人の心は複雑怪奇②


【課題①レア度の高い刀剣男士を鍛刀せよ】
評価:可
補足:5回中5回で鶯丸を鍛刀。札なし。
【課題②刀剣男士や遡行軍など、この度の戦争についての考察をまとめ提出せよ】
評価:不可(?)
補足:レポート3万字弱。時間遡行軍に関しての項は要注目。評価見直しの余地あり。
【課題③刀剣男士に関するクイズに全問正解せよ】
評価:優
補足:常に知識を吸収する勉強家。努力が見られる。


***


 鰯雲がまばらに広がる空は、水色から橙色へ交代した。わらべ歌にもあるように、烏と一緒に帰る時間帯となった頃。の本丸で行われた、最初で最後の早押しクイズ大会が終わった。
 鍛錬場にいた刀剣男士たちは三々五々解散。設置された筐体は、冷徹の刀剣男士たちが素早く撤去した。そう安くはない額を投資した筐体は今回でお役御免なのだろうか。少々勿体ないので、何かに有効活用して欲しいとは願うばかりである。

 と歌仙、そして山姥切国広は、蜂須賀虎徹を連れ立った冷徹を正門まで見送る。誰もが無言だった。気まずい空気だからだろう。

「それじゃあ、また明日」
「ええ。また明日」

冷徹は微かに首を縦に振り、蜂須賀と共に自身の本丸へ帰っていった。

「ふう……」
「お疲れ様」
「お疲れ」

 の溜め息を聞いて、歌仙も山姥切国広も労いの言葉をかける。

「明日に備えて早めに休んだらどうだい」
「そうですね。そうさせてもらいます」
「ああ、そうだ。主」
「はい?」
「少し話があるのだけれど」

 は怪訝そうに歌仙へ問い返す。

「今ですか」
「ああ。そんなに時間はかからないよ」
「それなら、ええ。良いですよ」
「……では、俺は先に戻るぞ。他の連中には遅くなると伝えておく。もうすぐ夕餉の時間だからな、忘れるなよ」

 山姥切国広が気を利かせ、一足先に本丸へ戻っていった。
 は歌仙と無言で向き合う。澄んだ水色の瞳に見つめられると、落ち着かない気持ちになる。きっと、告白されたからだろう。

 ――君を愛するひとりの男として、君を守りたい。いや、守らせてくれないか。

 瞬間、は目にも留まらぬ速さで顔を手で覆った。何故思い出してしまったのか。火照ってきた頬を隠したい。

「あ、主? どうしたんだい?」

 そんなの奇っ怪な行動に歌仙が驚いたのは当然だと言える。

「何でもありません。それで、お話とは」
「気になるから手は取ってくれないか」
「嫌です」

(ああ、私らしくもない!)

 歌仙は告白の件を気にしていないのか? どうして平然としていられるのか。余裕を見せつけられたような気がして、は顰め面になった。こうして顔を隠すのも歌仙に負けているような気がする。それはそれで悔しいので、覆っていた手を払った。眉間にシワが寄っているので歌仙は少々困惑したが、話を切り出すことにした。

「あの冷徹のことなのだけど」
「ええ」
「彼は、きっと君に本気で求婚していると思うよ」
「…………はい?」

 あの冷徹が?

「そんな、ありえません」
「どうして?」
「彼は、……冷徹さんは、私のことを嫌っているのですよ?」
「じゃあ、質問を変えようかな。僕の求婚は本気だと思っているのかい?」
「お、思ってます……」

 改めて口に出すのは、少し勇気がいった。

「君の理屈で考えると、僕の求婚は本気ではないことになる。僕たちはかなり頻繁に口喧嘩をしていたよ。多分、あの審神者よりも」
「あら? 兼定さんのあれは本気の求婚ではなかったんですか」
「本気だよ! 物の例えじゃないか!」

 歌仙の慌てっぷりを見て、は少しホッとした。と同時に、何故自分は安堵したのか疑問にも思う。……いや、それよりも、冷徹のことだ。
 確かには、冷徹と喧嘩をした記憶がない。せいぜい皮肉に皮肉で返したことがあるくらいだ。「イヤミ選手権」なるもの存在したら、間違いなく両者は決勝へ進出するだろう。

 は顎に手を当て長い思索に耽る。そして、渋々といったように口を開いた。

「そう、ですねえ――冷徹さんの求婚をありえないと決めつけたら、あなたの求婚もありえないということになりますね」

 認めたくないですけど、と付け加えるのも忘れない。
 しかしそうなると、ますます疑問が深まるばかりだ。

「私、冷徹さんに好かれるようなこと、しましたか?」
「それは知らないよ。僕は君と出会って一年も経っていない。あの審神者の方が、悔しいけれど君と付き合いが長いじゃないか。だから、君の魅力を十分理解したうえで求婚したんじゃないのかい?」
「そうなんですか?」
「いやいや、僕はあの審神者じゃないから分からないよ」
「失礼しました。おっしゃる通りです」

 眉間にシワを寄せる。くっきり跡が残りそうだ。

(今までの言動が冗談ではなかったとして、私のことを本当に心の底から好きだと思っているのなら……、どうして……)

「どうしてこんな面倒くさいことを……」

 困却で埋まっていく心の声がはらりと漏れた。
 歌仙は一瞬押し黙ったが、

「人の心なんてまだ完全に理解出来ないけれど、僕は、心は複雑怪奇で単純明快で鏡花水月で牛鬼蛇神だと思っている。そして、当人の気持ちを心の底から理解出来るのは、たったひとり。当人のみだ。
 僕らは推しはかることは出来ても、同情出来ても、己と他人の気持ちを寸分違わず重ねて最奥を理解出来ない。知ること・・・・は出来ても分かること・・・・・はない。
 でも、だからこそ言葉がある。そう、思うんだ」

 そうしてほんのちょっとだけ、他人の心の切れ端を掴む。
 心なんていうものは、美しく、時には醜いものだ。儚く、時には力強いものだ。

「もしも、主が彼の本当の気持ちを知りたいのならば、『そんなわけがない』と先入観を持たずに話してみたらいい。僕らには言葉があるから、何もしないよりは遥かにいい結果を残せると思う」
「兼定さん……」

 なんだか「ジョハリの窓」を思い出す。あれは心理学モデルのひとつで、自己への気付きを促し、他人とのコミュニケーションを円滑にするため使用する手法だ。
 「公開されている自己」、「隠されている自己」、「自分は知らないが他人は知っている自己」、「誰にも知られていない自己」と障子の格子のように四つの四角い窓として描かれた図が印象的だ。

 この「ジョハリの窓」は、自己理解と他人からの自己のズレに気付けるのだ。だから、今回の冷徹との理解差のように、歌仙のような第三者から気付くものがあるのだ、きっと。

(長い付き合いだからこそ見えないものがあって、短い付き合いだからこそ気付くことがあるのかもしれませんね)

「そうならば、明日が勝負ですね」
「ああ、色々な意味で」

 の言葉に歌仙はうなずく。明日は冷徹たちとの演練が控えている。刀剣男士たちが戦闘している間、審神者たちは彼らの様子を別室のモニターでチェックするのだ。冷徹と対話するならば、その時が絶好のチャンスだろう。

「僕は戦で。君は対話で。各々の勝負をつけよう。文句のつけようがない、有終の美を飾ろう」
「……はい!」

(彼らと共に戦い続けよう。それが、審神者として歴史を守る私たちの使命です。私の命が尽きる、その時まで)

 夕焼け色に染まる空を背景に、と歌仙は笑い合った。
 互いの心には、瞳には、強い意志が宿っている。


***


 次の日の午後三時。たち第一部隊は演練場を訪れていた。

「久し振りですね……」

 はまるで新米審神者のように辺りをキョロキョロ見渡す。ホールは人でごった返していた。
 政府が造ったこの施設には、備前、相模、大和などの国(刀剣男士の顕現、状態、鍛刀、本丸の居住地、ネットワーク回線などを司る重要なサーバーの名前)に分かれて活動する審神者たちが集まっている。彼らは精鋭たる第一部隊を引き連れ、自分たちの出番を待っているのだった。

「大丈夫かい、主」

 まるでお上りさんのようなへ、歌仙は心配そうに声をかける。今回が演練用の第一部隊として選んだのは、以下の六振り。

 打刀、歌仙兼定。
 打刀、加州清光。
 短刀、小夜左文字。
 脇差、にっかり青江。
 太刀、鶴丸国永。
 大太刀、次郎太刀。

 普段出陣が多く、かつ本丸に長くいる部類の刀剣男士を選んだ。今のの戦力で考えに考え抜いた、自慢の精鋭たちである。もちろん、隊長は歌仙だ。
 それからもうひと振り、山姥切国広も連れてきている。冷徹と対話する際の護衛としてだ。

「まず、どこに行くの?」
「受付ですね。ええと場所は……」

 は小夜の問いに淀みなく答える。ここ最近は体調不良なども重なっていたから、演練に出るのは三ヶ月ぶりだった。記憶を手繰り寄せながら受付へ向かう。歌仙たち刀剣男士は、何かあったらフォローに回ろうと互いに目配せした。意外にヌケているところがあるのだ、自分たちの主は。

 一方、そんな一行に近付いてくる、とある男審神者の姿があった。の不安そうな様子から、就任したての新米審神者だと勘違いしたらしい。後輩を指導するという建前で、女審神者と仲良くなろうと考えていたのである。つまり、ナンパである。
 刀剣男士に囲まれた生活を送っているのだ、男審神者は女性に飢えていた。癒やしが欲しかったのだ、切実に。の醸し出す冷たそうな雰囲気はこの際無視する。クール系な女性でもいい。顔が良ければ何でもいい。男審神者は供の刀剣男士の忠告を振り切り、との距離を詰めていく。

「ねえ、」

 何か困っているの、と言い切る前に薄ら寒いものを感じた。ポン、と左肩に手が置かれる。

「――あれは私の演練相手でね。せっかくの厚意を無下にするようで悪いが、貴殿の手助けは不要だ」

 ナンパ男審神者はひゅっと息を飲んだ。声は爽やかなのに、どうして氷のように冷たいのだろうか。肩に置かれた手は、そのまま首に伸びて絞め殺されのではないだろうか――そんな錯覚に陥った。
 大将、と自分の刀剣男士が駆けてくる。

「やあ、君。落とし物をしていたようだよ」
「え、ああ……はい……」

 肩が軽くなった。硬直から開放されたナンパ審神者は、恐る恐る後ろを振り向く。
 にこやかな笑顔を浮かべて、タブレット端末を差し出す男審神者がいた。

「気を付けてくれ、ここは人も刀も多いからね」
「ど、どうも……」

 素直にタブレットを受け取る。確かに自分の物だ。ああ、何なのだ。目が笑っていない。
 傍らに控えていた蜂須賀虎徹に合図をすると、男審神者はの方へ歩いていく。ナンパ男審神者は、青褪めた顔でそれを見送った。

「大将?」

 彼の供、厚藤四郎が不思議そうにしている。ナンパ審神者は、手渡されたタブレットを抱え、呆然としていた。
 普通に考えて、タブレットなんて不用意に落とすはずがない。自らボディバッグに入れたのだ、誰かが故意に持ち出さなければ落とすはずがない。

「……ヤバい」

 冷や汗が噴き出す。あの男審神者、わざとタブレットをボディバッグから抜き出したに違いない。あの時、恐怖を感じて動けなかった。バッグから何か取り出されても気付きはしなかっただろう。
 恐らく、あの女審神者に近付くなと遠回しに牽制したのだ。先程の男審神者とは面識がない。話しかけても不自然にならないよう、落とし物をわざわざ用意したのだろう。

「大将、体調が悪いなら他の刀剣男士にも伝えてくるぜ?」
「いや、良いんだ。大丈夫だ。俺はあの人に当たらない。ああ、うん戻るよ……あの女審神者、気の毒だな……は、ははは……」

 確かにあの男審神者と面識はない。
 だが、あれが誰かは知っている。演練で彼を知らない審神者はいない。

 センリ。通り名は冷徹。
 彼は敗北を知らない。常勝無敗の審神者であった。


***


 さて、そんなことがあったとは露知らず、は冷徹と無事合流した。
 と冷徹はお互いに挨拶を済ませ、各々の第一部隊へ演練場に向かうよう指示した。

 他の審神者と模擬戦闘を行うこと。それが、演練である。
 手合わせの相手は一度に五人ランダムで決まり、その中から手合わせの申し込みを行う。相手は一日二回更新され、最低一、最低十の第一部隊と戦うことが出来るのだ。
 しかし、今回のと冷徹の場合は違う。予め政府に打診し、演練場をひとつ予約していたのである。指導係として必要なことだと伝えれば、すんなり申請は通った。新人審神者の教育として演練場予約はあるので、特段珍しいことではない。

「さて、高みの見物とでもいこうか」

 控室に着いた冷徹は、備え付けのモニターに目をやりながらにやりと笑う。彼の傍らには小狐丸が護衛として控えていた。の本丸にはまだいない刀剣男士だ。いつもの蜂須賀は第一部隊の方にいるらしい。の護衛として控える山姥切国広は、固い表情で小狐丸を観察している。緊張しているようだ。

「余裕ですね」
「まあね。負けるわけがない」

 その返事には少しムッとして反論する。

「私たちも励んできました。後れはとりません。あなたに勝ちます」
「それはそれは……、楽しみだ」

 相変わらず人を小馬鹿にしたような態度である。はやはり歌仙が言ったことは嘘なのではないかと思いつつ、話を切り出す。

「冷徹さん。あなたにお聞きしたいことがあります」
「うん?」
「結婚のことです」

 冷徹の様子が変わった。姿勢を正し、油断なくを見つめる。

「ふうん、何かな。ようやく諦めて僕の所に来る気にでもなったのかな」
「いいえ。そうではありませんよ。私は……、私は結婚する気はないですし」

 そもそも、

「……あなたは本当に私のことが好きなのですか? 嘘偽りなく、私に愛を囁やけるのですか? 私はあなたを信用出来ません。未だに冗談だと思っています。昔からあなたは……私のこと、嫌いでしょう?」

 話はまず、そこからだ。


***


「準備はいいか」

 隊長を務める歌仙は、五振りの刀剣男士に問いかける。

「ああ、奇襲を仕掛けてやろう」と鶴丸が、「訓練じゃあこの闇は晴れないけれど……、主のために……」と小夜が、「扱いにくい俺を入れてくれたんだ、勝つよ」と加州が、「アタシだって負ける気はないよ。勝利の美酒を味わいたいもーん」と次郎が、「取りにいきたいよねえ、勝利」と青江が答える。

「君こそ、いけるんだね?」
「ああ」

 青江が力強いな、と歌仙に微笑んでみせた。

「主のために」

 この演練は負けられない。
 四つめの課題はこうだ。

【課題④演練で勝利せよ】

 かくして戦いの火蓋は切られた。