後悔しないように、②
「さっきの、一体何だったんですか!?」
これは――、1年前の記憶。
「イレイザーさん! いくらなんでも、除籍はやりすぎでは!?」
前を歩く猫背の教師に、私はとうとう意見してしまった。
今にして思えば、随分思い切ったことをしたものだ。この時の私の声は震えていて、緊張のあまりスライム化する一歩手前だった。
イレイザーさんは何も言わず、廊下を歩いている。立ち止まる気配はない。
「ついこの間まで中学生だったんですよ!? 厳しすぎます! あの子たち泣いてました。可哀想じゃないですか!!」
ぴたりと。彼の足が止まった。非常に緩慢な動作でこちらを振り向くと、
「……ついこの間まで中学生だった、ね?」
その部分だけわざと強調して繰り返してきた。
「な、何ですか……」
「そのうえ、カワイソウか」
「……」
イレイザーさんはつかつかと私に歩み寄ると、私を無表情に見下ろした。
「俺たちは3年間という限られた時間で、あいつらをプロヒーローにしなければならない。まだ学生だから、子どもだから、大目に見ろと? 敵も一般市民も、そんなところ考慮なんてしてくれない」
淡々と淡々と。イレイザーさんは言葉を紡ぐ。
「生半可な気持ちでヒーローやってみろ。相手どころか自分の命さえも落とす。誰も救けられない。生徒たちをそうさせたいか? そんなヒーローにさせたいか?」
「…………いいえ」
痛いくらいの正論だ。
お前の主張は子どもの駄々と同じ。
そう詰られているようだ。
「俺はお前を『新人』として甘やかす気はない。雄英ここで教えるとは一体どういうことなのか、考えろ」
去っていく背中を、私はただ見つめるしかなかった。
◆◇◆
『――っ! がはっ!』
肺が酸素を求めている。痛い。全身が痛い。立ち上がれすぐに。この身体、スライムだ。――気絶の直前、スライム化していたせいで衝撃はある程度吸収されていた……? 瓦礫の隙間から這い出しスライム化を解く。
「くそ、気絶してた!」
何があった。何をされた。思い出して。
「脳みそ剥き出しの変な敵ヴィランにブッ飛ばされて……生徒たちは!」
どのくらいの距離を飛ばされていたんだろう。気絶するくらいの強烈な一撃喰らって――、情けない。
噴水付近へ急ぐ。生徒たちは避難できたんだろうか。助けは呼べているんだろうか。イレイザーさんはどうなっている?
――敵は私が復活したことに気付いていないはず。奇襲を狙ってもいい。戦闘の音が聞こえる。土煙が見える。見えないであろう位置ギリギリまで近付いて、私は再び“個性”を使ってスライム化した。
そこで見えてきたのは――
『ああ!』
あの脳みそ剥き出しの敵に捕まって嬲られるイレイザーさんだった。
顔面を地面がひび割れるまで打ち付けられている。イレイザーさんはボロボロだ。あの敵、パワー型だけど桁外れの力を持っている。
『やめて、』
やめて! やめて!
このままじゃ死んでしまう!
イレイザーさんが死んでしまう!
激しい怒りが身を包む。脳が、全身が、沸騰しそうだ!
どうすれば救けられる? どうすればいい? 考えろ。考えろ。
今の私には何ができる?
どうすればイレイザーさんを救けられる?
生徒たちを助けられる?
敵を蹴散らせる?
「死柄木弔」
この敵のリーダーらしき男のところに、黒い霧が現れる。
「黒霧。13号はやったのか」
「行動不能にはできたものの、散らし損ねた生徒がおりまして……。1名逃げられました」
死柄木弔と呼ばれた男は、信じられないとばかりに「は?」と聞き返し、やがて長い溜め息を吐き出した。そのまま、苛立ったように顔を掻きむしる。
「黒霧、お前……。お前がワープゲートじゃなかったら粉々にしてたよ……。さすがに何十人ものプロ相手じゃ敵わない。あーあ……。今回は・・・ゲームオーバーだ」
ゲーム、オーバー?
「帰ろっか」
か、帰ろっか?
帰るって言った?
この状況で? オールマイト狙いって最初に宣言してたじゃない?
――嘘だ。何か仕掛けてくる。
何が起きる? 何を予想すればいい?
周囲に素早く目を走らせる。水難ゾーンエリアのプールに生徒が3人いる。あの子たちが一番イレイザーさんに近い。敵にも近い。まずい。直感が告げる。あの子たちが危ない。どうしてそう思うのか分からない。けれど、敵が何もせずに帰るわけがない……!
私はスライム化を解いて疾走する。ダメ。この距離だと間に合わない。
「――けどもその前に。平和の象徴としての矜恃を少しでも」
死柄木の手が蛙水さんへ向けられる。
「へし折って帰ろう」
奴の“個性”が何かは分からない。
けれど、触れさせてはいけない!
でも、この距離じゃ私は間に合わない!
瞬間、死柄木の手が止まる。
「……」
束の間の静止。
“個性”が発動しない。
何故?
ああ、まさか、
「本っ当、かっこいいぜ」
「イレイザーヘッド」
直後、鈍い音が鳴り響く。イレイザーさんがまた地面に叩きつけられたのだ。
じわじわと理性が怒りに侵食されそうになる。ダメだ、怒りに身を任せるな。
イレイザーさんの“個性”抹消で生まれたチャンス! これを逃してはいけない!
「手っ……、放せぇ!」
緑谷くんが大型の敵に殴りかかっていく。
その姿はオールマイトを想起させる。
「脳無」
死柄木が大型の敵に命令する。緑谷くんの強烈な一撃は、しかし死柄木の盾になったあの敵には通じてなかった。
「いい動きをするなあ……。スマッシュって……、オールマイトのフォロワーかい?」
蛙吹さんが緑谷くんに向かって舌を伸ばすのが見えた。まだ死柄木の手は蛙吹さんから離れていない。
「まぁ、いいや君」
私にできるのは……、まずは死柄木の足止め! そして生徒の救出!
私はスライム銃を死柄木の手に向かって2発放つ。
「! お前」
ばしゃり、音を立てて両手に命中。直後、忌々しげに死柄木が私を睨む。
「次から次へとプロヒーローめ……」
スライムで固めたはずの手はすぐに復活した。ボロボロとスライムだけが崩れていく。1秒にも満たないかもしれない。それでも隙は隙だ。
私は片手をスライム化させ、限界まで腕を伸ばす。蛙吹さんと緑谷くんの盾となるために。あの脳無とかいう敵の攻撃を吸収しきれないかもしれない。
だけど、私は彼らを守りたい。彼らは私の――私たちの生徒だ!
死柄木の手がスライム化した私の腕に触れた。塵になって崩れていく。これが死柄木の“個性”?
「っ!」
スライムになっているから血は出ていないが激痛が走る。水分が抜けていく。
それでも私は絶対に引かない。
もう片方の手もスライム化させる。緑谷くんと脳無の間に滑り込む。引き剥がせるか分からない。いざとなったら緑谷くんを包んで攻撃に備える。
攻防入り乱れる緊張の一瞬、
バアン! とUSJ中に大音量が響き渡る。
「もう大丈夫」
……ああ、これほど力強い「大丈夫」があるだろうか。
「私が来た」
オールマイトさんが、平和の象徴が。
――救けにきてくれた。