今はおやすみ、チャンピオン。⑤

 それから2日後。ダンデはすっかり回復した。

 そういえば、ダンデから風邪をひいた経緯を教えてもらったが、実はリザードンに乗って夜に飛び回っていたらしい。なるほど、ベランダに出ている以上のことをしていた、と。

 それなら、風邪をひいたのは当然の結果だ。本人も反省しているので責める気はない。でも、こっちの世界に来てからリザードンはずっとボールだし、ダンデもほぼ外に出ることはなかった。おまけに私を子どもと勘違いしていて、気を張っていて――息抜きが必要だったのだろう。

「心配をかけた。もう大丈夫なんだぜ!」

 いつもの太陽スマイルも健在。今日もありがとう、眩しいです。

「よかった、万全だね。それで、さ。仕事から帰ってきたら、話したいことがあるんだけど……」
「今じゃなくていいのか?」
「うん。ちょっと長くなる。……かも?」

 ダンデは不思議な顔をしていたけれど、すぐにうなずいてくれた。

「ああ、待ってるぜ」

***

「忘年会? あー、そんなシーズンかあ」
「参加する?」
「うーん……。忘年会は参加して新年会は参加しない、でいいかなあ」

 今日は久しぶりにズシとランチをしている。

 ちなみにズシは居酒屋での宣言通り、ダンデのことについて根掘り葉掘り訊いてきた。

 嘘をつくことは心苦しかったが、バカ正直に事情を話したら「頭おかしい」と言われるに決まっている。ズシという友達をなくしたくはない。だから、あらかじめ、ダンデと相談して決めた嘘の設定を話したのだった。

 その内容はこんな感じ。

 ダンデはダン・レオンという留学生で、私のアパートの隣に引っ越してきた。
 鍵を失くして困っていたので助けてあげたら、それがきっかけで仲よくなった。
 この間の外出は、まだ日本に不慣れな彼のために観光も兼ねて案内していた、と。

 我ながら上手く誤魔化せたのではないだろうか。ズシも「漫画みたいなことあんのね」って面白がってたから。うん、大丈夫!

が忘年会参加するなら、私もそうしようかなー。特に予定ないもん」
「あ。そういえば、合コンの成果は? いい人いなかったの?」
「……キバナ様みたいな男がいたらいいよね」
「いないでしょうよ……」

 輝く笑顔、闇が深い。ダンデと違う種類の笑顔だ。

「あ、でも世界線が違うならキバナに会えるか……」
、何の話?」
「いや、トリップとか転生とかあったらいいなー、って話」
「それな! 転生かあ……。来世に期待だね。そんで、トリップねぇ……。久々にその単語聞いたわ。最近は転生ものが流行ってるからさー。いやあ、どうやったらトリップできるのかね」

 ズシは腕を組んで、しきりにうなずいている。

「不思議な力がはたらいて……って? うーん、ポケモンの世界にトリップするなら、ポケモンに頼るしかないよね」
「え、世界を渡る力を持つポケモンとかいるの?」
「実はいるんだなー」

 私の知識、カントーやジョウトで止まってるからさ。世界を渡るポケモンがいるとか知らなかったよ。これ、ダンデが帰るヒントになるのでは……?

「最近のポケモンは、並行世界について言及されたりしてんだなー。とあるキャラクターが世界を渡っているんじゃないか、みたいな考察があるし」
「へえ?」

 なんか、興味深い話を聞いた。

「あとは、異次元世界? 作品ではウルトラスペースって言ってたかな。そこにはポケモンというかウルトラビーストってのがいたはず」
「ポケモン、そんなことになってたの?」

 なるほど。となると、ダンデがこっちに来たのはやっぱりポケモンのせいなのかな。

「例えばトリップするとしたら、どのポケモンの仕業が考えられそう?」
「えっ、何。意外に食いつくじゃん」
「そうかな。こういう話、いくつになっても楽しいし」
「分かる。二次創作の必須項目」

 必須かな……?

「ポケモンかー。幻のポケモン、伝説のポケモンと呼ばれてるポケモンなら世界渡るくらい余裕かもね。結構候補も……。あ、そういえば転送装置作って送り返した人もいたな……」

 ズシはポケモン全作品プレイ済みらしい。愛がすごい。

「でも、それってやっぱりポケモン世界側から干渉してくれないといけないじゃん? うちらの方からは無理じゃない?」
「そう……」

 とは言うけどさ。こっちから干渉する方法、ないのかな。

 やっぱりここは、ポケモン作品をやってみるしかないのかも。

「……私もポケモンやってみようかな」

 この呟きをズシは逃さなかった。

「おっ? やる? やってくれる?」
「前のめりにこっち寄ってこないでよ。ほら、お水危ないから……。ん、オッケー。それで、何からやればいいと思う?」

「最新作のソードかシールドにしな。しばらくポケモンから離れてたんなら、多分楽しくやれると思うよ。育成の難易度も低めだからレベルバンバン上がるし、孵化厳選もわりと楽だし。何なら私が買ってあげるわ。Switch本体は? ない? じゃあ今からお店行ってくるから買ってくるね」
「怖い怖い怖い」

 何で買ってくれる流れになっているのか。

「布教のためなら金は惜しまない」
「目がマジなのよ……」

 まあ、ダンデが登場する最新作、やってみてもいいかもね。あ。でも考察するなら全シリーズやるべきなのかな。……最悪ネットで調べるか。ズシにもそれとなく訊いてみようかな。

「Switchもソフトも全部自分で買うよ」
「ソフトはプレゼントさせて」
「いらないって」
「布教する。沼に来て。キバナ様を推して」
「ズシ、キバナのことになるとIQ低くなるよね」
「様を付けて! キバナ様!」
「えぇ……。いや推し以外のキャラは敬称付けないんだよ。例外はあるけど……」
「キバナ様だからね! 絶対付けてね!」
「怖い怖い怖い!」

 このあと、ズシは宣言通りパッケージ版のソードを私に贈った。「絶対にやって」と念押しされた。沼に落ちた人間は怖い。

 私も他の作品で推しを語る時、あんな沼の底みたいな目をしているのだろうか。人の振り見て我が振り直せじゃないけど、ちょっと気を付けよ……。

***

 Switchを買いました! 安くない買い物だけど、トリップの謎を解くヒントがあるかもだし、けっして無駄遣いじゃない。

 ダンデが「Switchはこの世界にもあるんだな」と言っていたので、向こうにもSwitchという名のゲーム機はあるらしい。何でだろう、不思議だ。

 ちなみに、ダンデは弟のホップに買ってあげたらしい。お兄ちゃんしてるね。

「ゲームをやるのか?」
「うん。ガラルが舞台になってるポケモンのゲーム、私もやってみようかなと。元の世界に戻るヒントあったらいいなと思ってさ」

 毎日は無理だけど、少しずつプレイするつもり。

 でも、まずはゲームより、大事なことがある。

 今朝の宣言通り話をしようじゃないか。

 夕飯を終えて、私は話を切り出した。

「ダンデ、話があるんだけど」
「ああ」

 観ていたテレビを消して、ダンデが私に向き直る。

「どんな話だ?」
「ええとね、ダンデに提案というか相談、かな」

 ダンデを二次元のキャラクターとして見てた、なんてバカ正直に話すのはダメだ。いくらダンデでも、こんな話を聞かされたらいい気分じゃないだろう。それは、これから私が気を付けていけばいい話だ。

 大丈夫、ダンデも私と同じ。今を生きてる人間だ。

 じゃあ、何を話すかというと……。

「風邪ひいてる時にもちょっと話したよね。こっちにいる間、チャンピオンはお休みしない?」
「……お休み?」

 私はうなずく。

「前から気になってたんだ。ことあるごとに、『チャンピオンだから』って言うのが。仕草や反応も、たまに大袈裟だったというか……。ああ、うん。他人に見られていることが分かっている反応? 画面映えするような感じだったかな。ダンデって、小さい頃から今まで、ずっとチャンピオンとして振る舞ってきたんだよね?」
「ああ」
「そういう振る舞いが染み付いてるんだろうけど、でも、それって異世界来てまでやるようなことでもないと思うんだよね」

 だって、ここは日本。まったく知らない世界。ダンデが「あのポケモンのゲームに出てくる、チャンピオンのダンデ」だと認識する人がほぼいない世界。

「そこで提案。『ただのダンデ』として生活してみない?」
「『ただのダンデ』?」
「うん。何も異世界来てまで、肩書通りに振る舞わなくていいと思うんだよね。何て言うか、ダンデってポケモンが好きなのは分かるんだけど、それ以外のことが何ひとつ見えてこない気がする」

 チャンピオンとしての回答はすぐに返ってくるのに、自分自身のことになると彼は戸惑うことが多い。今まで暮らしてきて、そう思う場面が何度もあった。

「こっちの世界ではよく知られている話なんだけどね。人って、仮面を被って生きているんだって」
「仮面?」

 ダンデがペタペタと自身の顔を触った。

「もちろん、物理的じゃないよ? えーとね、色んな役割を演じているっていうか。ほら、会社では厳しい人も家族の前では甘えん坊、とかさ。父親、母親、会社の社長、俳優。最近はネットとリアルで演じている自分が違う人もいるらしいよ。もちろん、私も色々な役割――仮面を被って生きているわけで。その仮面と素の自分があまりにも乖離していると、疲れちゃうこともあるらしくて……。うーんと、私が、言いたいのはね」

 そう、私が言いたいのは。

「ダンデって、チャンピオンとしての仮面をずっとつけていたから、そうじゃない自分を忘れていそうだなって思ったんだ」

 チャンピオンとしての役割。大人としての役割。

 その役割を果たそうとして、長いこと時間が経ってしまって。

 いつの間にか、忘れちゃったんじゃないのかな。

 チャンピオンじゃない、「ただのダンデ」を。

「私はさ、多分『チャンピオンのダンデ』と暮らしてる状態なんだよね。私は『ただのダンデ』と暮らしたい。いきなり素になれっていうのは難しいって分かってるけど、チャンピオンの仮面を一旦脱いでもいいと思う」

 ここまでする義理はないのかもしれない。

 でも、せっかく出会えたんだ。この奇跡を大切にしたいんだ。

「あなたの好きなもの、苦手なもの、教えてほしい。あなたが何を見て感動するのか、あなたが何を感じて涙するのかを知りたい」

 いずれ帰る人だ。ダンデの全部を理解はできない。それは分かってる。
 今までのことは全部無駄になってしまうかもしれない。そうかもしれない。
 だけど、だからといって「何もしない」という選択を、私は取りたくない。

「……その、気を悪くしないでね。いつか、だよ。いつか、あなたがチャンピオンの座から降りる日が来てさ。あなたがただのダンデになる時間が増えた時にさ。自分が何が大好きだったかすぐに思い出せる? 何がしたいとか、そういう願望ある?」

 チャンピオンという仮面がなくなったら、ダンデには何が残るのかな?

 ポケモンが好きという想いは残るのかもしれないけれど、じゃあ、それ以外は?

 このままだと、何か、よくない気がするんだよ。
 私ね、少しでも、あなたのために何かしてあげたい。

「チャンピオンじゃなくなった時の予行練習みたいな感じで……」

 ああ、伝わってる? 私、話が下手くそすぎじゃない?

 ダンデから返事はない。難しい顔をしている。気を悪くしていないだろうか。大丈夫だろうか。

「ありのままのダンデでいてほしい。分からないなら、手伝うよ。それくらい、させてよ。ね?」

 異世界に来てまでチャンピオンとか、疲れちゃうよ……。

 尻切れトンボになった言葉は、沈黙の空気に霧散していった。

 どう、思ってる? ダンデ、何か言ってくれないかな。

「オレは、帽子が好きだ」

 突然こう宣言したものだから何のことか分からず、私は「あっ、うん」としか返せなかった。

 ダンデは気にすることなく話を続ける。

「服は何を着たいのか分からなかった。渡されたものを着るだけだ。色のリクエストはしたかもしれないが。それ以外は興味がない」

 新宿へ出掛けた時、服のことはよく分からないって言ってたね。

「料理も、正直手早く食べられたら何でもいいと思っていた。ポケモンのことに1秒でも長く使いたかった。バトルの戦略を練って試したかった。オレは何を好んで食べていたか忘れてしまった。腹に入ればいいと思っていた」

 そうだね。びっくりするくらい早食いだったね。

「それから、家事もあまりやらなくなった。ハウスキーパーに任せればいいから。最後に自分で掃除をしたのはいつだろう。自分でシーツを洗った日は? まったく思い出せない」

 太陽のような瞳は、私を真摯に見つめている。

「だが、後悔はしていない。嫌になったことはない。オレにはポケモンがいた。ガラルの皆がいた。楽しい日々だった」

 ダンデが掌をぎゅっと握った。

「皆が、幼いオレの成長を温かく見守ってくれたんだ。オレは、そんな彼らに恩返しがしたい。彼らの――ガラルのために、オレはチャンピオンとしてあり続ける」

 夢と希望と未来を、背負っているのかもしれない。
 無敵のチャンピオンとして。

 そこで、ダンデは言葉を切った。

 何故か見つめ合う形になってしまう。居心地が悪くなってモゾモゾ動く私とは反対に、ダンデはとても落ち着いていた。

「でも、キミの言う通りなのかもしれないな。オレは、チャンピオンを少し休んでいいのかもしれない」
「――!」

 風邪をひいた時に、思い出したことがある。ダンデはそう言った。

「チャンピオンとしてのオレについては、すぐに答えが出る。ところが、だ。キミが言う『ただのダンデ』の願望を、オレはすぐに思い出せない。きっと、昔はあっただろうに」

 ダンデはどこか遠くを見るような目をしていた。

「思えば、この世界に来てから、オレはチャンピオンらしくないことばかりしている。料理なんて久しぶりだった。食事を早食いするオレが、キミのために手間暇かけて料理をしている。意外にも楽しんで、だ。服もそうだ。身体にフィットする服を着る機会が多かったんだが、ゆったりとした服装も悪くないと思ってる。動きやすいものなら、尚よし。どんなコーディネートがあるのか、実は最近気になってきてるんだぜ?」

 それから、とダンデは言葉を続ける。

「それから、オレは意外にも整理整頓が得意だったみたいだ。キッチンの収納を、あとで見てみるといい。もうオレのテリトリーになっていて、きっとキミはどこに何があるのか分からなくなっている」

 ここに来なければ気付かなかった、とダンデは笑う。

「自分にこんな一面があったなんて、知らなかった。きっと、『チャンピオンのダンデ』のままなら気付けなかったことなんだろうな。正直、チャンピオンではないオレの姿はまだ想像がつかないんだが、いつかその日は必ずやって来る」

 その「いつか」が「いつ」なのかは分からないが、その日のために「チャンピオンのダンデ」を休むのも、悪くない。そう思い始めているらしい。

「ああ、そうだ。『ただのダンデ』の第1歩として告白するが、実は早起きが苦手だ」
「えっ、いつも私より早く起きてたのに!?」

 衝撃の事実に驚きを隠せない。

 嘘ー? 太陽の化身みたいな笑顔の持ち主なのに?

「知らなかっただろ」
「うん……」
「キミを子どもだと勘違いしてたから、いい見本にならないと、と気を張っていたんだ」
「あー。じゃあ、今もでしょ? 無理しなくていいよ」
「いいや、好きでやってるんだ。どうやらキミも朝は苦手のようだから、オレが目覚まし時計代わりになろう。朝食だって作るぜ。キミの健康のためにもな」

 そう言われると何も反論できない。

「他にも、チャンピオンらしくないからと隠してたことがあったりするんだが、それは追々、だな。……そういえば、キミは出会った時から『チャンピオンのダンデ』を知らない人間だったよな」

 うん。そうなんだよ。あったのは、二次元のキャラクターという壁くらい。

 あ、立派な大人だから私も見習おう、くらいは思ったか。

「チャンピオンになるくらいだから、ポケモンバトル上手いすごい人なんだろうなー。家事させちゃってよかったのかな、ごめんなさい、とか思ってたな……」
「ははは、そうか。そういうものか」

 無意識に二次元のキャラクターっていう壁を作ってたりもしたけどさ……。何はともあれ。

「提案は受け入れてくれる感じ?」
「ああ。ただのダンデを思い出す。だから、今はチャンピオンはお休みだ」

 ガシッと手を握られてしまう。あ、これデジャブ。

「キミが、オレのことを知りたいと言ってくれるから! オレも、もっともっと、キミのことを知りたい! これから改めて、よろしく頼むぜ、!」
「う、うん……! よろしく!」

 ダンデの眩しい笑顔を浴びながら、思う。

 ――ダンデのことを知りたい。

 ――キミのことを知りたい。

 …………うーん。なんか、愛の告白でもしたのかって感じで、結構恥ずかしいことを私はダンデに言ってしまったんじゃないか。

 でも、まあ。ダンデが気にしてなさそうだし、私が気にする必要ないか……。

 こっちで生活している間、ダンデがダンデであることを、思い出せますように!

 こうして、私たちの本当の意味での共同生活が始まるのだった。