芽生えて育って⑥


 ――あんた、本当は何者なの?

 まるで【ぜったいれいど】でも放ったような。一撃必殺の問いだった。

「おかしいのよ。このアパート、隣は空室。もう1室は表札が違う。念のため、ここに来る前に1階も確認してきた。でも、『ダン・レオン』の名前はない」

 ズシは一言一言、ゆっくりと言葉を放つ。
 まるで、オレを追い詰めるように。

「あんた、本当はこのアパートの住人じゃないのよね?」

 オレは返事ができなかった。

 彼女は、オレのことを警戒している。

、お祖母様をなくしたばかりなの。ご両親ももういないの。に異変があった、すぐに助けてくれる人がいないわけ。
 私は家族になれないけれど、同じ会社の同僚として……。ううん、友達として、を助けてあげたいのよ」

 ズシはオレをきっと睨みつける。

「この子、ずっと『家族が欲しい』って言ってた。私は家族全員まだ元気だからさ、この子の抱えてる寂しさが分からない。でも、幸せになってほしいと思う。この子が危ないことに巻き込まれそうになってたら、正しい道に引き戻してあげたいと思ってる」

 だから、付き合う男がしっかりしている人なのか目を光らせているのだ、とズシは語る。

「初めて居酒屋で出会った、私は酔ってたからあんたたちの関係をスルーしてたけども。のお祖母様が亡くなってすぐ、留学生と出会うなんて……何か変な宗教に勧誘でもされたのかと疑ってたのよ。しかも、留学生とワンナイトがどうとか一緒に暮らしてるなんて単語が聞こえてくるし……。

 あとからに問いただしたら、あんたはイギリスからの留学生で? アパートのお隣さんだって言うじゃない? 私、あんたと初めて会った日は酔ってたから『そういうものか』って納得しかけてたけどさ……。怪しいのよ、色々。近々、のアパートに遊びに行こうとは思ってたけど、それが今日、叶った」

 ふう、とズシは溜め息をついてコップに残っていた酒を呷った。

「……は、天涯孤独になって、さぞかし落ち込んでるだろうと思ってた。弱音でも愚痴でも何でも聞こうと思ってたし、何かあったらすぐに助けられるようにしてた。でも、いつも通りなのよ。ううん、むしろ生き生きしてる。空元気かなって心配してたら、違った」

 ズシはオレを指差した。

「あんたのせいよ」

 オレは目を見開く。
 オレの、せい?

「知ってる? 会社ではね、は最近はあんたの話ばかりするのよ。すごく楽しそうに。が元気なのは、……悔しいけど、あんたのお陰だと思う。そこには、感謝してる。今日実際に話してみて、あんたはきっと、悪い男じゃないんだろうとは思う。だけど――」

 ズシは唇をぎゅっと噛み締める。血が出そうなくらいに。

「でもさ、人は見かけによらないのよ。世の中そう簡単じゃないから。もしもあんたが悪い奴だったら、私は絶対に許さない。この子と縁を切ってもらう。結婚詐欺師? 宗教勧誘? 何にせよ、私はが不幸になるところなんて、見たくない」

 ――彼女が握った拳は震えている。

「だから、あんたは一体、誰なの? 何の目的でに近付いたの?」

 そして、ズシは口を閉ざした。

 部屋には沈黙が訪れる。
 聞こえるのはカチ、カチ、と部屋に置かれた時計の針の音だけ。

「オレは……、」

 掠れた声が出る。

 どうすればいいのだろう。
 どうすれば、この状況を切り抜けられる?

 ズシ……、彼女は本当に、心の底からを大事に思っている。、キミにはいい友人がいるんだな。

 ズシの拳が震えているのは、オレが怖いからだろう。
 オレがにとって悪い人間ではないのかと。本性を表して害をなすのではないかと、そう考えているんだ。

 オレはとこの部屋で暮らしている。そう話せば解決する問題だろうか。

 このまま、留学生という嘘を突き通して、いいのか?

「オレは、と――いや、に――」

 嘘をつくのか?
 それでいいのか、ダンデ?

 オレは、嘘がどうにも苦手だ。バレそうになったら嘘をついて、その嘘がバレそうになったらまた嘘をついて……、と嘘を嘘で塗り固めることができない。罪悪感を覚える。相手をバカにしている気がする。

 何事も正直に言えばいいものじゃない。そんなこと、オレだって知っている。その場を円滑にするためには、多少の嘘が必要なこと、オレだって知っている。

 だが、今、この瞬間は違うだろ?

 ズシはこうしてオレに真っ向から向き合っているというのに。嘘をつくなんて、それはあまりにも不誠実だ。

 ……そもそもの話。がズシに嘘をついているのは何故だ?

 それは、オレが異世界から来た存在だと信じてもらえないと考えたからだ。

 留学生という設定を練った、はこう言っていた。「こんなマンガやアニメみたいな話、信じてもらえない。ダンデと私、頭がおかしいって思われたら……嫌だ。それに、友達なくすかもしれない」と。

 ならば、信じてもらうしかない。

 オレがダンデなのだと。
 オレが異世界から来たのだと。

「――んだ」

 もしも、信じてもらえなかったのなら。
 オレはこの場から去るしかない。
 頭がおかしい。不審者。そう思われるのは、オレだけで済みそうだ。

 、すまない!

 心の中でに謝り、オレはゆっくり口を開く。

「オレは、ダンデなんだ」

 ズシの目が大きく見開かれる。

「ポケモンがいる世界からトリップしてきた、ガラルのポケモンリーグチャンピオン、ダンデなんだ」


「はぁ?」

 案の定、と言うべきか。ズシは一瞬、呆けたように言葉を失くし――すぐに肩を震わせ怒りを露にした。

「あ、あんた何言ってんの!? そんなアホみたいなこと言ってんじゃないわよ!! ありえないでしょ」
「確かにありえない! も最初はそう言っていた! だが、実際そうなんだ! オレはダンデだ!」
「コスプレした頭のイカれた男がダンデだって思い込んでるんでしょ!? 騙されないわよ!」
「騙すつもりはない! 本当のことだ!」
「んー……」
『……』

 突如聞こえてきたそれに、オレとズシは動きを止めた。そうだ、が寝ているのだった。大声を出しすぎた。

 オレたちはしばらく息をするのも忘れて、じっとの様子を観察していた。……幸い、が起きる気配はない。

『ふう……』

 ズシとオレの溜め息が重なる。思わずお互いの顔を見合わせてしまった。
 ズシはそれが嫌だったのか露骨に顔をしかめると、くいっと親指でベランダを指し示す。

「ベランダで話そう。を起こしたくない」
「それよりを寝室に移動させた方がいいんじゃないか。オレが運ぶぜ?」
「バカ。自分をダンデだと言い張る得体の知れない奴に、を触れさせられないわ」
「キミこそ、いいのか。オレがキミに何かしようとしたらとか、考えないのか?」
「へえ、するの?」

 しまった。更に警戒させてしまうじゃないか!

「いや! するつもりはまったくないんだが!」
「……ふっ」

 オレの慌てぶりが面白かったのか、ズシは微かに笑った。

「はあ……。なぁんか調子狂うのよね、あんた。ほら。外出て、外」

 そういうわけで、オレたちはベランダで話をすることになった。

 12月というだけあって、少し肌寒い。
 今日は起きている人間が多いのか、周辺の家々にはまだ灯りがついていた。

「……んで? 何だっけ、本物のダンデ? 異世界からトリップ? あんたそれ本気で行ってんの?」

 ズシはベランダのフェンスの部分に寄りかかって腕を組み、オレじっと見つめる。その眼差しはキルクスタウンに降る雪のようだ。

「まあ、確かに似てるけどさあ……。二次創作みたいな展開マジであると思ってんの?」
「二次創作はよく分からないが、実際に起きてしまったことだ。オレはムゲンダイナの捕獲を見届けた後に気を失い、のもとで目を覚ました」
「ムゲンダイナ、ねぇ? 設定よく練ってきてるじゃない」
「設定? 違う。本当に起こったことなんだぜ!」

 どうしたら彼女に信じてもらえるだろうか。

「キミは、どうしたらオレをダンデだと信じてくれる?」
「逆に訊くわ。は何を根拠にダンデだと信じたの? 私にも同じこと、してご覧なさい。そうしたら信じるわよ」

 のは、どうやって信じてもらっただろうか。

「……服装と、リザードン……」
「服装。ああ、今のあんた、ユニフォームじゃないもんね」
「待っててくれ。ユニフォームはしまってあるんだ」
「あるの?」

 ベランダから部屋へ戻り、オレはリビングチェストからユニフォームを取り出した。マントと黒のスポーツキャップも忘れずに持ち、ズシのところへ向かう。

「これだ」
「……いやいやいや。そんなの、作ろうと思えば作れるでしょ……」

 ズシはオレのユニフォームとマントに触れる。

「うわ、マント重い。ん? 生地の厚みや触り心地……、縫い目もしっかりして……。なるほど……? ゲーム内に出てたスポンサー企業のロゴ、こうなって――随分細かいわね。ん、ここはこうなってるの? へえ、――ってことは……」

 オレの衣装を隅から隅まで観察し、何やらブツブツ呟いてる。

「信じてもらえるか?」

 よほど夢中になっていたのだろう。オレの声でズシは我に返ったようだった。

「こ、これだけじゃあ、根拠に乏しいでしょ。それこそ、リザードンでも出してもらわなきゃ」
「いいぜ」

 オレはポケットからハイパーボールを取り出す。

「リザードン」

 いいのか、とでも言うようにボールが揺れる。

「ああ。オマエこそ、いいのか?」

 問題ない。リザードンはそう答えるように鳴いた。

「頼んだ、リザードン」

 宙に放り投げたボールから、リザードンが飛び出す。ベランダが狭くなるので空中で羽ばたいてもらうことになる。

「どうだ、これで信じてもらえるか」
「――」

 ズシは絶句していた。彼女、驚くと声が出ないタイプとみた。
 ちなみには絶叫するタイプだ。

「……っ、!?」

 ズシはコイキングのように口をパクパクとさせ、オレとリザードンを交互に見やる。

「――は? あ、嘘……CGとかじゃなくて?」
「これがCGだと思うか? 偽物だと思うか?」

 新年を迎えた夜。遠くに見える街の灯りを背に、リザードンはオレンジ色の翼を静かに羽ばたかせ、その場に留まっている。

 リザードンは青い瞳をズシに向け、小さく鳴いた。

 ここにいる。
 生きている。

 そう、主張している。

「オレ自身の姿とユニフォーム。そして、リザードン。これで信じてもらえるか?」

 オレは、ひとつひとつの単語を噛み締めるように、もう一度、名乗る。

「オレはダンデ。ガラルの英雄とも呼ばれる、無敵のチャンピオン。リザードンが相棒の、正真正銘、本物のダンデだ」