気になるひと②


 歌仙兼定は頭を抱えていた。

 彼は他の刀剣よりといる時間は長い。つまりは付き合いも長いのだが、どうにも歩みよれる自信がない。どうしてか、馬が合わない。

(いつからこんなことになったのやら)

 主との初めましての挨拶は何の粗相もなく終えたはずだ。それから鍛刀し仲間を増やし出陣し、それなりに互いを知る機会もあったはずなのだが。

(駄目だ。まったく原因が分からない。せめてあの言い合いくらい、避けたいものだね)

 終わりの見えない考えを巡らせ、ふらふらと廊下を歩く。気が付けばもう、夜だった。梅雨も明け、そろそろ蝉の鳴く季節となろうか。風の凪いだ夜にふっと心が落ち着く。しんとした夜の空気。いい歌が作れそうだ、と三日月を眺めた。

「おや」

 ふと、自分が湯殿の方へ足を向けていたことに気付く。昼間の堆肥騒動で汚れたので、に許可を貰って、歌仙は真っ先に湯で洗い流したのだ。そして、そのまま主について考えて、屋敷を一回りしていたようだ。

 そこで、とある人物を見つけた。

「へし切長谷部……」

 歌仙の次に生み出された、歌仙と同じ打刀である。真面目で主に徹底的に尽くすタイプといった印象を持っている。

 確か、第二部隊の隊長に任命されていた。今剣も同じ部隊だから、遠征から帰ってきたばかりなのだろう。休まず仕事をしているのは感心する。長谷部は薪を抱えて、壁1枚向こうの誰かに声をかけているようだ。窓から湯煙が上がっているのが分かる。近付いて行くと、会話の内容がはっきり聞き取れるようになった。

「主、湯加減はいかがでしょうか」
「ちょうどいいです。ありがとうございます、長谷部さん」
「ありがたきお言葉」

 どうやらが入浴中のようだ。堆肥を被ったが、畑仕事を終えた後で汗を流すと、風呂を歌仙に譲ったのだ。

「やあ、今晩は」
「……ああ、お前か。どうした?」
「いや、特に用はないのだが。考え事をしていたら、君の姿が見えたので、何をしているのかとね。主の風呂炊きとは、君も随分働き者だ」
「主に尽くすのは、刀の務めだ」

 その言葉に、微かに歌仙を非難しているような印象を受ける。と歌仙の言い争いは、もはやこの本丸の名物で日常茶飯事だ。今更、非難されてもどうしようもない。

(いやいや、僕だって主とは仲良くしたいのは山々なんだ。しかし言葉を交わすと、どうもむきになってしまう)

「ところで、風呂には入ったのか。庇い損ねて汚れたと主から伺ったのだが」
「先にいただいたよ」
「そこはまず、主からだろう!」

 長谷部の口調が荒くなる。がこれを諌めるのは

「良いんですよ、長谷部さん。私が直々に命じたのですから。私を庇ってくれたのです、それは褒美というか……お礼の意味も兼ねてましたから」

 湯船に浸かっているであろう、主であった。長谷部との会話が聞こえてきたらしい。

「しかし……、いえ。主がそう言うのなら」

 字面では納得しているように取れるが、実際は眉間にしわを寄せ、歌仙の方を凝視している

(忠犬だねえ)

 歌仙はその視線を、にこにこと笑いで返す。2人の間で火花が散っているような幻が見えるようだ。咎めるような視線を何もしないまま受け入れるほど、歌仙は大人しくはなかった。

「兼定さん。まだ、そちらにいますか」

 そんな攻防が繰り広げられているとは知らず、は歌仙を呼んだ。

「ああ、いるよ。どうしたんだい?」
「後で私の部屋に来て下さい。今後の方針会議をしようと思いますので」
「分かった。四半時30分後でいいのかい?」
「はい。お願いします」

「主、俺はよろしいのですか」

 長谷部が会話に割り込んでくる。

「長谷部さんは、遠征から帰ってきてお疲れでしょう。ゆっくり休んで下さい。第二部隊の方針会議は明日に行います」
「……御意に」

 一礼した後で、歌仙を横目でじろりと睨む。羨ましいのだろうか。そう思われても主が決めたことだ。自分のせいではない。されど、歌仙の心に些かの優越感が生まれた。同時に気付いたことがある。

(なるほど。僕はあの言い争いをしても尚、主を好いていられるようだ。でなければ、こんな気持ちは生まれないだろうね)

「あるじさま、あるじさま! おはなしは、おわりましたか?」
「終わりましたよ。さあ、髪を洗ってあげましょうか」
「わーい!」

 ほっとしたのも束の間。無邪気なはしゃぎ声に、歌仙の身体が固まる。湯殿の方から聞こえるのだが、幻聴ではないようだ。

「……今剣も入っているのかい?」
「ああ、主が共に入ろうと声をかけたらしい。小夜左文字も入っているはずだが」
「嘘だろう?」

 この姿になって、人間に関する様々な文献を読んできた。刀だった時にも、色々な人間の話を聞いてきた。大人が小さな子どもと風呂に入るのは、何も珍しいことではない。

 ないのだが、

「僕らは主よりも長く生きているんだ。世間だって主より知っているさ。姿は子どもかもしれないが、精神は……」

 歌仙の呟きに、言わんとしていることが理解出来たらしい。長谷部の顔が徐々に引きつってきた。

「主、待って下さい! やはり今剣と小夜左文字は先に上がってもらいます!」
「長谷部さん? 何で慌てているんですか。小夜君は先に上がってしまいましたよ。ここにいるのは今剣君だけです」

 それはそれで、まずいのではないだろうか。

 そんな矢先、

「わあ! あるじさまは、やわらかいですね。おもちみたいなはだです」

 今剣が爆弾を投下していく。

「ん、くすぐったいです今剣君。触っちゃダメです」
「あるじさまのおちちは、すべすべでやわらかくて……、ああ! あるじさまのもってた、えほん。めろんみたいなおおきさ!」

 歌仙と長谷部が盛大に噴いた。それなら2人も読んだことがある。が持っていた本で、それには様々な果物が載っていた(正確には図鑑なのだが)。わざとなのだろうか。わざとでなければ何なのだ。今剣は確信犯かもしれない。

「こら。また触ったらお風呂に一緒に入りませんよ」
「はーい。わかりました、あるじさま」

 今剣と主のやりとりを背景に、歌仙は先程の言葉を頭の中で反芻する。

「甜瓜……」

 彼の頭に、巫女装束のが思い浮かぶ。

『やわらかい』。『おもちみたいなはだ』。『すべすべ』。『めろん』……。歌仙はごくりと唾を飲み込んだ。

 想像の中のは、着物をはだけさせ、歌仙を上目遣いで見つめてくる。崩れた襟は、その谷の深さに手を入れてみたいと思わせる。そして、甘い声で呼ぶのだ。『兼定さん』と。きっと肌は桜色に上気しているだろう。歌仙はそれに覆い被さるように──、

(いけないいけない。何を考えている)

 ぶんぶんと頭を振って、妄想を吹き飛ばした。

(煩悩よ立ち去れ)

 しかし、妄想の残滓はしつこい。歌仙を誘惑してくる。ふと、長谷部はどうしたのかと様子を確かめる。ばっちり目が合った。

 瞬時に理解する。互いに同じ思いをして苦しんでいるのだと。

 2人は頷いた。彼らの間には煩悩で自覚した絆が芽生えていた。

 次の瞬間、長谷部が歌仙の頬を思い切り叩いた。優男の頬に季節外れの紅葉が色付く。

 歌仙も長谷部の頬に平手打ちを食らわせた。右頬に、やはり紅葉がくっきり色付いた。

 2人は無言で握手を交わし、絆を深めた。しかし不純から生まれた絆である。

「兼定さん、長谷部さん。何かありましたか? すごい音がしましたが……」
「ばっちーん、でしたね」

 湯殿から主が心配そうに声をかける。

「いや。季節外れの蚊でもいたみたいだから、一寸ちょっとね」
「しかし、随分と派手な音でしたよ?」
「何も問題ありません。俺はこれで失礼します」
「僕もこれで。では、四半時後に」

 歌仙と長谷部はくるりと湯殿から背を向けた。向かった先は井戸である。

 主に会う前に身体を拭き、手入れをして頬の痕を消さなければ。そう思う歌仙であった。