
芽生えて育って⑦
「そういう話、支部で親の顔より見てきたわ」
オレがここに来るまでの経緯――オレがダンデであること、と暮らしていること等も含めて、ズシに全て話した。
彼女はと違い、ガラルが舞台となっているゲームを既にプレイしていた。だからなのか、ムゲンダイナのことやそこに至るまでの経緯を全て把握していた。
それで、開口一番彼女から出てきた台詞が冒頭のこれだ。
「も似たような言い回しをしていたが、何なんだ、それ」
「えっ? ……気にしないで。チャンピオン様は知らなくていいのよ」
「驚いたに使うのか?」
「そういう感じというかスラング――なんでもない。忘れて」
ズシは頑なに教えてくれなかった。今度、に訊こうか……?
「それより本当に本物なんだね。コスプレ以前の問題だったわけね。ダンデがこっちにトリップかあ……。リザードンまで見せられたら、もう、信じるしかないのよね……」
ズシがしみじみと呟く。
「はぁ……。本当にポケモンがいる世界ってあるんだ……」
些か放心しているようにも思える。無理もない。オレ自身もトリップを体験していなかったら、すぐに信じられなかったと思う。
オレはリザードンの頭を撫でてボールに戻した。
ズシはベランダの柵に頬杖をついて、空を眺めている。
「そういえば、いつだったか、が訊いてきたかも。『例えばトリップするとしたら、どのポケモンの仕業が考えられそうか』って。ダンデがいたからなのね……」
ズシはちらりとオレを見る。
「まあ、一緒に暮らすのは逆トリのお約束だとしても、よくも受け入れたわね。推しなら私も考えるけど、よく知りもしない作品のキャラと住むとか……。私は無理かも」
「オレもだ。1日2日ならいいが、1ヶ月近くとなると……。部屋を別で借りてそこに住んでもらうようにするな……」
「、優しすぎるよね」
「彼女、優しすぎるよな」
言葉が重なる。オレたちは苦笑いを浮かべた。
「分かったよ、どうしようもない事情であなたがここにいることは。……ってことは、いずれは帰るってことよね?」
「そうだな。帰るぜ」
瞬間、心が痛んだ。
帰る、か。ああ、帰らなきゃいけない。でも、ガラルにはがいないんだよな。
帰りたくないわけではないが、がいないのは、なんというか……少し、その……寂しいな……。
「私も協力するよ。トリップしてきた原因、調べたらいいのかしら」
「それは助かる! 多分ポケモンが関係していると思って、いくつか情報を集めたんだが……」
「あ、そうなんだ? ちなみに目星ついてんの?」
オレがいくつかのポケモンの名前を挙げると、ズシは何かを思い出すように目を瞑った。
「正直、あなたの方がポケモンに詳しいから、偉そうなこと言えないんだけど。私も、ゲームを通してだけどそれなりに伝説・幻のポケモンの知識はあるよ……。でも、そうなるとさ……こっちにそのポケモン来てるのかな?」
「そこなんだよな……。可能性は低いが、ないわけではない、はずだ。いるとしたらどこなんだろうな……」
「ま、そこらはと相談よね。には話してないの?」
「ああ。まだだ」
「――随分ゆっくりしてんのね」
自覚はある。帰りたい。帰らなくてはならない。オレは本来、ここにいるべき人間ではないのだから。
「オレが気を失ったあと、ガラルは一体どうなっているのか。バトルを待っている皆を心配させているんじゃないかとか、焦る気持ちもあったさ。だが、と暮らしていくうちに……もう少し、ここに留まりたいと思っている自分もいるんだ。矛盾しているだろ?」
「うーん。……居心地がいいの? といるのは」
「そう、だな。何しろ初めてだったんだ。チャンピオンのダンデじゃなくて、ただのダンデを知りたいと、そう言ってくれたのが、だったんだ。だからかな。得がたい友ができたようで……いや。それも、少し違う気もする」
「うん? 何それ。何かあったの」
あののことをズシに言うのは――宝箱に大事にしまった宝物を見せるような気持ちだ。そう簡単に見せたくは、ないな。
「内緒だ」
オレが朗らかに笑うと、ズシは眉間に皺を寄せて「気に入らんわぁ……」と文句を言う。
「私の方がと仲がいいんですけど? 友達ですけども? 付き合い長いですみたいな顔しないでくれるー?」
「それは分かるさ。キミ、今日に話を聞かれないように、わざと彼女を酔い潰しただろ。オレが万が一悪い奴だったら彼女がショックを受けるだろうと思って」
「……」
ズシは気まずそうにオレから目を逸らした。
「沈黙は肯定とみなすぜ」
「えー? 気付いてたの?」
「気付いたのは、キミがオレに『何者か』と訊ねただな。それまでは2人ともよくその量を飲めるなと感心していただけだったが……。思い返せば、わざと酒をに勧めていたような気もして。まあ、勘だけどな」
ズシはクスリと笑った。
「さすがチャンピオン様。なんてね。そうね、って酒に強いから、酔い潰すのって結構大変なのよ。あの子が眠くなるまで飲んだの、確か推しが死んだって集まって飲んで以来だから――2年ぶりなのかしら」
「推しが死んだ……?」
「あ。そうか、分からないわよね。が好きだった、漫画のとあるキャラが死んだのよ。それで弔い会をしたってわけ」
「うん? 実在の人物じゃないのに……?」
「オタクはそういうことする人がいるの!」
とにかく、ズシはわざとを酔い潰した。
オレがを騙そうとする悪い奴なのか、確かめたかったから。
オレと2人で直接、話し合う機会が欲しかったのだそうだ。
「今日ここに来れたのは、本当に偶然だったのよ。年の瀬にゴタゴタ持ち込むのは気が引けたけど、あなたがを騙そうとしてるのか、確かめたかったのよ」
それに、今年の汚れは今年のうちに片付けろって言うじゃない、とズシは仄暗い笑みを浮かべた。どうやらオレは汚れ扱いされていたらしい。酷いと思う反面、ズシの友人を思う気持ちが強かったから仕方ないかと思い直す。
「キミたちはいい友人だな。が嘘をついたのも、キミという大切な友人をなくしたくなかったからなんだぜ」
「…………そ、そう」
彼女は照れたように頬を掻いた。
「まあ、あれね。私も二次元キャラがトリップしてきたって話、信じてもらえる自信がないから、嘘をつくかもしれないわね……」
を責めるつもりはないから安心して、とズシは微笑んだ。
「とりあえず、あなたのことについては不問とするわ。どうせガラルに帰るんだし……。あ、そうなると目を光らせるのはカシワギだけでいいのか」
カシワギ。ああ、を食事に誘った。可愛いと褒めた。握手をした、あの男か。彼とが……と考えると、やはり胸が痛くなる。
……嫌だな。
太陽が雲に覆われたような気持ちになる。
何故、そう思うのだろう。
知っている気がする。その気持ちの名前を。
何だったかな……。思い出そうとするが、
「あ! そうそう、一応言っておきますけどね? のことを思うんなら、あまりあの子に深入りしないでよ」
ズシの言葉に思考を中断されてしまった。掴みかけた一片が、するりとオレの手をすり抜けていく。
「何だ? 深入り?」
「そうよ。手を出さないでよ」
「手は繋いだが?」
「そういう意味じゃな――なぁに手を繋いでんのよ!? 出してるじゃない!」
火がついたように怒り出すズシ。何だ、一体どうして怒っているんだ!?
「手だけだぜ!?」
「それが問題でしょ! 万が一男女のアレコレに発展してご覧なさい! 手以上出したら削ぎ落とすわよ!」
「どこをだ!?」
嫌な予感がして数歩後ずさる。若干内股気味になったのは、男なら仕方ないだろ!?
「キミたち、ただの友人なんだよな……?」
「ええ、そうよ。でも、これくらい普通でしょ?」
普通なのか? そうなのか? オレには分からないが、なんか違うと思うと、もうひとりのオレが囁いてるぜ?
「万が一、惚れた腫れたがあったらが可哀想だわ。認めたくないけど、あなたはいい男だもの……。まあ、キバナ様には負けるけどねー?」
そういえば、ズシはキバナの大ファンだったな。
「正直ヤってたらどうしようかと思ってに訊いたけど……、ねぇ、何もないのよね? これ以上、隠し事ないのよね?」
「やる? 何を?」
「あんたらがどこまでいってるのかを訊きたいだけよ」
「うん? 新宿までは出掛けぜ?」
「そうじゃない!」
そこで、はあぁぁぁーーーーと海より深い溜め息をつくズシ。
訳も分からず首を傾げるオレ。
「あれかしら。ダンデって、あらゆる欲をポケモンバトルで発散するタイプなのかしら。あなた、ソニア辺りに『ダンデくんって将来ポケモンと結婚しそうだよね』って言われたことあるでしょ」
「何で分かったんだ!?」
「なんとなくよ……。えー、ピュア過ぎない? ちょっと沼りそう……。じゃなくて、――いいわ。あなたはそのままで」
ズシは遠い目をしていた。ソニアもそんな顔していたことがあったな……。
「とりあえず、連絡先交換しない? 私もあなたの帰還に協力するんだから。仲間に入れてよね。スマホあるんでしょ」
「ああ。じゃあ、そろそろ中に入ろうぜ。さすがに寒くなってきた」
「そうね。そうしましょ」
部屋へ戻ろうとしたところで、「そういえば」とズシが何かを思い出す。
「ガラルがどうなってるか気になってたわよね。私、ゲームクリアしたからそこら辺知ってるよ。とりあえず事態は収取したわ。ガラルの人たちは無事だったよ。3日後に決勝戦は再開されたしね」
「そうなのか。よかった……」
「……まあ、あなたがトリップしたんだもの。ゲームとはかなりかけ離れたストーリーになってるわよね。ええとね。だかは私が言いたいのは、ガラルはなんとかなってるから、焦らずかつ迅速に帰れってこと」
――だってあなたは、世界が違う人だから。あるべき世界へ戻るべきなのよ。
ズシのその言葉が、オレの胸に深く突き刺さった。
「そうだな……」
オレは曖昧に笑うしかなかった。
部屋に戻ったオレたちは、の様子を確認する。すっかり眠っているな。相変わらず、起きる気配はない。
「ねえ、炬燵で寝るのはよくないからさ、を寝室に運んでくれない?」
「オレに任せてくれるのか」
「もう得体の知れない男じゃないから、いいのよ」
「そうか、よかったぜ」
を横抱きにして寝室へ運ぶ。起きていたら騒いでいたんだろうな。たまにはポケモンの鳴き声みたいな不思議な声を出すから、面白いんだよな。
オレはを起こさないよう細心の注意を払い、そっと彼女をベッドに寝かせた。
彼女の寝室に入るのは、こちらの世界に初めて来た日以来だ。
そういえば、全ての始まりは、このベッドからだった。
彼女の隣で目を覚まして、物を投げつけられたんだよな。
思わず笑みが零れる。あの日からまだ1ヶ月くらいしか経っていないらしい。それを考えると、オレたちの距離はあの日から随分縮まったんじゃないだろうか。
だからだろう。まだ帰りたくないと思うのは。
まるで、家に帰りたくないと駄々を捏ねる子どものようだ。
オレは、眠る彼女の頭を撫でた。
「おやすみ、。いい夢を」