はじまりはベッドの上②


  

 スマホのアラームが鳴っている。

 眠い。とてつもなく眠い。

 でも、今日から仕事だ。昨日まで忌引休暇貰ってんだよ、休暇明けで遅刻はまずい。
 目を瞑ったまま、ガサガサと腕を動かしスマホを探る。ベッドサイドテーブルに充電中のスマホがあって……。

 あれ、あったかい。ペタペタと、軽く叩いてみる。テーブルの材質じゃない。固いような柔らかいような。何だコレ。

 しかも妙に狭いな、ベッド。もうひとり、誰か隣に寝てるとしか思えない。

 ……いや、まさか。嫌な予感がして瞼を押し上げる。

 目が合った。
 太陽みたいな、綺麗な瞳。
 まっすぐで力強い。
 一瞬、見とれてしまった。

 でも、そこで私は気付く。

 私、ひとり暮らしなのに、どうして知らない人がいるんだろう?

 何で人が? 隣に? どうして?

 しかもこの人、男の人だ!?

「ひっ、」
「キミは……」
「ぎゃあああああああああああああああああああああっ!?」

 絶叫絶叫、大絶叫。

 目が覚めたどころじゃない。頭の中は大パニック。

 謎の男は弾かれるようにベッドから転がり落ちた。

「いやぁぁ! 不審者!」
「ま、待ってくれ! 話を聞いてくれ! オレもどうしてここに居るのか分からないんだ!」
「嘘だ!!」
「本当だぜ! 嘘はついてない!」
「大体どこから入ってきたの!? 泥棒!?」
「違う!」

 枕をぶん投げ、あっ、避けられた。

「避けるな! 出ていけ!」
「落ち着いてくれ。まずは深呼吸して」

「ムリムリムリムリ!」

 手当たり次第投げつけていくが、軽く身を捩って避けられてしまう。
 反射神経いいな、こいつ! なんか悔しくなってきた。
 私は目覚まし時計を掴む。

「すごいな、キミ。カビゴンの【なげつける】のようだ!」
「……えっ?」

 私は手を止めた。急に何でカビゴン?

「何の、話?」
「ポケモンの話だが」
「ポケモン?」

 ポケモンって、世界的大ヒットを記録したゲームのことでしょ? 大人から子どもまで幅広い世代に大人気。ポケットモンスターって呼ばれる生き物をボールで捕まえて図鑑埋めてバトルして……ってやつの。

 確か、そのゲームにカビゴンってポケモンがいた。昔、リメイク版をやったことがあるのだが、そのゲームに洞穴の前で寝ているカビゴンが登場していた。捕まえようとしたら間違って倒してしまい、レポート直前からやり直した記憶がある。

 でも、何で今、ポケモンの話が出てくるわけ?

 私が困惑していると、男の方もキョトンとした顔で、

「まさか、ポケモンを知らないのか?」
「知ってるよ。ゲームでしょ」

「ゲーム? いや、ポケモンは生き物だ。この世に存在する。オレの相棒のリザードンだって、」
「いやいやいや! ポケモンが存在するわけないでしょ。ピカチュウが現実にいたら嬉しいけども……」
「…………どうやらオレとキミの間に、何か齟齬があるようだな」

 この人、あれかな。何か拗らせてる人? 厨二病、とはまた違う? それとも頭おかしい人?

 男は顎に手を当てて何か考えているようだった。

 よくよく見ると、この人、結構格好いい。髪色は奇抜な紫色だけど。ユニフォーム着てるけど。マントもしてるけど。

 顔立ち的に外国人、だろうか。それにしては流暢に日本語を操る。

 いやいや。待って。私、まだ混乱してる。なーに呑気にこの男を観察してるのよ。こいつ不審者だよ。早いとこ警察に連絡だ。持っていた目覚まし時計を置こうとして――そういえば、今何時だ?

「あーっ!」

 嘘でしょ。いつもより30分寝坊してる!?

「遅刻する!」

 私は慌てて洗面所へ駆け込む。

 ヤバいヤバいヤバいヤバい! マジで遅刻なんてシャレになんない! タダでさえ休暇でいい顔されてないのに!

 大慌てで顔を洗い、歯を磨き、寝室へ戻ってワードローブから服を取り出す。パジャマのボタンに手を掛けたところで、ハタと動きを止める。そういえばこの人いたわ。

「そんなに慌ててどうしたんだ?」

 不思議そうに男が訊ねる。

「どうしたも何も! 会社! 遅刻する!」
「キミは働いているのか?」
「はぁ? 当たり前でしょ。何言ってんの? ちょっとあっち行ってて。着替えらんない」

 突っ立っていた男を追い出し、素早く着替え、メイクを手早く済ませる。あー、もう! こういう時に限ってアイラインが上手く引けない。眉も左右対称に引けない。というか毎回右と左で出来が違うんだけど、上手に引けるコツがあったら教えて欲しい。

 メイクが終わったら髪を整える。あとは鞄のチェック。手帳、スマホ、財布。これがあれば何とかなるでしょ。定期もあるな。よし。

 コートと鞄を引っ掴みリビングとして使っている部屋へ出る。まだあの男がいた。いい加減にして欲しい。何か言おうとして――でも何か言う時間が勿体なくて、私は男を一瞥し、

「会社から帰るまでに出ていって!」

 それだけ言って家を出た。あとから「待ってくれ」とか「ここは一体どこなんだ」とか聞こえたが知らない。無視だ、無視。

 駅まで15分。走るしかない。遅刻したくない。遅刻したくない。遅刻したくない。

 頭の中は会社のことでいっぱいで、この時の私は色々なことに気が回っていなかった。

***

 会社には間に合った。ギリギリだった。良かった。走りきれるだけの体力があって。私、まだ若い。若いんだわ、きっと。

 上司や同僚に挨拶をして、私は自分のデスクに座った。1週間ぶりの出社。何がどれだけ進んでいるのだろうか。まさに浦島太郎状態だ。

 パソコン画面に集中して頼まれた仕事をこなしていると、いつの間にか午後1時になっていた。

 休憩に入ることを告げて席を立つと、タイミングよく「ー、ランチ行こう!」と仲のいい同僚であるズシに誘われたので、いつものお店へ向かった。

とこうして会うの久しぶりだよね。もう大丈夫? 忙しくしてたんじゃないの?」

 料理の注文を終え、ズシが話を切り出した。

「まあね。でも、意外と何とかなるもんだよ」
「そっか。家族亡くして大変でしょ? 何かあったら相談してよね。には常日頃から推しの話を聞いてもらってるから。恩返し」

 私は一瞬ドキリとした。ズシの申し出はありがたいけれど、今話せば泣いてしまいそうになる。何でもないふりをして、笑顔を作ってみせた。

「恩返しなんて大袈裟だよー。ズシの話、面白いじゃん。だからついつい聞いちゃうんだよね。推し語りしてる時は特に生き生きしてる」

 実はズシ、腐女子である。しかも同人活動をしている。最近はコスプレに興味が出てきたらしく、衣装作りに勤しんでいるらしい。なんというか、行動的だ。

 私もオタクの部類に入る、のだと思う。実在の芸能人やアイドルよりは、アニメやゲームのキャラクターにときめくことが多い。ちなみに乙女ゲーム系が好きである。

「で、こうしてランチに誘ったっていうことは、新しく推しができたんでしょ? 遠慮せず語りなさいよ。むしろ、ズシの話聞きたくてうずうずしてたんだから」

 笑ってみせれば、ズシの顔がパッと明るくなった。

「ご名答! 聞いて! あんたが休んでる間、身近で語れるような人がいなくてさ……」
「お互い会社ではオタバレしないようにしてるもんね。で、今回は誰なの? 作品は?」

 ズシはお冷を一口飲むと、

「もうさあ……、今回のポケモンがさあ、私を殺しにきてる……」

 押し付けるようにしてスマホを渡してきた。

 スマホの画面には、褐色のキャラクターが。オレンジのバンダナ(?)のようなものをしている。脚の筋肉がすごい。バスケとかスケボーとかしてそうだな……。手に持っているのは赤いスマホだろうか。

「誰これ」
「キバナ様」

 どうやら私が葬式やら何やらに追われている間に、ポケモンの新作ゲームが発売されていたらしい。舞台はガラル地方なのだとか。

 キバナはドラゴンタイプの使い手で、ガラルのトップジムリーダーらしい。とても強いが、チャンピオンには連敗しているそうだ。

 ズシは寝る間も惜しんでゲームを進めているみたいだ。

「もうね、普段とバトルの時のギャップがヤバいんだって!」

 興奮したように言って、ミュート状態の動画を見せてくれる。ポケモンバトルに入る時のシーンだ。そこにはゆるっとした顔から一転、キリリとした表情でプレーヤーと対峙するキバナの姿が。あ、八重歯。なるほど、ちょっとキュンとしてしまった。

「オタクはギャップに弱いんだから急にこんなことされると好きになっちゃうじゃん!」
「既に恋に落ちてるよ、ズシ」
「今度の新刊、ポケモンにしようかな……」

 ポケモン。ポケモンか。そういえば、今日は何故かポケモンに縁があるな。私は朝の不審者のことを思い出す。

 カビゴンの【なげつける】がどうのとか、ポケモンは存在してるとか、控えめに言って頭おかしいよね。

 そこまで思って、私は気付く。

 …………。

 家に放置してきたのまずくない?

 私は今になって対応を間違えたことに気付く。

 あの男に部屋を物色されていたらどうしよう……? 通帳と印鑑見つけられたらヤバい。終わった。私の財産。今からでも警察に連絡して家の様子を見てもらった方がいいのでは……? 冷や汗が出てきた。心臓も煩い。ヤバい、家が気になる。帰りたい。

「――、聞いてる?」

 ズシの声でハッと我に返った。

「聞いてる聞いてる! それで、そのキバナさんにライバルがいるって?」
「そうなの! このチャンピオン! キバナ様を語るならこの人は外せないんだよね!」
「――」

 再び見せられたスマホに、私は言葉を失った。

「この人こそが、常勝無敗のチャンピオン! 無敵のダンデ!」

 ズシは満面の笑顔だが、私は顔が引きつってしまい、笑い返すことができない。

 ――何故なら、今朝現れた不審者が、映っていたのだのから。