
これはデートだから、③
曰く、ここは浅草寺という大きな寺がある場所なのだという。
以前のおばあさんの四十九日のために寺へ訪れたが、浅草寺はそういう建物と同じなのだろう。
今歩いている仲見世通りは人で溢れかえっている。右を見ても左を見ても、人、人、人。オレの試合がある日のスタジアムみたいだ。
「行列ができてるな。あれは何を売ってるんだ?」
「あれはお団子だね。有名店みたい」
「あそこは?」
「お箸。で、あそこが扇子売ってるお店。人形焼とか、あとは――」
どうやら仲見世通りは商店街のようだ。通りを逸れたところにもまだ店があるらしい。
「全部は見回れないな」
「何か気になるお店ある?」
「いや……、キミこそどうなんだ?」
「うーん、私はいいかな。ダンデがいいなら、早いとこ抜けちゃおうか」
オレとははぐれないように身を寄せ合って本堂を目指す。
「なんか、新宿行ったときを思い出すね。ダンデってば、1分も経たないうちにすーぐ迷子になってさ」
「ああ。あんなのはもう、コリゴリだぜ」
「大丈夫でしょ。今回は最初から手を繋いでるから」
の微笑みに胸が高鳴る。キスしようとしたら「恥ずかしいからダメ!」と拒否されてしまった。周りの目が気になるらしい。
「人が少ないところならいいのか」
「……うん」
小さくうなずく姿が可愛らしい。オレは思わず微笑んだ。仕方ない、我慢しよう。その代わり、とたくさん写真を撮った。彼女との思い出が増えていく。
ホウゾウモンという門を抜けたら、そこはもう本堂だった。
これが浅草寺か。屋根が大きいからそちらの方が本体のように思える。
左手の方にはゴジュウノトウという建物がある。「何がゴジュウなんだ? 50個もあの建物があるのか?」とに訊ねたところ「数じゃなくて、重なってるってことね」と返ってきた。漢字だと「五重塔」らしい。屋根が5つ重なっているからなのだろうか? なんにせよ、面白い名前だな。
どれもこれも絶対にガラルではお目にかかれない建築物だ。ここが異世界で異国なのだと改めて思い知らされる。
きょろきょろと辺りを見渡していると、奇妙な壺のようなものが目に入った。
大きな黒い瓶のようなものの縁に4本の柱が伸びて、屋根のようなものがついている。何だ、あれは。
「なあ、。あれは何だ。皆、煙を被っているみたいだが」
「あれはね。常香炉って言うんだって。悪いところにかけると治りが早くなるらしいよ」
がスマホを駆使して答えてくれる。
「悪いところか。特に思い当たるところがないな」
「ダンデは全身健康そうだよね。私は頭にしようかな」
「、頭に悪いところでもあったか?」
「噂だと賢くなれるんだって。ほら、頭が悪いって言葉があるでしょ? だから、浴びたら頭がよくなるらしいよ」
「なるほど」
というわけで2人で煙を被ってみた。あっという間に視界が白い煙で覆われていく。線香の香りがした。
「よし、これであっちに帰ってもダンデに悪いところがあってもすぐ治るね!」
「それはこっちの台詞だぜ。オレが迎えにくるまでの間、毎日これを浴びてくれ。病気や怪我の防止とかにならないか?」
「え。どうなんだろう。というか毎日浅草に通えと?」
「いっそ引っ越せばいい」
「もう。そんな簡単にはできないからね」
はオレの発言を冗談だと思っているようだった。
オレはわりと本気だぜ?
キミを置いて、オレは帰るんだ。
迎えに行くまで元気でいてもらわないと困る。キミが幸福でいなければ困る。だから、使えるものはなんだって使ってほしいんだ。
「ダンデ、ダンデ? ぼーっとしてるけど大丈夫?」
「――あ、ああ。大丈夫だ」
「じゃあ次はあそこね」
示した先は、本堂への行列。
「参拝しようか。今年のお正月は初詣いけなかったし、ちょうどいいと思うんだよね。それに、ここって色々ご利益があるみたい。せっかくだし、お願い事していこうよ」
「願い事、か」
オレがこの世界に来たのは、の願い――ひいてはの家族の願い事がきっかけだった。
オレたちは「願い事」というやつに縁があるな。
「あそにね賽銭箱があるの。お金入れて、鈴鳴らして、礼をして――まあ、細かい作法は私を見て真似してね」
「参拝にもルールみたいなものがあるんだな」
オレたちは行列に並んだ。と一緒なら順番待ちも苦ではない。
「願うのはなんでもいいのか」
「うん。本当になんでもいいんだよ。ダンデも好きなことをお願いするといいよ」
オレたちの番が来た。
の動きを見よう見まねでやってみる。願うのにも作法のようなものがあるらしい。
目を閉じて、願う。
が病気や怪我もせずに暮らせますように。
の未来が幸せで溢れていますように。
――願わくば、その未来にオレがいますように。
今はと一緒に帰ることはできない。
だが、絶対にオレは、彼女を迎えにいく。
異世界の神(仏? 観音菩薩? 違いが分からない)に願いごとをするのは初めてだ。これでいいのだろうか。
あっちの世界にいたとき、こんなに心の底から何かに願ったことは、あっただろうか。
自分の道は自分で選び取る。
自分の夢は自分で叶える。
ポケモンたちと共に歩む。
そう思って、今日まで生きてきた。
神も仏もいない。そう主張するつもりはないが、何かに願っても、結局行動するのは自分自身だ。
オレが諦めてしまったら、オレの願いを叶える人はいなくなる。
例え、世界中の誰もが「もう一度異世界に行くなんて無理だ」とオレを止めようとしても。
それでもキミの隣で、同じ景色を見ていたい。
同じ気持ちを分かち合いたい。
悲しいことがあったら、それを半分にして。
嬉しいことがあったら、それを倍にして。
そういう未来を、他でもないキミと――と描いていきたいんだ。
結局、願い事というよりは決意表明のようなものになってしまった。まあ、いいか。
目を開けると、隣にいたに「終わった? じゃあ横に抜けようか」と声をかけられた。オレは彼女の後を追う。
「ダンデ、随分長いことお願いしてたね」
「キミのことについて願っていたら長くなってしまった」
「私もダンデについて願ってた」
「お互いのことを願ってたのか」
オレたちは顔を見合わせて笑った。
彼女と気持ちが通じ合っているのが、たまらなく嬉しかった。
参拝を済ませたあとは、おみくじを引いた。今年1年の運勢やアドバイスが描かれているらしい。
「あ。私、小吉だ。ダンデは?」
「これ、なんて読めばいいんだ? ダイ……?」
「大吉じゃん! いいなあ! それ最高に運がいいんだよ!」
「そうなのか?」
「ちなみに裏は?」
「うーん……。代わりに読んでくれないか? オレだと時間がかかりそうだ」
商売、転居、失物、学問など。色んな項目について事細かに書かれている。日本には面白い文化がたくさんあるんだな。
がガラルに来たら、今度はオレがガラルの文化について教えてやりたい。
ポケモンと暮らす楽しさを教えてやりたい。
オレの住む世界は素晴らしいんだと伝えたい。
その日が来るのが楽しみだ。
***
浅草寺付近を軽く散策したあと、オレたちは喫茶店でひと休みすることにした。
「ここ、前から来たいと思ってたんだよね。ダンデと来れてよかった。いいよね、こういうモダンな内装。明治とか大正あたりにタイムスリップしたみたいで」
オレはが何を言ってるのか半分くらい理解できなかった。モダンってなんだろうという疑問が残るが、が楽しそうだからな。オレは黙ってうなずいておくぜ。
「イモ羊羹がおすすめなんだって。ダンデ、食べたことないでしょ?」
「ないな。だが、ヨウカンの単語は聞いたことがあるかもしれない」
オレは腕を組んで記憶を探る。あっちの世界で聞いたものだったような。
「……ああ。思い出した。あれだ、あれ。“もりのヨウカン”。シンオウ地方の隠れた名物だ」
「あっちの世界にも羊羹あるんだ」
「ポケモンに使うと状態異常を回復してくれるんだぜ」
「ヨウカンで?」
しばらくして、注文したイモ羊羹のセットが運ばれてきた。
黄色い長方形のようなものがいも羊羹らしい。大きな器に入っている濃い緑色の液体は一体……?
「あー、これこれ。これを食べてみたかったんだよね!」
の声が弾んでいる。ポケモンと戯れる小さな子どものようで愛らしい。
「ダンデはこういうの食べるの初めてだよね。この真ん中のお皿がイモ羊羹。サツマイモを使ってるんだ。これがアイスでー、これが最中! 食感がソフトクリームのコーンみたいで美味しいの。中身はあんこ。ダンデ、お正月でお汁粉食べたでしょ? あのあんこだよ」
が指差しながら説明してくれる。
「、これは? チュリネの頭の葉っぱのような色をしているんだが」
「抹茶だと思う。お茶だよお茶」
「飲み物なのか」
見たことのない色味で驚いた。そうか、飲めるのか。どんな味がするんだろうか。
「いただきます」
「いただきます」
木でできたナイフのようなもの(黒文字楊枝というらしい)を使い早速イモ羊羹を食べてみる。
切り分けたときは少し固い気がしたが、口の中に入れるとあっという間に解けて消えていった。
「くちどけが滑らかで美味しい!」
「甘さもくどくなくていいな」
バターを塗るとコクがあって更に美味しくなる。スイートポテトに似ているようでどこか違う。
モナカも初めて食べた。確かにソフトクリームのコーンみたいだ。
「こういうの、和菓子っていうのか。ケーキと違った美味しさがあるな」
「ね、いいよね。ダンデの口に合ってよかったよ」
「こっちの食事を続けたせいなんだろうか。舌が慣れたのかもしれないな」
さて、次は抹茶を飲んでみよう。運ばれたときから気になってたんだよな。
意を決してひと口。途端、痺れるような苦味が舌に走った。
「苦い……」
なんだこれ。漢方薬じゃないのか。“にがいねっこ”や“ふっかつそう”を使ったときのポケモンの気持ちが分かるぜ。
「ん、ふふ。ダンデの顔やばい。しわしわになってる」
が口元を押さえた。肩が震えている。
「わ、笑うなよ」
「いやごめん! ふ、んふふ。でも。写真撮りたいくらい面白かった」
オレが目を細めると、が慌てた。
「わー、ごめん。拗ねないで。ごめんって」
オレはのイモ羊羹を指差した。
「ひと口くれたら許すぜ」
「そんなのでいいの」
「いいや?」
いい機会だ。恋人らしいことをしてもらおう。今日はまだ、手を繋ぐことしかできていない。
「オレに食べさせてくれ」
「え」
「熱があったからあのときのことは曖昧なんだ。もう一度、してくれないか」
「え、つまり『あーん』しろと? やだ。あれは看病のつもりでやったんだよ。もうやらない」
「じゃあ許さない」
「お、大人げない」
は困ったように目を伏せた。
「どうしてもやらないとダメ?」
「ダメ」
「本当に? 本当に本当にどうしてもやらないとダメ?」
「本当に本当にどうしてもやらないとダメ」
ぷいとそっぽを向いてみる。
「えぇ……」
横目で様子をうかがっていると、が小さく溜め息をついて「分かったよ」とイモ羊羹を切り分け始めた。
「しょうがないなあ、もう。ほらダンデ」
ずい、と差し出されたイモ羊羹。
「はい、あーん」
震える手。
「ねえ、ちょっと。早く」
真っ赤な顔の。
「ダンデ」
なんだかんだやってくれるから、は優しいと思う。
「あーん」
パクリとひと口食べて、オレはの手を握った。
「な、なに」
慌てふためくを前に、オレは柔らかく微笑んだ。
「ありがとう、」
世界一美味しいイモ羊羹だった。