あなたが敗北を識った日①


  

 ダンデが帰った次の日。

 私はすぐにゲームを進め、ムゲンダイナを捕まえた。

 某ゲーム会社の公式SNSアカウントから、「ムゲンダイナを捕まえたあとゲームが進行できない不具合が解消されました」とお知らせがあったからだ。

 ムゲンダイナのイベントは、見るのが少し辛かった。話には聞いていたけれど、改めて映像で見ると胸がひどく痛んだ。過去の出来事とはいえ、ダンデがムゲンダイナからの攻撃で膝を着いているのを見てしまったから。助けに行けないのがひどくもどかしかった。

 そういえば、一時は忘れられていた「ゲーム内のダンデ」も、皆の記憶に戻ってきているようだった。その証拠に、Twitterを覗いてみると――。

『ダンデ強くない?』
『リザードンは予想していたけど、残り5体そうくるか』
『手持ちにムゲンダイナ入れると台詞がちょっと変わった』
『バトル開始前のあれカッコいい』
『BGM神』
『投げ方諸々ホップにそっくりだぞ。いやホップがダンデにそっくりなのか。どうなってんだハロン兄弟。尊い』

 ゲームが進んでダンデが存在しているってことは、彼は無事にあっちの世界に帰れたってことだ。

 よかった。
 本当に、よかった。

「ありがとう、ジラーチ」

 おじいちゃん、おばあちゃん。私に短冊を残してくれて、ありがとう。





「さて、と」

 カーテンを開き、朝の太陽を拝む。

「ダンデとの決勝戦、いい加減にやらないとね」

 ダンデが帰って1週間が経った。

 ムゲンダイナから先を進める気が起きなくてずっとゲームを放置していたが、ようやく決心がついたのだ。

 ダンデに帰る方法を言い出せないときもそうだったけど、私は嫌なことがあったら放置して見ないふりをしてしまうところがある。

 でも、それはいけないことだ。

 例え直視が辛い現実でも、私は、目を逸らさない。

 ――キミとバトルできるのが楽しみだ。

 ゲームでしかバトルできないのに、ダンデはそう言って笑ってくれた。

 だから、やろう。
 ダンデと戦おう。

 私が始めた冒険は、ダンデと戦うことで終わりを迎える。
 私たちはポケモンバトルで初めて対等になれる。
 ダンデと戦う。そして、勝つ。

 ダンデがついこの間まで使っていたソファベッドに座り、switchを起動した。

 やっぱり……、部屋が広く感じる。まだダンデとリザードンがいるような気がしている。

「まだ慣れないな……」

 テレビ台には、ダンデがバレンタインに贈ってくれた、ウサギのプリザーブドフラワーが置いてある。

 リザードンのために用意した防炎カーペットやカーテンも、まだそのままだ。

 新しく買ってきた写真立てには、浅草デートのときの写真が飾ってある。ダンデにあげた手作りのお守りの中に入れた写真と同じものだ。ダンデ、気付いてくれただろうか。ちょっと恥ずかしいけど、後悔はしてない。私のこと忘れないでほしいから。

「……」

 ああ、この部屋は、ダンデとの思い出が多すぎる。

 潤んできた目をそっと拭って、私はゲーム機を握った。



***


 シュートスタジアムは観客たちの歓声と熱気で満ちていた。

 オレは観客たちの応援をに耳を傾け、今か今かと出番を待っていた。

 実に4ヶ月ぶりのガラル。
 懐かしい空気。
 バトルの前のひりつく緊張感。
 湧き上がってくる闘争心。
 全てがチャンピオンのオレを形作ってきたものだ。

 今から繰り広げられるバトルを前に、高揚しているのが分かる。
 全身の血が沸騰しているような不思議な感覚だ。
 オレのポケモンたちは武者震いをしているのか、カタカタとボールが揺れている。

 ムゲンダイナの出現で決勝戦は中止になったものの、リーグ関係者たちの尽力もあって3日後に再開となった。

 3日後なんて無茶だと反対されたが、なんとか説得することができた。

 ガラルの皆は不安だっただろう。大災害が起きたこと、ローズ委員長のこと、チャンピオンが一時行方不明になったこと。たくさんの不安が重なってしまっていた。彼らの不安を取り除くためにも、オレは健在なのだと一刻も早く示す必要があった。

 それに、オレも早くマサルくんと戦いたかった。

 ムゲンダイナを捕まえた子、伝説のポケモンと共にガラルを救った新たな英雄、といった賞賛がオレの耳に届いている。もちろん、彼の魅力はそれだけではない。よく練られた戦略と状況判断、ポケモンとの絆。それが多くのファンを獲得したのだと思う。その証拠に、オレの応援に混じってマサルくんを応援する声が聞こえてくるのだ。

 帽子を深く被り、目を瞑った。
 胸に手を添えると、お守り袋の存在を感じた。首から下げてユニフォームの下に隠しているのだ。から貰った大事なものだ。この大舞台に持ってこないでいつ持ってくるんだ。

 すう、と肺いっぱいに空気を吸い込む。

 思い出されるのは、ここ3日間の出来事だ。

 リザードン以外のオレのポケモンたちとふれあったのは、4ヶ月ぶりだった。いつもより多めにスキンシップを取っていたら、不思議そうな顔をされた。それもそうだ。彼らは毎日オレと顔を合わせていたから「久しぶりだな!」と言われたら戸惑うに決まっている。

 退院してからすぐに調整に入ったが、自身でも驚くほどにポケモンたちと連携が取れた。ブランクなど微塵も感じない。

 練習試合としてキバナやネズに付き合ってもらったが、やはりトリップ前と調子は変わらず……、いや、むしろ、いつもよりいいような気がした。あちらの世界でもバトルの戦略は練っていたが、それがよかったのだろうか?

 あちらの世界にいたときの「チャンピオンのダンデ」は眠っていたわけだが、闘争心や向上心といったものは、忘れられていなかったんだ。

 ……いや、少し、違うのかもな。

 。キミが「チャンピオンはお休み」と言ってくれたから、気付けたものがある。

 オレの根幹は、やはりポケモンなんだ。

「チャンピオンのダンデ」と「ただのダンデ」には乖離しているところがあるだろう。

 だけどな。どっちのオレも、ポケモンと、ポケモンバトルが好きなんだ!

『さあ! チャンピオン・ダンデとマサル選手の入場です!』

 実況者によるアナウンスが流れ、わあっと歓声が上がった。

 オレはすぐに思考を切り替える。
 帽子を被り直し、目を開ける。

「やっちまえチャンピオン!」「ダンデ! われらのチャンピオン!」「オー! マサル!」「マサル! マサル!」という声と声や手拍子、楽器などが重なって、不思議なBGMを作り出す。

 オレは真っ直ぐ前を向いて歩く。
 観客たちの声援をシャワーのように浴びながら、フィールドの真ん中を目指す。

 マサルくんが向こうから歩いてくる。

 観客からの応援がプレッシャーになることだってあるというのに、彼はしっかりとした足取りでこちらに向かってくる。

 ――いい顔つきだ。

 キミと戦える日を、楽しみにしていた。
 蓋をしていたバトルへの気持ちが、燃え盛る炎へと姿を変える。

 センターサークルで足を止め、オレたちは向かい合った。

 スタジアムを見回しながら、オレはマサルくんに語りかける。

「オレの試合はいつも満員になる」

 だが、いつもより観客たちが熱狂しているのは初めてだ。
 それもこれも、マサルくんが3日前に大活躍し、ガラルの未来を守ってくれたお陰だろう。

「――伝説のポケモン、ザシアンとザマゼンタと共に戦った英雄……。オレの無敗記録を伸ばすのにもってこいのチャレンジャーだぜ!」

「最強のチャレンジャーの強を引き出したうえで! 圧倒的に叩き潰してこそチャンピオンの強さが際立つ!」

「さあ、マサルくん!」

「ガラル地方の歴史に残る……。いや、ガラルの未来を変える、極上の決勝戦にするぜ」

 左腕を空に向かって勢いよく突き出し、リザードンポーズを取った。

「チャンピオンタイムを楽しめ!」


***


『チャンピオンタイムを楽しめ!』

 ガラルの英雄と讃えられ、10年も頂点の座に着いている人間から真っ直ぐに投げかけられた言葉は重かった。

 初めてのポケモンをくれたあなたと戦う。
 知ってるようで知らないあなたと戦う。

 チャンピオンのダンデは、勝負の厳しさを知っているトレーナーだ。
 そして、どうすれば観客たちが喜ぶのかを知っているエンターテイナーだ。
 
「子どもにそんなこと言う?」なんて思ったけど、ポケモンバトルの前には大人も子どもも関係ない。性別も年齢も関係ない。

 この場にいるのは、「ポケモンたちと一緒に歩んできたトレーナー」という対等な立場の人間だけ。

 これはゲームだけれども、私は、持てる全てをダンデにぶつける。

 ダンデ、見ててね。
 ハロンタウンを旅立った頃の、初心者マークがついていた頃の私とはひと味違うから。

 ゲームの中のダンデは、腕や手首をぐるぐる回して、頬を叩く。
 チャレンジカップで戦ったホップもこんな動きしていた。兄弟でそっくりだ。
 頬を叩く仕草も、ダンデはこっちの世界で時々やっていたよね。

「さあ。バトルしよう、ダンデ」

 ゲームの中の私は、ダーテングを繰り出した。


***


「行け! ギルガルド!」
「頼んだ、パルスワン!」

 最初に出すポケモンはギルガルドと決めている。対策はされていると見るべきだ。

「観客を熱狂させるのもチャンピオンが果たすべき役割」

 ……さて、彼はどう出る。

「パルスワン、【じゅうでん】」

 まずはでんきタイプ技の威力を上げにくるか。
 こちらは遠慮なくいかせてもらう。

「ギルガルド、連続で【シャドーボール】」

 特性【バトルスイッチ】で、ギルガルドは攻撃と特攻が高い姿「ブレードフォルム」に変化した。

 ギルガルドから無数に放たれる【シャドーボール】がパルスワンを襲う。
 だが、パルスワンは【じゅうでん】を持続させながら技をかわした。
 パルスワンはジグザグにフィールドを駆けながらこちらに向かってくる。まるで雷のようだ。

『パルスワンの縦横無尽の走り! ギルガルド、なかなか狙いが定まらない!』

「【10万ボルト】!」
「迎え撃て【せいなるつるぎ】」

【せいなるつるぎ】で【10万ボルト】の軌道を逸らしパルスワンへ肉薄する――刹那、パルスワンが目にも留まらぬ早さで跳躍した。ギルガルドが一瞬固まる。

『ギルガルド、パルスワンを見失ったか!?』
「ギルガルド、上だ!」

 はっと気付いたギルガルドが上を向く。

 青空を背にしたパルスワンが急降下してくる。身体からパチパチと電気をまとう音がした。

 パルスワンの素早さが早い。こちらの技は当たらないかもしれない。

「パルスワン! 【かみくだく】!」
「【キングシールド】!」

 オレとマサルくんの指示は同時だった。

 パルスワンがギルガルドの腕へ食らいつく。
【キングシールド】は間に合わなかった。
 それならば、

「ギルガルド、パルスワンを引き剝がせ!」

【シャドーボール】を放つと、パルスワンは口を離した。ひらりと着地してギルガルドへ威嚇する。

『マサル選手! チャンピオン・ダンデのギルガルドにまずは【かみくだく】で先制しました!』

 実況の声と共にマサルくんへの声援が大きくなった。

『しかし、何故チャンピオンはパルスワンが宙を跳んだ時に攻撃へと転じなかったのでしょうか。空中は逃げ場がないように思うのですが』
『いえ、あの瞬間、ギルガルドは硬直していました。パルスワンが急に跳んだことで、ギルガルドからは姿が消えたように見えたのでしょう』

 実況者の問いに解説者が淡々と答える。
 大きなスクリーンに、パルスワンの跳躍シーンがリプレイ映像として映し出された。

『硬直から立て直し攻撃へと転ずるには時間がかかると考えた。だからチャンピオンは必ず先制できる【キングシールド】でギルガルドのダメージを防ごうとしたのでしょう』
『なるほど。ああいった場面は判断が難しいところではありますが……。さすがはチャンピオンといったところでしょうか』

 続いて【かみくだく】のシーンが再生された。

『いやあ、華麗に決まっていますね』
『パルスワンの特性は歯や牙を使って攻撃する技の威力が増す【がんじょうあご】。【かみくだく】の攻撃力は強烈です』

 その通りだ。実のところ、オレはパルスワンの【かみなりのキバ】を警戒し、【キングシールド】を指示した。【がんじょうあご】の特性を鑑みての判断だった。

 しかし、マサルくんはあそこで【かみくだく】を指示した。はがね・ゴーストのギルガルドにあくタイプ技【かみくだく】は効果バツグンだ。

 どうやらオレはバトル開幕から彼の戦略に引っかかっていたようだ。

 マサルくんは【キングシールド】の攻撃力低下を警戒して開始直後から【じゅうでん】や【10万ボルト】などの特殊技を使用していると思っていたが、全ては【かみくだく】のためのブラフだったのだ。

「【キングシールド】が決まっていれば、パルスワンの【かみくだく】を防ぎ、攻撃力低下を狙えましたが、……ギルガルドの一瞬の硬直が命運を分けましたね』

 さすがだ、マサルくん。

「効果バツグン……。キミたちなら当然の攻撃だ」

 ああ、胸が熱い。
 帽子のつばを触り、にっと笑う。

 これだからバトルはやめられない。

 闘志を燃やして燃やして、燃やし尽くせ。

 バトルはまだ、始まったばかりだ!


***


『効果バツグン……。キミたちなら当然の攻撃だ』

 画面の向こうのダンデが不敵に笑う。

 ダーテングの【ふいうち】が決まったのだ。

 まさかダンデからこんな言葉が聞けるとは思わなかった。

 私、ひとりのトレーナーとしてバトルしているんだ。

 ダンデと、バトルしているんだ。

「勝つ。絶対に勝つ」

 ダンデが繰り出すポケモンたちは手強かった。10年もチャンピオンをやってるんだ。その実力は伊達じゃない。

 一進一退の攻防が続く。

 やっとの思いでオノノクスを倒した。
 次に出てきたのはインテレオンだ。

「……もしかして、私とホップが選ばなかったメッソンが進化したの?」

 ダンデが私たちにポケモンをくれた日。
 メッソンに、ダンデは声をかけていた。「キミはオレと一緒に行こう」と。

 本当、困る。
 ダンデの好きなところが増えて困る。

 やっぱり私、ダンデが好きだ。

 胸がドキドキして、きゅっと切なくなって、今すぐダンデに会いたくなった。


***


 マサルくんが息を飲んだ。

『チャンピオンが次に繰り出したのは、ドラマーポケモンのゴリランダー!』

 ゴリランダーが咆哮し、切り株でできたドラムを叩いた。やる気に満ちあふれている。

「キミがメッソンと、ホップがヒバニーと旅立って強くなったように、オレもサルノリと共に過ごし強くなった。決勝戦で戦えること、楽しみにしていたぜ!」

 ゴリランダーがちらりとオレを見て、マサルくんに向き直る。

「バンバドロとゴリランダー。相性だけで言えば、オレたちが有利ではあるが。キミはそれすら跳ね除けてオレに食らいついてくると信じてるぜ」

 マサルくんは「はい」と返事をし、バンバドロへ指示を飛ばす。

「【10万ばりき】!」
「【はたきおとす】!」

 技と技がぶつかり合う。

「バンバドロ、よけろ! そこから【ヘビーボンバー】」
「ゴリランダー! 【ドラムアタック】!」

 まばたきすらも惜しいほどの熱いバトル。
 スタジアム内のボルテージは上がっていく。

 オレは首に下げていたお守りをユニフォームの上から握った。