
はじまりはベッドの上③
アパートが気になり過ぎて定時で帰ってきた。
周りの視線が痛かったけど、しょうがないじゃん。緊急事態なんですよ。仕事に集中できないんだよなあ!
そんなこんなで203号室に到着。借りてる部屋だ。深く深呼吸する。心臓が痛い。変な汗かいてる。
――このドアの向こうに、ダンデがいる?
いや、ホントに?あれホントにポケモンの世界から来た人?いわゆる逆トリップしてきたってやつ?二次創作で死ぬほど読んできたやつ?
あれから同僚にダンデのことを訊いて(気になるならゲーム買えば?と言われた)、公式サイトのキャラ紹介ページを穴が開くほど眺めていたが、あれはダンデだった。間違いなく。どうしようもなくダンデだった。
「夢、じゃないよね……」
むしろ夢であってほしい。いや、ダメ。やっぱナシ。夢の中でも出社して働いているとか虚しいじゃん……?
とりあえず、彼はまだいるのだろうか。私は震える手を押さえながら、ノブを回した。
……開いてる。
あれ、今朝。鍵かけてなかったんだっけ? うわっ……、私の防犯意識低過ぎ……? なんて口を覆う。ふざけてないと、色々やってられない。今朝の私、慌て過ぎじゃない? 落ち着いてよ、もう少し。
ドキドキしながら部屋に入った。
玄関は真っ暗だった。
廊下の向こうーーリビングには灯りが点いている。
「……いる……」
小声で呟く。これでダンデ(仮)ではなかったらどうしよう。いつでも通報できるようにスマホを鞄から出しておこう。
鍵とチェーンをかけて、靴を脱いだ。
抜き足忍び足でリビングへ向かう。なんだか私、空き巣みたい。自分の家なのに。
ギッ、と踏みしめた床が鳴った。
「帰ってきたのか」
リビングから人が出てきたと同時に廊下の灯りが点く。
「っわ、びっくりした……!」
私から見て3歩先には、今朝の不審者――ではなくて、ダンデ(仮)。手元を見るに、電気を点けたのは彼のようだ。
ダンデ(仮)は、まるでこの家の主のように堂々としている。おかしいなあ、住んでるのはこの私なんだけどなあ。
「イ、イタン、ダネ」
しどろもどろになってしまう。どうしよう、男の人と話す機会が仕事以外でまったくないから、どうしていいか分からない……。というか、二次元のキャラと話してるという、この状況は何なんだ。
「すまない。行く宛てがなかったんだ。それに、オレはこの家の鍵を持っていない。施錠せずに出ていくのは良くないと思って、待っていた」
「なるほど……。それは、うん。確かにそうだね。良くないわ、うん。私が鍵もかけずに出社したわけだしね、うん」
改めてじっくり、目の前の人物を観察してみる。公式サイトのイラストと同じ。肌も髪も衣装もぜーんぶ、丸ごと同じ。
なるほど、あのイラストや3Dモデルを上手く三次元に落とし込むとこうなるのか……。見れば見るほど、この人こそがダンデ(本物)ではないかと思えてくるから不思議だ。
コスプレって感じはない。いや、コスプレして泥棒に入る奴っていないよね。目立っちゃいけないでしょ、通報されるし。
いや、それにしても、睫毛長いなぁ……。
そんなことを考えていると、ダンデ(仮)がくしゃみをした。
あ……。
「もしかして、こんな寒い中、暖房もつけずに私の帰り待ってた?」
今は11月。日中はまあまあ我慢できるとしても、夕方以降は暖房がないと結構厳しい。
それなのに、この人は「どうしてそんなことを訊くんだ」とばかりに首を傾げる。
「寒くなかったの?そのユニフォーム半袖じゃん……」
「マントがあるから大丈夫だぜ。これ、意外と暖かいんだ」
「それでも、風邪ひくでしょ……」
ああ、何でかな。何で私、この人の心配してるんだろう?
もしかしたら、ダンデの格好した変な人かもしれないのに。
「ここはキミの家なんだろう?キミの断りもなく使うのはどうかと思ってな」
どうしてなんだろう。
この短い会話の中で、この人は悪いことなんてしない、と。
そう、思ってしまうのは。
目の前の人物には、人を惹きつける何かがある。
「今朝はキミを怖がらせてしまったな。すまなかった」
謝罪の言葉は、少なくとも心から出たものだと思った。
だから、私もすんなり謝ることができた。
「いや、むしろ謝るのは私では……。パニックになったとはいえ、物投げるのはダメだったと思うし……。すみませんでした。今朝のことはこれでチャラってことで。えーと、気にしないでください」
「そうか、分かった!これで仲直りだな!」
「!」
握手された! うわ、すご。私、二次元のキャラと握手してる~! 力が強い~!
じゃなくて! 仲直りってなんだよ! 今朝のあれは喧嘩なのか? この人の中では喧嘩なのか?
狼狽える私を気にすることなく、ダンデ(多分)は歯を見せて爽やかに笑っている。
……な、なんか可愛いって思っちゃったじゃないか!
「ゔっ……、あの、手離してくれない、です?」
「ああ、悪かった。つい」
よかった。あと3秒離すのが遅かったら、私、死んでたわ。恥ずかしさで。
「早速だが、色々と君に訊きたいことがあるんだ」
「あ、私もあなたに確認したいことがあるの――あります」
この人の名前を確認したい。
「あなた、名前は?」
「オレはダンデ。ポケモンチャンピオンのダンデだ」
そして、彼が取り出したのは――。
「今は出せないが、彼がオレの相棒、リザードンだ」
ゲームで見たことがあるアレ。黒地に黄色のラインが入った、ハイパーボールだった。
掌の上に乗せられたハイパーボールは、カタ、と動いたかと思うと「ばぎゅあ」と鳴いた。
ああ、リザードンがいるのは間違いない。
「こういう設定、投稿サイトや個人サイトで死ぬほど見てきた……」
頭を抱えた私を見て、ダンデは「コダックみたいだな!」と破顔した。