
あなたと暮らすためのアレコレ②
最後に見たのは、ホップとマサル。
剣と盾のポケモンと共に戦い、ムゲンダイナというポケモンを捕まえた。
そうか、ガラルの未来は――子どもたちの未来は、救われたんだな。あの2人とポケモンたちの力で。
オレはムゲンダイナから受けた攻撃のせいで意識を失った。
そして――。
胸の辺りを叩かれた。
何度も何度も、無遠慮に。
ポケモン、ではない。多分。リザードンならもう少し力が強いし、ドラパルトならばオレの身体に飛び込んで、すり抜けようとしてくる。その瞬間は、少しヒヤリとするんだ。
「ん……」
眠気を無理矢理引き剥がす。もたつく意識を覚醒させ、目を開ける。
知らない天井。
知らない部屋。
知らないベッド。
オレの隣に、誰かいる。
一気に頭が覚醒した。
目が、合った。
黒い瞳だった。
まるで夜のようだった。
しかし、誰だ?
知らない女の子だ。
彼女は眠そうな顔をしていたが、頭が働いてきたのだろう。オレが隣で寝ていたことに気が付いたようで、だんだん表情が驚きから恐怖へと変わり――
「ひっ、」
「キミは……」
「ぎゃあああああああああああああああああああああっ!?」
一体誰だ? ここはどこなんだ? と訊ねる前に、彼女は悲鳴を上げた。
そこからは大変だった。彼女はパニックに陥って、手当たり次第に物をオレに投げつけてきた。
当然オレもこの状況に混乱していたが……。他人が慌てている姿を見たら、逆に冷静になってしまった。ポケモンバトルをしているせいかもしれない。トレーナーは常に冷静でいなければ、ポケモンに指示を出せない。彼らを不安にさせてしまうからな。
彼女を落ち着かせようとするが、彼女はまったくオレの話を聞いてくれない。むしろ、オレは彼女の投擲に感心していた。
「すごいな、キミ。カビゴンの【なげつける】のようだ!」
そこで彼女の動きが止まった。
「何の、話?」
ポケモンという単語を初めて聞いた。そんなリアクションだった。
「まさか、ポケモンを知らないのか?」
「知ってるよ。ゲームでしょ」
「ゲーム? いや、ポケモンは生き物だ。この世に存在する。オレの相棒のリザードンだって、」
「いやいやいや! ポケモンが存在するわけないでしょ。ピカチュウが現実にいたら嬉しいけども……」
ゲーム? ゲームだって? そんなはずはない!
オレのリザードンはヒトカゲだった時からずっと一緒にいる相棒で、ジムチャレンジを突破して、チャンピオンとしてガラルで――。
困惑する彼女を、もう一度観察する。
嘘をついてはいないだろう。パニックになった人間が咄嗟に嘘をつけるものか。あの態度、オレを試そうなんて思ってない。
それに、だ。彼女は、オレを知らない。
ガラルならば……。街を歩けば誰だって、オレに気付いてオレを「チャンピオン」と讃える。傲慢? いや、本当にそうなんだ。ガラルの全ての皆が、オレを認識している。
ガラルの英雄。無敵のダンデ。
今、こうして間近でオレと対峙しているのに、彼女はオレを「チャンピオン」として認識していないのだ。
ならば、ここはガラルではない? 他の地方? いや、彼女はポケモンは存在しないと言い張る。ポケモンが存在しない地方なんてあるわけがない。
「…………どうやらオレとキミの間に、何か齟齬があるようだな」
詳しい話を訊きたい。彼女だって、オレがどうしてここにいるのか驚いているようだから、現状把握と情報交換をしたかったのだが……。
急に彼女は時計を確認して小さく叫ぶと、オレを放って部屋から飛び出した。
何だ、何が起こっているんだ?
呆気に取られていたら、「着替えるから」とソファやテレビが置いてある部屋に追い出された。
会社に遅刻しそうだから慌てているらしい。遅刻は確かにいけないことだが、それにしたってあんなに鬼気迫る顔になるものか? どうやら彼女、急に現れた正体不明の男(オレ)より、遅刻の方が怖いみたいだな。
それにしても……。彼女、働いているのか。どう見ても子どもじゃないか! ホップよりは年上だと思うが……。
疑問を抱きつつも、オレは追い出された部屋をぐるりと見渡した。少しでもこの場所のヒントが欲しい。
――うん、やはりオレの家ではないな。本当にここは、どこなんだ?
ガラル地方の一般住宅とはだいぶ違うようだ。何より狭い。大型のポケモン住宅用の賃貸ではないようだ。小型……にしては、それらしいグッズも何もないようだ。
色々観察しているうちに、彼女は着替えて寝室から出てきた。
化粧をしたのだろうか。さっきと顔立ちが違う。そういえば、幼馴染みのソニアが化粧をし始めた時は驚いたな。髪型と化粧と服装で、人は随分大人っぽくなるんだなと感心したものだった。
彼女は鞄を抱えて玄関まで小走りし、途中、オレのことを思い出したのだろう。こちらを振り向き、
「会社から帰るまでに出ていって!」
それだけ言って家を飛び出した。
ああ、唯一の手掛かりが!
「待ってくれ! ここは一体どこなんだ!」
足音が遠ざかっていく。会社に行ってしまったようだ。
「何が起こっているのか、まったく分からない……」
そもそも、だ。彼女、鍵をかけないで出ていった。不用心過ぎる!
「オレが出ていったら、この家は危ないだろうな……」
ポケモンがいれば防犯にもなるだろうが、あの口ぶりからしてポケモンを持っていないようだ。
「……それなら、彼女が帰るまで留守番していようか……。うん、ここに残る口実ができた」
玄関の鍵をかけておく。彼女が帰る頃に開けておけばいいだろう。改めて防犯意識を持ってもらうためにも、そうした方がいい。それに、あの調子だと鍵を持っていったか分からない。
「さて、会社に勤めている人は、何時頃に帰ってくるんだったかな……」
チャンピオンは会社員ではないので、いつが出勤でいつが退勤なのか、実は知らなかったりする。
――まあ、夕方には帰ってくるだろう。
「それまでに、オレはオレで現状把握に努めるとしよう」
まず、持ち物について確認した。
手元にあるのは、ダイマックスバンドとリザードンが入ったハイパーボールのみだった。
「決勝戦直前だったから、服装はユニフォームとマントのみ。スマホロトムは……ないな。リザードン、オマエが居てくれてよかった」
ボールが少し動いた。
「リザードン、身体の方は問題ないか」
返事が返ってくる。……よかった。ひとまず安心だ。
「出してやりたいが、待ってくれ。この家は狭い」
リザードンを出したら、翼が引っ掛かりそうだ。フローリングも爪で傷つくかもしれない。オレの家ならまだしも、あの少女の住まいで好き勝手するわけにはいかない。
今一度、この部屋を見渡す。
多分、この部屋はリビングとして使っているのだろう。ソファにテーブル、テレビ、本棚。ぬいぐるみもある。
おや、これは……?
本棚の上に不思議なものがあった。
木でできた、小さな箱のようなものだ。
白いコップのようなものがある。いや、正しく言うなら盃、だろうか?
それから、派手な柄のクッションに金属の鉢が鎮座している。木の棒があるが、これで叩くのだろうか。好奇心に駆られたが、今はやめておく。
「これは何だ?」
黒い板のようなものがある。文字が書かれているが、読めない。板の奥には、精巧な造りの木彫りの人形が置かれている。
オレは昔、教会に立ち寄った時のことを思い出した。ステンドグラスに描かれた、神と思われるそれらを見て、何故か厳かな気分になったものだ。その時と似ている、これは。
神聖な気持ちになる木の箱の隣には、フォトフレームが2つあった。
1つは、若い男女の写真だ。互いに寄り添って、幸せいっぱいの笑みを浮かべている。
もう1つは、老婦人の写真だった。穏やかな笑みを浮かべて、こちらを見ている。
2つの写真に写る彼らは、先ほどオレに「出ていけ」と言い渡した彼女に似ていた。
家族なのかもしれない。
オレは、それらからそっと離れた。気安く触れてはいけない気がした。
ふと、壁に目が止まる。ああ、オレが知っているものだ。カレンダーが貼ってある。
「そういえば、今日は何月何日なんだろうな? さっぱり分からないぜ」
数字は読める。だが、それ以外の文字が読めない。何て書いてあるんだ?
「彼女とは言葉は通じていたのにな」
試しにテーブルに置いてあった雑誌を開いてみたが、文字はやはり読めなかった。
文字を読むのは諦めて絵や写真を眺めてみたものの、何も得るものはなかった。強いて挙げるなら、ポケモンがいなかったくらいか。こういう雑誌には一枚くらい、ポケモンが写っているはずなんだが……。
やはり、何かがおかしい。
ポケモンは存在しないという、彼女の言葉が引っ掛かる。
そうだ。外はどうなっているんだ?
「ベランダがあるな……」
窓から外を眺めてみたが、見慣れない景色が眼下に広がっているだけだった。
「空の色は同じだ。――あの飛んでいる生き物は何だろうか。ポケモンなのか」
アーマーガアに似てなくもないが、小さ過ぎる。ココガラかマメパトのような……。いや、それにしては何もかもが違う。新種のとりポケモンかもしれない。
「不思議だぜ。まるで、知らない世界に迷い込んだような……。知らない、世界?」
いや、まさか。
「変なことを考えた。オレは夢でも見てるんだろうか」
ムゲンダイナの攻撃を受けたせいか? 現実のオレは眠っていて、おかしな夢を見ているとか。
「痛い……」
本当に現実か確かめたいなら、頬をつねればいいと本で読んだ。右頬はしっかり痛かった。
目が覚めたら、知らない少女がいた。
場所は多分、ガラルではない。
彼女が言うには、「ポケモンは存在しない」。
言葉は分かるが、文字は読めない。
オレの手持ちはリザードンのみ。
「……さっぱり分からないぜ! やっぱり彼女が帰ってくるのを待つしかないな!」
な、とリザードンに声をかければボールが動く。肯定してくれたのだろう。
ずっと立つのも疲れてくるので、ソファに座って彼女の帰りを待つ。
何もすることがない。
「暇だ」
他人の家のテレビを勝手につけるのもどうなんだろうか。肌寒いが、勝手にエアコンを使うのもどうなんだろうか。
彼女はオレを警戒していた。そうだろう、突然知らない男がベッドにいたら、驚くに決まっている。勝手に何かを使って警戒を強めてしまったら、話し合いもできないだろう。
彼女からの信頼を得ることが、今のオレには必要なんだ。
「雑誌くらいは眺めても、バチは当たらないよな」
彼女が帰ってくるまで、オレは長い長い時間を耐え忍んだ。