百物語 後日談


 百物語の次の日、は寝込んでいた。

 薬研藤四郎が診てくれたが、「俺は医者ではないけどな、これだけは言える。大将は働きすぎだ」と安静にするよう言い渡された。だから今日いっぱいは、布団と仲良くしなければいけない。

 布団から起き上がり、歌仙兼定が作った卵粥を食べ、薬研が煎じた薬を飲み、その日の出陣や隊編成は、全てへし切長谷部に一任した。

「主、せっかく刀剣が増えてきたんだ。こうして仕事を割り振れば君への負担は軽くなるんだよ。炊事洗濯だけではなくて、もう少し重要な仕事をさせてもいいのだから」
「はい。おっしゃる通りです」
「大将、薬湯ここに置いておくから、昼餉を食べたら四半時以内に飲むんだぞ」
「ありがとうございます、薬研君」
「じゃ、俺っちは兄弟たちの所へ行くから、何かあったら呼んでくれ」

 薬研が部屋から退出し、残ったのは歌仙とだけになった。

「主、桃があるんだが食べるかな?」
「いただきましょう」

 歌仙が桃を器用に剥いていく様を眺めながら、は思う。

(人も刀も成長するのですね。兼定さんは、最初は料理すら出来なかったのに)

 彼にはそういった才能もあったようだ。の知識と料理本から技術を習得し、こうしてお粥を作るまでになった。今やが教わる側だ。

「そういえば、主。昨夜のことだけど……」
「はい」
「昨日のあれ、山姥切国広のことだ」
「ああ、先程薬研君から聞きました。いつもあの時間に台所へ行って、夜食を貰っているそうで……」

 引きこもり生活を送る山姥切国広は、毎晩誰にも見つからないように、こっそり出歩いているそうだ。髪の長い人影に見えたのは、いつも被っている布のせいだ。

 なるほど、一応ご飯の時間に声をかけてはいるのたが、とことん人と会うのを避けているようだ。

「では、あの『ひとつ、ふたつ』と数えていた理由は聞いたかい?」
「いいえ、何故だったのでしょうか」
「短刀が部屋の前に置いていった折り鶴を数えていたそうだ。気付けば置いてあるから、返しにいくのに数えていたんだとか」
「短刀たちなりのコミュニケーション、なんでしょうけど……」

 山姥切国広の心は閉ざされたままだ。まあ、捨てずにわざわざ返しにいく辺り、まだ優しさがあるのかもしれない。

「寝ている間に返すあたりが、山姥切さんらしいですね」
「はあ……。彼にはいい加減、働いてもらうべきだね」

 桃の皮が綺麗に剥け、瑞々しい身を露わにした。齧り付きたくなるくらい、美味しそうだ。

「それで、障子についた血のようなものは?」
「それが、よく分かっていないんだよ。あのあと障子をよく見たら、血の跡なんてなかった。最初から何もなかったかのように」
「え?」
「しかも、翌日の片付けで発覚したんたが。座布団と蝋燭が人数分よりひとつ多かった。誰かが間違えたのか、それとも……」

 あのまま百物語を続けていたら、何かしらあったのだろうか? 誰もまったく気付かなかったのが幸いか。聞けば、加州清光が少し動揺していたそうだ。付喪神も幽霊の類いが苦手なのもいるらしい。

「僕らの主は、幽霊を怖がらないようだが?」
「お恥ずかしい話です、私は血や欠損など、そっちの方面が苦手のようです」

 歌仙に正直に話したら、面白いこともあるんだね、という返事がきた。

「僕らが傷だらけで帰ってきた時は普通に振る舞っていた気がするね」
「軽傷程度でしたら。それに、あなたたちを重傷にさせる前に撤退させていますからね」
「じゃあ、君は戦に来ない方がいい。首を斬り落とす様を見て卒倒するだろう」
「それは……そうですね」

 歌仙が剥いてくれた桃を齧り、は問う。

「こんな主で失望しましたか?」

 歌仙は一寸だけ、不思議な表情を浮かべたが、

「何故? 誰にでも苦手なものはあるんだ。むしろ、君のことをまた知れたんだ。何を失望するんだい」

 と、言い切った。桃のように甘い微笑みつきで。
「──そうですよね、兼定さんは畑仕事が苦手ですからね」

 ざわついた心を取り払うようにが憎まれ口をたたく。歌仙から何かしら、嫌味のようなものが返ってくるだろうと身構えたが……。

「……」

 ここで思ったような反応が返ってこなかった。歌仙は口を一文字に結び、眉間にシワを寄せている。

(兼定さんは、どうしたのだろう?)

 いや、言い争いにならないことはいいことなのだが。何か物足りないと思う自分もいる。

「兼定さん?」
「いやいや。別に? さあ主、桃はまだまだあるよ。折角だからたくさん食べて養生するといい」
「いえ、もうお腹いっぱいです」
「食べるといいさ」
「えっ、結構です」

 ぐいぐいと歌仙が剥いた桃を持って迫ってくる。笑みを浮かべるが目は笑っていない。

 桃の汁が手を伝って滴り落ちそうになる。布団に落ちればまずいと思ったらしく、歌仙は手首の辺りから舌で舐めとった。大変雅ではなかったが、彼はその辺に気付いていないらしい。そのままに桃を突き出した。

「ほら、」
「ほら、じゃないですよ! いや、もういっぱいです。無理ですよ」
「大丈夫。入る」
「それ以上は苦しいんですが」
「僕もこれ以上はいらないから、君の口へ入れたいのだが」
「なら、もうちょっと小さめにして下さい。兼定さんの、そんなに大きいと入りません……」


「あるじさまー、きいてください! みんなが岩融をつれてきてくれましたー!」
「わっ、ちょっと! 今いいところだったのになあっ……」
「ちょっとちょっと主! そういうのは河の下の子の俺の方が詳しいっていうか!」
「なーんだ、おっ始めるのかと思ってたんだけどなー」

 勢いよく襖が開いて、飛ぶようにやって来たのは今剣。そして、巻き添えをくったように部屋に転がりこんだのは、

「にっかりさん、清光さん、鶴丸さんまで! どうされたのですか」
「あっ、主! 俺は主命とあらば事が終わるまで……っ、人払いも厭いませんっ!」
「あ、長谷部さん。ど、どういうことですか? 何故泣いていらっしゃるんですか?」

「君たち下世話だな……、何故あの会話でそう……まったく。雅を解さぬ者たちばかりで困る……」

 遠い目をして呟く歌仙兼定は、いち早く状況を察して溜め息をついた。

「兼定さん、どういうことですか?」

 は困惑しつつも、俺を愛してよ、と泣きすがる清光をあやし、正座で涙を堪える長谷部に話しかける。それをにやにや笑いながら見つめる青江と鶴丸。そして、無邪気に岩融が来た報告をする今剣。

「いや、主はそのままでいいよ。世の中知らなくていいことばかりさ」
「はあ?」

 全ての事が収集するのに半刻かかった。

 今日も率いる本丸は平和である。