面倒くさい2人③


 とうとう件の日が訪れてしまった。は不安と緊張を心の奥底に封じ、溜め息を押し留めた。

(さて、行きましょうか)

 は冷徹を迎えるため、近侍と共に正門へ向かう。10分ほど前に冷徹から連絡があったのだ。こちらで入門の許可を出さなければ、彼らはいつまでもの本丸には行けない。

 というのも、本丸の門には時間を遡る機能の他、審神者同士が各本丸を行き来出来る機能があるからだ。つまり、今回のように冷徹が彼の本丸の門を潜れば、の本丸の門に到着するようなシステムになっている。

 正門に到着し、諸々の手続きを済ませ、待つこと数十秒後。来客を知らせる音が響き、カメラのフラッシュのような光が瞬いた。

 そして――、

「やあ。久し振り」
「お待ちしておりました」

 冷徹を先頭に、蜂須賀虎徹、一期一振、江雪左文字、蛍丸、へし切長谷部、蜻蛉切が門からゆっくりと歩み出てきた。の本丸の刀剣男士とは違い、皆淡々とした雰囲気をまとっており、至極落ち着き払っていた。

 一方、今日の冷徹は仕立ての良い紺色のスーツを着ていた。糊の利いたYシャツにストライプ柄のネクタイをしており、出来る商社マンのようにも見える。まあ、今の彼は、刀剣男士を率いて歴史を守る審神者だ。

「体調はどうだい」
「ええ、お陰様で。万全です。今回はこちらの都合で日時を延期してしまい、申し訳ございませんでした」
「構わないよ。どんなに気を付けていても怪我をする時はするし、病気にもなるからね。とはいえ、体調管理はしっかりとね」

 字面だけ見れば素直に労っているように思えるが、はその言葉が本心ではないのだと察していた。冷徹の言葉は、用意してきた台本を読んでいるかのような、空虚なものだった。相変わらず、声だけは爽やかだったが。

「肝に銘じておきます。では、客間へお通しを――」
「おや。近侍はいつもの彼ではないのだね」
「あなたも近侍を変えることは多々ありましょう」
「まあね」

 冷徹は隣で控えている蜂須賀を一瞥して答えた。恐らく、蜂須賀は今もなお、冷徹の近侍なのだろう。

「君は常に歌仙兼定を近侍にしている印象しかなかったからね。なんだい、彼は何かヘマをやらかしてクビにでも?」
「こればかりは、あなたには関係ないことでは?」
「さあ。指導係は細かなことでも把握しておかなければと思ってね。なんだい、今度のお気に入りは山姥切国広かい。扱いづらそうだがね」

 そう。今回のの近侍は歌仙兼定ではない。
 の本丸ではつい最近までヒキニートだった、山姥切国広である。

「……どうぞこちらへ」

 は取り合わず、冷徹たちを客間へ案内することにした。

(俺が写しだからか)
(気にすることありません。何も粗相はしてないのですから)

 落ち込んでいるらしい山姥切国広を小声で宥めた。何かにつけて突っかかってくる冷徹にやりきれない気持ちを抱き、吐き出しかけた溜め息を再び押し留めた。

(全く、どうしてこうなったのでしょうか)

 それもこれも、兼定さんのせいですと理不尽な結論を導き出す。

 場面は、昨日のあの場面へと遡る。

***


「俺を、近侍に、してくれ」

 山姥切国広の「俺を近侍にしてくれ」発言から数分後。
 何故かの自室でミニ会議が開かれていた。

 メンバーは歌仙と山姥切国広、そしての3人(正確に言えば2振りとひとり)である。以外は妙に真面目な顔をして畳に座っており、薬研藤四郎がこの様子を見たならば「お通夜か」というツッコミが入ったことだろう。

 何故か誰ひとりとして口を開かない。は話を進めるためにも、

「それで、ええと……。どうして山姥切国広さんは、私の近侍になりたいと?」

 この微妙な雰囲気にメスを入れることにした。

「理由、ということだろうか」
「ええ。そういうことになります。当本丸では、基本的に近侍は兼定さんなのです。審神者就任時からいる古株ですし、サポートも上手くやってくれますので。まあ、今は彼の要望で戦場に行く機会が多く不在の時が多いので、一時的に他の方にやってもらっていますが。正直、慣れていないと難しいですよ」

 ここまで言うのは大袈裟だが、最近本格的に動き始めた山姥切国広が近侍を完璧にこなすのは難しいだろう。

「短刀のように誰かと組んで近侍の仕事をやるのも駄目か」
「ああ。それは別に構いませんよ。でも、理由を訊いてもいいでしょうか。最近まで引きこもっていたのに、どうして急に戦場へ行くようになったり、近侍になりたいと言ったりするのでしょうか」

 そうなのだ。まるで人格でも変わったのかのように、山姥切国広は様々な行動に出ている。今までロクにコミュニケーションも取らず引きこもっていたのに、一体何が彼の中に起こったのか。10人中9人くらいは不審に思うに違いない。

「理由、か」

 山姥切国広は一瞬言い淀んだ。眉間にシワを寄せているのは、言葉を必死に組み立てようと模索しているからなのだろう。「ゆっくりでいいですよ」とは見守ることにする。

 感じたことを分かりやすく伝えることは簡単ではない。難なく出来る人もいるが、山姥切国広は今まで会話らしい会話をしたことがないのだ。まとまらないうちに発言して誤解を生んだり、婉曲して理解されたりするのは避けてやりたかった。

 しばらくして、彼の眉間のシワが少なくなった。どうやら8割方まとまったようだ。

「大丈夫ですか」
「大丈夫だ。言葉が見つかった。上手く言えないが俺は、」

 何故か歌仙の方を一瞥し、山姥切国広はゆっくりと言葉を紡いだ。

「俺は、主のことが知りたい」

 それは、愛の告白とも取れる発言だった。強張った顔で身を固くしたのは歌仙で、の方は突如何を言われたのか理解が追い付かず、しきりにまばたきを繰り返していた。

(私のことが知りたい?)

 よく分からない。どうしてそれが、近侍の志願へ繋がるのか。

「山姥切国広さん。もっと具体的な説明が欲しいのですが」

 が続きを促すと山姥切国広は微かにうなずいた。

「あの雨の日に、あんたは『ひとりになりたい』と言っておきながら、俺を放っておかなかった。なんだかんだと俺に気遣いの言葉をかけていた。……思えば、俺が顕現して引きこもってから、あんたは俺を無理強いさせることはしなかっただろう」
「まあ、それはその……。どう対応しようか迷ったことも大きいのですが」

 引きこもりへの対応は、間違えてしまえば取り返しがつかないかもしれない。だから、そっとしておくことが一番ではないだろうかと。そう、思ったのだ。

 だが、は時折声をかけた。「今日は短刀たちがこんなことをした」「鶴丸が本丸の敷地のあちこちに落とし穴を掘ったから、埋めるのが大変だった」「身体が大きい大太刀が鴨居に額をぶつけた」など、日記のようなものを独り言のように山姥切国広に聞かせていた。

「――あんたが俺に何かしてくれる度に、ここが。ここが、酷く、落ち着かなくなる」

 ここ、と彼が右手で指したのは、ちょうど左胸の辺りだった。

「温かくなる。よく分からない何かが、ここに集まる。だから、あんたを知れば俺は、何か分かると思った」
「ああ、だから君は、主と接する機会が多い近侍に志願したのか」

 ここでやっと、だんまりを決めこんでいた歌仙が口を開いた。まあ、顔は強張ったままだったが……。

「ああ。それから、引きこもっていた分を取り戻そうと思って、戦場へ行った。練度を上げなければならないんだろ?」
「練度がある方が、頼もしいですし、戦いの経験も積むので臨機応変に対応出来るとは思いますが……」

 山姥切国広の謎が色々解けたところで、は少し頭を悩ませる。断る理由は全くないのだが。

(彼の願いは叶えてあげたいけれど、いきなりひとりで任せるわけにもいきません)

 自分のことを知りたいと告白されて悪い気はしないが、近侍になることで果たして山姥切国広の“知りたいこと”が見つかるのだろうか。

 それに、

(なんだか兼定さんが怖い、ような)

「ムスッとしている」の表現がぴったりの顔だ。いつもの言い争いで見せるような、そんな顔だ。

(怒っていらっしゃいます?)

 ふと目が合う。しかし、即座にそっぽを向かれてしまった。一体が何をしたというのか。

「近侍、近侍ですか。多分、明日来る指導係、冷徹さんの訪問が終わったら、兼定さんにまた近侍をお願いするつもりです。期間は短いと思われますが、それでもよろしいですか」
「構わない」
「誰かと組んでもいいのですよね」
「その方が助かる」

 やる気もあるし、任せても良いかもしれない。山姥切国広と誰を近侍に組ませようか。

「……兼定さんは、山姥切国広さんと誰を組ませればいいと思いますか」

 近侍歴の長い歌仙にアドバイスを求めてみるが、

「さあ。長谷部にでも頼めばいいだろう。主命ならば、喜んで全うするだろうから」

 声は固く、冬に吹く風のように冷たかった。

「僕は関係ないようだから、退室してもいいかな」
「構いませんけど」
「別に、そのままずっと彼を近侍に据えても良いと思うよ。何も、僕にこだわらなくてもいいさ。君にはたくさんの刀があるのだから、気を遣って僕を使い続けなくても良いんだよ」

 何か、違和感を覚える。
 何をそんなに苛ついているのだろう。
 一体自分が何をしたというのか。

(あなただって、いきなり出陣したいとおっしゃったのに。よく分からないのはあなたもですよ、兼定さん)

 いくら理由を訊ねても答えなかったというのに。「確かめたいことがある。分かったら説明する」。それしか言わなかったというのに。

 いきなり不機嫌になられても困るというものだ。も心の奥に苛立ちの芽を生やし、こう訊ねる。

「兼定さん。おっしゃりたいことがあれば、遠慮なくおっしゃって下さい。何が気に入らないのでしょうか」
「いや、別に」
「なるほど。言葉も発せない赤子でもないのに、急に不機嫌な態度を取られても困るのですが」
「誰が赤子だって」
「捻くれた発言もされますし、赤子は言い過ぎでしたね。母親に駄々をこねる小さな子どもと一緒です」
「ふん、そうやって喧嘩を売ってくる君も大概、大人気ない」
「大人気ない、とは。喧嘩を売るような態度や発言をしたのはあなたの方ですけど」

 カーン。

 その時、ゴングが鳴った。――ような気がした。
 というのも、その幻聴を聞いたのは山姥切国広だったからだ。ボクシングやプロレスといったものを観戦したことがないため上手く表現出来ないのだが、確かに開戦の合図だった。

 その後、困惑する山姥切国広の前では、理系VS文系、もといVS歌仙の舌戦が繰り広げられることとなる。

 舌戦の様子をダイジェストにするとこうだ。

「そもそも、赤子とは何だ。僕の身体は明らかに違う。意思疎通も出来、生活することに必要なものは大抵出来る」
「身体はそうですね、大人と言っても差し支えないですが。精神はどうでしょうか」
「ほう、君が精神を語るというのか」
「ここに『子どもっぽいと思う人の行動』というアンケートのデータがあるのですが、見ますか。学生時代の研究過程で取ったものですけど。これで論理的に説明出来ます」

「大体、君には愛嬌というものがない。『女は愛嬌』という言葉があるだろう」
「それは偏見です。愛嬌のある女性がいたら何だというのでしょうか。あなた方男性から見た偏った考えにしか思えません」

「文系の方は『察して』『構って』と気持ちを相手に委ねすぎです。相互理解は100パーセントではないのですよ。それに、自分の伝えたいことは30パーセントしか会話相手に伝わらないというデータがあります」
「そうは言うが、君たちは目に見えるものしか信じないというのは、あまりにも頭が固い! 相手の感情は言葉以外に表情や仕草に表れるというのに」

「なんですって!?」
「なんだって!?」

 ヒートアップした2人の戦いは終わらない。部屋の温度も心なしか上昇しているような気がする。
 山姥切国広は「そうか、本丸名物“審神者と歌仙の口喧嘩”とはこれのことなのか、兄弟」と呟き、

「ところで、俺は近侍になってもいいのか」

 と、喧嘩真っ最中の2人に問う。すると、

「許可します!」
「勝手にしろ!」

『今は後にして下さい(しろ)!』

 くるりと首を回して彼らが言った台詞は息ぴったりで、名コンビだなと山姥切国広は呑気に思ったのだった。


***


 ――と、これが昨日のことだ。結局、と歌仙は仲直りしないまま、近侍を山姥切国広に任命した。サポートには長谷部ではなく、加州清光を採用した。本当は同じ刀派の堀川国広に頼みたかったのだが、彼は和泉守兼定の世話で忙しい。山伏国広はまだの本丸には来ていない。長谷部は……、長谷部は人に教えるより何でも自分で済ませてしまう傾向があるので、面倒見がいい加州にしたのだ。

 本人は「主に頼られてるってことだよね。俺頑張る」と嬉しそうにしていた。コミュニケーション能力は高いはずなので、山姥切国広も比較的気楽に近侍をこなせるはずだ。

(慣れないところもありますが、よくやってくれていますよね、山姥切国広さん)

 布の奥からじっと観察されるのは慣れないが、よく近侍を務めていてくれている。加州もよく気が付くしサポートとしては大変ありがたいが、

(兼定さんの馬鹿)

 指導係がいる今日くらいは、近侍でいて欲しかった。では素直に頼めばいいが、昨日の言い争いの件もある。素直に頼むことは彼に白旗を振る行為のような気がして、やりたくないのだ。

「お手並み拝見といこうか」

 冷徹の含みがある言葉に不安を掻き立てられつつ、は山姥切国広と共に客間へ向かった。