気になるひと①


「何を考えているんだい、主は……」

 本丸にしている屋敷に、のどかな風が流れる。欠伸が出てしまいそうな陽気に、困惑したような、呆れたような、見下しているような。そんな気持ちが入り混じった声がひとつ。

「まったく、着物が台無しだ」

 土を弄っていた男は、微かに怒りを滲ませた。

 彼の名は「歌仙兼定」。かつて、36人の家臣を手討ちにした後、三十六歌仙に準えて名付けられたとされる刀である。
 彼は審神者によって、人の形を取ることが出来た、刀の付喪神だ。

 歴史を改変しようと目論む「歴史修正主義者」と戦うために生まれた存在は、何故か今、本丸にある裏の畑で農作業をしていた。

 長い前髪は畑仕事の邪魔になるので、緋色の布で蝶のような形にくくった。が、着物が白いので、到底汚れ仕事にはむいていない。

「だいたいね。料理は得意だけ、」
「文句を言わずにやりなさい」

 有無を言わせず彼を睨み付ける。彼の隣で懸命に畝を作るのは、刀剣男士を統べる審神者、だった。

「あのですね、兼定さん。今日の当番はあなたと、この小夜左文字君です。やらないということは認めません」
「別に……僕はひとりでも……」

 ボソボソと喋りながら、同じ刀剣男士、短刀の小夜左文字は順調に畑を鍬で耕している。結わえた髪をピョコピョコ揺らしながら、小さな身体で真面目に内番をこなす姿は立派である。

「小夜君。内番は二人一組が常なので、ひとりでやらせるわけにはいきません。兼定さん、恥ずかしくないのですか。あなただけサボるなんて絶対に許しません」

 前半は優しく小夜左文字に。後半は厳しく歌仙に言い聞かせたのだが。

「待ってくれ。何も内番を放棄するとは言ってないだろう」
「はあ……、そうでしょうか。さっきから文句たらたら、手は動かない。説得力がないです。男なら潔く物事をやり通して下さい」
「男なら? そもそも僕は刀だが」

「屁理屈を述べますか。では、刀なら主に従って下さい」
「主、主と言えば僕が逆らわないとお思いのようだ。もっとも、持ち主に逆らう気はないけれど。そう言った言葉しか返せないのが、まったく、文化人としては笑えるねえ」
「畑の面積もろくに把握出来ないのに」
「目利きのひとつも出来ないのに」

 無言の睨み合いが続く。その間、やはり畑仕事を黙々とこなすのは、小夜左文字ひとりだけであった。

「主様。それ、どうして持ってきたの?」

 彼はこの応酬を止めさせようとは思わなかった。ただ、主が持ってきた「それ」が畑仕事に関係がありそうなので、早く説明して欲しい。それだけの理由で声をかけた。結果、ひとまずと歌仙は応酬を止めた。

「ああ。内番の畑仕事を手伝っている理由にもなるのですが、実は先月、鯰尾君が馬当番で馬糞を集めたのです。本来なら必要ないのですが……。畑の堆肥にして使おうかと持ってきました」
「ふうん」
「ばっ、馬糞!?」

 小夜左文字は何の感慨もなく頷いたが、歌仙は大きく肩を竦めた。とても戦場に赴き、刀を振るう刀剣には見えない反応だ。

「馬糞は牛糞より土壌改良に優れているんですよ。米糠と、その他色々混ぜ合わせて一月寝かせました。ほら、ふかふかのさらさ、」
「主、それをこちらへ向けないでくれないか」

 大層大きな箱を持ってきたと思えば、その中身は馬糞で拵えた堆肥ときたものだ。どうりで嫌な臭いがする。歌仙は、その美しい顔をひきつらせ、じりじりと後退した。

「……」

 その様子に、はどこか呆れたような目線を彼に投げた。

「臭う。頼むから、やめてくれ」
「はあ……。美味しい野菜を作るには、まずは土作りからなんですよ。そして、美味しい料理になって、あなたたちの血肉となり、実力を発揮出来る元となります。厭わずやって下さい」
「これ、使う」
「ありがとうございます、小夜君。ほら。兼定さんも」
「うっ……」

 ここで内番を放棄するのは、先程と言い争っていた手前出来ない。かといって、雅の「み」の字もない馬糞堆肥に手を突っ込むのも嫌だった。歌仙は腹をくくった。己の面子を保つために。

「それで良いのです」

 歌仙が緩慢な動きだが作業をし始めたので、は満足そうに頷いた。その顔には笑顔が表れていて、一寸珍しいものが見れたと歌仙は思った。



 その様子を縁側から眺めている刀剣が2人。

「今日も本丸は平和だね」

 湯呑みを手に、ゆったりと感想を漏らしたのは石切丸。祭事を執り行う神官のような出で立ちの男と、

「うーん。そうかなあ」

 長い髪を揺らして首を傾げ、石切丸に相槌を打つ男だ。「にっかり青江」という、少し変わった名前を持つ。やはり彼らも、歌仙兼定と同様、審神者によって生み出された付喪神。刀剣男士だ。

「主はどうも、歌仙君とは気が合わないみたいだね」
「はは。物の怪。もとい、妖怪『仲違い』にでも憑かれているかもしれないね」
「何でも妖怪のせいにしたら、都合が良すぎるよ」

 時間がなんとかしてくれるから、そんなに気に病むことでもないさ、と石切丸が呟いた時だった。

 小夜左文字と歌仙兼定、そして。3人並んで堆肥を弄っているところへ、騒がしい足音と共に駆け込んでくる刀剣が1人。「今剣」。最近仲間になった短刀だ。

「あるじさまー!」

 今剣が高く跳んだ。
 舞う土煙。急速な落下。にかかる圧力。
 前のめりに倒れるの身体。その先は――。

 今剣にいち早く気付いた歌仙が、抱きつかれてバランスを崩したへ手を差し出す。堆肥に顔を突っ込む、という事態を回避するためだ。

 ところが。

 を今剣ごと抱き寄せた歌仙は、その代償に堆肥へ頭からぶつかった。
 大きな音と悲鳴。そして、堆肥の臭い。
 三重になった悲劇が、本丸を襲った。

「君を助けると、本当に碌なことがないね!」
「助けろとは言ってません!」
「何だって!」
「言葉の通りです」

 堆肥まみれの歌仙と、その被害を避けられなかったが、抱き合ったまま言い争っている。小夜左文字と今剣が呆けて2人を見ていた。

「……前言撤回。なんとかしないと、だね」

 石切丸がその顔に苦笑を浮かべ、お茶をひと口飲んだ。