おしまいは、あなたの隣。①


  

さん、今話しかけても大丈夫ですか」
「大丈夫ですよ。どうしたの?」
「ここのやり方なんですが……」
「ああ、これはね――」

 ダンデが元の世界に帰って約2年が経った。

 私はあれから変わったこともなく――と言いたいところだけど、実は今年から新入社員の教育係のようなものをしている。

 新入社員の子はとても初々しくて、入社当初は会話ひとつでも緊張しているようだった。

 とはいえ、飲み込みも早くて素直に指示を聞いてくれるし、分からなくなったらすぐにこうして質問にきてくれる。

 私も勉強になることばかりだ。誰かに何かを教える機会ってあまりないから、いい経験になる。

「――なるほど。ありがとうございます!」
「いえいえ。それ一段落ついたら休憩行っていいからね」
「はい!」

 うーん、可愛い。爽やか。フレッシュ。私も昔はあんな感じだったのかな。今は初々しいの「う」の字もない気がする。

ー! お昼行こー!」

 入口で手招きしているのはズシだ。

「お待たせ!」
「今日どこ行こうか?」
「近くにエスニック料理を出すお店できたらしいよ。そこどう?」
「お、いいね。そこにしよう!」

 ズシは今も変わらずキバナ様を推しており、この間のイベントでは人生で初めて夢漫画の同人誌を頒布してきたらしい。「でも彼氏はできないのよね。趣味を理解してくれるキバナ様レベルのイケメンいなかいかな~」と遠い目をしながらコスプレ衣装を作っていた。



 ランチの時間帯で混んではいたけど、わりと早く席に座ることができた。

「そういえばさ~。カシワギ、結婚するんだってよ」
「んぐふ!」

 食べていた焼きビーフンが器官に入りかけ、大いに慌てる。けほけほと噎せてしまった。

「ごめん。大丈夫だった?」

 私は咳き込みながら首を縦に振った。

「――っは~! びっくりした! え? カシワギくん結婚するの? 相手誰?」
「んー。社外の人らしいよ。締まりのないだらしない顔で出社してきたから問い詰めてやったら『結婚するんです』『ズシ、お先にごめん』とか言ってきてやんの。殺意しかないわ」

 生春巻きを豪快に食い千切るズシが若干怖い。
 それにしても、カシワギくんが、ねえ?

「へえ……」

 私が結婚前提でお付き合いしてくれる人を探してると言ったとき、カシワギくんは「まだ考えたことない。遊んでたい」みたいなこと言ってた記憶があるのだけど……。あれから1年以上経ってるし、考えくらい変わるか。

「そっか。結婚したいくらい素敵な人が見つかったんだね」
は優しいわね~。はあ、あの元チャンピオン現タワーオーナー様は何やってんのかしらね! ったくもう」

 ダンデが元の世界に帰って約2年が経った。
 言い換えれば、ダンデが来ないまま、2年が経ったということだ。

 一緒に過ごした期間より、別れの期間の方が長くなってしまった。

 あれからゲームの方ではダウンロードコンテンツが登場し、ガラル地方で冒険の続きが描かれた。
 ヨロイ島、カンムリ雪原、ダンデのお師匠さん、伝説のポケモン、ガラルスタートーナメント……。

 ゲームの中のダンデは、バトルタワーのオーナーになった。かねてからの夢、「ガラルのトレーナーを強くする」の第一歩を踏み出したのだ。

 ゲームが必ずしもあちらの世界を全部反映しているわけではないのかもしれない。でも、ダンデが元の世界で元気にしている。それが分かっただけでも嬉しかった。

 もうゲームに新しいコンテンツが追加されることはない。
 でも、私はダンデに会いたくて、毎日バトルタワーに通ってしまうし、スタートーナメントではパートナーになってダブルバトルをしているのだった。

「ねえ」

 ズシが神妙な顔つきになった。

「あんた、本当にダンデを待つつもりなの?」
「うん。迎えに来るまで待ってる」
「……一生独身かもしれないのに?」
「うん。ダンデと家族になれないなら、独り身でもいいよ」

 口を真一文字に結んで、ズシは目を伏せた。

「あんなに家族が欲しいって言ってたじゃない」
「……うん」
「ダンデじゃないと、嫌なの?」
「うん」

 私は微笑んだ。

「大好きなの。どうしようもなく」

 まともじゃない。どうかしてる。
 ズシにはこう思われてるかもしれない。

「約束を守ってくれるって信じてる。どれほど時間がかかっても、私はダンデを待ってるよ」

 まあ、それはそれとして。

「でも、待つのって結構大変だね。マイナスなことばっかり考えちゃう。待つだけならなんともない、楽勝~、とか思ってたんだけどなあ……。調査、しようかな。ほら、ダンデが帰る方法探ってたでしょ? SNSて未確認生物の目撃情報集めてさ。ポケモンが紛れてるかもって。私、今度そこに行って――」


 ズシが静かな声で私を呼んだ。そして、テーブルに置いたままになっていた私の手をそっと握った。

「あんたができることは! あんたができることは……ダンデが迎えに来るまで、怪我も病気もせず、健康でいることよ。生きてダンデに会いなさい。長生きしなさい。変なことに首突っ込まんでいい! 下手に旅行なんてしたら事故る可能性もあるでしょ? あんたがどうしてもっていうなら、そういう現地調査は私がやってあげるわ。だから、信じて、待っててやりな」

 私の心の中の矛盾が、ズシの手で小さくなっていく。

 好きなのは本当。信じてるのは本当。でも、やっぱり、小さな不安が私の身体の隅っこに居座っていて、スルスルと蔦のように全身に絡みつこうとしていた。

 ズシにこうして励ましてもらえると(完全になくなったとは言えないけれども)、不安は小さくなって、赤ちゃんをあやすような穏やかな気持ちになれる。

「……でもさ、ズシが私の代わりに現地調査して大丈夫なの? ズシの言い分が通るなら、そっちの事故る確率が上がるんじゃ?」
「いいのよ。私、絶対より生命力強いし。心臓に毛が生えてるってよく言われるし」
「なにその自信。っていうか心臓に毛が生えてるなんて比喩でしょ?」

 思わず笑ってしまった。
 ズシのこういうところ、好きだ。

「ありがとう、ティアラ」
「! ちょっと待ってやめて! 私、その名前嫌なの知ってるでしょ!?」

 ズシの下の名前はティアラだ。ただ、本人はこの名前を嫌っており――本人曰く、充てられた漢字が難読だし、ティアラって面ツラじゃない――苗字で呼ぶように言われていたのだけど。

「いや、こういうときくらい下の名前で呼ばせてよ。私の親友」
「親友……。ま、まあ、いい響きね。親友。ったく。を泣かせたら承知しないわ。化けてでもあいつの前に出てやる」

 そう言って、ズシが熱くなった自身を落ち着かせるようにお冷を飲んだ。


***


に会いたい……」

 バトルタワーの執務室にて。
 オレは立派な机の上に突っ伏していた。

「会いたい! 会いたい!」

 両拳でドンドンと机を叩く。

「どうして仕事が終わらないんだ。新しいトーナメントの企画、開催、運営などの段取り! 日々バトルタワーに挑んでくるトレーナーとの対戦! オレの決裁が必要だからと飛び込んでくる書類の山! オレが出席しなくても済みそうなミーティングの数々! 更には豪華なだけで顔を出すのも無意味そうなパーティーの連続!」

 オレは勢いよく顔を上げた。

「おまけに舞い込んでくる見合い話! 露骨にモーションをかけてくる女性たち! オレには心に決めた人がいるっていうのに! もう半年も経っている! 早く異世界を渡る方法を探したいのに! 時間が24時間では足りない! そう思わないか、なあキバナ!」
「……オレが入ってくるなり怒涛の愚痴零しタイムに入るとは思わなかったぜ、ダンデ」

 目の前には、困惑しながらもオレの愚痴に付き合ってくれるキバナが立っていた。

「それらには同情するぜ? ローズ委員長がやっていたことを引き継いだんだ。今までバトルさえしていればよかったオマエにとっては、慣れないことだらけで手間取るのは分かる。だけどな、スタートーナメントっていう新しいことをしたのはオマエだろ? つまり、忙しさに拍車かけてるのはダンデ。オマエ自身だってことだ」
「それは、そうなんだが……」

 オレは小さく縮こまる。

「仕方ないだろ。ローズ委員長がムゲンダイナの騒動で自首してリーグはてんやわんや。マクロコスモス系列の企業にも混乱が見られた。ローズタワーの経営諸々が、オレ以外の人間の手に渡ると思ったら、身体が動いていたんだ」

 あの人のやったことは、必ずしも許されることではなかったが「未来を守りたい」「未来永劫続くものにしたい」という意思を、オレは否定したくなかった。
 
 ローズさんがオレのためにしてくれていたことも含めて、ガラルの未来のために動きたかったんだ。

「だから大急ぎでローズタワーの経営権を買い取ってバトルタワーへ生まれ変わらせた。ガラルスタートーナメントの開催も、新リーグ委員長としてのアピールにはなったはずだぜ」

 スタートーナメントで観客たちに語ったことも本音ではあるが。

「まあ、ローズさんが表舞台から消えてここぞとばかりに口を出してきたお偉いさん方は、オマエの行動で何もできなかったものな。ガラルのトップが、何も知らない人間の手に渡るよりはいい」

 キバナは腕を組んで「でもな」と続ける。

「何でも平気な顔してこなしてたオマエが、実は裏でこんなになってるとは思わなかったぜ。オマエ、チャンピオンを降りてから……、こう、素直に他人に弱味を見せるようになったよな」
「がっかりしたか? 好敵手(ライバル)がこんなので」
「いいや?」

 キバナは少し笑って、腕を解いた。

「そっちの方が、オレ様は好きだな。前よりとっつきやすいぜ。前のオマエは、あー、チャンピオンだったオマエは、親しみやすさを前面に押し出してはいたが、そこに自我はなかったというか。……プライベートのダンデはオレたちジムリーダーにも絶対見せなかったよな」

 オマエも人間だったんだな、とキバナが言った。

「それもこれも、異世界に飛ばされたお陰だったりしてな」
「異世界に飛ばされたのもそうだが、と出会ったお陰だと思うぜ。彼女が、オレを――『ただのダンデ』を見つけてくれたんだ」
「ふうん?」

 キバナはキョトンとした顔で首を傾げた。

「ああ、いや。すまない、こっちの話だ。長々と愚痴に付き合わせてしまった。ところでキバナ、何の用だ」
「これ。ファンレターの返事だよ」

 キバナはドラゴンタイプジムのユニフォームと同じカラーの封筒をひらひらと振ってみせた。

「異世界からの熱烈なファンレター。無視するわけないだろ」
「ありがとう、キバナ」

 オレが異世界にトリップしていた、という話は、ごく一部の人間にだけ明かしていた。

 まずは、母さんとホップ。ホップはムゲンダイナの現場にいたから。母さんはお守り袋に入っていた写真を見ているからだ。ホップは素直に信じてくれた。母さんは写真の景色とオレの思い出話で半分くらいは信じてくれた。早くこの女性を私に紹介しなさいね、とも。

 次にソニア。ジラーチのことを調べてほしいという依頼もしたし、なによりソニアなら異世界に行く方法も見つけてくれそうだなと思ったからだ。ソニアはわりとあっさり信じてくれた。どうやら他の地方では異世界の研究をしている博士もいるらしい。

 それから、マサル。彼がムゲンダイナを捕まえたし、何よりオレに勝ったチャンピオンだ。彼には何も包み隠さず話したかった。マサルは出会った日と同じ、力強い瞳でオレの話を信じてくれた。

 最後はキバナ。ジムリーダーの皆に話すつもりはなかったのだが、実はオレはズシからキバナへのファンレターを預かっていたのだ。

「キバナ様が実在するんでしょ!? なら、ファンレター届けて! 帰ったらすぐ!」というズシの圧に負け、オレは決勝戦が終わった3日後にキバナにファンレターを渡したのだ。

 だが、キバナはファンレターの文字を読めなかった。すっかり忘れていたが、ファンレターは異世界の文字、日本語で書かれていたのだ。キバナは色んな資料を探しながらと1週間ほど格闘したあと、「大昔に使われた文字でもなければ他地方の文字でもない。オレ様に読めない手紙押し付けるとはどういうことだ」とオレのもとに押しかけてきたのだった。

 これはオレが異世界にトリップしたことを明かすしかない。そう思い、オレはあの世界での出来事を話したのだった。

 最初はホラ話だと疑っていたキバナだが、文字がこの世界には存在しないことも踏まえて、最終的にはオレの話を信じてくれた。だから、キバナはオレがに心を寄せていることも、迎えに行く約束をしているのも知っているのだ。

 ちなみにファンレターだが、オレがガラルの文字に翻訳した。

 ズシはオレの尻をバットで叩いたくらいなのでどんなことを書いてあるのかひやひやしたが、案外普通の内容で拍子抜けしてしまった。「あなたの折れない心に勇気づけられる」「あなたならチャンピオンになれる」等々。純粋に心から応援していることが伝わってきた。

 そういえば、ズシはオレの正体を知らない頃、を悲しませるような真似をするなと釘を刺してきた。友人思いの人だ。彼女も根は優しいんだ。たまにこちらの斜め上のことをしでかすが。……あの発想がポケモンバトルで発揮されると面白いのではないだろうか。彼女、トレーナーにならないだろうか。

「じゃあ、確かに手紙、受け取ったぜ」
「頼んだぜ。それから、早く迎えにいってやれよ。……さんだっけ。オマエ、あんまり待たせてると愛想尽かされるぞ」

 針でつっつかれたようなそれに、オレは胸を押さえた。

「き、気にしていたことを……。いや、に限ってそんなことは……」
「連絡取りようがないからオマエの声も届かないしな。一緒になりたいなら、そろそろ本腰入れて世界を渡る方法、探せよな」

 やれやれ、とキバナは首を振った。

「オマエが譲れないもののために奮闘したのは理解した。だが、さんもオマエの『譲れない』人だろ」
「ああ。そうだぜ」

 と、ここでスマホロトムが着信を知らせる。

「オマエのロトムじゃないか」
「そうみたいだな?」

 仕事の電話だろうか、と相手を確認する。ソニアだった。

「ソニア?」
『あ、ダンデくん。今いい?』
「ああ、5分くらいなら」

 そんなに長い話じゃないから大丈夫、とソニアは用件を口にした。

『“ねがいぼし”で世界を渡れるかもしれないの! 正確には、ムゲンダイナの力で、なんだけど。ただ、ちょっとほら、ムゲンダイナ絡みは色々あったでしょ? ダンデくんの意見を聞きたいんだ』


***


 考えなかったわけではない。ムゲンダイナの力で、世界を渡るという方法を。

 ジラーチは、足りなかった分の力をムゲンダイナの一部である“ねがいぼし”で補った。

 ムゲンダイナと対峙したマサル曰く、あの日、ムゲンダイナの周囲の空間には、ガラルの様々な場所が映し出されていた。

 ムゲンダイナと“ねがいぼし”の力があれば、のいる世界にもう一度行けるかもしれない。

 だが……。

「――“ねがいぼし”の力を与えすぎたためにムゲンダイナは暴走し、ローズさんは二度目のブラックナイトを引き起こしかけた。その二の舞になるんじゃないか」

 ソニアから連絡を貰った次の日。オレはブラッシータウンの研究所をを訪れていた。

 ソニアが用意してくれた紅茶を飲み、ほうっと息を吐く。ソニアの隣にはホップが座っており、「アニキがそんな顔するの珍しいんだぞ」と驚いていた。

「うん、また各地でダイマックスが引き起こされるかもね。それに、マサルがチャンピオンになってすぐにさ、ソッドとシルディっていうシーソーコンビが、研究所で保管していた“ねがいぼし”を持っていって、大惨事になりかけたこともあったし……」

 オレがバトルタワーの新興に励んでいた頃、各スタジアムでダイマックスしたポケモンが暴れていたという報告が入ってきたのを覚えている。マサル、ホップ、ネズにソニア、そして各街のジムリーダーが解決に向けて動いていたので、オレは静観していたんだ。本当に危なくなったら助けに行こうと思っていたが、マサルたちなら大丈夫だと信じていた。

「アニキが心配するのも分かるんだぞ。ムゲンダイナは今、マサルのポケモンになってるけど、“ねがいぼし”の力を与えすぎたらまた暴走するかもだよなー」

 ホップが腕を組んでうんうん唸る。

「そうね。わたしも提案しておいて不安。だけど、違う方法を探すとなると、更に膨大な時間がかかると思う」

 ソニアは自身の研究の傍ら、異世界を渡る方法を調べていてくれた。ホップも手伝っていたらしい。

「アローラでは『ウルトラホール』の研究をしている人がいるから連絡取ってみたりしたんだけど、どうもダンデくんが行った世界とは違うみたいだし。そもそも、ポケモンがいないんだよね」
「ああ。あの世界にはいない。似たような生き物はいたが」
「ポケモンがいない世界なんて考えられないわ」

 お気に入りのボールで遊ぶワンパチを眺めてソニアが呟いた。

「……どうする、ダンデくん」

 ともかく、ムゲンダイナに頼らないならば違う方法を探すしか道はないらしい。

「ムゲンダイナが暴走しないように、今までのデータを参考に細心の注意は払うわ」
「オレにはザマゼンタ、マサルにはザシアンもいる。もし何かあっても止められるんだぞ」

 ソニアもホップも身を乗り出して、オレの答えを待っている。

 2人がこんなにも真剣に向き合ってくれているからこそ、オレも正直に言わなければいけない。

「他の方法を探そうぜ」

 オレは力なく笑った。カップに残っている紅茶には、いつもより元気がない笑みが映っていた。に言わせたら曇り空だろうか。

「ローズさんはガラルのためにムゲンダイナを隕石から起こした。だが、オレの場合は完全に私欲なんだぜ。オレ個人の願いに、ソニアたちを、いや、ガラルの皆を巻き込むわけにはいかない」

 ソニアもホップも、オレのように顔を曇らせた。そうだ、暴走を止めれるとしても、被害が出ないとは言い切れない。

「彼女が好きだ。愛してる。叶うなら今すぐ会いたい。だが、その想いとガラルへの想いは別だ。オレは――ん?」

 2人がぽかんと口を開けて、オレを――窓の外を見ている。

「あ」
「あ」
 
 ドン! という音が外から聞こえた。

「何の音だ?」
「今の“ねがいぼし”が落ちた音なんだぞ!?」
「ちょうど、ダンデくんの『彼女が好きだ。愛してる。叶うなら今すぐ会いたい』のところで空に赤い線が走って……。多分“ねがいぼし”」

 オレたちはそれぞれ顔を見合わせ、急いで外へ飛び出した。