これはデートだから、①


  

「準備できたか」

 着替えを終えてリビングに出ると、ダンデがソファに座って私を待っていた。

「うん、ばっちり」
「こっちに座ってくれ。髪を結おう。リクエストは?」
「おまかせで!」

 今日もダンデに髪をセットしてもらう。
 プレゼントしてくれたバレッタに合うような服をコーディネートしたのだけど、ダンデは何か言ってくれるだろうか。

「よし、できた」
「ありがと」

 鏡で出来栄えを確認。今日の髪型はフィッシュボーンだ。
 うん、すごい。完璧。やっぱりダンデは習熟度ってやつが早いね。

「今日のキミ、一段と可愛いな」
「当然! メイクもコーデも気合い入れたからね!」

 好きな人には、可愛いと言われたいもの。
 ダンデに褒めてもらえたから、今日は絶対いい日になるね。

「そのスカート、プルリルみたいでいいな」
「ぷるり……、んふふっ。ありがとう」

 プルリル。多分ポケモンなんだろう。ダンデらしい褒め方に、思わず笑みが零れた。

 そういうダンデも、今日の私服はバッチリ決まっている。まあ、見立てたのは私なのだけど。

 黒のマウンテンパーカーとデニムパンツと地味な色合いになってしまったので、トップスはマスタードイエローのカットソーを着てもらった。お陰で華やかでオシャレな印象になったと思う。うん、ネットで調べて2人で試行錯誤したかいがあったよ。

「ダンデも、今日は一段とカッコいい」

 すると、ダンデはキョロキョロと何かを探し――帽子を見つけると、サッと顔を隠してしまった。 

「ねえ、照れてる?」
「そんなこと、ないぜ」
「えー、ちょっと見せて!」
「ダメだぜ!」

 なんて遊んだりしていたら、外出の時間が迫ってきていた。

 仏壇に手をあわせ、私たちはおじいちゃんたちに挨拶する。

「今日はと2人、デートに行きます」
「今日はね、ダンデと浅草に遊びに行くんだ。スカイツリーにも登るつもり。見守っててね、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん」

 せーのと2人、声を合わせる。

「行ってきます」



 戸締りをしっかり確認して、外へ出た。



 差し出された手を取る。
 あったかい。

「あ、そうだ。せっかくだから」

 指と指を絡めた繋ぎ方――いわゆる、恋人繋ぎってやつだ。

 手を繋ぐのはこれが初めてではない。
 だけど、せっかく恋人になったんだったら、こういう繋ぎ方をしたいよね。

「これでよし。行こっ!」
「ああ!」

 雲ひとつない晴天だった。

 どこまでもどこまでも。視界の果てまで、澄み渡る青空が広がっていた。

 太陽は、ダンデの瞳のように輝いている。

 ああ、いいデート日和だ。

 最初で最後の、デートが始まる。


***


 遡ること3日前――。

『せかいを わたるのは むずかしいかも』

 ジラーチから告げられた衝撃的な内容に、私は呆然としていた。

 どういうことなんだろう。
 ジラーチはあらゆる願いを叶えるんじゃなかったの?

『せかいを わたる いがいなら かなえられる たべもの とか おかね? とか ほしいもの あげられるけど……』
「この願いは、予想外だった?」
『うん こっちで  ダンデ しあわせに なるんだって おもってた』
「どうした、

 ダンデがキッチンから戻ってきた。

「顔色が悪いぜ。何があった?」
「それが……。ジラーチが、世界を渡るのは難しいかもって……」
「なんだって?」

 ダンデは目を瞬いた。ゴクリと喉を鳴らし、ジラーチへ訊ねる。

「どうして難しいのか、教えてくれないか?」

 ジラーチは『うーんとね』とか『えーとね』と一生懸命言葉を選んでいるようだった。

『ぼく ねむって ほしたちから ちからを もらう でも ここでは ねむれてないから』
「あ……」

 そっか、ジラーチは時の流れが違うせいで、浅い眠りを繰り返していたんだっけ?

 ジラーチって、眠っている間に流れ星の力を溜めているのだろうか?
 1000年分のそれは、すさまじい力があるはずで、世界くらい渡れるのだろうけど……。

「溜めてた力がが少ないの?」
『うん』

 しかも、おばあちゃんの願い事を叶えるために一度、力を使っている。

 今、ジラーチに残っている力は、ごく僅かなのかもしれない。

「えーと……。あの日。しし座流星群の日は、あっちの世界にもこっちの世界にも流れ星由来の力が満ちていたんだっけ。足りない分はそれを使ったんだよね」
『そう だから ダンデ こっちこれた」
「じゃあ、足りない力を補えるようにすればいいんじゃないか? 流星群の日に願い事を叶えてもらうのは?」
「ナイス、ダンデ! それならいけそう!」

 ところが。

「嘘! 流星群って4月までないんだ!?」

 スマホで調べてみたら、2月と3月は日本で流星群が観測できないことが分かった。

 今は2月の下旬に差し掛かっている。4月のこと座流星群を待っていたら、ダンデはあっちの世界に存在しなくなって――ゲームにすら出なくなって、完全に忘れ去られてしまうかもしれない。

「……どうしよう」

 私はともかく、ダンデが帰れないのはダメだ。

……」

 隣に立つダンデの手を握った。
 忘れられてほしくない。
 帰してあげたい。
 大好きな人の、大好きが詰まっている世界に。

 焦燥感が湧き出て喉元までせり上がってくる。
 それもこれも、もっと早く私が短冊のことを話していたら……! ジラーチに願い事について確認していたら……! ぬか喜びさせることもなかったのに!

 どうしよう。私、何ができるの?
 ダンデの役に立ちたい。
 でも、私、何の力も持ってない。
 こうやって焦るだけじゃ状況は変えられないのに!

 自分への怒りと悔しさで、涙が出そうになる。
 ここで泣いても仕方ない。奥歯を噛みしめて耐える。

 ああ。
 もう一度くらい、流れ星が降ってきたらいいのに。
 こんなに本気で、心の底から願っているのに。



 ん……?
 ――願い、願い事?
 流れ、星?
 “ねがいぼし”……?

「――あ」

 ひらめきが、スパークのように脳内に弾ける。

「ダンデ! ダンデ! あれ!」
「何か思いついたのか!?」
「ねえ! ダイマックスバンド!!」
「ダイマックスバンド?」
「あれ、あれは――“ねがいぼし”を組み込んでいるんでしょ? だったら、いけるんじゃない?」
「――そうか!」

 私の言わんとしていることが伝わったようだ。ダンデはうなずいて、チェストに駆け寄り、ダイマックスバンドを取り出した。

「ジラーチ」

 ジラーチは私の腕の中から飛び出した。花に引き寄せられた蝶のようにダイマックスバンドに近付いていく。

「キミの言う力、これだけでは足りないか? これはガラルの“ねがいぼし”。ムゲンダイナの一部。オレたちの生活を支えていたんだ。不思議なエネルギーで満ちている」

 ジラーチは少し首を傾げ、しばらくふよふよとダンデの周りを回っていた。

『うーん』

 ふいにジラーチが空中で止まった。
 目を瞑ると、ジラーチの身体が淡く光り始めた。

 ――神様みたい。

 神秘的な光景に圧倒されていると、

『あとは ぼくが もうすこし ちからを ためたら わたれると おもう』

 発光は止み、いつものジラーチに戻っていた。

「ほ、本当に!?」
『うん みっか まっててくれる?』

 ジラーチは私の腕の中に戻ってきた。

『でも ごめんね ひとりだけしか むこうに いけない』

 ジラーチは悲しそうな顔をしていた。

『ふたり はこぶのは もっと ちからが ひつようなの ごめんね』

 それを聞いて私は。
 私は――。

「ううん、謝るのは私の方」

 私は、ジラーチの頭を優しく撫でる。

「ごめんね。私たちの都合に振り回してばっかりで……」
『いいよ ぼくが きめたことだから』

 ジラーチは頑張ってくれてる。
 これ以上、この子に求めるのは違う。

 仕方ないことだ。
 ジラーチは万全の状態じゃない。
 ダンデがこっちに来たのは、本当に、奇跡だったんだ。

「戻れるのは、ひとり、だけ……」

 決心しておいてなんだけど、

「そっか、ついていけないか」

 私はダンデを見つめる。
 ああ、ダンデ。
 雲に隠れた太陽みたいになっている。

「なあ、。他の方法を探して――」
「いつ見つかるの? そんなことをしてたら、ダンデ、忘れられるかもしれないよ。こっちでも、あっちでも」
「……」
「私、嫌だよ。そんなの。ダンデと離れたくないけどさ……。その、離れたくないからって言い出せなかった私が、今更何をって感じだけどさ」

 私、覚悟決めたよ。

「離れたくない以上にね。好きな人が、陽のあたる場所で、健やかに、幸せに生きていてほしいって思ってる」

 おじいちゃんたちが、教えてくれた。

 次に繋げていく。
 好きな人たちのために。
 想いを、次に、他者に、伝えていくことを。

 もう、大丈夫。
 私は大丈夫。ひとりでも、大丈夫だ。
 ダンデを送り出せる。

 私は、ダンデの頬に触れた。

「そんな、顔、しないで……」

 きゅっ、と口を引き結んで、何かを堪えていた。

「オレの幸せは……、どうなるんだ」

 震える声で、ダンデが言った。
 瞳がゆらゆら、揺れていた。
 湖に映る、満月みたいだった。

「ポケモンがいる世界に戻って、チャンピオンとしての日々が戻って、それで、それで――キミは? 愛するキミと離れ離れになった、オレの幸せは?」

 嫌だ、とダンデはジラーチごと私を引き寄せる。

「どうしたらいい?」
「ダンデひとりで、帰るべきだよ」
「嫌だ」
「ダンデを待ってる人たちがたくさんいるんだよ」
「嫌だ!」
「ダンデがポケモンのいないこの世界に残るのは、忘れ去られるのは、嫌だよ」

 壊れ物でも扱うかのように、ダンデが私を抱きしめる。

 ダンデという人が、皆の記憶からいなくなる。
 優しくて、暖かで、時に厳しいこの人が。
 ポケモンが大好きなこの人が。

 いなくなるのは、嫌だ。
 守りたい。

「――じゃあ、」

 じゃあさ、

「迎えに来てよ」

 ダンデは、ぽかんと口を開けた。

「……む、迎えに?」
「そう。その、ダンデに任せることになるんだけど、迎えに来てくれる?」

 私は、込み上げてくる涙を隠しながら、笑顔を作った。

 上手く、笑えているだろうか。

「家族になってくれるんでしょ?」
「――行く。迎えに……、行く」

 ダンデが私の頭を撫でる。

「待っててくれ。方法を見つけて、キミを迎えに行く」

 ダンデの手が、頭から頬、顎に流れていく。
 親指が、唇に触れた。

「うん。待つよ。大丈夫! ちょっとの間、離れるだけ。遠距離恋愛だね」
「世界規模の遠距離だな?」

 ダンデの顔が徐々に近付いてくる。

 私は、ダンデを受け入れようと思った。
 今まで恥ずかしがってたけれど、逃げない。



 熱っぽい声で、ダンデが私の名前を呼ぶ。

 睫毛の1本1本がはっきりと分かる。
 金色の瞳が私をしっかり捉えていて、離さないと語っているようで。

 ダンデ どうしたの』
「あ……」

 そうだ。ジラーチもいるんだった。
 ハッとなって周りを見渡す。リザードン――は、壁側を向いていた。……さすが空気の読める賢い子。

 ダンデがくすり、と笑った。

「ジラーチ、キミは、目を瞑っていてくれ」
『わかった』
「キミもだぜ、
「……うん」

 私は降参して、目を閉じた。

 そしてすぐに――。

 唇に柔らかな熱が、重なった。

 これが私とダンデの、初めてのキスだった。