恋がはじまる


 桜が咲いている。

 審神者になってから2回目の桜だ。
 歌仙を顕現したあの日。本丸が始まったあの日を思い出す。

 水彩絵の具で描いたような桜色が、本丸に春を報せてくれる。

「風流だねえ」

 そう呟いたのは、の傍らにいる歌仙だ。

「お花見はいつ頃がいいのでしょうか」
「そうだね……、3日後くらいが丁度いいと思うよ」
「夜桜もいいと思いませんか」
「ふふ、分かっているじゃないか。君もこういったものを愛でる心が育ってきたんだね」

 本丸にある池の手前で立ち止まって、と歌仙は咲き誇る桜を眺めていた。
 桜の隙間から見える青空が、美しさを際立たせていた。
 実に穏やかでのどかな時間が過ぎていく。







「――といったことがあってね」
「なるほど、なるほど」

 縁側で石切丸と談笑していたのは、つい昨日顕現されたばかりの三日月宗近であった。
 日課の鍛刀でついに天下五剣のうちの一振りが来てくれたので、本丸はしばらくお祭り状態である。歓迎会を兼ねて花見をしようという声もちらほら聞こえてくる。その決定権はにあるが、恐らくお許しが出るだろう。
 鶯丸が「歓迎しよう」とお裾分けしてくれた緑茶を飲みながら、彼らはと歌仙の姿を眺めていた。

「こうして俺が来るまでに、随分楽しそうなことが起こっていたのだな」
「うーん、そう楽しいことばかりではなかったけれどね」
「なかなか刺激的な日々ではあったよ」

 いつかの間にか、石切丸の隣ににっかり青江が座っていた。

「やあ、僕を覚えているかな」
「にっかり青江、だな。忘れていないぞ」

 昨夜、顕現して最初に自己紹介したのは青江だった。印象に残る名前だったので、覚えていたのだろう。実際、三日月は縁のある三条派の刀剣男士以外の名前と顔は、まだ一致していなかった。

「ところで、質問があるのだが、よいか」
「もちろん。僕は秘密主義でもないからね。何でも訊いてくれて構わないよ」
「青江さん、多分君に関する質問ではないと思うよ」

 石切丸が苦笑した。

「ははは、そうだな。主のことなのだが……」

 三日月は軽快に笑って、

「その冷徹とやらの課題はどうなったのだ。こうして審神者を続けているということは、結婚もしていないということだろう?」
「ああ、それなんだけれど……」


***


 結果で言えば、は負けた。

 歌仙と蜂須賀の戦いは相討ちに終わった。
そこで制限時間が来たため戦闘は終了。残った刀剣男士は冷徹側が二振り、側が一振り。よって、冷徹が勝利を収めた。

「皆さん、よく頑張りましたね」

 沈んだ表情の歌仙たちを、は控室で出迎えた。
 手入部屋で傷を癒やした歌仙たちは、しかし、悔しそうな顔でを見つめるばかりだ。

「ごめんなさい、主様……」

 いつもより格段に暗い声で小夜が謝った。

「これじゃあ、主様がお嫁に……」
「小夜くん」
「申し訳ない」
「ごめん」
「すまなかった」

 皆、口々に謝罪の言葉を述べるが、

「こうなったら主、駆け落ちするしかないんじゃないか」

 ここで予想の斜め上をいく言葉を投げるのは鶴丸国永である。

「え!? 駆け落ち……?」

 は呆気に取られていた。

「いや、他所の本丸の審神者と一緒になるよりは、気心知れた俺たちの方がいいと思ってな。歌仙とかはどうだ?」
「ここで僕に振ってくるんじゃない」

 歌仙は苛立っていたが、その声はいつもより元気がない。勝利を誓ったというのにそれが果たせなかったせいだ。

「でも、そうだな。主さえ諾と答えてくれたなら、駆け落ちだって……」
「歌仙さん、落ち着いて下さい。それはあの、さすがにその、」
「俺がここにいるうちは許すわけないだろ、馬鹿め」
「!」

 すぱっと言ってのけたのは、に結婚を迫った冷徹その人である。ちなみに最初から、と共に控室にいた。己の刀剣たちに「よくやった。だが、当然のことだ。これくらいしてもらわなくては困る」と実に彼らしい言葉をかけていた。――これでも褒めてはいるのだ。下手くそなだけで。
 歌仙はを自分の背に隠して、冷徹と対峙した。

「冷徹……」
「敬称をつけろ。はあ、まったく……。やはり君も、彼女が好きか」
「ああ。昨日、僕も告白した。愛していると」
「は?」

 予想外の返しに、今度は冷徹が呆気に取られた。
 一方では狼狽え、鶴丸は口笛を吹き、小夜は薄っすら笑みを浮かべた。
 次郎太刀は「やっと素直になったじゃーん」と豪快に笑い、山姥切国広と加州はお互いにガッツポーズを取り、青江に至っては「熱くなってきたね。……ああ、展開がね」といつも通りの様子で事の成り行きを見守っている。

「ばっ!? 愛し、……くそ、やはりこうなるのか。こいつはやはり……ああ、くそ」

 冷徹はがりがりと頭を掻く。何か呪詛のように「の本丸の歌仙だけは好きになれん」と繰り返し繰り返し呟いて――、

「おい、歌仙兼定」

 と、歌仙を睨みつけた。

 2人の間に身長差はほとんどない。視線と視線がかち合い。火花が飛び散りそうな雰囲気になってくる。

(いざとなったら止めないと)

 とは心配になったが、冷徹は視線を外して、ふう、と小馬鹿にしたような態度でこう言った。

「君たちは何か勘違いしている。課題は5つと言っただろう? まだ4つしか出していないぞ、俺は」
「……ん?」
「んん?」

 と歌仙は顔を見合わせた。

「そう、いえば……」

【課題①レア度の高い刀剣男士を鍛刀せよ】
評価:可
補足:5回中5回で鶯丸を鍛刀。札なし。
【課題②刀剣男士や遡行軍など、この度の戦争についての考察をまとめ提出せよ】
評価:不可(?)
補足:レポート3万字弱。時間遡行軍に関しての項は要注目。評価見直しの余地あり。
【課題③刀剣男士に関するクイズに全問正解せよ】
評価:優
補足:常に知識を吸収する勉強家。努力が見られる。
【課題④演練で勝利せよ】
評価:不可
補足:ただし、戦略や士気向上には一見の価値あり。

『あーーーー!』

 と歌仙たちの声が重なる。

 そうだ、まだ冷徹は4つしか課題を出していない・・・・・・・・・・・・・!

「じゃあ、五つ目の課題に合格したらいいじゃないか!」
「早く出して!」
「嫁にやらなくていいんだな? 早くしてくれ!」
「ああああ! お前ら俺の刀でもないくせに詰め寄ってくるんじゃない! 近いんだよ! 、君の刀だろ! 何とかしてくれ!」
「皆さん、落ち着いて……!」
「お前らも何で黙って見てるんだよ!」
「いえ、楽しそうだったので」
「小狐丸、お前ほんと帰ったら覚えておけよ?」

 そうしてやっと各々落ち着いたところで、冷徹は5つ目の課題を出した。

「はあ……、やれやれ……。こんな課題を出すのもどうかと思うが、じゃあ、改めて。、君は――」

 ――君は、刀剣男士が好きかい?

「え、」

 そんなもの、考えるまでもない。

「ええ、もちろん。私は、私の、私たちのために縁を結んでくれた刀たちが、大好きです」


***


「――というのが、事の顛末だね。主は見事課題に合格し、こうして今も本丸は続いているよ」

 冷徹は、政府の方針が改善されるように働きかけるとに約束した。
 簡単に刀剣男士を切り捨てる審神者だから「冷徹」と呼ばれているはずなのだが、今の彼にはそんな噂を微塵も感じさせない。

 ――ブラック本丸だの何だの、あまりいい状況を聞かないからね。政府の方針に従っていた時は……大切な刀剣男士を亡くしたことがある。

 ――それを踏まえると、のとる方針はリスクが少ないんだ。政府の方針改善には、君にも協力してもらう。いいよね?

 はそれを承諾した。

 指導係の一件から、冷徹との交流が増えている。


「冷徹様はたまにいらっしゃるね。主とは、まずは交換日記から始めるらしいよ。ああ、まあ、清いお付き合いというものかな」

 青江がその名の通り、にっかりと笑う。


「それにしても最後の課題、課題になってないんだよね。ただの質問だ」
「ふむ、またそれは何故……」

 三日月が首を傾げて問うた。石切丸も青江も「それはね」と言いかけて、やめた。
 教えてやるのは簡単だが、これは自身で経験すべきだ。

「そうだねえ。君は人の身を得てまだ間もないからね」
「面白いよ、人間って。君もここで生活していれば分かるさ」







「主、そろそろいいかな」
「何でしょうか」

 桜を鑑賞していたはずの歌仙だが、ついついを目で追ってしまう。緩く結った三編みから覗くうなじを可愛らしいと思ってしまう。いよいよ重症だろう。

 これが恋というのなら、何だ、案外悪くないんじゃないかと、歌仙は笑うのだ。

「告白の返事をまだ貰っていないのだけれど」
「……」
「あれから4ヶ月経った。そろそろ返事を貰いたいのだが……」
「……」
「主?」

 はずっと無言だった。代わりに頬が桜色になっていた。

 珍しい表情をしていたので、歌仙は少しおかしくなって、

「ああ。可愛らしいな、君は」
「な! か、かか、わいらしい……!? 歌仙さんそういうのはやめていただけますでしょうか!? まずは可愛いの基準というものをですね――」
「愛しい人は、何をしても可愛い」

 は言葉を失った。

「その唇も、耳も、鼻も、目の形も、全て愛しい。……と思うのは、変だろうか」
「知りません!」

 出会った頃と変わらない、瞳。
 だが、今。そこに映るのは、恋慕だ。
 直接言葉を貰わなくても、答えは出ているような気もする。

(まあ、いいか。時間はまだあるから)

 歌仙はとろけるような笑みを浮かべる。

「歌仙さん、一体どうしてこうなったんですか。態度が変わり過ぎではないでしょうか。やはり恋愛研究というものをした方が、」
「主」

 照れて話を逸らそうとしているのは分かっていたから。

「主、見てご覧。何か鳥が」
「どこで――」
「ああ、どうか。逃げないでくれ」

 そうして柔らかいものが触れ合って、



 そして、









「歌仙が池に落ちた!」
「何があったんですか主!?」
「あの、びっくりして、その! 押してしまって!」
「君はいい加減慣れた方がいいんじゃないか!?」
「慣れません!! 慣れたくありません!!」
「おっ、何だ。口吸いでもしたか」
「……」
「……」
「適当に言ったことが当たったんだが」
「光忠ー! 今日は赤飯だ!」
「やかましいな君たちは!」
「あるじさまー! ただいまもどりました!」
「どうして歌仙が池に……?」
「あのー、冷徹様とのお約束の時間がそろそろ」
「主君、顔がとてつもなく赤くなってますが――」

 時間遡行軍との戦いは続く。先が見えない長い戦いだ。
 辛く苦しいものになるだろう。
 しかし、これだけは言える。

 今日もこの本丸は平和である、と。


【仲違い編 終】