あなたを信じる


「――くっ」

 歌仙は蜂須賀の攻撃を受け止めた。じん、と腕全体が痺れる。
 剛力とまではいかないが力が強い。

(押し負ける――!)

「君とは一度、戦ってみたかった」
「そうだね。僕もだ」

 のことがなかったら、もっと心からこの勝負を楽しめたはずだ。

「だが、勝たねばならない」
「それは僕も同じことだ。虎徹の名にかけて」

 鍔迫り合いを制したのは蜂須賀。体勢を崩した歌仙に追撃を放つ。
 が、歌仙はすぐさま横に避けた。

「逃さない――」

 右腕を刃が掠めた。鮮血がぱっと飛ぶ。赤い花のようだ。

「ちぃ、」

 今の一撃で刀装が剥がされた。金色の玉は色褪せて、残っていた軽騎兵が消えた。
 だが、これのお陰で掠り傷で済んだ。歌仙は心の中で礼を言って、体勢を立て直した。
 中段に構え、蜂須賀を睨みつける。

(今の状況は、悪い)

 蜂須賀が動いた。息もつかせぬ連撃。音よりも早く攻防は目まぐるしく入れ替わる。

 銀の線のように向かってくる攻撃をいなしながら、歌仙は考えていた。
 状況は悪いのに、頭の中はひどく冷静だった。

 小夜と加州は重傷のため戦線離脱だ。演練では重傷の刀剣男士に攻撃出来ぬように防御装置が働く。刀剣破壊を防ぐためだ。

 青江と長谷部の実力は拮抗している。勝負がつくのは時間の問題だ。
 鶴丸は真剣必殺を繰り出すまでに至ったようだ。それで蛍丸を押し留めてはいるようだが。だが、三日月宗近も同時に相手取るのは骨が折れる。

(だが、投石作戦が効いている。そうでなければ、大太刀相手にあそこまで立ち回れるものか)

 演練場のど真ん中で嵐のようなぶつかり合いをしているのは、次郎太刀と太郎太刀だ。
 本丸は違えど兄弟で戦えるのは嬉しいらしい。互いに不敵な笑みを浮かべていた。
 二振りとも真剣必殺をした後なのだろう、傷だらけでぼろぼろだ。それでも闘志は消えてはいない。相討ちになる可能性はある。

(待っているのは敗北か……)

 劣勢。歌仙の頭にはこの二文字が浮かんでいる。

(主……)

 自分の力が足りないのは分かっている。

「もう諦めたらどうだい」

 心は折れそうになっている。

「僕らの勝ちは決まっている」

 この身体もぼろぼろだ。

「始めから、希望など持たないほうがいいんだ。何もかも」

 どうせ別れが来るのなら、仲良くなんてするだけ無駄だ。
 ――そうだろうか。
 どうせ負けてしまうのなら、全力を出すだけ無駄だ。
 ――そうだろうか。

 いいや。

「いいや、そうは思わない」

 声に出すと勇気が湧いた。
 気合でどうにかなる相手ではない。
 それは分かっている。
 それでも敢えて、こう言ってやる。

「僕は少なくとも、主を手放すつもりはないから」

 まだ彼女からの返事を聞いていない。
 美しい歌を詠めてはいない。
 彼女の頬を赤く染め、愛しいと囁くまでは。

「あの審神者のところに、主を送り出すわけには、いかない、んだ!!」
「!」

 蜂須賀の攻撃は阻まれた。先程は弱々しかったはずなのに、一撃一撃に力が乗っている。

「はあああああっ!!」

 裂帛の気合を込めて、更に一撃。

「『始めから、希望など持たないほうがいいんだ』? その先の別れを、絶望を思っていたら、何も始まらない。何も変わらない。僕は自分のやりたいことをやって嘆きたい」

 その時が来たら考える。それでいい。

「計算ごとは苦手なんだ。――もっと言えば、様の刀である僕は細かいことも苦手でね」

 力で負けるなら、上回るくらいの力で。

「受けて立つ!」


***


 と冷徹の「話し合い」は収束の兆しを見せていた。

「――さて、と。じゃあ、少し裏話をしよう」
「今更取り繕っても、もう色々手遅れな気はしますけどね」
「……」

 の冷静なツッコミに冷徹は少しだけ黙った。

「それはそうだな」
「この小狐丸も同意致します」
はともかく、小狐丸すら俺の味方をしないのはどういうことだ……」

 冷徹の本丸にいる小狐丸は、どうやら主に対して随分不遜な振る舞いをするようだった。
 のところにはまだ顕現されていないので、どういう性格か図りかねるが。多分、冷徹本丸の小狐丸は他の本丸の小狐丸と違って、人をおちょくるのが好きなのだろうなとは思うのだった。

「はあ……。後で覚えておけよ、お前」

 冷徹は小狐丸へ冷水のような声を浴びせる一方、

「話を戻そう、

 柔らかな声でを呼ぶ。

「元々この指導係の話は、僕が無理に言って取り付けたものだ」
「え?」

 これにはも驚くしかない。

「報告会のあの日。やっぱり指導係などつけず、審神者の任を解こうかという話になったんだが。そこはまあ、俺が何とかした」

 「何とかした」の一言で済ませているが、そのよく回る口で色々立ち回ったのだろう。

「それは――あなたにそこまでさせてしまったのは、申し訳ないですね」
「いいさ。俺が好きでしたことだから」

 それを踏まえると、

「じゃあ、この指導係としての課題は……?」
「それはまあ、一応“指導した”という証拠がないとね。指導のやり方は俺の自由にしていいと言質をとった。
 そもそもの原因は、君が政府の方針に従う姿勢を見せなかったから、だろう?」
「それは、はい。大変ご迷惑をおかけしました……」

 は深々と頭を下げた。

「……では、5つの課題のうち3つクリアしなければいけない、というのは……。完全にあなたの個人的な事情なんですね。私と結婚したいというそれで」
「そういうことになるが、自分以外の口からそういう言葉が出るのは、何というか……気まずいな」

 冷徹の頬が若干赤くなっている気もする。

「まあ、見事にフラれたわけだが」
「今後に期待です。回りくどいのはやめて、正攻法で来てください」
「そう、だな。あまりしつこくして、君に嫌われたくもない。多少強引に、とでも思ったが。今回は諦めておくとしよう。ふむ、正攻法か? 考えておこう」

 と冷徹の間でこの件は解決したらしい。
 恐る恐る、といったように山姥切国広が手を挙げる。

「――ということは、主。結婚の話はなかったことになるのか」
「なるんですか?」
「なかったことにならない方がいいのか?」
「なかったことにしてください」

 と即答したのはだ。

「ややこしい言い回しですね」
「だから、お前は喋るな。はあ……、どうして今日の近侍はお前なんだ、小狐丸」
「それはぬし様のご指名ですよ」
「そうだったな……」

 頭を抱えている様が面白くて、はくすりと笑った。

「その方が親しみやすくていいですよ、冷徹さん」
「……。そういうところだよなあ、君は」

 冷徹は苦笑した。

 ――興味がないから、優しいのか。優しいから、何も言わないのか。

 分からないが、それでも、自分は救われたのだ。どうにかして手に入れたい。
 それが例えハリボテであろうとも。中身が伴わなかろうとも。

 そう決意した恋は、今は一旦休まなければならない。

 ほろ苦さを感じたのは、恋の終わりを感じ取ったからかもしれない。


「さて、結婚云々は終わった話としてだな。課題はきちんと果たしてもらおうか。演練はどうなっている?」

 ここでやっと、たちは演練場の様子が映し出されているモニターに注目するのだった。


***


 血で滑るな、と思った。
 手の平は血で濡れている。果たして自分のものなのか、それとも蜂須賀のものなのか。
 肩で息をしている自分がいる。

 トレードマークともいえる牡丹の花はちぎれ、どこかに落ちてしまった。
 右手を固定するために羽織物の袖を破いた。すでにぼろぼろだ、今更気にすることもあるまい。
 律儀にも、蜂須賀はその間待ってくれていた。彼も歌仙に負けず劣らずぼろぼろだった。見事な金色の衣装は血と土埃に塗れている。

「はは、やるね」
「負けられない、からね」

 歌仙は額に流れてきた汗を拭う。

「僕も君と同じだ。主のためにも負けられない」

 蜂須賀は微笑むが、そこには余裕など微塵も感じられなかった。

「僕は、主に『僕こそが本物』だと証明してみせる。この戦いは、あの本丸で初めて顕現された『蜂須賀虎徹』を超えるためのものなんだ」

 蜂須賀は、冷徹の初期刀ではない。
 初期刀の蜂須賀が折れて、その後に顕現された、二番目の蜂須賀虎徹である。
 彼にも彼なりの事情があるのだと、歌仙は理解した。

(だから期待するなと?)

 蜂須賀も期待を重ねて、その度に打ち砕かれてきたのかもしれない。
 同情するが、そんな安い言葉を貰いたいわけではないのだろう。

「ああ、ならば。全力でぶつかり合うのみ!」


***


「モニターでは少し分かりにくいな。戦況はどうなっている、こんのすけ」
「はい、冷徹様」

 空間が歪み、管狐であるこんのすけが現れた。

「簡潔に頼む」
「冷徹様側が優勢です」
「ふん、だろうね」

 当たり前だな、とうなずく冷徹。

「冷徹様側で戦線離脱をしたのは、太郎太刀、へし切長谷部、三日月宗近の三振り。中傷者は蛍丸、一期一振の二振り。重傷者は蜂須賀虎徹。
 様側で戦線離脱をしたのは、小夜左文字、次郎太刀、加州清光、鶴丸国永の四振り。中傷者はなし。重傷者は歌仙兼定、にっかり青江の二振り。以上となります」

(最善は尽くしましたが、こうなってしまうのですね)

 戦える刀剣男士はほぼいない。
 次郎太刀と太郎太刀は相討ち。鶴丸は三日月を討ったものの、蛍丸にとどめをさされたようだ。

「――とはいえ、差は一振り。もっと圧倒的な勝利を予想していたのだがね」
「そこは、私たちも普段から鍛錬は怠っていませんから」

(今回は投石兵作戦が功を成したと言えるでしょう。ですが、私たちが取ったのは短期決戦。……もう、決着はついてしまう)

 せめて引き分けまで持っていきたいところだが、はモニターに注視する。長谷部に勝ったとはいえ、青江は満身創痍だ。腰を落として油断なく構えているとはいえ、向こうの蛍丸や一期一振といった大太刀や太刀を相手取る無茶は出来ないだろう。

(ここは、兼定さん。あなたが頼りです)

 もうダメだ、と思うのは簡単だ。
 だが、

(私が信じなくてどうするの? 彼らは他でもない主である私のために戦ってくれている。だから、私も彼らを信じる)

 まだ、彼に返事をしていない。
 歌仙とどうなりたいかは、まだ分からない。
 どんな言葉をかけたらいいのかも、まだ分からないけれど。
 かけるとしたら、この言葉だろう。

「――頑張って、歌仙さん」


***


「――」

 思わず空を仰いだ。

(幻聴……?)

 それでもの声が聞こえた気がした。

(おかしなものだ、こうして戦っているのに、主の声だけはしっかり耳が拾ってくるのだから)

「どうしたんだい」
「いいや、何も」

 他の刀剣たちは、歌仙と蜂須賀の戦いに手を出さない。
 旧知の仲、あるいは近侍同士の戦いであることを理解しているのかもしれない。

 青江は青江で構えを解いてしまっていた。冷徹側の刀剣たちも分かっているのだろう、もはや攻撃するつもりもなく、離脱者がいる手入部屋へ送ってやるようだった。

 決着はついたも同然だ。それでも、歌仙と蜂須賀は戦いをやめようとはしない。
 あともう数分で演練は終わる。上空に浮かぶドローンが残り時間を淡々と映していた。

「これが最後のようだね」
「ああ。君と全力でぶつかりあえるのは、中々楽しいものだ」

 戦場で自分はどう笑っているのか、歌仙には分からない。
 きっと、には見せたこともない顔で笑っているのだろう。

 互いに構えて、集中を高める。
 狙うは会心の一撃。

 永遠とも思える静寂さが演練場に訪れる。息をするのも憚られる、耳に痛いほどの静寂。

 誰かがごくりと喉を鳴らした刹那――、

「贋作と同じと思っては、困るんだ!」
「ああ、――貴様の罪は重いぞ!」

 真剣必殺と、そして――。