恋は熟れていた②


「そ、それは」

(どういう意味で……)

 は困惑している。
 口喧嘩をしていた相手が、今までの非礼を詫びると言ったかと思えば、

(告白?)

“ひとりの男”として、と歌仙は告げた。
 愛しているとも告げた。
 冷徹に渡さないとも告げた。
 それはつまり、

「わ、私、は――」

 生まれてこの方、告白なんてされたことはない――いや、冷徹の例があったか。軽い調子で「好き」と言われたが、歌仙のこれはまた違った。
 身体が急速に熱を帯び、の体温を上昇させる。頬に一気に熱が集まり、そのまま沸騰して湯気が出そうなほど真っ赤になった。そして、手を握っていることを思い出し、

「あ、あーっ!」

 目にも留まらぬ速さで手を引っ込めた。

「か、兼定、さん。その、私、」

(どうして……、私は、こんなにも慌てているの?)

 歌仙はの態度を気にすることもなく立ち上がった。その表情は何よりも優しく、穏やかで、ただを見つめるだけだった。彼女はその顔を知っている。雅なものを愛でる時の、花が綻ぶような穏やかな顔である。何よりも愛しいものを見守る顔である。

 嘘をついているようには思えない。

 ならば、自分も誠実に答えなければ。

 だが、言葉が見つからない。
 告白など初めてで、どのような返答をすればいいのか分からない。
 子どもが、犬や猫に向けるような無邪気な「好き」ではない。

(私、どうしてこんなにも照れているの?)

 どうしてこんなにも、

(嬉しいって、思うのだろう?)

 そもそも嬉しいという感情がどこから来たのか。

(……いえ。これは、脳の扁桃体が、前頭葉が海馬がドーパミンが――!?)

 様々な情報が頭の中を縦横無尽に駆け巡っていく。ついでに落ち着け、冷静になれ、何か話せ――と自身をつつくが、どうにも上手くいかない。

「ちょっと、待って下さい」

 と、は歌仙に背を向けて深呼吸を繰り返した。頬の火照りを冷ますために手で煽ってみるが、なかなか熱は引かない。歌仙はが落ち着くまで声をかけることはせず、その場で律儀に待っていた。
 数分後。やっとのことで冷静さを取り戻し、は再び歌仙と向き合う。だが、直に目と目が合ってしまったため、また狼狽えてしまった。今度は赤くならずに済んだが、代わりに心臓が早鐘のように打っている。

 審神者になる前のなら、冷徹の時のように「ご冗談を」とか「あなたに興味ないです」と返していただろう。だが、歌仙やたくさんの刀剣たちと暮らしていく中で、にも少し変化があった。

 愛の告白に赤面するくらいの感情が、発露したのだ。

「ええと。あ、ありがとう、ございます? ありがたいですけど、ええと兼定さんは、冷徹さんとの結婚には反対ってことですよね。ええ、そうでしょうとも」

 冷徹の時にはときめかなかった“結婚”なのに、歌仙から言われるとどうしてこんなにも魅力的に思えるのか。はまだ、それを理解出来ない。

「冷徹から逃げるための提案ではないよ。心の底から本気で言っている。結婚するなら、僕を相手に選んでくれ」
「け、けっこん!? 私のことを、ああ、愛している……というのは本気で……」
「そうだね。最近自覚した。きっと、多分、随分前から愛している」
「……」

 せめてオブラートに何重も包んで伝えて欲しい。「愛している」の言葉は、今のには効きすぎた。は無表情を貫こうとするが、今の歌仙の前では表情筋が休んでくれない。どうにも緩んでしまう。
 歌仙の瞳から目を逸し、は深く溜め息をついた。今は、まともに返事が出来ない。そもそも問題が山積みだ。

「――この件は、保留でいいですか? 冷徹さんのことが片付いてからでも構いませんよね」
「もちろん。今は、課題に集中してくれ。負担にはなりたくない」
「なら、せめて終わってから告白して下さい……」
「その時は、君はあの審神者に嫁いでいるかもしれない。――いや、君がしくじるとは思っていないけど。一応、ね」

 まるでチベットスナギツネのような目をから向けられたので、歌仙は慌てて一言付け加えた。

「それに、その」
「……」
「最高の近侍だの何だの言われたら、……舞い上がって、君の一面を僕だけが知っていると思ったら、いても立ってもいられなくて、」
「え!」
「伝えずにはいられなかったんだ」
「そ、そう、でしたか……それは、すみません」
「……」
「……」

 2人は赤面して黙り込む。初めて見合い相手と出会った男女のような初々しさがあった。

 一方、厨房でこの様子を見守っていた刀剣男士、山姥切国広は

「ああ、そうか。俺はこれが見たかったんだな」

 妙にすっきりとした顔をしていた。

「何。どうしたの、山姥切」
「山姥切国広だ」

 加州へ律儀に名前を訂正しつつ、山姥切国広は答える。

「……俺が近侍に志願したのは、主のことを知りたいから……。どうして俺のような刀に構うのか、不思議だった。こう言ってはなんだが、主はヒトと和気藹々と関わる人間には見えなくてな」
「あー。まあ、パッと見冷たい感じはするかも」

 俺も顕現した時はそう思ったよ、と加州が同調した。

「その理由が歌仙にあると分かっただけでも、近侍になった甲斐があった」
「へえ~。そんなこと考えてたんだ」
「まあな。それから、当面の目標も出来た」
「おっ、何々?」
「聞きたいのか?」
「そりゃあそうだよ。教えてよね」

 興味津々といった様子で加州が訊ねると、

「絶対にあの2人をくっつける」
「ははは、いいねえ。俺も乗る。俺は主のファンなんだよねー。幸せを祈るガチ勢ってヤツだから」
「そうか。なら、俺もあの2人のふぁん、みたいなものか」

 山姥切国広は彼にしては珍しく、はにかみながらこう宣言したのだった。

 余談だが。この告白の一部始終は、が厨に持ち込んでいたタブレットで、にっかり青江の手によって録画され、別のメディア機器に保存された。その後、怖いもの知らずの刀剣男士によって密かな鑑賞会が開かれた(厨の前で、それも他の刀剣男士がいる前で告白したのだ、茶化して下さいと言っているようなものだ)。それを知った歌仙がタブレットの画面をかち割り、それについてが叱るのは、また別の話である。


***


 さて、と歌仙は、何もなかったというていで厨に戻ってきた。青江たちは気を利かせて先程の件に触れず、別の話題をに振る。

「そういえば、主はもう、今日の課題はお終いなのかい?」
「いいえ違いますよ、にっかりさん。休憩がてらお茶を飲みに来たんです。これが終わったら、3つ目の課題になります」

 鶯丸を鍛刀した。次の課題はまだ知らされていないという。

「おや。もう2つも課題を済ませたのかい?」

 歌仙の疑問ももっともだ。鍛刀の他に何か課題があったというのか。

「ええ。1つ目が鍛刀。2つ目は、レポートでした」

 はテーブルに置いてあった自分のタブレットを引き寄せ、『時間遡行軍と検非違使。それぞれの目的と考察』というタイトルのテキストファイルを開いた。

「これは、冷徹さんに出されていたレポート課題です。締切は彼が指導に来る日。つまり、昨日までですね」

【課題②刀剣男士や遡行軍など、この度の戦争についての考察をまとめ提出せよ】

「『常に俯瞰して物事を見よ。それは、戦いの指揮を執る審神者に必要なものである。そして、敵を知ることによって戦況を有利に導くべし』。というのが冷徹さんの弁でした。私たちは書類仕事も多いですし、膨大な報告書に目を通して書き上げなければなりません。ですので、今回はこのようなテーマでまとめてみました。いかがでしょう?」
「いかがでしょうって」
「めがいたいです」
「アリが歩いているようですね」

 加州と今剣、鳴狐が思い思いの感想を口にする。文字数はおよそ3万字。原稿用紙に換算するならば、75枚ほどである。細かい文字と難しい言葉の羅列は、刀剣男士たちへ頭痛を促した。

「君、こういうのは得意だよね。ご丁寧にグラフまで入れて……」

 歌仙は素直に感想を述べる。

「恐れ入ったよ」
「あり、……んん! ありがとうございます」

 咳払いをし、は調子を取り戻す。先程の件は保留。不自然な態度になってはいけない。

「レポートに凝ってしまって、完璧を目指そうとすると、時間が過ぎてしまうんですよね」
「だから君、いつも報告書がぎりぎりなんだよ」

 そうすれば、3日連続徹夜をしなくても良くなるだろうに。

「ああ、なるほどね。主が徹夜するのは凝り性だからか。分かるよ、俺も爪の塗りがビミョーだとやり直すし」
「それ同じなのか?」
「似たようなもんでしょ。あんただってさ、そのボロ布にはこだわりあるんでしょ?」
「まあ、な。そうか。同じ、なのか……」

 組んで近侍をしているためか、加州と山姥切国広は大分打ち解けてきたようだ。それを微笑ましく思いながらも、は話を続ける。

「この課題は冷徹さんと、私の担当の政府職員と、その職員の上司にあたる方の3人に判断してもらいます。優・秀・良・可・不可の5段階評価ですが……大学を思い出しますねえ、これ」
「それで、結果は出たの?」
「ええ。冷徹さんは不可。担当の方からは優。上司の方からは不可をいただきました。ですので、課題の2つ目は、達成ならずです。大変残念ですが、不可と言い渡されたからには受け入れるしないでしょう」

 本当に残念です、とは寂しそうに笑う。
 この場にいた刀剣男士全員は、もちろん不満を募らせた。
 あの男審神者め、と。
 ろくに読みもせずに不可としたに違いない、と。

「それって……」
「ずるくない?」
「ずるいな」
「こんなにたくさんかいているんですよ? 主さまがんばったのに。なにがかいてあるか、ないようはさっぱりわかりませんけどね」
「やり直しを要求したいな。ま、内容はさっぱり分からないけどね」
「気を落とさないでくださいませ、主殿。これほどの力作を不可とは、彼らには見る目がありません。れぽおとの内容は、鳴狐にもさっぱり分かりませぬが」
「首なら落してくるよ。まずは冷徹がいいかい?」
「復讐なら任せて……」

「皆さん大変ありがたいですけども、その、落ち着きましょうね?」

 殺気を身に纏う歌仙たちを必死に宥めながらも、彼らと離れるわけにはいかないな、と改めて決意するのだった。


***


 手合わせに使う鍛錬場にて、冷徹と再び合流した。その横には、山姥切国広と加州清光、そして今まで姿を見せていなかった歌仙兼定が控えていた。
 冷徹は歌仙を一瞥すると、小さく舌打ちをした。歌仙はそんな冷徹に気付くが、特に反応はせず、あちらから向けられる“忌々しい”といった視線を黙って受け止めていた。他の本丸の審神者に危害を加えるつもりは毛ほどもない。向こうから武力に訴えてこない限りは。そもそも、こちらの立場をこれ以上危うくしたくない。冷徹の裁量でが審神者を辞めて嫁に行くかもしれないのだ。下手に動けない。

(そもそも何で敵意を向けられるのか……。いや、あの審神者も主を好いているんだったな。他の男に囲まれていたら気が気でない、ということか)

 冷徹の近侍として、彼の一番近くに控えている蜂須賀虎徹の姿を見つけた。蜂須賀は歌仙の姿を見つけて微笑んだので、歌仙も微笑みを返す。向こうの刀剣男士とは親しくなれそうだが、その主が特に歌仙を敵視するのが解せない。

(どうにも僕くらいだよね、あんな態度なのは)

 視線に殺傷能力があれば、自分は破壊されているのだろうなと思いつつ、歌仙は試しにの傍に更に寄ってみた。冷徹の眉間のシワが深くなった。

(ふうん? となると)

「主、髪にゴミがついているよ。ああ、動かないで。僕が取る」

 髪にゴミがついているなんて嘘なのだが、断りを入れて髪を掬う。そっと様子を窺えば、やはり冷徹は歌仙を睨めつけていた。眉間のシワは更に深くなっている。

「取れました?」
「ああ、大丈夫」
「……随分仲が良いようだね」
「え?」
「また彼が近侍なのか」

 冷徹が我慢出来ないといった様子で口を挟んできた。

「いえ、ついてきたいと言うので。別に、良いでしょう? ここは私の本丸です。別に、不都合などないでしょう?」
「それは……、そうだが。はあ……まあ、いいか。今回の課題はオーディエンスがたくさんいた方がいい」
「何故です?」

 冷徹はそれには答えず、

「審神者たるもの刀剣男士、ひいては刀剣の知識に博覧強記であるべし。というわけで、今から君には刀剣男士に関するクイズに挑戦してもらう」

 という前置きを述べる。
 は呆気にとられた。これまでの傾向とは少し違うような気がしたからだ。

「クイズ」
「ああ」
「く、クイズ?」
「ああ」

【課題③刀剣男士に関するクイズに全問正解せよ】

「ちなみに早押しクイズ」
「早押し」
「対戦相手は僕だ」
「え。あなたと対戦なんですか」

 驚いているのはだけではない。歌仙も加州も山姥切国広も、ぽかんとして冷徹の言葉を反芻していた。一体どうして早押しクイズなのか。

「早押しクイズ用の機械もこちらに導入している」

 冷徹が指し示す先には、テレビ番組で見かけるような、赤ランプと連動した押しボタン付きの筐体が鎮座している。ご丁寧に2つも。これを見た瞬間、は頭かぶりを振った。何故だ。頭痛がしてきた。確かに鍛錬場に運びたいものがあるとのことで許可を出したが、まさかこのようなものだったとは。

「冷徹さん、もう一度言います。これが3つ目の課題ですか」
「ああ。ペーパーテストをしてもつまらないし、気分転換になると思うんだが」
「宴会の余興じゃないんですよ」

 困惑する歌仙たちは、

「……あの男審神者、」
「何だい加州」
「もしかすると、頭のいい馬、」
「雅じゃないな、自重してくれ」
「うましか……」
「山姥切国広! 読み方を変えても駄目だ」

 こうして、前代未聞、最初で最後の刀剣男士早押しクイズが開催されようとしていた。