【急募】恋人同士っぽいやりとり④
3月――。
雄英高校の卒業式と、終業式が終わった。来月の入学式に向けて、私たち教師も色々やることがあるわけで……。
「ちょっと今年の担当について相談なのさ。まあ、かけて」
「は、はいいい!」
うちの校長――根津校長先生は、ネズミだ。“個性”が動物に発現した、世界でも珍しい存在の方だ。
校長先生には感謝している。私のようなヒーローを教師としてスカウトしてくださったのだから。教育者としてのお考えも素晴らしい。尊敬している先生のひとりだったりする。
「相変わらず昔から緊張しやすいな、君は。別に取って食いやしないのさ」
「あはは……、すみません……」
校長室にひとり呼ばれて緊張する私。いや、だってしょうがないよね? 偉い人に呼び出されると「私、何かやらかしたかな」って不安になるのは、しょうがないよね? え、私だけかな?
さすがに“個性”は発動しないから、安心して欲しい。これとはもう20数年との付き合いだし、イレイザーさんをいつまでも頼ってはいられない。
言われたとおりソファに腰を下ろして、校長先生と対面する。
校長先生自ら淹れてくださったお茶を飲みながら、ちょっとした面談が始まった。
「さっきも言った通り、教師を1年やってみて、どうだったか聞きたいのさ」
「はい。そうですね……、私自身、とても勉強になりました。他の先生方に比べたらヒーローとして活動してきた年数は少ないと思いますが、その経験を人に教えて、それが受け継がれていくと思うと、とてもやりがいがあって――」
そうやって、様々な話をした。途中、校長先生の教師論が入ってきて随分長く語っていらっしゃったけれど、とても有意義な時間だったと思う。
3杯目のお茶を飲み終わったところで、校長先生がこんなことを言わなければ。
「じゃあ、今年は担任でもやってみようか」
「え?」
「それか、副担任になるのもひとつの手なのさ」
「え?」
……え??
***
結果から言えば、私は担任にも副担任にはならなかった。
「ヨカッタ……」
「よかったのか?」
「緊張のたびにスライムになる担任って嫌じゃないですか? 私は嫌です」
「キリッとした顔で言うことでもないよな」
イレイザーさんからキレのいいツッコミを貰ってしまった。
いや、あの、よっぽどでない限りちゃんとコントロールはできてますよ? あくまで例えばの話!
「……よくそれで1年教師が務まったな、」
「はははは、私もそう思います。あの、向上意欲がないわけではないんです。私もヒーローとして経験したことを、これからヒーローを目指す子どもに教えたい。そう思っているんですけど……、担任とか役職みたいなのがつくと胃が痛むというか……」
今日は久しぶりにイレイザーさんと一緒に帰れることになった。かなり嬉しい。スキップしたくらい嬉しい。うん、実際にやりません。子どもじゃないし。絶対引かれるし……。
「慣れたらどうにかなりますかね?」
「慣れの問題なのか?」
イレイザーさんとの会話は、付き合う前と変わらない。仕事の話が大半を占める。変わったことと言えば、メールのやりとりが増えたこと、だろうか。イレイザーさんとのメールは「今日もお疲れ様です」「おやすみなさい」くらいしかないし、向こうからも「ああ」「そうだな」「お疲れ」くらいしかないんだよね。
きっと合理的ではないと、思ってるんだろうな~。
でも、イレイザーさんははっきり言う人だ。やめて欲しいなら初日の時点で言ってるよね。きっと、恋愛かどうか真面目に検証しようとしてるから、付き合ってくれてるだけだろうね。
それはそれで寂しいものだと思っていたら、ぐう、とお腹が鳴った。途端にかっと顔が熱くなる。
「き、聞こえました?」
ああ! 空気を読まない私のお腹の音! もう、何でまた鳴るかな?
駅近くは外食店が多いからね、いい匂いがあちこちからしてる。鼻が休まらないよ。
「ああ、いつ聞いても豪快だ」
「すみません……」
「生理現象は仕方ないだろ。飯、ちゃんと食ってんのか」
「食べてます……」
イレイザーさんの中で、腹ペコキャラに認定されていたら悲しいな。
早く帰ってご飯食べよ、とお腹をさすっていると「寄ってくか」とイレイザーさんが提案してくれた。え、寄ってく? 寄ってくって、まさか。
「ご飯、ですか」
「嫌か?」
「嫌じゃないです! 是非! え、本当にいいんですか!?」
「ああ」
こんなご褒美をいただいていいのだろうか……。
「なんか、一緒にご飯食べて帰るって、いいですね」
正直な感想を口にしたところ、イレイザーさんは少し不思議そうな顔をして「そういうものか」と言った。
「はい! 恋人っぽいです」
「恋人じゃなくても同僚となら飯くらい行くだろ」
「でもイレイザーさん、他の先生方が飲み会とか誘っても毎回断るじゃないですか。だから、結構嬉しいんです。こうやって帰るもの、ご飯食べるのも」
にこっと笑ってみせたら、イレイザーさんは目を逸した。え、何で。いつも目を合せてくれるのにおかしいじゃないですか!
「イレイザーさん?」
「いや、……あっちにラーメン屋がある」
指差した方向には、確かにラーメン屋さんがあった。あ、いい匂い。ますますお腹空いてきた……。
「じゃ、今日はラーメンで! そうしましょう! 行きましょう!」
イレイザーさんとご飯食べるなら、どこだっていいや。むしろ、ここでイレイザーさんがちょっとお高めの外食店とか選ばなくてよかったなと思う。そういうお店だと身構えちゃう。食べ方汚くないかなとか、テーブルマナーとか気になるんだよね。
うん、仮の恋人だとしても、やっぱり嬉しいものなのです。
店内は食欲をそそるような、いい匂いで充満している。あちこちで湯気がたっていて、麺を啜るいい音がしていた。店員さんの挨拶にも活気もある。
「あ、先に食券買うタイプみたいです。何にしようかな。あ、つけ麺もあるのか。うーーん、でもなー」
「決まった」
「イレイザーさん早い!」
お店に入って5秒くらいじゃないですか!?
「こういうのは、おすすめから選んでおけばいいんじゃないか」
「そうかもですけど……、私の今の気分はその味ではなくてですねー」
色々悩んだ末に私も決めた。鞄から財布を取り出す。
「五目塩ラーメンにします――って、イレイザーさんお金!」
何でそのまま私に順番譲らないんですか!? お、奢られてしまったじゃないですか!
「まあ、このくらいは奢らせろ」
「えーーー? そんな、私も仕事してますし!」
「俺は先輩。お前は」
「後輩です。でも、」
「これ以上の議論は非合理だ。後ろがつかえてる」
振り向けば2、3組くらいの人が並んでいて、こっちを見ていました。……はい、すみません……。
「ごちになります……」
「ああ」
ということで、一食分のお金が浮いてしまった。これラーメン屋さんでよかった。お高い店だったら申し訳なさで死んでた……。
店員さんに案内されて、私たちはカウンター席に座った。
「イレイザーさん、今度からは割り勘か別々に支払わせてくださいよ。気軽にご飯行けなくなります」
「考えておく」
「あ、これ聞き入れてくれないパターン」
ジャージャーと野菜を炒める音がする。カウンターを挟んで向こう、厨房で店員さんがラーメンを作っているのだ。お腹空く音だー。チャーシューの匂いもする。この醤油の香ばしさが堪らない。
イレイザーさんのコップの水が少なくなっていることに気が付き、私はピッチャーに手を添えた。
「おかわりどうですか」と訊ねれば、イレイザーさんは「貰おう」と一言。とぷとぷ、音を立てながら水を注いだ。
「そういえば、」
「はい?」
「さっきの話だが、続きはあるんだよな」
「え、割り勘の話ですか?」
「違う。結局、お前は来年度、担任にも副担任にもならないって話だ」
「あ、それですか」
そっか、仕事の話でしたか。
「えーと、校長先生曰く『そのあがり症を治すためにも、副担ならぬ副々担をやってほしいのさ』というお話で」
「ふく――何だって?」
「副々担任です」
何だって、ってなりますよね。分かる。私も聞き返した。
「1年A組とB組の補佐、ですね。というか主にオールマイトさんのフォローといいますか、はい。あがり症を少しでも緩和させて、人前に慣れるようにしていくそうです。ありがたいですよ、本当に」
普通はここまでしてくれるものだろうか?
「校長先生には感謝してもしきれません」
「そうか……」
イレイザーさんは何かを考えるように目を伏せた。
「お前、その緊張する癖――あがり症は、何か原因があるんだよな」
「え? ああ、多分?」
「いや、何で疑問形で返すんだ」
「私もはっきりこれだとは分かっていないというか、なんというか」
思い当たる節はあるのだけれど、でもそれって「家庭の事情」ってやつなわけでして、はい。それをイレイザーさんに話してもいいものなのか。
そうなると、うちの家族のあれやこれやを話さないといけないわけでして……。うーん、話が長くなるし、あんまり楽しい話じゃないんだよね。
「家族が関係してくるので、話は複雑になるんですが」
重たい口を開いたところ、タイミングよく「お待たせいたしましたー!」と元気のいい店員さんがラーメンを運んできてくれた。あ、美味しそう。
「イレイザーさん、ラーメン伸びちゃいますよ。食べましょう!」
「……ああ」
わあ、渋々って感じの返事が来たぞう! だって仕方ないじゃないですか。伸びて冷めたラーメンなんて食べたくないですよ、私。
イレイザーさんに箸を渡して「いただきます!」と手を合せた。
ラーメンから立つほかほかの湯気を顔に受けながら、私はふーふー、息を吹きかけて麺を冷ます。
「猫舌か?」
イレイザーさんは既にラーメンを啜っていた。そっちのラーメンも美味しそうだな。今度来た時、そっち頼んでみようかな。
「そうなんですよ~。こういうのは温かいうちに食べた方が美味しいのに。猫舌なばかりにいつも――あっち!!」
「言ったそばから」
慌てて水をがぶ飲みした。あー、どうしてイレイザーさんといる時にこんな失態を演じてしまうのか! 恥ずかし……。そして舌が痛い。
「落ち着いて食えよ」
「火傷しましたこれ……」
ヒリヒリする舌を出して指で触った。
「ひれひひゃーひゃん(イレイザーさん)。ひひゃ(舌)、あひゃく(赤く)ひゃっへみゃひぇんひゃ(なってませんか)?」
横にいるイレイザーさんの方を向けば、無言でこちらを見つめていた。
数秒の沈黙のあと、
「さあ、とりあえず氷でも口に入れておけばいいんじゃないか」
なんて素っ気ない返事がきた。こんなドジをしでかす私に呆れてしまったに違いない。
「ですよねえ……」
もう、情けない声しか出なかった。
うーん、落ち着きのある大人になりたい。