【急募】恋人同士っぽいやりとり⑤

 お店を出た頃、辺りはすっかり夜になっていた。

 ラーメンで満たされたお腹を抱えて、私たちは駅へと向かう。火照った身体に夜風が気持ちいい。

 大通りはにぎわっていて行き交う人が多い。今から帰るのだろうか、それともこれから飲みに行くのだろうか。家族、友人、仕事仲間、恋人……。すれ違う人々の笑顔が嬉しくて、少しだけ口元が緩んだ。

 ああ、私。この笑顔のためにヒーローになったんだよなって。
 今は教師だけど、ヒーローであることには変わりない。

「どうした?」
「いいえ、何でもないですよ。あ、今日はごちそうさまでした、イレイザーさん」

 私は隣を歩くイレイザーさんに、ちょっとだけ抗議めいた言葉を送る。

「今度は割り勘か、お会計別にしてくださいね」
「またその話か。善処する」
「絶対考えないやつじゃないですか~。私だって仕事してるんですから。自分の食事代くらいは払えますからね」
「……今度、か。今度も誘ったら受けてくれるのか」
「それは」

 それは、そうじゃないですか。
 プライベートでもイレイザーさんと一緒にいられるの、嬉しいに決まってるじゃないですか。

「か、仮の恋人ですので。検証に付き合うのは当然です!」

 素直にそんな心の中を明かすのは、胸がそわそわ落ち着かなくなるから。だから、こんな可愛くない返事をしてしまう。

「それもそうだな。その調子で頼む」

 なのに、イレイザーさんはあっさりと納得するし。あー、なんか悔しい、かも。「はい。お任せ下さい」なんて、かしこまった言い方をした直後。

「きゃああああああああ!!!!」

 女の人の悲鳴が辺りに響いた。
 私はすぐに周囲を警戒した。

「あそこだ」
「イレイザーさん」

 視線で教えてもらった。その先には、男に羽交い締めされナイフを首筋に突きつけられている女性が! あれは“個性”でも使っているのだろうか、手が刃物に変形している。

「動くな! こいつがどうなってもいいのか!!」

 こんな大通りのど真ん中で事を起こすなんて、よっぽど自分の“個性”に自信があるのだろう。

 まだヒーローは駆けつけてこない。事件が起こったばかりなんだ。雄英の教師として、彼らが来るまで待っているなんてできないよ。

 人質を取られている以上、下手に動けない。

 だけど今、私の隣には――、

「俺が“個性”で奴を無効化する。その間にお前は、人質を助けろ」
「はい! 人質の確保を優先します」

 抹消ヒーロー、イレイザーヘッドがいる。

「お前が犯人の後ろに回った頃、“個性”を使う」
「了解です。そしてイレイザーさんが犯人を捕縛、ですね」

 シンプルな作戦だ。イレイザーさんは短くうなずくと、ゴーグルをした。同時に、私は彼の視界に入らないようにして“個性”を発動させた。

 全身をスライムに変えて、道路を這う。遠巻きにしている人たちは、犯人にばかり気を取られているから、きっと私の姿は目にも留まらないだろう。気付いたとしても、水溜まりくらいにしか見えないはず。
 ……ここで重要なことに気付いてしまったけど、今はスルーで。人命が大事だ!

 スライム化すると動きが鈍くなってしまう。なるべく犯人たちに近いところで“個性”を使ったから、背後に回るまでは早かったと思う。

「な、何だ!?」

 犯人の戸惑う声。“個性”が抹消され、ナイフから人間の手に戻っている。

 ――今だ!

 私はスライム化した状態で女性を包み込む。一瞬、身体に衝撃があった。犯人が殴ったのだろうか。でも、衝撃を吸収しているので痛くも痒くもない。よかった、人質に怪我はない。

 女性は再び悲鳴をあげかけたけど、すぐに何かに気付いて口元を押さえた。あ、申し訳ない。呼吸を確保するために顔は包み込まないように配慮してます。

 見ようによってはスライムに食べられた人間、またはゼリーの気ぐるみ状態だ。絵面が酷い。

 遠巻きに見ていた群衆から歓声が上がった。多分、イレイザーさんが捕縛布で犯人を捕まえたのだろう。
 遠くでパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。

「ママ!」

 人混みを掻き分けて子どもが飛び出してきた。

『息子さんですか』

 私の問いに女性は「はい」と答えた。

「ありがとうございました……。あの、さん、ですよね」
『私のこと、ご存じでしたか』

 同じ雄英の教師である13号さんのように、私は災害救助を主として活動しているヒーローだ。

 正直言うと、メディアに取り上げられる私の姿、スライム化している時が多いうえに目立った活躍をしていないので、世間では結構マイナーなんだよね。人型だとだって分からないらしくて。だから、女性が私のことを知っているのに驚いた。

「以前、テレビ中継で見かけました。スライムの姿で人を包みこんで、瓦礫から守ってくださっていたので……。フォルムも丸くて可愛いですし、一目惚れしまして」
『あ、ありがとうございます!』

 なるほど、だから悲鳴をあげなかったのね。ファンの方を助けるとは、こんな偶然あるんだ。大抵は怖がられちゃうんだよね。さっきも言ったけど、絵面が酷くてね……。

「あなたのグッズ、集めていたりするんですよ。『のプルプル水まんじゅう』美味しいですよね」
『あれですか! 見た目と味でご好評を頂いてます』

 一番売れたって事務所のマネージャーが言ってたな~。

 私は女性から離れた。私の意思が働いているので、衣服は濡れたりしません。

「ママ! よかった!」

 小学1年生くらいだろうか。息子さんは女性に抱きついて、泣いていた。

「もう大丈夫。さんが助けてくれたからね」
「ママの好きなヒーロー? あ、この人? 本当にスライムだ! ゲームで見たのとそっくり!」

 私はスライムの姿のまま、ふるふると揺れた。こうすると子どもが喜んでくれることを知っているから。そして、手を作って頭を撫でてあげた。プルプルとした感触が気持ちよかったのか、その子は目を細めて笑った。

『悪い人は私と、イレイザーヘッドが捕まえたからね』

 特に「イレイザーヘッド」の部分を強調しておく。そう、一番の立役者はイレイザーさんだから。

 そういえば、イレイザーさんはどこに行ったんだろ……、あれ、いない?
 辺りを見渡してもいない。

 あ、いた! こっち来た。


『イレイザーさん! ありがとうございました』
「犯人は警察に引き渡した。帰るぞ。元に戻らないのか」

 あ、それは。

『えっとー、あのー、戻りたいんですけど……』

 いや、あの。助けなきゃと思って、今の自分の格好を考えていなかったので、はい。

『私、ヒーローコスチュームをメンテナンスに出していて、私服でいることをすっかり忘れてまして……』

 重要なことに気付いたってのは、そう、これでして……。

 私の“個性”は発動すると服が脱げてしまう上に、人型に戻らないと着替えられないっていう欠点がある。コスチュームはそれを考慮した作りになっているから脱げないんだけど、今は何の変哲もない私服なので、はい。

『今、戻ったら、素っ裸になるんですよ……』

 イレイザーさんが眉間にシワを寄せた。

「……」
『……』
「服は」
『こっそり回収はしたんですけども』
「……」
『……』

 イレイザーさんは溜め息をついて私を地面から抱きかかえると、

「まったく……しょうがない……。どこか着替えられる場所まで連れて行くから、3秒で服着て出てこい」
『そんな、例の映画でも3分くらいは待ってくれるのに!』

 あ、若干殺気立っていらっしゃる! すみませんでした!

『イレイザーさんすみません!! 駅の多目的トイレなら多分大丈夫です!』
「まったく、手のかかるヒーローだよ、お前は」

 今日の格好を配慮していなかった俺にも非はあるが、とイレイザーさんは呟いた。

「何はともあれ、だ。お疲れ」
『はい! お疲れ様でした!』




 その後、着替えて無事に帰った私。
 だけど、さあ。イレイザーさんにまた呆れられたのではなかろうか……。
 仮の恋人ではあるけれど、恋人らしいことをするどころか、好感度下げてないかな。ヒーローとしても今回の失敗はどうかと思うし。

 え、大丈夫だろうか私……。