面倒くさい2人②


 特に問題もないまま、歌仙率いる第一部隊は、敵の本陣に辿り着いた。

 これまで、歌仙は、頭を空にして神経を研ぎ澄ませ、敵のことだけに集中し戦っていた。
 しがらみを抜けて、頭の片隅に残る「本能」や「理性」こそが、自分の望みを知っている。
 少なくとも、歌仙はそう思っている。

 ここ数日の戦いで何かを掴んでいるが、まだあと一歩足りない。

(いよいよか……。毎度思うが、雅さの欠片も見当たらないね)

 刀装の具合と負傷の具合を再度確認し、部隊一の面々は本陣へ突入した。

 索敵で相手の陣形は分かっている。短刀、脇差、打刀と比較的小回りが利く刀剣男士が多いから、敵を逃すことはないだろう。いざとなれば、嵐のように刀を振る次郎太刀が一掃してくれるだろう。


***



「首を差し出せ」


 遡行軍の脇差の首が宙を飛ぶ。巨体が地面に倒れたのを確認すると、歌仙は山姥切国広のもとへ向かった。

 戦場は既に遠戦を終え、白刃戦へ移っていた。各個撃破、適宜フォローに回るというのが、彼らの戦い方だ。

 フォローが必要なのは、やはり山姥切国広だ。

 経験が浅いわりには果敢に攻めているが、今回の相手は分が悪い。薙刀が2振りいるからだ。広範囲に渡る攻撃が多く、刀装をいつの間にか剥がされていることがある。厄介な相手だが、幸いにもきちんと弱点がある。衝力は高くないので、手数で攻めるか強力な一撃を繰り出せば、突破出来るだろう。

 走り出してすぐ、歌仙は山姥切国広の姿を視界に捉えた。

(ああ、薙刀に当たったか……。刀装は剥がされていないか?)

 いつにも増して、布がボロボロになっている。薙刀と打刀の鍔迫り合いは均衡を保っていたが、山姥切国広は薙刀に圧されていた。

「山姥切!」

 歌仙の叫びに反応し、一瞬碧の目がこちらを向いた。

「っ!」

 途端、弾かれたように山姥切国広と薙刀が離れた。
 彼の右頬には、耳まで一直線に走る傷が出来た。

「……これで殺そうとはな」

 遡行軍の薙刀にもまた、山姥切国広によって無数の傷をその身体に負っている。生憎、顔は布で覆われているので分からないが、殺気が増したような気がした。山姥切国広の台詞が煽っているように聞こえたのかもしれない。

「無事かい」
「問題はない。が、俺では勝てない」
「自分の実力が分かっているのなら問題はないよ。刀装はまだあるかい」
「軽騎兵は剥がれた。まだ、遠戦で使った投石兵は残っている。僅か、だが」

 間合いの分、薙刀の方が有利だ。薙刀は、助太刀に来た歌仙の方が手こずると踏んだらしい。先に山姥切国広を倒そうと攻撃を仕掛けてきた。

「安く見られたものだ」

 山姥切国広は薙刀の一撃を弾き返し、仰け反った隙を見逃さずに間合いを詰めようとして――ふらついてしまう。地面に刀を刺して踏ん張ったが……片膝をつき、好機を逃した。

「くっ。何だ、これは……」
「無理はしないでくれ。山姥切、君は足を捻ったようだね」
「捻る? これがか……」

 山姥切国広は、初めての怪我に戸惑っていた。
 歌仙はさっと山姥切国広の状態を確認した。恐らく、全力では戦えないだろう。刀剣男士になってからの経験が浅いわりに、彼はよくやっている。

(鍛錬すれば、もっと強くなるはずだ。僕も稽古をつけてあげよう。いや、同じ刀派の刀剣男士がいいだろうか。まあ、何よりも、まずはここを突破しなければ)

 本丸に帰るのだ。
 あの、審神者のいる本丸に。
 平和と平穏で囲まれた、あのにぎやかな本丸に。
 帰るのだ。

(うん、僕は……、やはり……)

 の姿を思い浮かべ、歌仙は頭を振る。やはり、身体を動かした方が自分の性分に合っている。

 あと一歩を掴めたような、そんな気がした。

「山姥切、」
「少しいいか。俺は山姥切ではない。生憎、山姥は斬ったことがないんでな」
「軽口が叩けるのなら、余裕があるね。だが、君は下がっていてくれ」

 歌仙は、しかめっ面で痛みを堪える山姥切国広の前に出て、刀を中段に構える。薙刀の方は既に体勢を整え、八相の構えを取って油断なくこちらを窺っていた。

「ここは、僕が引き受ける」

 この言葉が引き金となり、戦いが始まった。

 八相の構えから繰り出される、薙刀の豪快な攻撃。嵐のごとき一閃を歌仙は己の刀で受け止め、払う。そして、顔を斬りつけようと地面を跳躍した。
 が、次の瞬間、歌仙の姿が薙刀の前から消える。

「!」

 薙刀が戸惑ったのも束の間、脚に衝撃が走った。というのも、歌仙が瞬時に屈み、膝下を斬りつけたからだ。最初から、彼の狙いは体勢を崩すことだった。

 激痛に襲われた薙刀は、しかし武器を取り落とすまいと踏ん張る。が、脚を横一閃に斬りつけられたのだ。支えきれずバランスを崩し、大きな隙を見せた。

 それを見逃す歌仙ではない。追撃に追撃を重ね、相手を圧倒する。

 飛ぶ血飛沫、流水のような太刀筋、鉛のように重い一撃――。

 山姥切国広は、歌仙の姿に束の間見とれていた。彼の言葉を借りれば、それは本当に「雅」だったのだ……。


 怒涛の連撃の末、ついに薙刀は武器を取り落とした。だらり、と手から力が抜ける。

 そして、

「はあっ!」

 歌仙の気合いと共に、最後の一撃が放たれる。



 ――こうして、この時代に出現した遡行軍の企みは、無事、刀剣男士たちによって阻止されたのだった。



***


 本丸に帰還した彼らは、戦場と違って和やかな雰囲気を身にまとっていた。殺気や闘争心は、微塵も見当たらない。

「おかえりなさい、皆さん。必要な方は手入れ部屋へ。兼定さんは手入れ後、戦果報告へ。今回も、ありがとうございます」

 がいつものように玄関先で彼らを出迎えてくれる。
 彼らは皆怪我を負っていたが、幸い軽傷で済んだようだ。山姥切国広は足を捻ったらしく、歌仙に支えてもらっていた。変わったことはそのくらいで、後はいつも通りである。

 そう、が小夜の頭を撫でくり回しているのも、いつものことである。
 小夜が戸惑いつつ嬉しそうにするのも、いつものことである。


「おっ、主。俺も頼む」
「鶴丸さんもですか?」

 このやりとりもお決まりになっていた。屈んだ鶴丸の頭を、は丁寧に撫でた。

「じゃあ、僕もここを君に撫でてもらおうかな」
「アタシも。ちゃんと屈むから安心してよ」

 こう主張したのは、にっかり青江と次郎太刀だ。同じことを夏くらいにもやったような気がするなと思いつつ、は頭を順番に撫でていった。

(こうしていると、皆さんが可愛く見えてくるから不思議ですよねえ)

 美しく、可愛く、時には格好いい男性の姿で顕現する刀剣男士たち。他人ではないが家族でもない。上司と部下、持ち主と道具、人間と神ではあるけれども……。

(大抵の打刀や太刀、大太刀の刀剣男士は、見た目は大人ですけれど……。無邪気な子どものような反応が来ると癒されますね。短刀は短刀で、いつも可愛いのですが)

 撫でて嬉しそうな反応があると、自分の子どものような、愛情を注ぐべき存在だと思ってしまう。

「あ、そうだそうだ。山姥切国広、君も撫でてもらえばいい。歌仙、少しいいか」
「ああ。構わないよ」
「何を言っている。俺の意思は、そんなことをわざわざ! おい、離せ!」

 歌仙から引き剥がされ、山姥切国広がのところへやって来る。無理矢理引き摺られている。足を捻っているから逃げられないらしい。そこまでするものだろうか、とは気の毒になった。

「あの、鶴丸さん。本人がこんなに嫌がっているなら撫でなくてもいいかと思いますが……。強制ではないですし」
「一度味わった方がいいと思ってな。俺が主に初めてやってもらった時は、それはもう驚いたものだが」
「え、そんなにですか?」

 この場合の「驚き」とは、多分「驚嘆」のことなのだろう。

「ああ。世界が変わる」
「そこまでですか」
「そこまで変わる」
「分かるー」
「あそこが温かくなるよねえ。……ああ、心のことだよ」
「……僕は別に……、嫌いではないよ……」

 歌仙を除いた部隊のメンバー全員の意見が一致した。

「何故でしょうかね……」
「その疑問を解明するべく、君にも味わってもらいたい。なあ、山姥切国広」

 鶴丸はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。

「いらん」

 当然、山姥切国広は不愉快そうに眉を顰める。

「なんだなんだ。ノリが悪いなあ、山姥切国広」
「そうだよ山姥切国広」
「撫でてもらいなよ山姥切国広」
「そこは強制しません……山姥切国広、さん……」

「あんたら、俺の名を取ってつけたように呼ぶのはやめてくれ」
「すごくテンポが良いですね。打ち合わせもなしに」
「僕は君が感心していることに驚きだ」

 素直に感動するへ、歌仙は遠い目でツッコミを入れた。まあ、ノリが悪いのは山姥切国広だけではなく、歌仙もだが。

「まあ、主。1回だけで良いから、撫でてやってくれないか。そうすれば、もう強要はしないさ」
「は、はあ。分かりました」

(早く手入れ部屋に入れて足を治した方がいいのでは)

 とはいえ、彼だけにやらないのも差別かしらと首を捻りつつ、は山姥切国広の頭を布の上から撫でてみた。

「……その。よく、帰ってきてくれました。戦場に出たいと言った時は驚きましたが、きちんと任務を果たしてくれて嬉しいです」

 正直な気持ちも添え、労いの言葉をかける。

 ところが。

「あら? 山姥切国広さん?」

 呼びかけてみても応答がない。だんまりを決めこんでいる。彼の空間だけ時でも止まったのか、微動だにしない。もしかして傷でも悪化したのだろうか。不安になって呼びかけてみたが、

「大丈夫だ。今、山姥切国広は驚きのあまり動けないんだろう」
「そういうものですか?」
「そういうものさ」

 鶴丸を筆頭にうなずく部隊一の面々。どの刀剣男士も通る道だというのだろうか。山姥切国広はといえば、無言・無表情のまま、何かを噛みしめていた。

「はあ、さっさと彼を手入れ部屋に連れて行こう。ここで話していても怪我は治らない。ほら、行った行った」

 歌仙が隊長らしいところを見せ、他の隊員に声をかけたのだが、

「歌仙君は撫でてもらわなくて良いのかい?」

 と、青江が(歌仙にとって)余計なことを口にする。面白そうな案件を見逃すはずがないのだ。特に、甘い雰囲気になりそうなものは。

「青江……」

 地獄の鬼も逃げそうな、ドスの利いた声に怯んだのは、生憎と山姥切国広だけだった。
 こっそり歯を見せて笑うのは鶴丸、次郎。呆れ顔を浮かべたのは小夜、いつものように飄々とした態度を貫くのは青江であった。

「隊長が撫でてもらわないのは不公平になるんじゃないかな。ねえ、主?」
「えっ? いやまあ、ええと……そうかもしれない、です、ね?」
「僕は遠慮する」

 互いに顔を見合わせる歌仙と。2人の顔には「困惑」「不可解」「気恥ずかしい」などの文字が貼り付けられている。だが、互いに互いの気持ちには気付かない。

(私が歌仙さんの頭を撫でる? む、無理です! 絶対に!!)

 の顔は普段通りに見えるが、内心は言いようのない、こそばゆい感覚に支配されていた。一体、どうしたというのだろう? 嫌いではないのに、どうして戸惑ってしまうのだろうか。どうして無理だと思ってしまうのだろうか。

(だって、歌仙さんは他の子と違うといいますか……。でも、でも。何で)

 何で、違うと思うのだろうか。

 その正体を掴みそうになって――は考えるのをやめた。
 きっと、気のせいだ。

「そう、ですね。ほら、兼定さんも怒ってますし。嫌なことをするのはやめておきます」
「そういうことは、俺の時も言って欲しかったものだな」

 やっと復活した山姥切国広が横から苦言を呈した。まあ、全くもってその通りであるのだが、鶴丸がすぐさま「でも良かっただろう」「……」「無言は肯定だな」「ち、違う、というわけでも……ない」「そうだろう。癖になるんだ」などのやり取りで言いくるめてしまう。

「別に怒ってはいないけれど。主が無理だと思うならやめておこう」
「ええ。別に、無理でもないんですけど。兼定さんがそう言うならやめておきます」
「そうだろう」
「そうですとも」

 妙なところで息ピッタリの2人は、「やっぱりお似合いなんだよねえ」としみじみ呟く青江の声など聞こえていなかった。


***


「ああ。待ってくれ、主。あんたに言いたいことがある」

 手入れ部屋に着き、すぐさま退室しようとしたところ、は山姥切国広に呼び止められた。そして、呼び止められてもいない青江と鶴丸、そして歌仙も留まった。

「何でしょうか」

 以前は引きこもりだった山姥切国広が、こうして積極的にコミュニケーションを取ろうとしてくるのが珍しい。

「あんたにしか頼めないことなんだ」

 普段はあまり視線を合わせようとしてこない山姥切国広だが、この時ばかりは、しっかりとの目を見据える。まるで、この部屋が先ほど遡行軍とやりあった戦場だとでも言うような真剣さだった。

「一体どんなことでしょう。私に叶えられるものなら良いのですが」
「それは」
「それは?」
「……」

 好奇心を隠せない青江と鶴丸、それを見て咎める視線を投げる歌仙、どんな言葉が来るのか身構える。彼らの視線を一心に受けつつ、山姥切国広は口を開いた。


「お」
「お?」
「俺を、」

「俺を、近侍に、してくれ」

(近侍……?)

 は歌仙の方を振り返った。

 歌仙の方は呆然と山姥切国広を見ていた。

 目が点とは、このことだ。

「おや、大胆だね」
「こいつは驚きだな」
「な、なんだってーーーーーーーー!?」
「えええええーーーーーーーーーー!?」

 かくして、本丸中にと歌仙の絶叫が響き渡ったのであった。