無駄なんかじゃない
「おはようございます、先生」
「オハヨー!」
「剛田くん、針皮さんおはよ! 今日も元気だね! この間相談してくれたやつ、解決したの?」
「あの……」
「あ、君は確か普通科の鏃さんだね。何かあったの?」
「先生いるー?」
「鏡見さん、どうしたの? 授業分からないところあった?」
「――お前、もしかして全員の名前覚えてるのか」
放課後の職員室。鏡見と呼ばれた女子生徒を見送ったは、俺の質問に「はい! 覚えてますよ!」と元気よく答える。
「とはいえ、まだ経営科とサポート科の生徒は全員名前を覚えきれていないんですよね」
「生徒何人いると思ってんだ……」
オレもさすがに全員は把握していないぞ。
「合理的、じゃないですよね」
は気まずそうに笑った。
「無駄ですかね。生徒全員の名前を覚えるくらいなら、もっとやるべきことあるだろ、みたいな」
「よく分かってるじゃないか」
でも、と俺は続ける。
「お前の目指す教師像では、それは無駄なんかじゃない。必要なことなんだろ?」
「――はい! そうなんです!」
は目を輝かせ、こちらに身を乗り出す。
「生徒とのコミュニケーションの一種、みたいなものです。私、担任持ってないから、授業以外で生徒と話す機会ってそうそうないんです。だけど、名前を覚えて『君のこと知ってるよ』『気にかけてるよ』って……。『独りじゃないよ』って思ってもらえたらいい。もしも生徒のひとりが悩んでいて、でも誰に相談していいか分からない時に、まず真っ先に私を思い出してもらえたらいいな、とそう考えているんです。ええと、つまり窓口みたいなものですよ」
中には「救けて」と言えない子もいるから、とは苦笑する。
それは、の体験談か? いや、何だっていいか。
「それに、無駄と言われても続けるつもりでいましたから」
「そうか」
好きにしたらいい。それが、お前の目指すべきものだと思うなら、貫けばいい。
「それなら尚更、誰に何と言われようとも曲げるなよ」
「! はい、ありがとうございます!」
***
「はー、緊張したーー!」
あれからまた新しい年が来た。
「今年もやってんのか」
授業を終えたが机に突っ伏している。相変わらず、緊張ばかりしている奴だな。
「あ、イレイザーさんお疲れ様です。あれとは……?」
「生徒の名前覚えてるのか」
「ああ! はい、もちろん。今年は副々担任ですし、もう真っ先にヒーロー科A組B組共に覚えましたとも! ふふん、私の記憶力舐めないでください」
「舐めてはない」
そうか、続けていたか。
A組の奴らは気付いてすらいないだろうな。初めて話す人間の場合、まずは相手の名前を呼んで、会話をしているということに。
「実はですね、学年上がった生徒に相談受けたりもしてるんですよ。私が目指す教師像に一歩近付いていってる感じがします」
「そうか」
「イレイザーさんが『誰に何と言われようとも曲げるなよ』って言ってくれたので、頑張れたんだと思います。イレイザーさんのお陰です」
「…………そうかよ」
俺のお陰? 違うだろ。それは、お前の力だ。
俺なら絶対に取らない方法だ。いや、できない方法だ。だが、そういうことをやる奴がひとりくらいいてもいい。
そして、素直で、前向きに挑戦していけるのが、きっとお前の強みなんだろう。
「何でイレイザーさん目を逸らすんですか……」
「自分の胸に手を当てて考えろ」
「ええ……」
そういう意味では、お前はすごい奴なんだよ。
だからこそ、俺がお前に抱く感情が一体何なのかを、見極めさせてくれ。
この感情は無駄なんかじゃない。
そう、思えるように。