これはデートではなく、③


  

 ほんの一瞬だった。

 あの看板は何だろうか。あの大きなスクリーンは何だろうか。気を取られ立ち止まった。そうだ、アカツキくんに訊ねたらいいのか、と彼女を呼ぼうとして――。

「……アカツキくん?」

 いつの間にか、彼女を見失っていた。

 とりあえず、来た道を戻ればいいのか? 周りを見渡すが、オレはどこからここまで歩いてきたんだろうか? 道が分からない。

「……すまない、アカツキくん」

 早速迷子になってしまった!

 リザードンが出せたらいいが、この世界ではダメだ。分かっている。上着のポケットに入れたハイパーボールを握り、心を落ち着かせる。焦るな、ダンデ。なんとかなるさ。
 通行人の邪魔にならないように壁際へ避難する。

「そうだ、彼女に連絡を」

 スマホを取り出す。が、電波がないようだ。ああ! 思い出した!

「……そういえば、わい、ふぁい? がなければオレのスマホは連絡が取れないと言ってたような」

 なるほど……。

「キルクスに行こうとしたら遭難しかけた日を思い出すぜ」

 あの時はスマホロトムの充電が切れて、どこにも連絡できなかったんだ。リーグ総出で血眼になってオレを捜してくれたそうで、キバナや年長のジムリーダーたちにこっぴどく叱られた記憶がある。

「彼女はどうしているだろうか」

 彼女もオレを捜しているはずだ。オレよりこの駅全体を把握しているはずだから、迎えに来るのを待った方がいいだろうか。

 いや、これ以上アカツキくん――子どもに迷惑はかけられない。こちらの世界に来て今日日、オレは不甲斐ないところばかり見せている。

 もともと、この外出はオレの服や生活用品の買い足しという目的があったはずだ。オレがなんとかして、彼女に合流しなければ……!

「そういえば、彼女はシンジュクヒガシグチに行くと言っていたな」

 ならば、目指すべきはその「シンジュクヒガシグチ」ではないだろうか? はぐれた場所(スタート地点)より目的地(ゴール地点)を探した方が分かりやすくていい。アカツキくんもそこを目指すと信じて、オレも行ってみよう。

「となれば……。オレは今、どこにいるのだろうか」

 確か、駅には構内図があるはずだ。まずはそれを見つけてみようか。
 ごった返す人波を前に、オレは頬を叩く。ポケモンバトルを始める時の心境だ。

「よし」

***

「嘘だと言って神様……」

 ダンデ、あなたって迷子のスキル、カンストしてない? 神がかってるわよ、ある意味。

 そうだ電話――は無理だ! あれはWi-Fiないと使えない。契約しとけばよかった! あの人ほとんど家にいたからそこまで頭回ってなかったよ。駅には無料のWi-Fiが飛んでるけど、きっとダンデは繋げないだろうな……。

 とりあえず、改札まで戻ってみよう。

「もしもし、すみません。ここから大江戸線にはどうやって行くのかしら」
「……はい?」

 和服を着た女性に呼び止められてしまった。とても上品な人だ。足が悪いのか杖をついている。

「あー。大江戸線、ですか」

 大江戸線かあ。ここからは反対方向なんだよなあ。10分前後で着くはずだけど、この人は杖をついてる……。普段なら迷わず一緒についていくけど……、でも、うーーん……。
 しばらく葛藤したけれど、答えは既に決まっていた。

 ダンデ……、ごめん……!

 私は心の中でダンデに手を合わせた。

「よかったら、一緒に行きましょうか」
「まあ本当? 実は3年ぶりに孫たちに会うの。東京には滅多に来ないから、何が何だか分からなくてねぇ。助かるわぁ」

 亡くなったおばあちゃんの姿が重なる。これは、なんとしてでも送り届けなければ。

「それは尚更、会えるのが楽しみですね」
「ええ、そうなの。5歳と7歳なんだけれどね――」

 ごめんダンデ。マジでごめん。でも、この人も放っておけなかったんだ。許して……。

***

「これだろうか」

 壁に設置された構内図を見つけた。ここに来るまで随分時間をかけてしまった。興味深いものがありすぎるせいだ。何度寄り道しかけたことか。アカツキくんと合流したら、色々案内してもらおう。それに、彼らはどうやって人にぶつからずに歩いているのだろう。コツを教えてほしい。

 構内図をしばらく眺めていたが、首を傾げるしかなかった。

「……読めないな」

 ……すっかり失念していた。文字が読めない。やはり学んでおくべきだったな。言葉は分かるからと疎かにしていたツケが回ってきてしまった。

 多分、この赤くて目立つマークが「現在地」。とすれば、ヒガシグチはどこだろうか。いくら睨んでも文字が読めるようにはならな、……?

「この文字は読めそうだ。完璧とまではいかないが」

 テレビや本ではあまり見かけない文字だが、ガラルの文字に似ていて親しみが持てる。単語の意味は拾えそうだろうか……? 顔を近付けて頑張ってみるが、やはり読めないことに変わりはない。

 こうなれば、ヒガシグチはどこなのか人に訊ねるしかないな!

 アカツキくん以外の人間と話すのは初めてだ。誰がいいだろう? 皆、忙しそうに歩いてるから話しかけても問題がなさそうな人がいい。

 ふと、制服を着た少女2人組が目に入った。スマホを見ながら何か話している。何か急いでるわけではなさそうだ。あの少女たちなら大丈夫だろう。
 オレはゆっくりと彼女たちに近付いていく。

「失礼。少しいいだろうか」
「――え、何ですか」

 茶髪の少女が反応した。困っているというよりは、少し面倒くさそうな感じだ。あちらの世界ではまったく向けられたことのないそれに、オレは言いようのない寂しさを覚えた。

 チャンピオンだと知っている人なら、絶対に取らないであろう態度だ。

 ……オレを知る人はこの世界にいない。当たり前だろう、ダンデ。

「ヒガシグチに行きたいんだが、どうやって行けばいいだろうか」
「東口?」

 もうひとりの黒髪の少女が口を開いた。警戒されているのを感じる。

「ここ西口だから、反対側です」
「ニシグチ? ヒガシグチはどう行くんだ?」
「どうって」
「まっすぐ?」

 口頭で教えてもらうが、辿り着ける自信がない。

「キミたち、ヒガシグチまで案内してもらえるだろうか。本当に困っているんだ」
「え……」
「どうする?」
「どうするってさ……」

 少女たちは声を潜めて話し合っている。ついでに上から下までじろじろ見られている。値踏みされているのだろうか。

 断片的ではあるが「外国人だよね?」「カッコいいけどさあ」「ナンパとか?」という言葉が聞こえてくる。怪しい大人だと思われている。らしい。警戒心が強いのはいいことだが、本当に心の底から困っているので助けてほしい。

「お願いだ……。お嬢さんレディたち、どうかオレを助けてくれないだろか」

 彼女たちの目線に合うように少し屈んで懇願する。これでダメなら他の人に頼むしかない。引くのも大事だ。少女たちは何も言わない。これは退散したほうがよさそうだ。

「すまなかった、どうか」

 気にしないでくれ、と言い切る前にオレは少女たちが顔を赤くしていることに気付く。どうしたことだろう。もじもじしている。

「案内します!」
「するする! 東口でしょ! すぐだから。こっち」

 カジッチュのように頬を紅潮させ、彼女たちはオレの腕を引っ張る。

 どうして急に態度を変えたのか分からないが、よしとしよう。案内してくれるのだから。
 オレは嬉しさのあまり笑顔になった。

「ありがとう! キミたちに感謝だ」

 その瞬間、周りがワッと湧いた。黄色い歓声というものだ。キバナやマクワたちがファンサをした際によく聞くものだ。オレは知っているんだぜ。

「……?」

 もしかして、この歓声はオレに向けられたものなのだろうか。リザードンポーズを披露した時とはまた違った反応だ。

 一体何が起こっているんだ?

 オレは何も分からず周囲を見渡すのだった。