百物語をしよう!④


「主、」

 満月が3人の人物を照らしている。歌仙兼定、へし切長谷部、そして

 星々が夜空に輝いている。人工灯の光のように綺羅びやかではないものの、その飾らない素朴さが美しい。

「何ですか、兼定さん」

 月見酒、と称して3人で飲んでいるのだった。まあ、は酒ではなくお茶を飲んでいたのだが。

 この頃資材も増えてきて、本部から部隊の拡大の許可が降りた。その祝いも兼ねて、酒をが町へ出て買ってきたのだった。

 歌仙と長谷部は初めての酒の味に「辛い」と感想を漏らしていた。とはいえ嫌いではないようで、その癖のある味を舌に馴染ませているようだ。

「今日は満月だね」
「そうですね。ここから欠けていくのは、少し残念です」
「それもまた、雅があっていいじゃないか。様々な顔を見せてくれるのも、一興さ」

 ふと、の中で「欠けていく」のフレーズで引っ掛かるものがあった。そして、母親が口ずさんでいた歌を思い出す。目を瞑り、記憶の中からメロディーと歌詞を掘り起こした。

「主。その歌は一体……?」

 の歌声が止んだのを見計らい、へし切長谷部が訊ねた。

「これは昔、流行したものなんですよ。あなた方にとっては未来の歌ですね。1976年頃に発表されたんです、確か──」

 その歌は、とある日本の女性アーティストのものだった。

 これを聴くと、父とのデートを思い出す。母がそう、語ってくれた。いい音楽は時代を越えても褪せないものだ。そのアーティストの大ファンだった父と母は、それで意気投合し、交際に至ったのだそうだ。の出生にも関わることだったので、まあ、なんというか。ありがたい歌である。

 聴いてみると、なるほど、これからの男女の関係を月に例えているのか。は幼いながらに納得したものだ。

 完成して欠けていくものよりも、その手前がいい。完成直前がいい。

「……恋の歌ですか」
「そうです、長谷部さん。私はこの歌の気持ちがよく分からない。けれど、好きな歌なのですよ」
「主は誰かに懸想したことは、ないのかい?」

 歌仙の問いに、は頷いた。

「はい。恋はよく分かりません。家族や仲間を好きになる気持ちとは、また違うそうです。動物の生殖本能を、恋と勘違いしてるのではないか。そう、思ってしまいまして」

 歌仙と長谷部は顔を見合せ笑った。この主と過ごして分かってきたのだが、彼女は普通の人間とは考え方が違うようだ。実体を持って話したのはしかいないが、刀の身で覚えていることを総合すると、彼女は変わっていると言える。

「……でも、どんなものか、知りたい気持ちがあります。私のこの考えを吹き飛ばしてしまうくらい、夢中になれるのかな……」

 最後の言葉は、ほぼ独り言だった。

(審神者になったら、そんな出会いはないですね。刀剣としか顔を会わせませんから)

 諦観にも似たような気持ちで、月を眺める。その横顔は憂いを帯びていて。2人の刀剣男士の目には、桜の花が咲き終わる、あの危うい儚さを思い起こさせた。

「きっとあるさ」
「主の想い人は現れますよ」

 歌仙と長谷部は、心からそう告げた。は穏やかに笑った。彼らの気持ちが嬉しかったのだ。

「ありがとうございます。あなた方に出会えて良かった。ふふ、私たちの関係が、この月のように満たされますように」

 風が吹いて、3人の風を優しく撫でていく。それぞれ感傷に浸る中、歌仙がふいに口を開いた。

 ──やはり、主は月のように優美だね。主で一首、作れそうだ。

 歌仙兼定は蕩けるような笑みを浮かべ、水晶のような瞳を輝かせた。

 ──主は、綺麗だね。

 月明かりに照らされた髪は、宝石のように輝いて見える。彼の方がよっぽど綺麗だというのに。

 ──その言葉が似合うのはあなたの方ですよ。

 お世辞だろう、とは受け流すが、歌仙は首を横に振った。

 ──僕が言うのは、心根だよ。心根が綺麗で強かだから、それが君の内面から滲み出て綺麗なのさ。それは君の強みだ。その強みで、僕らを導いてくれるんだろう?

 ──俺もそう思います。

 長谷部が歌仙に同調する。2人とも大真面目で言っているらしい。

 ──主?

 その時、歌仙に対して形容しがたい感情が、に生まれた。

 胸の中がざわつき、頬が上気した。心拍数が跳ね上がり、口の中が乾く。

 ──なん、でも……ない……です。

 やっとのことで吐き出した言葉は、夜の月に吸い込まれた。


***


「目が覚めたかい?」

(……夢、か。審神者になって間もない頃の……)

 と、歌仙の透き通る瞳ともろに視線が合う。近い。近すぎる。

「兼定さん?」
「ひとつ訊こう。君は寝不足だったね」

 やや間があり、

「……はい」
「だから帰れと言ったのに」
「でも、私も百物語には参加したかったので……」
「徹夜3日目でよく言うよ」
「でも、でも……」

(あなたが参加するから──)

 歌仙の意見が正しい。が押し黙ったのを見て、彼は溜め息をついた。

「今、部屋まで運ぶよ」
「これ、どういう状態なんです?」
「抱き抱えているのだが」

 は困惑した。

(お姫様抱っこ、ではないですか)

「近侍の僕が運ぶべきだと言われてね。仕方ないから、皆に従って抱えてきた」
「重くないですか」
「当たり前だろう。主ひとり抱えてられないなんて、何のために戦っているのやら」

 廊下を歩く度、家鳴りの音がする。今は何時なのだろう。が訊ねると、先程暁9つの鐘が鳴ったと答えてくれる。

「どうりで眠いはずです」
「僕もだ。ああ、欠伸が出る」

 歌仙はの部屋に到着すると彼女を下ろし、布団を敷き始める。歌仙を眠気の覚めない頭でぼーっと眺めながら、は考えた。

「もしかして、気付いていらっしゃったのですか」
「何が?」
「先程おっしゃいましたよね、だから帰れと言ったのに、と。寝不足なのも見抜いていたようですし」
「君の仕事量くらい把握しているよ。近侍だからね」

(近侍だからと気付くものなのだろうか)

 は首を傾げた。歌仙は最初に選んだ時から近侍を言い渡しているし、将来それを変えることもないだろう。

「よく、見ているのですね」

 思ったままを呟けば、

「ああ。よく見ているさ。君は弱音ひとつ吐かない気丈なお人だから、僕が見ていなくては危なっかしくて敵わない」

 事も無げに言い放つ。呆れたように口をへの字にして。

「頼ればいいのに。山積みの書類も、部隊の采配も、刀剣男士の様子も」
「でも……」
「僕が嫌いかい?」
「え?」

 何故そうなるのか。は眠い頭で困惑しつつも否定した。歌仙は嫌いではない。

 歌仙といると、自分がどう見られているのか気にしてしまう。風呂上がりに浴衣で会議に臨み、襟はだけすぎていることに気が付き後悔したり。自分はどうして素直にお礼を言えないのか、後悔したり。

 全部が全部、歌仙といる時に起こるけれど。でも、彼は。彼のことは。

「嫌いなわけ、ないじゃないですか……。あなたとは言い争いになりますが、決して嫌いだからとか、そんなんじゃ……。でなければ、あなたをずっと近侍にしません」

「主、」

「頼りにならないのではなく、頼り方が私には分からないだけ。だから、何でもひとりで──」
「……」

 歌仙はそっぽを向いていた。とうに布団は敷き終わり、あとはを寝せるだけなのだが。口を押さえ、を見ないように明後日の方向へ視線をやっている。

 ──彼が耳元まで赤いことに、は気付かなかった。睡魔が迫ってきていたのだ。

「私、どうも兼定さんといると素を出してしまうみたいです。理詰めで論破してしまうのが私の悪いくせです。それを気を付けて、刀剣たちと接しているのですが。あなたと話すと、そうもいかなくて」
「何故?」
「分かりません。でも、あなたといると……」
「僕といると?」

「とても、──」

(ああ、瞼が重い)

 次の瞬間、の瞼はしっかり閉じた。寄る眠気に抗えず、かくりと前のめりに倒れる。……と、持ち前の機動力で歌仙が駆け寄り、を支えた。

「一寸待ってくれ、この瞬間に寝るのかい? 冗談だろう?」

 焦るのは、歌仙ただひとり。

「何と言いかけていたんだ」

 は既に夢の世界へ旅立っていた。歌仙は歯噛みし、地団駄を踏みたくなった。お預けをくらい、ぶつけようのない苛立ちを感じる。

「君は僕をどう思っているんだい?」

 返答はもちろんない。仕方がないので布団に寝かせてやった。

 歌仙は溜め息をつく。そして、障子を見やり、足音なく素早く開ける。そこには聞き耳を立てていただろうにっかり青江が、しまった! という顔でいたのである。

「──いつから?」
「『私、どうも兼定さんといると』の辺りかな。ちゃんと寝かせたか気になってね」
「最悪だ……」
「ひっそり青江なんちゃっ、痛いっ」
「自分の名前で笑いを取ろうとするな。全然雅じゃない」

 青江は頭に一発入れられた。拳はやめてほしいな、と頭を擦る。

「君たち、何か企んでいたんだろう?」
「まあね。主と君の仲をなんとかしたくてね」
「余計なお世話って言葉知っているかい?」
「ああ。でも、余計なお世話かどうかは、さっきの会話でかなり違うと思うなあ」

 悪びれもせずに言ってのけたので、再び歌仙は拳を作った。青江は「本当に文系なの?」と衝撃へ身構えたが、歌仙は不機嫌そうに眉を寄せ、

「百物語に興味があったのは本当さ。まさか、主も来るとは予想しなかったけれど。礼は、言わないよ」

 このことは主には報告しない。拳を開いてそう告げ、僕らも寝ようと青江を誘う。

「ねえ。歌仙君こそ、主のことをどう思っているの?」

 歩き出した歌仙の足が止まる。青江はからかうように、言葉をを続けた。

「相手の気持ちを知りたければ、自分の気持ちも晒け出さなければ。いつまで、秘めたままでいられるかな?」

「……」

 歌仙は険しい顔をしたままで答えなかった。代わりに、

「それでは、まるで僕が……」

 独り言を呟いただけだ。青江は再び歩き出した彼へやれやれと肩を竦めて、名前の通りに笑ってみせた。

 果たして、夜の闇に溶けたのは、言葉だけなのか。

 歌仙は首を振り、の部屋を後にした。