面倒くさい2人①


 ある人物は、本丸の敷地内にある書庫に足を運ぶ。
 書庫には電灯があるというのに点けようとはせず、蝋燭ランタンを手に奥へと進む。
 時間帯は深夜。遠征している者以外は、皆寝ていた。

 の本丸には、山ほどの書籍がここに保管されている。彼女は、本はヒトとして生きるための大切な知識元だと思っているからだ。就任時、彼女の給料と引き換えに、この書庫を建てる許可を得たらしい。

 古典、数学、図鑑、政治、経済、ノンフィクションからファンタジー作品、ミステリー、エッセイ等々。がいいと思った書籍が、ここに置かれているのだ。

 天井まで届くほどの高さがある本棚には、ジャンルで本が分けられ、所狭しと並べられている。定期的に掃除をしているせいか、埃も塵も積もる様子はない。

 ――さて、その人物は、多数の辞書が置かれている本棚の前で歩みを止めた。
 2205年の世にしては珍しい、蝋燭のランタンを落とさぬよう本棚に起き、揺れる灯りの中で1冊の辞書を手に取った。

 そして、「れ」の項を静かに捲る。音が出ないように。紙の音でも出したならば、自分は殺されてしまうとでもいうように。

 その辞書は、『広辞苑』という日本語国語辞典だった。かつて、昭和と呼ばれた時代に初版が発行された辞書である。今、とある人物が捲っているのは、平成と呼ばれた時代に発行された第六版の『広辞苑』だ。

 主に電子書籍やら仮想ディスプレイが出回っている昨今、絶滅危惧種と呼ばれる紙の書籍。はそういった「古本」と呼ばれるようなものを集めるのが好きだった。200年ほど前の文化などをこよなく愛する彼女は、辞書すらも蒐集していた。

 その辞書でお目当ての項目に辿り着いた人物は、押し殺していた息を、ゆっくりと吐いた。まるで、膨らんだ風船から空気が抜けていくようだった。

【恋愛】
男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情。こい

 次に、この「こいしたう」を引く。

【恋い慕う】
恋しく思って追い従おうとする。恋慕する

 そして、最後に「恋しい」を引いた。

【恋しい】
1 離れている人がどうしようもなく慕わしくて、せつないほどに心ひかれるさま
2 (場所・事物などが)慕わしい。なつかしい


 もしも、これが。
 これが恋しいという気持ならば、

「一体、どうすればいいのだろうか」

 ゆらゆら、蝋燭の火が揺れる。

 その方法は、当然辞書には載っていなかった。


***


「は、っくしょん!!」

 いい加減、そろそろ完治しても良いのではないだろうか。ずびっと鼻を啜って、はティッシュペーパーを探す。PCから目を離さず手探りであるため、見つけるのに時間がかかった。その間、片手は休むことなく文字入力を行っている。

 5日ほど前の風邪は、まだ治っていなかった。布団と仲良くしていたのは1日で終わったのだが、鼻水と咳がを容赦なく襲う。薬は効いているようだが……。

「うう、明日には彼が来るというのに……」

 延期になっていた冷徹の指導の件は、明日から始まることになっていた。感染させないよう、マスクでもしておかなければなるまい。勢いよく鼻をかみ、やはりPCから目を離さずゴミをゴミ箱に放り投げた。しかし、哀れにもそれはゴミ箱の縁に当たり、無様に畳へ落下した。

「主、長谷部です」
「はい、どうぞ」

 の部屋にやって来たのは、丸盆に湯呑みと急須を乗せたへし切長谷部だった。湯呑みが2つあるのは、恐らく彼の分であろう。茶菓子も2人分なので、と一緒に食べたいという願望がはっきり現れていた。ここに今剣が居れば「ずるいですよ」と頬を餅のように膨らませたかもしれない。

「ひと息つきませんか。おやつをご用意致しました」
「あら、もうそんな時間ですか。……そう、ですね。休憩しましょうか」

 と言いつつも、はPCを注視している。無理もない。冷徹から出された課題と寝込んでいた分の仕事を片付けているのだ。いつもなら、彼女はゴミを遠くから投げ込むということはしない。

 長谷部は長谷部で「仕方のないお人だ」と首を振りつつ、どこか満足そうにの背を見つめていた。盆をテーブルに置くと、彼は先ほどが入れ損なったティッシュペーパーの塊に気付く。何かを察した長谷部は音もなくそれを拾い上げ、このゴミすら尊い主の分身とでもいうような顔と優しい手つきでゴミ箱に捨てた。

 お前それ、何か気持ち悪いぞと指摘する人間は、残念ながらここにはいない。

 長谷部が3回声をかけたところで、やっとがPCから離れ、持ってきてくれたおやつを食べることにした。今日のお菓子は栗の入った羊羹らしい。

「俺が、万屋で選びに選び抜きました」
「この羊羹ですか」
「はい。主が召し上がる物ですから」

 どこか誇らしげな笑みを浮かべる長谷部である。

「ありがとうございます。栗入りとは、秋らしいお菓子ですね」
「はい。季節が感じられるものを選びました。味見もしたので、きっとお口に合うと思います」

 湯気の立つ湯呑みを受け取り、は笑みを浮かべた。

(いつも全力投球ですよね、長谷部さん)

 幼子を見ているようで微笑ましい。褒めてもらいたくて手伝いを申し出た、昔の記憶が蘇る。は子どもの頃、母親から「助かるわ」「ありがとう」「頑張ったね」と頭を撫でられるのが好きだった。

 だから、はふと思い立って、身を乗り出し、目の前にいる長谷部の頭を撫でてみた。
 いつも言葉だけで終わってしまうので、たまにはこの位のスキンシップもいいのでは、と思ったのだ。

「あ、主?」

 困惑した顔で、長谷部がを呼ぶ。嬉しいことではあるが、急なことなので、素直に喜んでいいのか戸惑っているらしい。

「すみません。最近、長谷部さんとこうして2人で話す機会がないものですから。以前は、様々なお話をしていたのに。いつも、ありがとうございます。長谷部さんに支えてもらってばかりで駄目な審神者ですが、これからも私を助けてくれると嬉しいです」

 彼の髪は、意外に触り心地が良かった。

「歌仙さんやにっかりさんと同じく、本丸の古株ですもの。歌仙さんもしっかりとしたお方ですが、あなたの真面目さにはいつも助けられています。お手本にしたいくらいですよ」

 私にもこの位触り心地が良ければいいな、ご利益があればいいなと言わんばかりに、優しく丁寧に数回撫でていれば、

「……、勿体なきお言葉」

 と、長谷部はますます頭を垂れてしまった。から彼の表情は見えないのだが、その頬は紅潮しており庭に植えてある紅葉のようだった。


 長谷部がふわふわとした気持を栗羊羹と熱いお茶で落ち着けた頃、そういえば、とは話を切り出した。

「そういえば、長谷部さん」
「何でしょうか」
「歌仙さん、近侍にいつ戻せばいいのでしょう?」

 ここ数日、の近侍は長谷部、あるいは小夜左文字である。たまに粟田口の刀剣男士たちが自薦するので、2人一組でやってもらうこともあった。

「まあ、この本丸の中では練度が高いので、最近は専ら本丸待機か遠征だったのですが。自ら戦場に行きたいと申し出があったのは、珍しいのですよ」
「俺たちは、やはり本質は武器ですから。戦場を恋しく思うのかもしれませんね」

 長谷部は澄ました顔でに相槌を打った。

「きっと、指導係の審神者たちと演習もあるので、そのための肩慣らしなのかもしれません。それが終われば、また命じてもよろしいかと。しかし、俺もいますので。このままでもいいですよ」

 さり気なく長谷部はアピールをしておいた。また、頭を撫でてもらえるかもしれないとか、そのようなことを思っているわけではない。
 断じてない。
 ないったらない。

「それにあいつは、文系名刀と言っていますが根はどう見ても、」
「ああ。そうですね。なんか……、こう」

『体育会系』

 と長谷部の声が、綺麗に重なった。


***


「っくしょん!!」

 時は安土桃山。時間遡行軍の出現を聞きつけ、歌仙兼定率いる部隊は、偵察の真っ最中であった。

「おいおい、大丈夫か歌仙」
「心配ない。誰か噂でもしているようだ」

 鶴丸国永の問いに簡単に答える。

 曰く、刀剣男士は風邪をひかないらしい。というより、そのような事例がないのだとか。もしかすると、この先風邪をひく刀剣男士が出て来る可能性もあるにはあるらしい。

「全く、雅ではないね」

 己のくしゃみにそう感想を漏らし、歌仙は遠くを見やる。

「で、どうだい。向こうの陣形は?」
「さっき報告が来た。方陣だ。こちらが取るべきは、」
「横隊陣か」

 歌仙と鶴丸の会話に加わったのは、ボロ布を纏った刀剣男士だ。

「ああ、そうだよ。正解だ」

 山姥切国広は、無言で首を縦に振った。

(一体、どういう風の吹き回しだろうか)

 歌仙の方は首を傾げ、臨戦態勢に入る山姥切国広を観察していた。

 彼が引きニートを辞めたのは、がプチ家出を決行して風邪をひいた翌日のことだ。
 突如自室から出てきた山姥切国広は、その足でのもとへ行き、

「俺を戦場に出させてくれ」

 と、お願いしたのである。ちょうどの様子を見に来た歌仙も、鼻水をかんでいたも、予想外のことに唖然とするしかなかった。

 山姥切国広が何故突然やる気になったのかは分からないが、は快く受け入れた。
 本丸の古株集まる部隊一に配属し、戦場でフォローしてもらうという算段だ。早く強くなりたい、と山姥切国広の希望があったからだ。

 強くなりたい気持ちは、歌仙も同じだ。指導係の冷徹が来るまで、少しでも強くなりたいと前から思っていたのだ。に許可をもらい、彼も久々に戦場へ赴くことになった。

 今回のメンバーは、にっかり青江、小夜左文字、次郎太刀、鶴丸国永、山姥切国広、歌仙兼定。経験豊富な刀剣男士ばかりだ、何かあっても上手く山姥切国広をフォローすることが出来るだろう。

(お手並み拝見といこうか。写し写しと言うが、最高傑作と名高い彼の実力を)

「さて、では首尾よく行こうか」

 それは、自分が刀だからか。口に出した途端、気が昂ぶるのが分かった。己の内に宿る闘争心が抑えきれない。他の5振りは深くうなずき、陣形を組んだ。

(和歌を考えるより、身体を動かす方が頭がすっきりする。……考え過ぎて、後れを取らないようにしなければ)

 踏み出す足に力を入れる。
 刀を抜いて、遡行軍と対峙する。

 敵の本陣まで気は抜けない。今日はいつもと勝手が違うのだから。

「我こそは、之定が一振り、歌仙兼定なり!」