心の赴くままに②
興味がないから、優しいのか。
優しいから、何も言わないのか。
分からない。だが少なくとも、それに自分は救われた。
ならば、どうにかして手に入れたい。
それが例えハリボテであろうとも。中身が伴わなかろうとも。
***
次の日の早朝。
「やあ、おはよう」
「おはようございます、冷徹さん」
昨日と同じく門からやって来た冷徹は、どこかご機嫌であった。相変わらず、仕立てのいいスーツを着ている。傍らにいるのは蜂須賀虎徹だ。今日は他の刀剣男士は来ていない。
も近侍の山姥切国広と加州清光を連れている。本丸にいる全刀剣男士は、既に結婚の話を知っていた。もしも合格しなければ、自分たちの主が冷徹の嫁になってしまうのだ、2人ともやる気満々といった様子での脇に控えている。
「やれやれ。まだ敬語か、」
「あなたには一生これを貫き通すつもりですので。ところで、課題というのは」
「これだよ。課題は全部で5つ。優、可、不可の三段階評価だからね」
「大学の単位を思い出しますね」
コピー用紙の束を渡され、は正直に感想を述べた。
「懐かしいだろう?」
「ええ」
「じゃあ、早速やってみようか」
冷徹は嗤った。
「お手並み拝見」
***
【課題①レア度の高い刀剣男士を鍛刀せよ】
審神者たるもの、常に戦力を増強し、敵に立ち向かうべし。
時には狙った刀剣男士を迎え入れるのも審神者の才能。
「――というわけで、には三日月宗近か小狐丸、または一期一振か江雪左文字、鶴丸、鶯丸、蛍丸……のいずれかの刀剣男士を鍛刀してもらおうかな」
「狙った刀剣男士を手に入れる才能なんて必要ありますか?」
「いらないんじゃないの? ね、山姥切」
「右に同じく。あと、俺は写しだ。山姥切ではない」
たちは鍛冶場に移動していた。やはりここは本丸の中で一番暑い。既に火が燃え上がっているせいだ。
配分指示のモニターにが近付けば、マスコット人形のような刀匠が軽く会釈した。相変わらず、指で突っつきたくなるような可愛さだ。
「狙った刀剣男士を手に入れる才能は、必要に決まっているじゃないか。はー。分かってないねえ、君たちは」
やれやれと首を振り、嘲笑混じりに冷徹は答える。
「出会いを引き寄せるのだって、審神者にとっては大事なことだよ? これから先、鍛刀だけでしか出会えない刀剣男士がいるかもしれないだろう? そうなったらどうするのかな。徒に資材を消費するだけじゃないか」
「鍛刀だけでしか出会えない刀剣男士がいるのですか?」
「政府は常に新たな刀剣男士を顕現出来るよう尽力している。粟田口派の刀剣だって、まだまだたくさんいるんだよ」
「……なるほど。分かりました。鍛刀の課題、やってみせます」
の言葉に満足した冷徹は、大仰にうなずく。
加州清光と山姥切国広はを心配そうに見つめていた。
「主、いいの?」
心の声を素直に表したのは加州だ。
「ええ。どちらにせよ、やらなければ結婚ですし」
「あ……。うん、そっか。そうだったね。でもさ。主、鍛刀運ってあんまりなくない?」
「……」
「だってさ、一期一振を顕現させようと頑張ったら、結局来たのは江雪だったんでしょ?」
「そうなのか?」
「そうなんだよ、山姥切。主、わりとそういう方面の才能ないよ」
「それは……、不安だな。あと、山姥切のあとは国広をつけろ」
加州の言う通りなので反論する気はないが、とて様々な努力はしてきた。過去の結果は全てデータ化してまとめているし、太刀や大太刀が出やすい資材配合も全て記録している。
「準備万端です。頑張りますね」
他の審神者からも配合を聞いて試したこともある。富士札や松札といったアイテム使用時のデータもある。タブレット端末のデータ画面を見せると、加州と山姥切国広は目を瞬かせた。ついでに目頭を押さえている。泣いているのではない。文字の細かさに目が疲れたからだ。
「冷徹さん、ちなみに何回までチャレンジ可能ですか?」
「うーん、そうだねえ。何回が妥当かな。さん……、いや、ご……、うん、5回だ。5回のチャンスを与えよう。札も使っていいよ。サービスだ」
「承知しました。では、」
モニターに立って、木炭・玉鋼・冷却材・砥石の数値を入力していく。
その結果――。
「ダメだね」
「そうだな」
「いっそ神がかってる」
「すごいねー」
「素直に賞賛するよ、」
「冷徹さん、明らかに面白がってますよね!?」
1回目の鍛刀。時間は1時間30分。出来たのは陸奥守吉行。
2回目の鍛刀。時間は2時間30分。出来たのは石切丸。
3回目の鍛刀。時間は3時間。出来たのは同田貫正国。
4回目の鍛刀。時間は3時間。出来たのは燭台切光忠。
どの鍛刀にも松札を使ったのだが、哀れ、ちり紙と化してしまった。
「君、こんなにも運がないんだね」
「冷徹さん、笑顔でそんなこと言わないで下さい。惨憺たる結果なのは理解してます」
は頬を幼子のように膨らませた。
おかしい、こんなはずではなかったのに。
(私の配分に落ち度はないのに……)
過去は裏切らない。数字は嘘をつかない。データは積み重ねてきた結果を映す。
(いいえ、私に落ち度があるんです。データのせいにしてはいけません)
「、後がないよ。大丈夫かい?」
「大丈夫に見えますか?」
「いいや、ちっとも。でも僕は嬉しいな。君を着実に手に入れられるからね」
「主、ラストだよ。じっくり考えてね!」
「はい、清光さん」
スルーしろ、と遠回しに言っているのだろう。加州の言葉に深くうなずき、は再びモニターに向き合った。
ゆっくりと肺に空気を送り込み、限界まで吐き出す。
(これでラスト、ですか)
以前もこの配合で悩んだ。何をどのくらいにすれば、望む結果が得られるのだろうか?
(木炭を550ほどにすれば……。いや、それでは……)
思考は迷宮の中へ入り込む。出口が見えない。手がかりもない。脱出すら不可能だ。
の指はモニターの前で右往左往していた。
(こういう時、私はどうしていただろうか)
ふと、脳裏に蘇ったのは、
――僕は計算ごとは苦手だから、大した助言はしてやれないけれどね。もし迷っているのなら、ここは心の赴くままに、数字を決めれば良いと思うよ。それもまた、風流というものさ。
「あ、」
兼定さん、と唇が微かに動いた。
「主?」
加州の眉はハの字になっており、を心配しているのは一目瞭然だった。
「大丈夫?」
「ふふ。ええ、大丈夫です」
振り返って加州に返事をしただったが、先程とは打って変わって、晴れやかな顔つきをしていた。
「風流なんて知りませんけど、私の近侍の言うことですから」
かくして、モニターに数字が打ち込まれ、鍛冶場の火は燃え上がる。
刀匠が資材を投げ入れて、
そして――。
***
そわそわ。そわそわ。
やけに落ち着きがない。
鬱陶しいというのが、正直な感想である。
「歌仙。気になるなら、見に行ってくればどうですか」
「僕は別に、気にならないよ。主たちのやっていることなんて」
「歌仙さん。小夜さんは一言も主の名を出してはいないのですが」
「おとこの“つんでれ”はみぐるしいですよ」
「君たちは僕を一体どうしたいんだい!?」
料理の見栄えを良くしたいからと、地道にもやしのひげ根を取る刀剣男士一同。非番である刀剣たちが厨に入り、プチプチと作業を進めている。
本日のお手伝いは、小夜左文字、平野藤四郎、今剣、にっかり青江、鳴狐である。短刀たちにつつかれている歌仙の反応を見ながら、青江はくつくつと笑う。を気にしているのは明白なのに、どうしてこうも認めたがらないのか。面白いなあ、と青江はこっそり呟いた。一方、鳴狐はそんなやり取りも気にせず、黙々とひげ根を取っていた。お供の狐は、今はいない。毛が飛ぶので置いてきたというのは、鳴狐本人の弁だ。
「はいはい。歌仙君をからかうのは、これを終わらせてからにしようね」
「わかりました」
「作業を終えてもからかうのは駄目だよ。絶対にだ!」
青江と今剣に釘を刺し、歌仙はもやしをザルにあげた。昼食は冷徹たちの分も用意しなければいけないので、少し忙しい。厨房の主とも言える燭台切光忠は、今日は朝から畑当番である。よって、歌仙が昼食の準備を取り仕切ることとなった。
「まったく君たちは揃いも揃って……」
額に青筋が浮かんでいるのは、気のせいではないだろう。
「だって、いじるといい反応をするからね」
「ええ、そうです。おもしろいですよ」
途端に鋭い眼差しが青江と今剣に突き刺さる。
これはすごい、戦場でないのに殺気がする。歌仙の右手には包丁、左手には麺棒。2振りはすぐさま口を噤むと、もやしのひげ根取りを再開した。
触らぬ歌仙に祟りなし。晩ご飯に嫌いなおかずがくっついてくるかもしれない。以前、歌仙を怒らせたら、炒め物にどっさりピーマンを入れられてしまったことがある。にんじんが、まるまる1本カレーに入っていたこともある。その時のような悲劇は、何としても避けたい。
小夜はその様子を呆れ顔で静観していたが、ふうと小さく溜息をついた。
「……、歌仙」
「何だい、お小夜」
「もしも主が、あの審神者と結婚したら、どうしますか?」
流し台にまな板が落ちた。分かりやすい動揺である。
「さ、さあ」
「さあって……。歌仙。僕らがまだ、ただの刀だった時は、見合い結婚が普通でした。でも、今は好いた相手と結婚出来るのが普通みたいです。性別も関係ないらしいです。そんな時代だというのに、主は望まない相手と結婚するかもしれない……。それが、僕は気にいらない……」
あの人が望むなら、復讐でも何でもいくらでもするけれど、と小夜は付け加える。
「僕は、主が好きだよ。あなただって、そうでしょう?」
歌仙は肩を震わせ、小夜の問いに答える。
「僕だって、主は好きだよ」
「あ、僕も」
「もちろん、僕も」
「はい。僕も主は好きです」
「うん。……好き」
黙っていた鳴狐さえも好きだと主張する。
「でも、歌仙。あなたは……、あなたはきっと、僕らの好きとは違う“好き”を、もう知っているでしょう? 歌を主に贈ろうとしているでしょう?」
「お小夜? どうしてそれを知って……」
「雅なものを見た時は素直に口に出すのに、どうして主の前では素直になれないんですか。今だって、あなたはあの審神者と山姥切国広に嫉妬しているのに……」
歌仙の時が止まった。
何度も目を瞬き、あー……、と気まずそうに視線を逸らした。
「……何で分かるんだい?」
「歌仙、自覚していなかったんですか。顔にも態度にも出ていましたよ」
「え?」
(何だって? 僕の気持ちはお小夜たちに筒抜けだったということなのか?)
「おもしろいものがみれました。岩融にほうこくしましょう」
「僕も薬研や他の兄弟たちによい話題を提供出来ます」
「歌仙君。この本丸は君が思っている以上に、主と君の行く末を見守っている刀が多いんだよ」
「青江、適当なことを」
「適当ではないです。本当ですよ」
「お小夜!?」
衝撃の事実に歌仙がよろめく。流し台に包丁が落ちた。
何故だ、隠していたつもりだったのに!
「文系だ理系だって言うけれど、実は意外に君たちは、何か通じるものがあるんだよねえ」
そうだね、と同調するのは歌仙以外の刀剣男士たちだ。歌仙はがっくりと肩を落とした。
(穴があったら掘って埋まっていたい)
誰かポーカーフェイスが上手い刀剣男士はいないものか。秘訣を伝授して欲しいものである。
「邪魔をする。美味い茶が飲みたいなら、ここに来ればいいと聞いたんだが……。ああ、そうだ。大包平はまだいないのか?」
初めて聞く声だ。歌仙たちは作業の手を休め、厨房の入口へ目を向けた。
「見ない顔だねえ。新入りかな?」
遠くから「どこいった新入り!」と呼ぶ声がする。鶯色の髪の持ち主は、微かに口元を綻ばせた。隠れていない左目は、気さくに声をかけた青江と――口をあんぐり開ける平野を捉えた。平野はまるで、幽霊でも見ているかのような表情をしていた。
「たった今、顕現された。古備前の鶯丸。名前については自分でもよく分からんが、まあよろしく頼む」