
あなたが敗北を識った日②
***
ダンデは本当に強い。一瞬たりとも気が抜けない。弱点タイプで攻めようとしたら当然のように対策されていた。一撃で倒されたときはちょっと心が折れた。
それでもなんとか食らいついていく。大丈夫。勝てるよ。
「あ、ストリンダーが!」
ストリンダーはドサイドン相手に耐えられなかった。
こっちの手持ちはエースバーンとヌオーのみ。
ヌオーはリザードンのために温存しておきたい。
お願い、エースバーン。
「ドサイドンの体力は残りわずか。――いける」
エースバーンの先制攻撃が決まった。
ドサイドンが倒れた。
ダンデの手持ちは残り1匹。
出てくるポケモンは、もちろん、
『まだまだチャンピオンタイムは終わらない! 終わらせないッ!』
ダンデの相棒、リザードン。
「エースバーンは交代して、ヌオーで行こう!」
有利なタイプで勝利に繋げていくんだ!
***
ダンデ! ダンデ! ダンデ!
マサル! マサル! マサル!
あちこちから名前が叫ばれる。
応援歌が響き渡る。
熱気を孕んだ声援が燃料となる。燃え上がる。炎にも太陽にも負けない、熱い戦いがここにある。
『誰がこの展開を予想していたでしょうか!? チャンピオン・ダンデとマサル選手、お互いの手持ちは残り1匹! リザードンVSインテレオン! 会場の熱は今や最高潮です!』
『チャレンジャーがチャンピオンの切り札、リザードンをこの場に引きずり出したのは今までで初めてではないでしょうか』
身体が熱い。炎のように。
胸が弾む。ボールのように。
目が輝く。星のように。
思わず口角が上がる。
ああ、楽しい!
生きている!
この瞬間、オレは、全力で、ポケモンたちと生きている!
「リザードン!」
「ばぎゅあ!」
任せろ、というようにリザードンが鳴いた。
頼んだ、相棒。
「リザードンの本気を見せよう! キョダイマックスタイム!!」
ダイマックスバンドが赤い光を放つ。
『チャンピオン、ここでリザードンをキョダイマックスさせました!』
オレのリザードンはダイマックスさせると姿が変わる。
翼は炎そのものを思わせるものへ。腹の部分にオレンジ色の模様が浮かび上がる。
リザードンの持つ熱が伝播して、オレの体温もリザードンに近づいたみたいだ。
額に汗が浮かび、頬を伝って流れていく。
「楽しいな、マサル!」
オレは笑っていた。心から、笑っていた。
向かい合うマサルくん――マサルも笑っていた。
「終わらないでほしいくらいです」
「ああ、ずっとずっと、戦っていたい」
「でも、それは」
「分かってる。無理な話だ」
ポケモンが大好きだ。
ポケモンバトルが大好きだ。
オレの、全てのはじまりは、それだ。
いつの間にか遠い所に来ていた。
玉座に座るオレは、待っていた。
強い相手を待っていた。
玉座を奪いにくる相手を。
喉元に食らいついてくる相手を。
常勝無敗だとか、無敵だとか、伝説のポケモンを捕まえたとか、未来を守った英雄だとか。
そんなもの、ポケモンバトルの前には関係ない。
あるのは、オレとキミ。
ポケモンと、人。
ただそれだけ。
立場も何もない。
ポケモンたちと心を通わせる。
それがあるだけだ。
「インテレオン! 行くよ!」
「うぉれおん!」
インテレオンがマサルの手によってダイマックスした。
「ホップのお兄――いや、ダンデさん! 最高のポケモンバトルをしましょう!」
***
ダイマックス……。ここでヌオーに使うべき?
でも……、ヌオーがダイマックスしたら【ダイストリーム】を使うことになる。リザードンはひこうタイプでもあるから、じめん技は効かないのだ。
【ダイストリーム】を使ったら、天気は「雨」。ほのおタイプ技が弱まる。リザードン相手にそれはいいかもしれないけど、仮にヌオーが倒れてエースバーンに変えたら――不利、だよね。
「それに、ダンデのことだからみずタイプ対策してるよね」
【ダイソウゲン】きたらヌオーは耐えられない。すぐに交代になるかも?
……エースバーンに使おう。エースバーンは、その名前の通り、私のエースで切り札だから。
私はヌオーに【アクアテール】を指示した。
「やった! “せんせいのツメ”持たせててよかった!」
ダンデと戦うから道具とか技構成を見直してたんだ。ヌオーは素早さが遅いから、どうしても後攻になってしまう。だけど、ここで“せんせいのツメ”が発動してくれた! よかった! お陰でリザードンより先に行動できた!
リザードンに【アクアテール】が命中した。やった、HPをかなり削れた!
「お願い、このまま……!」
だけど、そうは上手くいかなかった。
「あ、やっぱり」
なんとリザードン、【ダイソウゲン】を覚えていた。みず・じめんタイプのヌオーに効果バツグンだ!
私は思わず天を仰いだ。だよね! さすがダンデ! でもこの予想は当たってほしくなかったな!
「お願い、エースバーン!」
ここでダイマックスを使う!
ヌオーが繋げてくれた。大丈夫、勝てるよ!
相棒同士のポケモンバトル!
負けてられない!
「エースバーン! 【ダイジェット】」
***
インテレオンが放った【ダイストリーム】でフィールドの天気は「雨」になっている。
細い糸のように降り注ぐ雨を身体に受けながら、オレたちはバトルの行方を見守っていた。
『ダイマックスが終了! インテレオン、【キョダイゴクエン】を耐えた!』
リザードンとインテレオンが元の大きさに戻っていく。
『インテレオン苦しそうだ! 一方のリザードンは、咆哮を上げて余裕を見せている! さすがチャンピオンの相棒! 王者の風格が漂います!』
インテレオンが膝をついて荒い息を吐いた。【キョダイゴクエン】で継続ダメージを受けているが、そろそろその効果も切れるはずだ。
リザードンは平気な様子で振る舞っているが、みずタイプの技を真正面から受けている。ダメージは確実に蓄積されているはずだ。あと2発――いや3発食らえば……、というのがオレの見立てだ。
全身が震える。肌がびりびりとする。
ああ! オレが! ここまで追い詰められるとは!
「リザードン!」
リザードンが己を奮い立たせるように鳴いた。
「【だいもんじ】」
「避けて!」
インテレオンの足元を炎が掠める。リザードンは空を飛びながら【だいもんじ】を再び繰り出した。時折【げんしのちから】で足場を不安定なものにし、インテレオンを追い詰めていく。攻撃の暇などは与えない。
『リザードンの怒涛の攻撃! インテレオン、なかなか攻撃に出ることができません』
【ダイストリーム】の影響で起こった雨が上がった。スタジアムに日が差し込む。むわっとした熱気が身体に纏わりついてくる。
芝生からは湯気、あるいは水蒸気のようなものが立ち込めていた。フィールドの向こうが揺らめいている。【キョダイゴクエン】と【ダイストリーム】の影響だろうか。雨が降っていたといえど、【だいもんじ】の余波もあって熱せられた芝生は冷めきっていないようだ。
雨が上がった今ならば、この技を使える。
相性の不利を、この技で埋める。
「リザードン、【ソーラービーム】だ!」
天気は「晴れ」ではないから少し時間がかかる。だが、インテレオンを確実に攻め落とすなら、ここが使いどきだ!
「っ! 【ねらいうち】」
命中率100の【ねらいうち】はリザードンに確実にダメージを与えた。
だが、耐えた。リザードンは耐えてくれた!
『【ねらいうち】が命中! しかし、リザードンは倒れない! さあ、【ソーラービーム】の準備が終わったようです。インテレオン、万事休すか!』
「インテレオン、回避に専念! 【とんぼがえり】」
勢いをつけてマサルの元へ帰っていくインテレオン。
――彼は何故ここで効果はいまひとつの【とんぼがえり】を選択した? 【ねらいうち】ならば着実にリザードンにダメージを与えられるというのに。交代するポケモンもいないというのに。
マサル。君は何を考えている?
何かを仕掛ける前に仕留める!
「リザードン、追ってくれ! 彼らを逃がすな!」
低空飛行でインテレオンを追い、【ソーラービーム】の射程圏内入った。
「これで決めるぜリザードン! 【ソーラービーム】!」
陽光を思わせる光の奔流がリザードンから放たれる。
【ソーラービーム】はインテレオンに直撃した――。
***
ダンデのリザードンは【キョダイゴクエン】を放った。ほのおタイプ同士だから、ダメージは少ない。
「もう1回【ダイジェット】」
【ダイジェット】で素早さは上がっている。エースバーンがリザードンに先制。続けてリザードンの攻撃が飛んでくる。
「次も【ダイジェット】」
エースバーンの【ダイバーン】で天気を「晴れ」にすることも考えた。ほのおタイプ技の威力が上がるから。でも、それはリザードンも同じ。相手に有利な状況を作るわけにはいかない。
このまま続ければ勝てる――と思ったけれど、そうは上手くできていない。
「えっ?」
ダンデは対策の鬼だ。
「リザードンが【ダイロック】使ってきた!?」
まさかリザードンが、いわタイプ技も覚えているとは。エースバーンに【ダイロック】は効果バツグンだ。
ダメだ。エースバーンが倒される。
私はぎゅっと目を瞑った。
ダンデに負けた。ゲームだから再戦できるけど、できることなら1回目で勝ちたかった。
仕方ない。もう一度挑戦して――。
「……?」
恐る恐る目を開けた。
ゲーム画面に映し出されていたのは、この一文。
『エースバーンは を 悲しませまいと もちこたえた』
私は思わず震えてしまった。
「わ、嘘……!」
エースバーンがHPを1残して持ちこたえてくれた。
そういえば、手持ちのポケモンたちの反応が初期と終盤では変わっていた。貰える経験値が増えたり、状態異常を回復したり、技が急所に当たりやすくなったり。ひんし状態になるダメージを受けても、HP1で持ちこたえるようになったり――。
ゲームの仕様。それは理解している。
だけど、私、確かにこの子たちと旅をしてきたんだ。
色んな出来事を乗り越えてきたんだ。
エースバーンが、持たせていた「オボンのみ」でHPを回復してくれた。【ダイロック】による「砂あらし」のダメージがあったけど、それも微々たるもの。
リザードンのキョダイマックスが終わり、元の大きさに戻る。エースバーンは次でダイマックスが終わる。
「ありがとう、エースバーン! これで決めよう!」
エースバーンが【ダイジェット】を放つ。
そして――。
***
【ソーラービーム】が直撃した。はずだった。
「……!?」
インテレオンは無傷だった。
『一体どういうことでしょうか! インテレオンに目立ったダメージはありません!』
インテレオンが右手の標準を合わせていた。まるでスナイパーのように、空中で静止するリザードンに合わせていた。
まずい。【ねらいうち】が飛んでくる。
「避けろ、リザードン!」
「ぎゅあ!?」
リザードンが【ねらいうち】を食らった。地面に激しく叩きつけられる。
『おっとこれは――【ねらいうち】が急所に当たりました!』
【ソーラービーム】を受けたのは【みがわり】? いや、そんな素振りはなかった。必死に頭をフル回転させる。熱せられた芝生。ほのおとみずの技の打ち合い。無傷のインテレオン――。
ゆらゆらと揺らめく向こうの景色。
脳裏に閃いたものがあった。
「――蜃気楼? いや、陽炎、か?」
地面が熱せられることで上昇気流が発生し、光の屈折によって地面から炎のような揺らめきが立ちのぼる現象。それが陽炎だ。焚き火の向こうの景色や物体が歪んで見えたことはないだろうか。あれと同じ原理だ。
【キョダイゴクエン】で熱せられた芝生と、上がった雨。差し込んだ日差し。陽炎発生の条件は揃っている。
陽炎でリザードンの【ソーラービーム】が外れた。インテレオンの姿が揺らめき、僅かに標準が狂った。
マサルが【とんぼがえり】を選択したのは、少しでも早くリザードンから大きく距離を取るため。
全ては【ソーラービーム】を確実に回避するための――。
「もう一度! 全てをこの技に! 【ねらいうち】!」
「迎え撃つぞ! 【だいもんじ】!」
水と炎がぶつかり合った!
衝撃で爆発が生まれ、煙が視界を覆い隠す。
世界が止まった。
音が消えた。
あれほど聞こえていた歓声が聞こえない。
視界が晴れる。
最後まで立っていたのは。
――インテレオンだった。
リザードンが地面に倒れている。
音が戻ってくる。
世界が動き出す。
マサルくんが飛び跳ね、インテレオンとハイタッチを交わしている姿が見えた。
『信じられません! バトルを制したのは! 無敵のチャンピオンに大勝利を収めたのは! ハロンタウンのマサル選手! チャンピオンから推薦状を貰った、マサル選手です!!』
『我々は今、歴史的瞬間に立ち会っております! 誰がこの結果を予想したでしょうか!?』
そうか。
オレは、
オレは――。
負けたのか。
湧き上がってくる、形容し難い感情。
帽子を目深に被り、俯く。
震える肩。
噛みしめる奥歯。
負けた。生まれて初めて、バトルで負けた。
心臓を握り潰されるような、目頭が熱くなるような。
渋いきのみを食べて舌の上で持て余し、なかなか飲み下すことができないような。
もう一度戦いたい。今度はオレが勝つんだ、と地団駄を踏みたくなるような。
これが……、これが、悔しいという気持ちなんだな。
――だけど、同時に、マサルという新たなチャンピオンが誕生したことを嬉しく思う。
オレは笑う。いつものように。
心からの笑顔で。
帽子を天空へ高く高く放り投げ、
「チャンピオンタイムイズオーバー」
「最高の試合にありがとうだ!」
観客たちに笑顔を見せた。
紙吹雪が舞う。祝福の声がスタジアムを埋め尽くす。
「ありがとう、リザードン。ゆっくり休んでくれ」
リザードンをボールに戻し、オレは告げた。
「マサル、おめでとう。無敵のチャンピオンを倒したキミが、新しいチャンピオンだ!」
、キミも見ているか。
ゲームでも。画面越しでも。
新しいチャンピオンの誕生を、見ているか。
キミからお守りを貰ったのに、負けてしまった。
でも、全力を出したんだ。素晴らしいバトルができたんだ。
こんなに晴れ晴れとした気持ちはない。
「キミが強くなった今、オレも未来のことを考えよう」
時代が変わる。
希望が生まれる。
可能性が広がる。
「未来に繋がる今現在を。オレたち大人もよりよくする!」
オレは知っている。
子どもたちのために願いを託した家族のことを。
受け継がれた思いを。
世界が違えど、大人たちの願いは変わらない。
子どもたちの明るい未来を守りたいんだ。
「ガラルの皆! 今、ここに! 新しい伝説が生まれた」
空に打ち上げ花火が上がった。
祝おう! 新しいチャンピオンの誕生を!
オレはマサルの腕を取り、空へ掲げる。
終わりがきた。
始まりがきた。
今は悔しさを押し留めて。
いつもの笑顔を浮かべて。
オレは、最後、チャンピオンとして、大人として、皆に告げよう。
「マサルが見せてくれる未来。皆で楽しみにしようぜ!」
***
『――が見せてくれる未来。皆で楽しみにしようぜ!』
「勝ったよ、私、勝ったよ」
switchの画面にパタパタと雫が落ちた。
「ダンデ、勝ったよ……!」
ゲームはゲーム。チャンピオンに勝つようにストーリーができている。それは分かっている。
ゲーム越しだけど、あなたに勝ったよ。
無敵と言われたチャンピオンに。
無敗だったチャンピオンに。
言葉にできない気持ちで胸がいっぱいになる。
私はswitchを手にしたまま、ソファへ仰向けに寝転がった。目尻から落ちた涙が耳から髪へ伝っていく。
「ダンデ……」
ゲームの中の主人公は、ダンデと共に腕を挙げ、大勢の観客たちから祝福を受ける。
ねえ、ダンデ。
向こうの世界でもゲームの通りになっているか分からないけれど。
もしもダンデも、私と同じ景色を見ているのなら。
チャンピオンでなくなったダンデ。
負けを知ったダンデ。
これからどう過ごしていくんだろう。
ポケモンが大好きなあなたのことだから、きっと変わらずポケモンと過ごしていくんだろうね。キャンプを楽しむのかもしれない。
「ダンデ、勝ったよ……」
あなたに、勝ったよ!
その晩は涙で海ができるくらいに泣いた。
次の日は目が腫れてしまって大変だった。
いつまでも別れを悲しんではいられない。
ダンデがいなくても日々は続くのだ。
「今までの生活に戻っただけ。大丈夫。大丈夫。いつか来てくれるまで、私は――」
そうして時は流れ――。
気付けば、2022年の夏を迎えていた。