愛というには若すぎた①


 ――私のこと、嫌いでしょう?

 冷徹は口を大きく開け、呆けたようにを見つめていた。言葉の意味が理解出来ないと首を横に振り、眉間にシワを寄せる。

「おかしいな。僕は本気で君が好きなのだけれど、伝わっていなかったのかな」
「あなたは、私に結婚してくれとは言いました。だけど、私に直接『好き』とは言っていないのです。遠回しにそれらしいことは聞きましたが、見合いを薦められて鬱陶しいので私を選んだ……というようにしか聞こえません」

 渡された資料だってそうだ。肝心なことが書かれていなかった。

「私のことが好きなのでしょうか。心の底から愛していると言えるのでしょうか」
「まさか、君の口から愛といった言葉が聞けるとは思いもしなかったよ」
「ええ、私もです。私も、自分が愛といったものをあなたに問うとは思いもしませんでした」

 が審神者になる前なら、直接好意を伝えられなかったとしても、気にはならなかった。結婚とは互いがよりよく暮らせるような期限付きの契約だ。例えお互いに好意がなくとも結婚は出来る。結婚によって生まれるメリットが多ければその相手を旦那として選ぶ。両親のように恋愛を経て結婚なんて出来ない。そう、考えていた。

「私はまだ、恋だの愛だの分かりませんが」

「でも、本当に私のことが好きなのだろうと結論づけました。その訳は――推測になるのですが、聞いてくれますね?」


***


 演練場に仮想フィールドが展開される。まるで遡行軍との戦場のように、野外の風景が映し出される。
 そして、上空には複数台のドローンが現れた。控室にいる審神者に戦況を知らせるためだ。

 隊長を務める歌仙は相手の陣形を予測し、こちらに有利な陣形組む。
 ドローンの一台から開戦の合図があった。――青い光。遠戦の合図だ。

 歌仙、加州、小夜、青江は装備している投石兵の刀装を起動した。黄金色に輝く宝珠から、投石器を持った小さな兵士たちが現れる。

「よろしく頼むよ」

 投石兵は歌仙の言葉にうなずいた。

「毎度思うが、この刀装ってやつには驚かされっぱなしだ。宝珠に兵士の力を宿すとは、人もよく考える」
「種類によっては機動が上がったり、打撃が上がったりするからねえ。最初渡された時なんか『爪楊枝かい?』なんて冗談言ってたけど、この子らには何度も助けられてきたよね~」

 というのは、鶴丸と次郎の弁である。
 そんな軽口を叩いている間に七十人分の兵力を持つ投石兵が、身体の側面で石を力強く振り回す。放たれたいくつもの石が、雨のように敵陣へ降り注ぐ。
 向こうからの攻撃はない。銃も弓も来ない――歌仙はの読みが当たったと確信する。

(冷徹は絶対に短刀と脇差を演練に出さない)

 昨夜詰めた作戦内容を反芻する。歌仙の脳内での声が再生される。

 ――これまでの冷徹さんの演練データを彼から手に入れました。ハンデなのだそうです。……これによると、彼は短刀と脇差を絶対に組み入れません。主戦力は太刀、大太刀、槍、薙刀です。打刀を編成するにしても、刀装に投石兵をつけることはない。これらの傾向を鑑みるに、恐らく耐久性を重視するのでしょう。

 ――今回の編成では、私たちの隊は長期戦に向いていません。耐久に持ち込まれると不利です。特に、小夜くんとにっかりさんは、すぐに刀装ごと押し切られる可能性があります。

 ――こちらは少しでも向こうの刀装を減らすため、投石兵を次郎さんと鶴丸さん以外の刀剣男士に装備させたいと思います。短期戦に持ち込みましょう。

 ――負ける気はありません。勝ちをとりにいきますよ。

 急ピッチで拵えた投石兵特上七個。相手側の刀装を少しでも剥がすことが出来たのだろうか。
 再びドローンから合図があった。白刃戦に移ったのだ。

「さあ、気を引き締めろ。行くぞ!」

 抜刀し、地を蹴り、演練相手と対峙する。

「文系の意地があるんでね、武辺者には負けられないな」


***


 控室のモニターには、ドローンから送られてきた映像が映っている。しかし今、モニターに注視する者はこの場に誰もいなかった。
 は真っ直ぐに冷徹を見据え、冷徹も目を逸らすことなくを見つめている。
 山姥切国広はそわそわはらはら、落ち着かない様子での隣に座り、小狐丸は面白いとばかりに笑みを浮かべ、この状況を楽しんでいる。

「ふうん。そこまで言うなら、聞いてやろうじゃないか」
「ええ。是非、一言一句漏らさず聞いて下さいね」

 はかけていた眼鏡を押し上げた。頬杖をつく冷徹を一瞥し、

「そもそも、あの報告会の対応からしておかしいのです」

 と、切り出した。

「私を審神者から解任させたいのならば、あの報告会の時に庇わなければよかったのです」

 そうすれば、は二度と自分の刀剣男士に会えないだろう。審神者ではないのだから、本丸につきっきりということもなくなる。結婚だってそれなりに考えたかもしれない。

「それは――君が審神者でなければ都合が悪い。政府は将来の審神者候補を大勢必要としているから」
「あら変ですね。冷徹さん、あなたは指導日の初日にこんなことを言っていました。『元・審神者でも見合い相手の候補に挙げられている』と。まさか、ご自分の発言を忘れてしまった……ということはないでしょう?」
「いやいや、僕も人間だからねえ。忘れることは多々あるよ。はて、僕はそのような発言をしただろうか」
「それはおかしい! 俺もあの場にいたが、確かにそう言っていたぞ」

 山姥切国広が反論するも、冷徹は「知らないね」と素知らぬ態度を取る。

「とぼけているのか」
「山姥切国広さん、ありがとうございます。大丈夫ですよ」
「主……」
「大丈夫ですよ。手は打っています」

 食い下がる山姥切国広を宥めると、はおもむろに自分のボールペンを取り出した。冷徹に求婚されたあの日、打ち合わせで使っていた、何の変哲もない黒のボールペンだった。がノック部分を軽く押すと――

『元・審神者でも見合い相手の候補に挙げられている』

 あの日の冷徹の声が再生されたのだ。冷徹は目を見開き、へ詰め寄った。

「ペン型のボイスレコーダーか……!」
「はい。あなたが約束を反故にした場合を考えて、念のために。あなたは口が上手いですから。反撃材料としていいものがないかと考えた結果です」

 くるくると器用にペン回しをしながら、は微笑んでみせた。

「このペンはボディに録音スイッチがありまして、強く握るふりをして録音を始めたんです。まさか、求婚されるとは思いもしませんでしたが……」

 お陰で今役に立っている、とは続ける。

「さて、私が審神者でなくとも見合い相手の候補にはなるわけです。冷徹さんが私と刀剣男士を引き離したいのなら――あなたは私を助けるべきではなかったのです」

 随分遠回しな方法でに審神者を辞めさせようとしている。
 は人差し指を立てた。

「それから、あなたは指導係として私にチャンスを与えています。あなた自ら指導に赴かなくとも良かったのではないでしょうか? それでも指導係を買って出たのは、私を辞めさせるためにあの手この手で試験を妨害するつもりだったからだと思っていました……」
「信用ないね」
「ある意味信用していますよ。正攻法でこないのだろうと」

 冷徹は鼻で笑う。「あまり嬉しくないな」と呟けば「褒めてはいませんので」などとから返ってくる。

「このまま順調に行けば、私は審神者を継続することになります。……あなたの目的は私を辞めさせることではないのですか? いいえ、ひょっとして、あなたは」

 ありえないと思って目を背けていたが。
 実は、とてもシンプルだったのかもしれない。

「最初から、審神者を辞めさせようとは、思ってなかったのでしょうか」

 室内はしんと静まり返り、二人と二振りの息遣いのみが聞こえている。


***


 白刃戦が始まった。
 投石兵でどこまで相手の戦力を削れたのだろうか。相対して刃を交えるが、盾兵に阻まれ身体に一太刀浴びせることも出来ない。

「硬いねえ……ああ、守りのことだよ?」
「分かっているさ、そんなこと!」

 青江のいつもの台詞に調子を狂わせれつつも、歌仙は律儀に返答した。
 槍の刀剣男士がいれば刀装を無視して本体に攻撃出来るのだが、生憎今回の編成にはいない。冷徹の側にも槍がいないのは幸いか。

「このまま攻めきれなければこちらの負けだ」

(あちらは防御一辺倒。持久戦などこちらは不利だ。どうする……?)

 隊長は歌仙である。どう指揮するべきか頭を回転させる。相手の刀装を剥がせるような、豪快な攻撃が必要だ。

「向こうの刀装をもう少し剥がすには……次郎太刀、頼む!」
「ああ、アタシに任せなさ~い!」

 すぐさま次郎が大太刀を構える。その隙を狙って仕掛けられた攻撃を、歌仙や鶴丸などが防いでいく。

「敵味方も関係なく巻き込んじまうからね。アンタたち、逃げるなり伏せるなりしておきな!」

 味方が各々対応している様を確認し、不敵に笑う。

「アタシが暴れりゃ、嵐みたいなもんさ!」

 嵐のような大太刀の一撃が相手の刀剣男士に襲いかかった。
 演練場は数分、巻き込まれた砂やら埃やら植物やらが舞い上がって視界を悪くしていた。


 次郎が放った衝撃が止むが早いが、冷徹の刀剣男士はすぐさま反撃に出る。
 真っ先に動いたのは、機動の面では優秀なへし切長谷部だ。隙だらけの次郎を目掛け疾風の如く向かってくる。切っ先が次郎の姿を捉え数寸で届くかと思われた刹那、その攻撃は大脇差に阻まれた。忌々しいとばかりに舌打ちをする長谷部。鋭い眼光は、大脇差の持ち主――のにっかり青江を捉えた。

「やはりそう簡単にいくはずもないか」
「そうだろうとも」

 後方に飛び退く二振り。
 青江は脇差の切っ先を左掌に乗せるようにして上段に構える。
 長谷部は刀を水平にして上段に構え腰を落とす。相手の目を狙う構えだ。

「俺の相手は貴様か」
「昨日は司会と解説で仲良くやった仲だったのにね。貴様なんて、ツレないな」
「それはそれ、これはこれだ」

 軽口を叩きあう彼らだが、漂わせる気配は非常に剣呑なものであった。相手の挙動を見逃しはしないとばかりにお互いに牽制しあう。

 一方、小夜は苦戦を強いられていた。

 嵐のような衝撃が収まった途端、次郎へ向かう人影を察知して攻撃を防いだのだが、相手が悪かった。冷徹の刀剣男士、一期一振が相手だったのだ。
 小夜が放つ一撃一撃を危なげなく防ぎ、躱し、強烈なカウンター仕掛けてくる一期。単純に体格、体力、得物の長さでは小夜より一期の方が勝っている。短刀と太刀では太刀の方が有利なのは、火を見るより明らかだ。

 だが、小夜は持ち前の起動と小柄な体型を活かし、力より速さ、手数で勝負に出る。懐に潜り込めば小夜に勝機はあるのだが、一期はそれを許さない。
 もう何回目になるか分からない連撃を刀装の盾兵と自身の刀で防ぎながら、一期は溜め息と共にこんなことを言い出す。

「貴殿のような刀剣男士と戦うことになろうとは……、何とも悲しいことです」

 力で押され、小夜の攻撃は弾かれた。くるりと空中で後転し綺麗な着地を決める。

「……それは、どういう意味、ですか……?」

 自分が復讐の刀だからだろうか、と怪訝な顔で小夜が訊ねれば、一期は眉をハの字にして困ったように答える。

「いえ、私には弟たちがたくさんいますので……。手合わせをしている時のような心境になってしまうのです」

 なるほど、と小夜は思う。攻めあぐねている印象があったが、一期は弟たちと小夜の姿をつい重ねてしまうらしい。普段はきっと、弟たちの師のような立場で手合わせをしているのだろう。
 だが、今は演練中である。本当の戦ではないが、かと言って手を抜かれるのは本意ではない。

 すうっと息を吸い込んで、小夜は短刀を逆手に持ち変えた。

「それは……あまり嬉しくない。短刀だからと侮らないでほしいです」

 小夜の眼光が鋭くなり、一期ははっと息を飲んだ。

「申し訳ありません。手を抜いている訳ではなかったのです。……ですが、そう思われても仕方ありません。相手が誰であれ、本気で臨まなければ失礼というものですな」

 僅かに頭を下げる一期へ、小夜は大丈夫だと首を振る。そして、仕切り直しだとばかりに小夜は一期へ肉薄する。