
さよならは言わない②
***
いよいよ、帰る時間となった。
ダンデはすでにチャンピオンユニフォームとマントに着替えていた。ゲームでお馴染みの、あの格好だ。傍らにはこちらで着ていた衣服などが入った旅行カバンがひとつ。
「その格好、久しぶりだね」
「似合ってるか?」
「うん。格好いいよ」
私はリザードンにも声をかける。
「ずっと窮屈な思いをさせてごめんね。あっちに帰ったら、羽根伸ばして自由に過ごしてね」
「ばぎゅあ!」
リザードンが身を屈めた。
「撫でていいの?」
差し出された頭を遠慮なく撫でる。
「うん。やっぱり独特な手触り。そして、あったかいね」
「ぎゅあ!」
背中に乗せくれたこと、空を飛んだこと、忘れないよ。私がこの世界で初めて出会ったポケモンは、あなたなんだよ、リザードン。
「あっちでも元気でね、リザードン」
「ばぎゅあ」
リザードンはひと声鳴いて、ダンデの持っているボールに入っていった。
「……。じゃあ、起こすね」
「頼む」
ダンデがうなずいたのを確認し、私は眠り繭に近付いた。
「ジラーチ、ジラーチ。起きて」
眠り繭が輝き、ジラーチの姿を取る。ジラーチの背中についた黄色い羽衣のようなものが身体に巻き付いて、おくるみのようになっていた。
ジラーチはパチリと目を見開くと『おはよう』と言って、私の胸に飛び込んできた。
「3日ぶりだね。よく眠れ……てはないか」
『うん でも ダンデを もとのせかいに かえして あげられるくらいの ちからは たまったよ』
私はジラーチを撫でながら、前々から思っていたことを話してみることにした。
「ねえ、ジラーチ。ダンデと一緒に元の世界に帰らない? あ、でもあなたも含めたら、あっちに帰る分の流れ星の力、足りない?」
『たぶん だいじょうぶ を あっちにはこぶよりは かんたん だけど どうして ぼくもかえるの?』
「どうしてって……。ジラーチ、ちゃんと眠れてないから」
ジラーチはこの世界にいる限り熟睡することができない。1000年に一度だけ目覚めるのがこの子の「普通」なのに、それが崩れてしまっている。
「ジラーチは、ヨウスケおじいちゃんが友達だから、こっちに残ってくれてたんだよね」
『うん ぼくが かえったら ヨウスケ ひとりぼっちになる そう おもったの』
「……そうだね。同じ世界から来たのは、おじいちゃんとジラーチだけだったもんね」
ジラーチはぱちぱちと瞬きを繰り返す。
『それに おともだちの ずーっとさきの こどもとも おともだちに なりたかった』
「ありがとね、ジラーチ。でも、ジラーチが眠れないままなのは、私、悲しいよ。おじいちゃんも望んでないと思う」
それに、ジラーチは多分恐らく、向こうの世界では存在していないことになっているのではないだろうか。ダンデが消えかけている例もあるから、可能性は高い。
生まれた世界から忘れられるなんて、とても、寂しい。
元の世界に帰ってジラーチの存在がまた思い出されるのかは分からないけれど、でも、少なくとも眠りの問題は解決されるんじゃないかな。
「おじいちゃんには家族ができたよ。この世界で一緒に生きる人を見つけたの。若くして死んじゃってたけどさ、でも、ジラーチと出会って友達になれたのは、おじいちゃんも嬉しかったんだよ」
だからこそ、
「だからこそ、帰ろう? おじいちゃんは、あなたのこと、友達だと思ってた。もしかしたら、それ以上に――家族みたいに思っていたかも。だから、ジラーチが眠れずにいるのは、おじいちゃんも悲しいはず」
手紙から読み取れた、ジラーチへの気持ち。
私たちと同じくらい、ジラーチを大切に思っていたんじゃないかな。
『…… でも ヨウスケの こどものこども? ここにいるのに ぼく の さきの こどもたちと あそびたいのに』
「それは」
「大丈夫。オレはを迎えに行く約束をしたんだ。をあちらの世界に連れていく。あちらの世界での……、いや、ヨウスケさんの子孫に会える。1000年先の未来でも、キミはお友達と遊べるぜ」
ダンデが私の代わりに答えてくれた。ジラーチの頭を撫でて、「約束するぜ」と言う。
「それに、キミが忘れない限り、ヨウスケさんはキミとずっと一緒だ」
その言葉は、ジラーチだけではなく私にも向けられたもののように思えた。
私はおじいちゃんを写真でしか知らない。でも、おじいちゃんとの思い出は、おばあちゃんから聞かされている。おばあちゃんから、受け継いだんだ。
「オレたちは多分、キミよりずっと寿命が短いと思う。だけどな、その代わりオレたちは、人から人へ、後の世代へ想いを受け継いでいくんだ。それが10年、100年、1000年先の未来に繋がっていく。だから、いつまでもオレたちは一緒だ。未来で、また、キミと会おう」
「ジラーチが私たち家族のためにしてくれたこと感謝してるよ。願いを叶えてくれて、ありがとう。私が幸せになるように尽力してくれて、ありがとう。でもね、もう十分だよ。ジラーチが幸せになること、私も願っているの。だから元の世界に帰って、眠って、1000年後にまた、会おうね」
会えるのは私ではなく、ダンデや私の子孫になるだろう。
でも、ダンデがさっき言ってくれた。
ジラーチが忘れない限り、私たちは一緒にいる。
私たちの想いを受け継いだ人たちがいる限り、私たちは共にある。
もしかしたら、それを、人は「永遠」と名付けるのかもしれない。
『 ダンデ ……」
ジラーチはしばらく私とダンデを交互に見ていたけど、やがて――、こくりとうなずいた。
『わかった ぼくも ダンデたちと かえるね』
ジラーチは腕からするりと抜けると、私の頭を、その小さな手で撫でてくれた。
『 しばらく おわかれ なかないでね の こどものこどもに ジラーチのこと おしえてね』
「もちろんだよ! あなたに会えたら、一緒に遊んであげるように言う! 楽しみにしてて」
『うん またね』
ジラーチはうなずき、ふわりと宙に浮かんだ。
あ、そうだった。
「ねえ、ジラーチ。ちょっと待ってね」
私は、ポケットに隠していたとあるものをダンデに握らせた。
「ダンデ。お守り、あげる」
「お守り?」
「手作りなんだ」
「キミがこれを?」
ダンデは目を丸くし、掌のお守り袋を見つめた。
「必勝祈願って書いてるのか……」
お守り袋はダンデの髪色に、唐打紐はダンデの瞳の色にした。
「裁縫苦手だから不格好になっちゃった。実は、こっそり夜更かしして作ってて」
だから浅草デートの朝、ちょっと眠たかったのだ。
「私、ダンデにバレッタ貰ったじゃない? そういえば、こっちから形が残るプレゼントあげてないことに気付いてさ。これ、ダンデがバトルに勝てるように祈りながら作ったんだ。あっちに帰ったら、決勝戦の続きでしょ? ちゃんとこれ、持っててね。私、不思議な力もないただの一般人だから効き目はないかも」
しれない、と言い切る前にダンデが私の手をぎゅっと握った。
「大事にする! キミも、バレッタ、大事に使ってくれ!」
「もちろん! ダンデが私にくれた、最初のプレゼントだからね!」
「ありがとう。本当に、ありがとう」
名残惜しいけど、もう、時間だ。
「――ジラーチ頼んだ」
『わかった ダンデ おほしさまの ちから ちょうだい』
「ああ」
ダンデはうなずき、ジラーチにダイマックスバンドをかざした。
すると、ダイマックスバンドから赤い光が漏れ出し、ジラーチの身体を包み込んだ。
ジラーチは背中の羽衣を広げ、目を瞑った。
『 たんざく おねがいごと』
「うん!」
私はお願い事が書かれた短冊をジラーチに向かって差し出す。
「『ダンデとそのポケモンたちが元の世界に帰れますように』」
言葉にした途端、短冊から青い光が生まれ、ジラーチの頭のてっぺんにあった短冊に吸い込まれていく。
「あ、あれは」
「ジラーチの『第三の目』だ」
ジラーチのお腹にある「第三の目」が開いた。
まるで全てを見透かすかのような不思議な瞳だ。
「神々しい……」
可愛いだけじゃないんだ。ジラーチが幻のポケモンなのだと、私は認識を改めた。
やがて、ジラーチに集約された赤と青の光が、内側から外側へ、輪のように広がっていく。
キラキラ、キラキラ。宝石にも負けないほどの眩い光が雨のように降り注ぐ。
「綺麗……」
「」
神秘的な光景に見惚れていると、ダンデに呼ばれた。
「あ」
ダンデの身体が星のように光っている。
……ああ、お別れだ。
ダンデが私を抱きしめる。
「今までありがとう」
私も、ダンデの背中に腕を回した。
最後の抱擁。忘れたくない、温もり。
「色んな偶然が重なってこちらへ来たが――、オレは、キミに出会えて本当によかった。
キミは『ダンデがこっちに来たのは私の願い事のせい』だと言ったが、オレはそんなこと思わない。キミが本気で叶えたかった、真剣な願いなんだ。血を吐くくらいの思いだったんだ。誰もキミを責めることはできない」
「キミは、こう思っているんだろうな。『自分はダンデに貰ってばかりだ』って。そんなこと、ないんだ。キミが気付いてないだけで、オレはキミからかけがえのないものを、たくさん貰った」
「『ただのダンデ』を思い出すきっかけをくれて、ありがとう。オレを助けてくれて、ありがとう。オレに――オレに『好き」を教えてくれて、ありがとう」
ダンデの顔がぼやける。ああ、ダメ。まだ泣いちゃダメ。くっと喉が鳴った。嗚咽を堪えて、笑顔を作る。
「わ、わた、私も! 家族になろうって言ってくれてありがとう! ダンデは、ダンデのこと――」
言いたいことがたくさんあるのに。
「ポケモン大好きで、優しくて、強くて、でも、人並みに悩んで、弱いところもあって、それで――それで――ダンデが!」
胸が詰まって、喉でせき止められて、言葉が出てこない。
――でも、これだけは、伝えたい。
「あいしてる」
一音一音を、宝物のように押し出して。
届いてほしい。
忘れないでほしい。
道標になってほしい。
「っ」
部屋中が眩い光で満たされていく。抱き合っていて、こんなにダンデが近いのに、だんだん何も見えなくなってきた。
でも、ダンデが息を飲んだのは、なんとなく伝わっていた。
「……絶対に、絶対に、キミを迎えに行くから! だから、待っててくれ! 約束する!」
いつ来てくれるか分からない。
私は、おばあちゃんになっているかもしれない。
そもそも、どうやってこっちに来るのか。
手段も何も分からないこの状況で、簡単に約束していいものか。
「待ってる! だから、だから、さよならなんて言わない! また、会おう!」
きっと誰もが「諦めろ」と言うだろう。
荒唐無稽、絵空事、砂上の楼閣。
分かってるよ。
怖くないって言ったら嘘。
寂しくないって言ったら嘘。
直前まで帰る方法を黙っていた、心の弱い私だけど。
私は、信じる。
ダンデを信じてる。
大好きだから。
愛しているから。
私を受け入れてくれた人だから。
私を信じてくれるあなたを、私も信じる。
「、! また、絶対に、会おう!」
キミを――!
「愛してる」
唇と唇が重なる。
私は目を瞑って、ダンデの熱を感じていた。
つうっ……と目から一筋の涙が零れ、頬を濡らした。
雷のようなフラッシュのような、ひと際強い光を感じ――次に目を開けた時、そこにダンデはいなかった。
4ヶ月前の、私の部屋。
ひとり暮らしの、私の部屋。
「……」
帰っちゃったんだ……。
世界を渡るのはどのくらい時間がかかるものなのか。
ちゃんと無事にガラルに帰れたのだろうか。
「ダンデ、リザードン、ジラーチ……」
いつもより声が反響しているような気がする。
「っ、うぅ……」
もう、泣いてもいいよね?
「う、うっ、うう……ああ……う……!」
ソファに置いていたクッションを引っ掴んでわんわん泣いた。小さな子どものように大泣きした。
唇に、身体に、まだ、ダンデのぬくもりが残っている。
今はまだ、消えないで。
もう少しだけ、その余韻を――。