
これはデートではなく、②
ごった返す人、人、人。
止むことのない音、音、音。
「ちょ、……何でちょっと目を離した隙に……!?」
さっきまで一緒にいたあの人は、いつの間にか姿を消していた。
さあっと血の気が引いていく。
「ダ、ダンデぇぇー!! どこ行ったあー!?」
私の叫びは虚しくも駅構内の喧噪に吸い込まれていった。
***
時は遡り土曜日の朝。
眠たい目を擦り、のそのそとベッドから這い出た私は、キッチンに立つダンデを見て絶句した。休みの日なのにえらい早起きだ。身支度完璧。この人は立派な大人だわ。私も見習わないとなー。でも、やっぱり隙がないんだよなー。
「ダンデさん。休みだから早起きしなくていいんですよ? 私、9時に起きるから、まだ寝ててもよかったのに」
「おはようアカツキくん」
「あ、おはよう……ございます」
挨拶は大事だからね。今日も爽やかな笑顔をどうも。
「そうは言っても、決まった時間に目が覚めてしまってね。無理はしてないぜ。キミ、今日は朝食を食べるのか?」
「軽く食べます。トーストと、あとは何か、適当で……」
「オーケー。顔を洗ってくるといい」
ダンデは太陽の擬人化だな。なんて、妙な感慨を覚えた。
美味しい朝ご飯を食べ終えて、私はダンデに11時に外出することを伝えた。
寝室へ戻り、ワードローブを開く。
さて、何を着ようかな。普段の服装はオフィスカジュアル。私服にも着回せるようにと思って買っているけど、今日は休日だし、もうちょっと派手目なものにしようかな。ああ、あんまり履いてないスカートがある。これに何を合わせようか?
ダンデの服装を考えてバランスを取るとしたら、これがいいのかな。ダンデの外出着は、初めて出会った日に買ったものだ。そう考えると――。
ここまで考えて、私は我に返る。
何故ダンデと並んだ時のコーディネートを考えているんだ? 彼氏でもないのに。
「あー! コーデ考えるのめんどいな! いいや今日はこのワンピースにしよ!」
これ以上考えたらダメな気がして、私は急いで身支度を整えるのだった。
***
戸締まり確認を忘れず行い、外へ出る。今日は快晴だけど冬の太陽は寒さに弱いのか、日差しは緩やかだ。道を歩いていると冷気がコートやマフラーの隙間から入ってきて、亀のように首を引っ込めてしまった。
「さむ……。ダンデさん、大丈夫?」
「このくらいの寒さなら、大丈夫だぜ。キミに以前買ってもらったこれ、着てるからな」
ダンデはケーブルニットセーターの上に、つい最近購入したカーキ色のブルゾンを羽織っている。ポケットの中にリザードンが入ったハイパーボールをしまっているそうだ。
「ところで、今日の目的は? 詳細を聞いていなかったんだが」
「今日はですねー。ダンデさんのマフラーと、外出着と、あと他に必要な物を買うのが目的です。あ、リザードンも欲しい物あるかな? できたら訊いていただきたいんですが」
すると、ダンデは眉を八の字に下げて、
「それは……。オレはこれ以上いらないぜ。キミが欲しい物を買うといい」
と断ってきた。これは予想はしてたけど、今日は絶対に引かないぞ!
「私はいいの! ダンデさんの方が必要でしょう?」
「これ以上はいらないぜ」
やっぱり遠慮されてしまった。それもそうか。金銭が絡んでるからね。気の置けない仲なら抵抗ないけど、会って数週間かそこらの関係性だとね……。
「お金は問題ないですよ、働いているんですから。貯金もあるし。両親が残してくれた遺産があるし、おばあちゃんの遺産も受け取れるはずだし……」
言っておいてなんだけど、これ全然フォローになってないわ。反省。
「遺産? ではアカツキくんのご家族は……」
まあ、そういう流れになるわ。この際だから、全部話してしまおうか。
「そうなんです。うちは、小さい頃に両親が事故で。おばあちゃんはダンデさんがこっちに来る1週間前に亡くなりました。ほら、部屋に仏壇があるでしょ? フォトフレームと一緒に」
「ああ。あの小さな木箱か?」
「そう。あれ、仏壇なの。えーと、こっちの……日本の文化で。ご先祖様の供養のためで……。うーん。何て説明したらいいか。お墓はまた別にあるんだけど、あれは小さなお寺。ダンデさん的に言うと小さな教会的な? なんとなく分かります?」
「分かるぜ。とにかく、キミの家族にとっての、大切なものなんだろう?」
「そうそう。大切なものです」
かけがえのない、大切なものだ。
「じゃあ、キミの身内は……?」
「いないというか、関わり皆無なんです。うちの親、駆け落ちしてましてね。イマドキ『家柄が釣り合わない』とかなんとか親戚中から大反対されたんですが、それを押し切って結婚したんです。そんなもんだから両親が亡くなった時、私は腫れ物扱いされて。それを引き取ってくれたのは母方の祖母でした」
あの時繋いだ手は皺くちゃだったけど、とても温かいものだった。私は右手をじっと見つめる。
「本当、おばあちゃんがいなかったら私、どうなってたか……」
湿っぽくなってしまった。どんな顔してこんな話を聞いていたのだろう。確かめるのが怖くて見れないけど。急にこんな話をされて困ってるだろう、恐らく。
「――キミは、家族に愛されて育ってきたんだな」
「え……」
これは虚を突かれる、というのだろうか。思ってもみなかった反応を貰ってしまい、ちょっと戸惑う。
ダンデの方を見れば、いつも通りの太陽のような笑顔を浮かべていた。
「家族について話す時のキミは、寂しそうではあったが嬉しそうだった。限られた時間ではあったんだろうが、たくさんの思い出と愛がキミの中にはあるんだろうと。そう、思ったんだが……」
「ふふ、そうなのかも。小さい頃の思い出しかないけどさ、私は両親が大好き。両親いないって分かると、皆気を遣って家族の話題は避けるんです。私もそういう気遣いが分かるから、なんていうか、気まずく思ってしまって」
でもさ。本当は両親のことを話したかったんだな、私。
おばあちゃんが親代わりでも。世間の「普通」とは違っても。「可哀想」とは思ってほしくなくて。私は皆と同じ。愛されて育ってきたのだと。胸を張って言いたかったのかも。
うん、今になって気付くとか遅すぎるわ。
「ずっとあの写真立てと箱は何か疑問に思っていたが。そうか、やはりご家族だったのか。帰ったら、改めてオレに紹介してくれないか。キミの家に住まわせてもらっているんだ。挨拶くらいはしたい」
「――初めて言われた、そんなこと」
すごく間抜けな声が出た自覚がある。
え、そんなの有り?
予想外のことばっかりだな、この人。
でも、そういうところ、なんかいいと思う。
「ありがとうございます」
「今のはお礼を言われる流れだっただろうか」
「そういう流れでしたー! ええと、何の話でしたっけ。あ、ダンデさんの買い物の話でしたね」
絶対服は必須。下着とかさ、多くても困らないと思う。
「家事をやってもらってるので、そのお礼です」
「それは違うと思うな。キミの家に置いてもらってるからその対価で、服はまた違うだろう?」
「あーーー? ボーナス! ボーナスです! それでいいでしょ?」
ボーナスは誰だって嬉しいでしょ! 私は心が弾むわ! いい響きじゃん、ボーナス!
「ほら、行きますよ。電車乗りますからね」
「分かった。家主のキミの言う通り、オレはボーナスを貰うぜ」
まるで子どものワガママに付き合う大人のようにダンデは笑うのだった。
***
ダンデは今までアパートと近所の公園しか往復してこなかった。リザードンの食事以外は極力外出を避けていたのだ。買い物も私が全部やっていた。別に「外出するな」と言ったわけじゃない。ダンデが自粛していたのだ。
だから、ダンデは今回初めて、私のアパート以外の世界を知ることになった。つまり、より深く、異世界に触れることになるのだけど――。
新宿駅に降り立ったダンデはおよそ30分でだいぶやつれていた。電車に乗る前は遠足前の小学生みたいにわくわくしていたのにね。
「大丈夫ですか?」
ダンデは無言で首を縦に振った。
私たちは今、通行の邪魔にならないよう、隅の方に避難して少し休憩中である。
「……シュートシティより人が多いんだな。電車もオレが知っているものと違った」
「座れないのが基本なんですよ」
「路線も多い」
「そうですね。乗り換えややこしいんですよ」
「どうしてキミは人とぶつからず歩けるんだ。オレは先ほど肩がぶつかって舌打ちをされた」
「慣れですよ、慣れ」
ダンデ、田舎から上京してきた友達と同じこと言ってるなー。どこか座れる場所で休んだ方がいいかな。身体というか、精神的に疲れてそう。
「まずどこかで休みましょうか?」
「いや。戸惑いはしたが、ワクワクしているんだぜ? オレのいた所とまったく違う!」
回復して周りを見る余裕ができたのか、瞳に輝きが戻ってきた。
「ヒトカゲをとジムチャレンジに旅立った日を思い出すぜ!」
「冒険者の目をしてますね」
よかった、結構参ってるみたいだったから心配だったんだよね。やっぱりいきなりの長時間外出に新宿はハードルが高かっただろうか。早めに切り上げるべきかな。
「そうだ、アカツキくん」
私の心配をよそに、ダンデが楽しそうに話しかけてきた。
「キミに伝えなければならないことがある」
「何でしょうか」
「オレは方向音痴なんだ」
え。方向音痴?
「マジか……」
話を聞いたところ、ダンデは相当な方向音痴であることが判明した。ガラルの各地でよく迷っては、ポケモンや他のトレーナーに助けてもらっていたらしい。目と鼻の先にある目的地へまっすぐ辿り着けないのは普通。北に向かいたいのに南に向かっていたのも普通。水を汲みにベースキャンプから出たら帰ってこれず遭難したのも普通……。
出るわ出るわ、とんでもエピソードの数々。やだちょっと不安になってきたー!
「――というわけだから、オレから目を離さないでくれ!」
「目を輝かせて言う台詞じゃないわ」
はぐれないようにしっかり見ておかないと。
あー。なんか、ダンデが今まで外出を自粛していた理由が分かった気がする。方向音痴だからか。見知らぬ場所で迷子になったらアパートに帰ってこれないかもしれないからね。むしろ公園とアパートの往復で迷子になってないのが奇跡なの?
「とりあえず、新宿東口に向かいますよ」
「オーケーだぜ」
ということで、私たちは東口に向かう。ここから東口は近いし、はぐれることはないでしょう。
改札付近は人の行き来が激しい。ぶつからないよう、人波を縫うようにして足を進める。歩行者同士、意外にぶつからないもんだよね。不思議。休日だからかいつもより人が多いような。いや、平日もこんな感じか……。
ってダンデ、大丈夫だよね。ついてきてるよね? ほんの数メートルも歩いてないよ。
「ダンデさん、ついてきてます、か……」
振り返ったらいなかった。
隣にも後ろにも。
急に立ち止まったので後続の人が私にぶつかりそうになり、慌てて左に避ける。
え? 今、1分も経ってなかったでしょ? え?
「は? マジで?」
あの目立つ紫髪の男性はいない。
ごった返す人、人、人。
止むことのない音、音、音。
「ちょ、……何で目を離した隙に……!?」
さあっと血の気が引いていく。
「ダ、ダンデぇぇー!! どこ行ったあー!?」
あの人、早速迷子になりやがった!!