感情を持つことによる、果てしなく面倒くさい何か⑦

 会社のデスク。1番下の引き出しには、丁寧に包装されたチョコレートが眠っている。
 そう、買った。買ってしまった。
 ダンデのためにチョコレートを買ってしまった。

 この間の休日で、ズシと一緒に買ってきたのだ。外出と聞いてダンデもついて行こうとしてたので「女子限定だからダメ」と断った。「分かったぜ」としょんぼりしていた様子がカワイソ可愛……、まああの、とりあえずダンデにバレずに買えてよかった。

 幸いなことに、ダンデは甘い物が嫌いじゃないらしい。

 動画配信を始めてから甘い物を食べる姿を見かけるようになった。バトルの戦略を考える時間が増えたので、脳が糖分を欲しているのかもしれない。

 そういえば、「昔、キバナとのバトル前日、対策を考えるのに夢中で、だんだん頭が回らなくなってきたんだ。冷蔵庫に何もなかったから、砂糖をそのまま食べたことがあったな……。ああ。あの、白いさらさらしたヤツだ。あの頃はそんなに料理をしなかったが、母さんから調味料一式は買い揃えておけと言われたからな。本当、助かっ――あっちの世界にいた時の話だぜ? 、何でオレから距離を取るんだ?」なんて話をしてたっけ。

 いや、蟻かよ。ダンデ、本当に食に興味なかったんだね。それが、今では私にご飯作ってくれるんだもん。人間、何があるか分からないね。

 話が逸れた。
 チョコレートを贈ったら、ダンデはきっと食べてくれる。
 あとはバレンタインを待つだけ――のはずなんだけど……。

「チョコレートだけってのも味気ないような……」

 いや、日本のバレンタインはチョコレートを贈る日なんだから、味気ないも何もないはず。
 だけど、だけどこう……自分の中では納得がいってないんだよね。

 服とか帽子とか靴とか、役立つ物がいいな。でも、そういった物はダンデがこっちの世界に来てから買ってあげちゃったんだよね。

 今回もそれだと、ワンパターンなんだよなあ……。

 そう悩んで悩んで悩み抜いて、気付けばもう、2月13日。バレンタインは明日に迫っている。
 私、決断力なさすぎじゃない? やっぱりチョコだけにしとく?

 あー、ダメだ。仕事中なのにこんなことばかり考えてたらダメじゃん。

 集中しろ、集中……!

「あいた!」

 突然、隣の席の先輩が声をあげた。

「あー、最悪。指切った……」
「大丈夫ですか。私、絆創膏ありますよ」

 紙で指を切ってしまったらしい。そういうこと、ありますよね。

「マジ? 助かるわー」
「この時期乾燥しますもんね。だから余計に切れやすいのかな。……はい、どうぞ」
「ありがとー。そうなのよ、洗い物すると余計にね。指先もひび割れちゃうし」

 絆創膏を貼り終えると、先輩はついでにとポーチを取り出し、ハンドクリームを塗り始めた。

「いい匂いしますね」
「うん、この花の香りが気に入って買っちゃった。さんも使ってみる?」
「いいんですか」
「もちろん」

 適量を手の甲に出してもらい、私もハンドクリームを塗る。香りはもちろん、伸びがいい。

さんは手が綺麗で羨ましいわ。何か保湿してる?」
「え、いや特には……」

 そういえば、洗い物というか家事全般は全部ダンデがやってるな。だから、今年は肌荒れとかそんなに気にならなくて……。ハンドクリームを使う回数が減って……。

 あ、そっか。
 何でこういうことに気が回らなかったんだろう。
 
「ハンドクリームだ!」

 贈り物、決まった!

「ハンドクリームですよ! 先輩、ありがとうございます!!」
「どういたしまして……って何の話?」

 うん、ダンデにはチョコレートと、ハンドクリームを贈ろう!


***


 今日は定時通りに退勤できた、よかった! ダンデには帰宅が遅くなると連絡済みだ。

 まじまじとダンデの手を見ることもなかったけど多分、乾燥してるんじゃないかな。
 ダンデ、リザードンのお手入れは一生懸命やるのに、自分のことは結構疎かにするんだよね。

 例えば、お風呂上がりの髪の毛。適当に頭拭いて、あとは自然乾燥だったからね。あんなに長い髪なのに。ドライヤーを必ず使うようにアドバイスしてから、ダンデの髪はトリップしてきた当初よりツヤツヤになっていると思う。

 まあ、とにかく、だ。何か役に立つ物といったら、今のダンデに限って言えば、ハンドクリームだろう。毎日家事をしてもらっているし、うん。ぴったり。

 お気に入りの雑貨店に寄って、私はハンドクリームを探す。

 どういうのがいいんだろう。チューブに入った花柄のパッケージの物を手に取る。これだと普通? ありきたり? 人に贈る物ってすっごく迷うよね。自分で使う物なら頭が痛くなるまで悩まなくてもいいのだけど。

 これはリンゴの香りなんだ。容器がリンゴ型で可愛い。あ、これは金木犀の香りか。うーん、使うのはダンデだからなあ? 香りの好みなんて知らないよ。もっと早く気付けばよかった。バレンタイン前日になって慌ててプレゼント買い足してるのって私くらいのものじゃないの?

「どうしよう……」

 ハンドクリーム、やめる? だって、普段使ってない人に贈るんだよ。迷惑だったりしない? いや、でも相手はダンデだよ。何でも喜んでくれそう……。いやいや、待って。それは私のイメージであって、実際のところは分かんないよ。

 あー、考えれば考えるほどドツボにハマっていく……。

 頭の中は色んな考えがぐるぐるしている。まるで、カバンの中で絡まった有線イヤホンみたいだ。解くの大変になったやつ。

 ちょっと休憩。頭冷やそう。

 ふらふらと店を出て、私は気まぐれにフロアを歩き回る。

 ああ、本当どうしよう。

 ハンドクリーム……はやめて無難なものにするとか……、いや、無難って何。世間の無難と個人の無難は違うだろうし……、何を、私は何を買うのか正解なの?

 私、ダンデに喜んでもらいたいだけなのにな。

 贈るのに迷うくらいならチョコだけ贈ればいいじゃないか。
 ……帰ろうかな。

 と、出口に向かって歩き始めたところで、

「あ」

 私はとあるコスメショップの前で足をとめた。

「あ、あ……! このハンドクリームなら……!」

 そこからの私の行動は早かった。悩んでいたのが嘘みたいだ。

 店員さんに相談し、私は無事、目当てのハンドクリームを購入することができた。

 このハンドクリームとチョコレートを贈ろう。これが、私のプレゼント!

 ダンデ、喜んでくれるといいな。

 明日のバレンタイン、楽しみだ。


***


 2月14日。

 朝起きた瞬間から、浮足だっている自覚があった。

「おはよう、
「おはよう、ダンデ」

 いつも通りだろうか。普通に挨拶できているだろうか。

 バレンタインにプレゼントを贈る。ただそれだけなのに、どうして私はこんなにわくわくしているんだろう。まるで遠足前の子どもみたいだ。

 贈る相手がダンデだからかな。

 そういえば、昨日帰ってきてからダンデの手をこっそり観察してみた。やっぱり手荒れしてた。ハンドクリーム、買ってきて正解だ。

 よし、渡すのは帰ってきてからだ。今日も頑張って働いてやる。

、今日はその髪型にするのか?」
「ん?」

 身支度を終えて洗面所から戻ってきたら、こんなことをダンデから訊かれた。

「ハーフアップのこと? 私、わりと毎日髪型変えてるじゃない。時間ないと適当にポニテにしちゃうんだけど……。でも何で急にそんなこと訊くの?」
「いや、訊くというか……」
「訊くというか?」
「似合ってるって言いたかったんだ。可愛い」
「ゔぁっ!?」

 朝からなんていう声を出させるんだ、この男は!

「今、どこから声が出たんだ?」
「自分でも分かんない。いや、もうその……急にそういうこと言わないでよ心臓に悪いな!」

 くっそ、これだからダンデは! 異性耐性~! 異性耐性~!

 ……よし、落ち着いた。

「とりあえず会社行ってきます……」
「ああ、いってらしゃい。気をつけていくんだぜ!」
「はーい」

 私のバレンタインは帰宅してから。

 まずは仕事。行ってきます!