戦い」だけでは寂し過ぎる。たまには、桜が綺麗だとか、今日は三日月だとか、ご飯が美味しいとか、微睡みが心地いいとか、人間しか味わえないものを味わって欲しいです』

 正直、あの鉄面皮からそんな慈しみの言葉が出るとは、僕は思いもしなかったね。何だい、長谷部。別に貶してはいないのだが。君は本当に、持ち主への忠誠が厚いね。

 まあ、同田貫が大人しく本丸に留まっているわけもなく。勝手に戦場へ飛び出して負傷してきたからね。幸い中傷だったものの、あの時の本丸は本当に騒がしかった。主も『折れないでいて』と必死だった。手入れ部屋で夜通し付きっきりだった。そこで何があったのかは、僕は知らない。けれども、それ以降、同田貫は戦場に拘らなくなった。戦いは好きだけれど、無謀なことはしなくなった。そうだね?

 これがどうして主を信じているかに繋がるのか、だって? 考えてみてくれ。主に反発しなくなっただけじゃない。戦い以外のことにも目を向けるようになってくれた。短刀が増えてきたら稽古をつけてくれるようになり、戦場でも隊長として指揮を執ってくれるようになった。主が、ここでの生活を変えてくれた。そう僕は考えている。うん、同田貫から異論はないから、まだ少し続けるよ。

『いつまでもうじうじ自室に篭って終わる奴かよ』同田貫は確かにこう言ったね。多分、君は……、主はこのようなことでめげるわけがない。『俺を納得させるだけの行動を見せてくれたのだから、たかが小さな失敗如きでこのまま終わる人間ではない』そう思っているのかなと僕は思った。あの日、厳しいことを言ったのは、そうだねえ。所謂『飴と鞭』。誰かが、鞭にならなければいけなかった。飴が長谷部なら、自分は汚れ役でもいいと敢えて進言した、といったところかな。

 同田貫。君も、君なりに、主を認めているのだろう?」


***


 歌仙が話し終えると、部屋は水を打ったように静まり返った。長谷部は唖然とし、薬研はニヒルな笑みを浮かべ、同田貫は口を案山子のようにへの字にして明後日の方向を見ている。

 歌仙の問いにいつまで経っても答えない同田貫だったが、互いの視線がかち合うと、気まずそうに目を逸した。やがて――、観念したとばかりに大きな溜め息を吐き出した。

「ああ。俺は、今の主があいつで良かったと思えるようになった」

 そうして、がりがりと頭を掻く。

「……俺はたまに戦争していることを忘れる。これは、本当だ。ここは、平和過ぎるんだよ。鞘ごと刀身が錆びついていくような気がしてな。この居心地の良さに身を任せていたい。そう思った時がさ、あんだよ。このままここに居てえな、ってさ。顕現した時は思いもしなかった」

 長谷部と薬研も首を縦に振って同意した。自分たちにも思い当たる節があったからだ。

 これは、きっと、恐らく。恐らく、の包容力というものなのだろう。

 表情は変わりにくく、氷のように澄ましていて冷静。何故かよく近侍と口喧嘩を勃発させるけれども。実は彼女の内面は、麗らかな春の日のように暖かい。

「楽しいぜ、ここは。でもな、俺たちはこの平和を……、俺たち以外の奴にも取り戻してやらないといけない。別に、正義の味方になりたいとかじゃねえよ。敵をぶった斬れたらそれでいい。けどよ……、今は、『主と一緒に居るために』戦っていたい。少しだけだぞ、少しはそう思う。主は上に反発したから危うく審神者を辞めなければいけなくなった。上の言うことを黙って聞いているだけじゃ駄目だろ。かと言って、従わないわけにもいかない。だから……、なんつーか。何て言やあいいんだ」

 同田貫が目配せをしてきたので、歌仙は助け舟を出すことにした。

「簡単だよ。主と共に支え合いたい。そのためには厳しいことも言う。君、今言ったじゃないか。一緒に居たいってね。僕も同じさ。まあ、喧嘩は多いけれども」


***


 動けなかった。
 情けなかった。
 恥ずかしかった。

 自分のことしか考えていなかった。

 正しいやり方なのだと、言い聞かせるように。

 正義を気取っていたのではないか。

 上手くやれていると、驕りにも似た気持ちで。

 離れたくないが故に後先考えずに反抗し、同僚に助けられ、自分の方針に自信が持てなくなり。共に過ごしてきた刀剣男士にも指摘され、更に落ち込み。

 自分の軽率さに羞恥を覚え、上に立つ者として、主として失敗したのだと引き篭もった。心配されていると分かっていながら、その気持ちに甘えていた。

 何もかも受け入れてくれる真綿の上に寝転がっていた。いつまでもそこにいたかった。けれども――、

 真綿はきっと、包み込むだけではなく、そのうち自分の首を締めてくるだろう。都合のいいことだけを見ていたら、いつか自分は本当に彼らと会えなくなる。

「同田貫さん……、兼定さん……」

 声が震えた。障子一枚挟んだ向こうに、歌仙がいる。同田貫がいる。長谷部がいる。薬研がいる。

(同田貫さんは、信じて待っていたのですね)

 ――自室に篭って終わる奴か。

(兼定さんも、よく同田貫さんの気持ちを理解して代弁してくれましたね……)

 ――君も、君なりに。

(私を主として、兼定さんも認めてくれているのですね。よく口論になってしまうのに)

 個人としてはどう思っているのかは分からないが、主としては認めているらしい。

「ああ、まあ。そんな感じか? のるま……、だったか。それより多く出陣して敵をぶった斬りゃあいいんだろ。物足りなかったら丁度いいぜ」
「主と一緒にいるために、か」

 長谷部の呆けたような、感心したかのような声が耳に届く。

「一緒に居たい」の言葉が、こんなにも心を優しく包んでくれるとは思わなかった。

「……じゃあ、ここで会話だけしても仕方がない。大将に出てきてもらうように動くか」
「お前が言ったこと全部、主の部屋で告白したら良いんじゃないか。俺はそれが最適に思えるが」
「こんなこっ恥ずかしいこと、本人に言えるかよ……」
「おや。録音という手があるよ。陸奥守は現代の機器に興味を持っているから、手元に置いているはずさ。それを借りてきたらどうかな」
「その前に、主の捜索だろ」
「こうしちゃいられないな、早速捜しに、」

「その必要は、ないですよ」

 は障子を開けた。

 薬研と同田貫と長谷部、そして歌仙。皆、目を皿のように丸くしての登場に驚いている。

「ごめんなさい。……でも、ありがとう、ございます」

 ぽたりぽたりと、髪や衣服から雫が零れ落ちるが、気にしていられない。

「全部、聞いてました」

 視界がぼやけていた。いつ以来だろうか。この歳になって、涙を流す日が来るとは思いもしなかった。

「主として、常に正しくいようと思ってました。あなたたちが、大好きだから、」

 大好きだから、

「居なくならないで、欲しくて、」

「ずっと、一緒に居て欲しくて……。戦いに出すのが辛かった……。でも、私たちの使命は戦うことで、でも、失いたくなくて」

 永久に居れたらいいのに。

「せめて、ここでの生活を楽しんでもらえたら、と。正しく導けるようにと、見本であるようにと、間違ってはいけないと……。そうしたら、そうしたら、」

 離れてしまいそうになった。

 温かいものが頬を伝って、雨のように流れていく。

「たったひとつ失敗しただけで、恥ずかしくなってしまって、主として失格だなんて、思ってしまって、」

「――大丈夫さ」

 歌仙が、の前に跪いていた。

「間違っていい。誰だって間違うよ。永く生きる僕らも、刀としては一流かもしれない。だが、『ヒト』なら三流だ。今は初めて知ることばかりで、たくさん間違う。しかも君は、『人間』だ。大人と言われるようになっても、まだまだ……そうだね、ひよっこなのさ」

 もしも、見本でいなければならない、と肩に力を入れていたのならば、

「気にしなくて良い。僕らも、君と一緒に成長していく」
「でも、それは」
「支えたい、と言ってはいけないのかい」

 の冷えた手を、歌仙はそっと握った。歌仙の温もりが手を通して伝わってくる。

「君がもし間違ってしまったら、僕らが君に『間違っている』と告げるよ。それでは、いけないのかい?」
「そんな、ことは……ない、ですよ」
「君が僕らに教えてくれたことを、今度は僕らが教え返す番だと思うんだ」

 だから、

「僕は主と、様々なものと戦う覚悟が、もうとっくに出来ているんだよ」

「俺も、同じだな」
「俺は顕現した時からです、主」
「……」

 同田貫だけが押し黙っていたが、以外の3人の視線に耐えられなくなったのか、小さく舌打ちする。

「……全部聞いてたんなら、分かってんだろ」

 なおも無言で見つめ続けるため、

「はあ……。俺を納得させたホネのある女だろうが。あの時点で、あんたについていくと決めた」

 と、そっぽを向いて

「支えてやらなくも……、ねえよ」

 だから、もう。

「僕たちを避けるのだけは、やめておくれ」


***



 すすり泣く音だけが、部屋に響いていた。
 あんなに激しい雨も、いつの間にか嘘のように止んでいた。

 刀剣男士たちは、ただ黙っての泣く姿を見守っていた。綺麗に泣くというわけではなかったが、それでも、その姿は一生懸命に生きている、という意味ではとても綺麗だろう。

 やがては、両目をごしごしと擦り、のろのろと口を開く。

「でも、兼定さん。私、いつもあなたと口喧嘩になってしまうので……。正直、その」
「その?」
「嫌い、じゃないですか」
「え」

 何か生温かい視線を感じ、歌仙は勢いよく長谷部たちの方を振り返った。同時に3人は、追及から逃れるように明後日の方向へ視線を逸らす。この野郎、と雅ではない言葉で歌仙が毒づいたのも仕方がない。

「兼定さん」
「いつだったか、僕も君に質問したと思うのだけれども。『僕が嫌いかい』って。君、何て答えたか覚えているかい」
「ええ、もちろん」
「嫌いか、の答えは君と同じさ。何も、僕だって好き好んで言い争いしているわけじゃないよ」
「そう。ですか……」

 ほう、っと溜め息をついて、は薄っすら微笑みを浮かべた。

「良かった」

 と、と歌仙の間に甘い空気が流れたように見えたが、

「!」

 歌仙はふと気付く。の今の姿に。

 頭から足先まで全身水浸し。
 透けている衣服。
 そこから見える下着と艶かしさ。
 強調される立派な、立派な――。

「は、」
「は?」
「長谷部ええっ!」

 歌仙が叫んだ瞬間、

 ボゴォォッ!!

 本丸を破壊させるほどの大きな音が轟いた。


 一方、薬研は自分の白衣をに掛けてやる紳士的な態度を取り、同田貫は歌仙を手入れ部屋に放り込むために首を鳴らした。