
あなたと暮らすためのアレコレ⑤
お風呂場バッタリ事件からしばらく、ダンデはぎこちない態度で私に接していたが、5日も経たないうちに元に戻っていた。
というか、過保護さが増した。なんなんだ、一体。まるで妹に諭すように「夜道には気を付けて帰ってくるんだぜ」「毎日働いて偉い! キミは偉い!」とか。
褒められるのは嬉しいけど、やっぱりダンデと私、まだまだ壁がある気がする。
そんな私は、今日も同僚のズシとランチをしていた。
運ばれてきたランチセットのパスタを食べながら、ズシの推しトークに耳を傾ける。
「ねぇ〜〜! キバナ様がカッコよ過ぎて死ぬ。夢女子になりそう。というかもう、夢女子よ私。どうしよう、他のキャラと絡んだキバナ様が受け攻めなのか考えるより、私とキバナ様の絡みだけを考えている。つまりキバナ様×私」
「そもそもあんたは女子名乗る年齢じゃないでしょ。夢女と名乗りなさい。おめでと、夢沼へ。深いぞ夢沼」
「女子は二十代前半まで名乗っていいはずなの!! ありがとう、夢沼どっぷり浸かります!」
すごいでしょ。このやりとり、ほぼ小声なんだよ。小声で叫ぶという芸当をやってのけるとは、ズシ、やるな……。
「pixivで漁ったら夢小説いっぱいあった。最近は個人サイトも巡ってるのよ。最近の寝る前のルーティンになってて」
「分かる。沼にはまると、生活に作品漁りが組み込まれるよね」
「私も夢漫画書こうかな。この熱量を皆と分かち合いたくて」
私は深くうなずいた。私も夢を嗜む者として、ズシの気持ちは痛いほど分かるのである。
ただ、私は創作しない側の人間だ。数ある神作品を読んで涙を流し、ブクマし、いいねを押してTwitterで感想を呟いている人間だ。ありがとう、作者様。あなたの性癖が私を生かしております。仕事も頑張れるんです。
それにしても、ここまで彼女がキバナに狂うとは……。私は家で留守番しているダンデを思い浮かべた。もしも逆トリしてきたのがキバナだったら、ズシに恨まれてたのでは……? 私、後ろめたい気持ちで不自然になってたと思う。彼女の推しがダンデじゃなくてよかった。あと、私が原作未プレイでよかった。何も知らないから身構えなくて済んでるところがある。
これが今やってる乙女ゲームの推しキャラだったら卒倒してたな。ズシのように「無理、しんど……。同じ空気吸っててすみません。あ、これ一日のお小遣いです十万で足りますか」とか口走っていたかもしれない。
「ね、お願い。あかつきもポケモンやろ? 私オニオンきゅんに会いたくてシールド買ったから、あんたはソード買って? レイドバトルしよ? ポケモン図鑑埋めよ? そして一緒にキバナ様に狂ってくれ」
「怖いよ」
ポケモンかあ。もう何年もやってないよ。私が知ってるポケモンはドットだったのに、最近のはフル3Dなんでしょ? 新しいポケモンの名前全然分からん。育成も大変そうだし、ちょっとハードル高いなぁ。
「今は積んでる乙女ゲームをクリアしたいから、それ終わってからにするわ」
ダンデが来てからゲームをする時間が確保できたんだよね。リビングで堂々と乙女ゲームする度胸はないから、寝室にノートパソコンや携帯ゲーム機を持ち込んでいるのだけど。
夜更かしには気を付けてるよ、もちろん。ダンデが口を酸っぱくして忠告してくるからさ。
「えぇ〜? 乙女ゲーム? しょうがないわねぇ〜。絶対ポケモンやってくれるなら、今は我慢するわ」
ズシは口を尖らせて不満そうだったけど、それ以上何も言わなかった。
「――ってか、私ばかり語っててごめん。なんか、あかつきの方はないの?」
「私? うーん、そうだなあ……」
悩みというか、ちょっと聞いてほしいことならある。まさかトリップしてきたキャラと暮らしてますなんて言えないし、ぼかして話すか。
「あー、あくまで友達の話なんだけども」
「友達? ふうん?」
含みのある返しをされてしまった。いいの、友達の話ってことにしておいて。
「コホン……。友達が、留学生と暮らすことになったらしいのね。で、まあ文化の違いはあれど、上手くやってるらしいんですよ。大きな喧嘩もないしー?」
「へえ。なら、いいじゃない。何か不満があるの?」
「相手が完璧過ぎる」
「どういうこと?」
「完璧過ぎるんだよ。隙がないんだよ」
私はここ最近のダンデの行動を思い返す。
ダンデは私が起きるより遥かに早く起きている。しかも、私が寝るまで彼も寝ない。
家にいる時間が多いのでダンデがご飯を作ってくれる。それはいい。掃除もしてくれる。それはいい。
「逆に距離を感じるんだわ……。人間味がないっていうか。いや、表情に乏しいわけではないんだけどさ、こう、……うん。高嶺の花というかなんというか。近寄りがたいというか……」
「水清ければ魚棲まずってやつね」
「あ、それかも。川が綺麗過ぎると逆に……ってやつ」
お風呂場バッタリ事件以降、ダンデに「隙」のようなものを感じない。完璧さは崩れていない。
そうなると、あの人は私が家にいる間は心が休まらないんじゃないかと。そう、思っちゃうんだよね。
あと、何か不便なことはあるか、必要なものあるなら買うよと訊いてみても「何もないぜ!」と笑顔つきで返事がくる。本当かよ、遠慮すんなよ、と思う。
「留学生くんと暮らし始めたのが最近だから、これからに期待ってとこなんだけど。でも。ほら、早く打ち解けたいから、何かいい方法あったらなーっていう話。しばらく住むことになるんだから、居心地よくしたいじゃん」
「……って友達があんたに相談したのよね?」
「ん!? あ、そうそう」
そうねぇ、とズシはパスタをくるくるとフォークに巻きつけた。
「その、あんたの友達は留学生くんと仲良くなりたいってことで良いのよね?」
「そうだね」
いずれ帰る人だとしても、いい関係を築きたい。それは、例えダンデが二次元のキャラじゃなくても。
「友達はさあ、その留学生くんが何が好きとか知ってんの?」
「あー。知らないかも」
「留学生くんも、あんたの友達が何が好きで何が嫌いかは知らないんじゃない?」
「……うん。知らないかも」
名前しか名乗ってないな。
「1週間も経ってる? ……経ってんだ? そのくらいなら、まだお互い遠慮してるとこあるよね。友達の方も無意識に遠慮してるよ、それ。相手に変わってほしいなら、自分がまず変わらなきゃね。仲良くなりたいなら飲みに誘って腹割って話したら?」
「出た。飲みニケーション? そんなんで上手く行くー?」
「少なくとも、飲み会がきっかけであんたと仲良くなりましたー。ま、あんたがカバンにキャラのモチーフストラップつけてたから話し掛けたんだよね」
「そうだね。マイナー作品だから絶対バレないと思ってた」
ズシがテンション高く推しへの熱い思いを語り、私も同調して、お互いお酒強いから意気投合して――。
今ではこうしてランチしたり休日に出掛けたり、一緒にイベント参加したりする仲にまでなった。
「仲よくなりたいなら、まずはお互いを知りましょう。ってことで、飲むなり遊びに行ったりしたら?」
「そーだよねー」
「あ、あと共通の話題があれば距離も縮まるんじゃない? て、その友達にアドバイスしときな。留学生くんと仲よくなりたいんなら、早めに」
「なるほどな……。って、そうだね。友達に言っとくわ! ありがとう」
ダンデと遊びに行く、か。
そうだ。服が足りないかもだし、誘ってみようか。あの人、リザードンにご飯あげる以外は外出てない。しかも夜に数十分。
そうだね。今度の休みはダンデと買い物しよう。で、宅飲みしよう。そうしよう。
話題は――、やっぱりポケモンのことかな。