感情を持つことによる、果てしなく面倒くさい何か⑤


 異世界トリップだの何だの言っても、私の日常は変わらない。そう、会社。仕事。生活のために頑張らねば……。

 私は仕事に打ち込みつつ、ダンデの配信のお手伝いをしながらトリップ原因の情報収集をし、日々を過ごしていた。

「そういえば、もうすぐバレンタインよ」
「あー、もうそんな時期だっけ」

 今日はズシとのランチの日だ。今日入った店では、バレンタインの特別メニューを宣伝していた。美味しそう……。期間限定の4文字が私を誘惑してくる。いやデザートまで手を出す時間はないな。やめとこ。

「そういえば、ズシの部署はチョコ配ってるの?」
「んーん。原則禁止だけど、仲良い人にはこっそり配ってるよ。の方は?」
「私の方も同じかな。女同士でこっそり」
「だよねー。男性だと色々メンドクサイこともあるし。あ、メンドクサイで思い出した」

 ズシがお冷をひと口飲んだ。

「カシワギと連絡取ってる? あいつうるさいのよね、とご飯行きたい! 全然会話続かない! お前からも何か背中押してくれ! って。なんなのよ、あいつ……」
「あ! あー」

 私は目を逸らす。そういえば、カシワギくんからちょこちょこメッセージが来るのだけど、あまりマメに返してなかったな……。

 それに、何話していいか分かんない。アニメとかマンガとかゲームの話なら続くんだけどな。カシワギくん、そんなのオタク趣味に無縁そうな感じなんだよねえ。

「その気ないなら断った方がいいよ、マジで。私、カシワギとは合わないんじゃないかなって思ってんの。だって、私にこうして泣きついてくんのよ。女々しいったら! 忘年会の時はわざと留学生の――まあ、実際は留学生ではなかったけど――ダンデの話を出して諦めてもらうおうとしてたわけ。でも、効果なかったっぽいわね」

 うちの部署の人にも留学生(ダンデ)のことを話してたけど、それは「うっかり」だったらしい。ズシにはそういう、うっかり口を滑らせるところがある。口が軽いというか、調子乗っちゃって言わなくていいことも言っちゃうというか……。まあ、そこも含めて私は彼女が好きなのだが。

「ズシ、そこまでしなくてもさあ……。ありがたいけど、私も大人なわけだし、そこら辺はちゃんと自分で考えるよ」
「それはね、そうなんだけど……。あんた、マトモな恋愛経験ないでしょ……」
「二次元なら、うん、はい」
「それが心配なの。特に、あんたはその、身内なくしたばかりだから……」

 まあ、ズシが心配する理由も分かる。

「寂しくなった私が、誰でもいいからと周りが見えなくなってしまって、悪い男に騙されるかも、みたいな?」
「うん」
「……可能性なくはないかも」

 ダンデがいなかったら、ナンパにも引っかかっていたかも。「家族ができますように」なんて流れ星に願い事したくらいだしね。誰でもいいから、とホイホイついていってたかも。あ。いや、ナンパされた経験なんて今まで一度もないから、あくまで例え話!

「そういう意味で、ダンデがトリップしてきたのはよかったんだよね……。寂しさも悲しさも薄れていってさ……。ダンデがいると家が明るくなって楽しいんだよ」

 ズシは眉間に皺を寄せて大きな溜め息をついた。

「ダンデね……。本当、何でのとこに来たんだか。あー。とにかく、その気がないなら早く断りな。あんた、ダンデを帰してから考えようとか思ってんだろうけどさ、期待させてるってことなんだからね?」
「うん……」
「それから、バレンタイン。カシワギにチョコレートなんか渡すんじゃないわよ。勘違いするから。義理でも何でも、絶対ダメ!」
「分かってるって! さすがにそこまでアホじゃない!」

 そう言ったところで、店員さんがランチを運んできてくれる。
 注文した和風パスタを食べながら、私はバレンタインのことを考えていた。

 そう、バレンタイン。

 いつもはズシや同じ部署の人に配ってたな。あと、おばあちゃん。こういう時じゃないと、恩返しできないから。

 今年は職場と……。
 ダンデに贈っても、いいよね?

 ダンデがいることで、私、変な男に引っかからなかったわけだし。
 偶然の出会いとはいえ、私の所にトリップしてきてくれて、本当に助かっているんだ。

 そういう感謝を込めてバレンタインに何か贈っても、別に、変じゃないよね?

 前に好きだって言ってくれたけど、勘違はしてない。だって、ダンデの「好き」は家族や友達としての「好き」だから。
 いわゆる「LOVE」じゃなくて「LIKE」だから。

「ねえ、ズシ。今年は一緒にチョコ買いに行かない?」
「いいよー。にも贈りたいし、一緒に選ぼっか」

 今年のバレンタインは、いつもより楽しみかも。


***


『もうすぐバレンタインですね。今日から1週間、このコーナーでは相手に喜ばれるチョコレートレシピを紹介します!』

 テレビから聞こえてきた単語に、オレは思わず掃除の手を止めた。

「バレンタイン……?」

 こっちの世界にもあるのか、バレンタイン。ガラルでは恋人や友達、家族にプレゼントを贈り、感謝を伝え合う日だ。

「そうか、日本ではチョコレートを贈るのか?」

 調べてみれば、昔は女性から男性へチョコレートを贈る日だったようたが、最近はそれも変化してきているのだとか。チョコレートを贈るのは日本独自の文化だったようだ。

「なるほど、バレンタイン。バレンタインか……」

 掃除をするために一時的にボールに入れていたリザードンが小さく鳴いた。

「そうだな、に何か贈りたいな」

 本当に感謝しているんだ、彼女には。言葉では言い表せないくらいに。いい機会だ、日頃の感謝を込めて、バレンタインに何かプレゼントしよう。

 動画配信を始めてから、オレにはこちらの世界で自由に使えるお金が手に入った。に何かプレゼントを贈れるだけの余裕がある。

 できればの欲しい物を贈りたいが、見当がつかない。

 一緒に買い物に出てその場で買うとか……? いや、は遠慮するだろう。オレには「遠慮しないでね!」なんて言うのに、自分のことは棚に上げるんだよな、彼女は。

 新宿まで行かなければ、女性が好みそうなプレゼントは買えない。

 新宿か。絶対に迷うだろうな。外出せず通販で買うという手もあるが、実物を手に取れないから失敗した時のリスクが大きい。

 背に腹は代えられない。ここはひとりで新宿に行こう。何事もチャレンジだぜ!

「いざとなれば人に訊けばいい。なんとかなるさ!」

 それでも、やれることはやるぜ。店も事前に調べておくか。なるべく駅近くにしよう。

「あと1週間か……。買いに行くのは前日にしよう」

 が喜ぶ様を想像すると、自然と口角が上がる。胸が温かくなる。もっと見ていたいと思ってしまう。

 だが、不思議なことに――がオレ以外の人間に一喜一憂していると少し、いや、かなりモヤモヤするんだ。それが、現実の相手でも、ゲームの相手でも。

 が夢中になってやっている乙女ゲーの「攻略対象」というやつが気になってオレも始めてみたが、「キュンキュン」というのが未だに分からない。多分、ギャルゲーでも分からなかっただろう。

 分かったのは彼女の好みの男ぐらいか。なるほど、ああいうのが好きなんだな、とオレはしっかり心のノートに記録している。彼女が何に喜ぶのか理解しておきたいから。

 それから、もう1つ分かったことがある。はわりと軽率に「好き」と言うことだ。

 最初は、ヒバニーやワンパチといった、小さくて可愛いものに「好き」だと言っているんだと、思っていた。だが、はソニアやホップ、カブさんにも「好き」と言うじゃないか。

 彼女のことを観察して理解したが、どうやら「尊い」「可愛い」「格好良い」色んな意味で「好き」と言っているらしい。

 その感情は分からなくもない。オレだって、ソニアやホップ、カブさんをはじめとした、オレに関わってくれた全ての人やポケモンが大好きだ! そこにはだって含まれる!

 ところが、少し――いや、かなりオレは気になっているんだが、彼女、頑なにオレには「好き」って言ってくれないんだよな……。本人が目の前にいるからか? いや、リザードンには「好き」って言ってたよな……? 何が違うんだ?

 ――好かれていない可能性がある、とか?

 いや、……それはないな。ない。嫌いな相手と3ヶ月以上住めるものか。そこら辺は、彼女を観察していた分かるぞ。大丈夫、オレは嫌われてないぜ!

 笑ったり、泣いたり、怒ったり、照れたり、そういった彼女の全ての感情が、全部オレに向けられたものだったらいいのに。

「独り占め、できたらいいのにな……」

 彼女の全部が、オレで乱されたらいいのに。

「……」

 ふむ、と顎を擦る。

「オレ、のことが好きなんだよな……?」

 ポケモンにすらこんな思いを抱いたことはないんだが。

「なあ、リザードン? オレはどうしたんだろう?」

 さあ、知らない。

 ボールから聞こえてきたのは、呆れたような鳴き声だけだった。