スターゲイザー①


  

 ――オレ、キミが好きなんだ!

 ああ、いつものあれか。
 ポケモンや家族、友人に向ける好き。親愛の好き。LOVEじゃなくてLIKEの好き。

 だから、私はこう答えた。

「知ってるよ」

 笑顔を取り繕う。心の奥の蓋が揺れる。閉じ込めた「それ」が出ようとしている。ダメ。やめて。

「……」

 ダンデは何故か怪訝な顔をしている。私の返事にまずいところがあっただろうか。

「どうしたの、ダンデ」
、伝わってるか? オレ、キミが好きなんだ」
「え? だから、知ってるよ?」

 まさかダンデが恋愛的な意味で好きだって言うわけが、

「オレはキミと恋人になりたい」

 おかしいな。聞き間違いかな? 恋人という単語が聞こえてきたんですがそれは。

「キミを抱きしめたい。キミとキスがしたい」

 おいおいおいおい。聞き捨てならない単語がたくさん出てきたんですがそれは。

「大好きだぜ!!」

 は?
 え?
 え、

「ええええええぇぇっ!?」

 隣人がいたら壁ドンで抗議が来たに違いない。そのくらいの声量で私は叫んでいた。

「はああああ!? ちょ、はっ!? 嘘待ってやめてそんな……えっ!?」
「キミ、少し落ち着いた方がいいぜ」
「おおおおおおお落ち着けるかっ!!」

 そして距離を縮めてくるんじゃない!

 ダンデが膝立ちになってじりじりと距離を詰めてくるものだから、私は尻もちをついたような状態で後退するしかない。

「寄ってこないでよ!」
「イヤだ!」

 にっこり否定するな!

「『イヤだ!』じゃない! ダンデこそ落ち着いてよ! そっちが冷静じゃないんだよ!」
「いやオレは冷静だ」
「いーや違うね! 酔っ払いが酔ってないって言い張るのと同じだね!」

 どん、と背中に何かぶつかる。あ、これ棚。仏壇置いてる棚だ。
 に、逃げ場がない。
 ダンデがにこっと笑った。

「捕まえた」
「あ、」

 わーすごーい。壁ドンされてるー。騒音抗議じゃなくて壁際に追いやられる恋愛的な方のやつだー。漫画とかで見かけるシチュエーションだー。あ、でもこれ追いやられてるのは棚だし棚ドンかなー。

 ――現実逃避してしまった。この状況が変わるはずないのに。

「ダ、ダンデあのーそのー」
「逃げないでくれ」

 逃げたくもなるわ。だってありえないことが起きている。
 ダンデが私のこと、好きだって。

 いつから、とか。私のどこが、とか。色々聞きたいことがたくさんあるのに、ダンデを前にすると途端に言葉が出てこなくなる。

「キミはオレのこと、どう思ってる?」
「わ! 私……、私は、」

 心の蓋はとっくの昔に開いていた。
 隠しておきたかったそれは、ダンデにいとも簡単に暴かれてしまった。
 かくれんぼで「見いつけた!」と鬼に告げられてしまったかのような気恥ずかしさがある。

「ダンデが、その、」

 最初は、推しへの気持ちと同じだと思った。
 ゲームの中のダンデと、今一緒に暮らしてるダンデ。
 チャンピオンのあなたと、そうじゃないあなた。

 ダンデを知っていくうちに、その内面に惹かれていった。チャンピオンじゃなくてもダンデの本質は変わらない。

 まるで太陽のようだと思った。

 その輝きに惹かれた。ファンになった。だから、この胸のトキメキは、ファンとしての気持ちなのだと思った。

 だけど――。

 ズシにヤキモチを妬いてしまったり、傍にいてほしいと思ったり、私だけのダンデでいてほしいと願ったり、だんだんその気持ちが変化していった。

 家族としてあなたと暮らしたい。

 そんな想いを抱いてしまったら、自覚してしまったら、

 蓋をするしかなかった。見ないふりをするしかなかった。

 だって、告白したところでどうするの?
 世界が違うのに?

 色々悩んでいたのに! ああ、何で。

 何でこの人は、いとも簡単に越えてきてしまうのか。
 そんなの関係ないって言わんばかりに、剥き出しの、痛いほどの想いをぶつけてくるの?

 悔しいな!
 私だって、私だって!

「ダンデが大好き!」






 言い切った瞬間、私はダンデに抱きしめられていた。

 わああああああ!?
 ああああぁあぁっ!?

 あったかいー!? いい香りがするー!? いやこれ私と同じ香りだよ。だってシャンプーもリンスもボディソープも一緒で……、あ、もうこんなときに考えるのはそこじゃなくて! 一気に事が起こりすぎて何が何だか頭がこんがらがってパニックだよ!

「ちょ、まっ、ダンデ!?」
「そうか! オレとは同じ気持ちだったんだな!」

 背中に回された腕に力が入る。

「嬉しい! ああ! オレも大好きだぜ!」
「ちょっと待って苦しい。ギブギブ」
「あ、すまない」

 ダンデの圧から解放される。よかった、あのままだと窒息死していたわ。それか恥ずか死。
 ダンデはというと、目を星のように輝かせて私を見つめていた。すごく眩しい。いつもより7割り増しのキラキラ笑顔。これが、恋する男の姿なのか……。

「もう一度いいか?」
「え、やだ!!」

 私は胸の前でバッテンマークを作る。無理。もう一度とか無理。私、今度こそ死ぬ。

 ダンデは断られると思ってなかったようでかなりショックを受けていた。「ガーン」という効果音が背後に見えたような気がする。

「大丈夫、今度こそ優しくする」
「言い方がやだ!」
「じゃ、じゃあキスしてもいいか」
「きっ!? 何が『じゃあ』よ! もっとダメ!!」

 そういうの早くない!? もっとこう、ムードをさ……? いや、早くはないのか……? 分からない。世の中のカップルはどのタイミングで初キスを済ませているのか分からない。

……」
「しょんぼりするな! だって、だって……は、恥ずかしいじゃん……。ただでさえ両想いだったことに驚いてるのにさ? キスとかしたら、嬉しすぎて死ぬわよホント……」
「! じゃ、じゃあオレとそういうことをするのは嫌じゃないんだな!」
「好きなんだから当たり前でしょ!」

 ダンデがキュッと口を引き結んだ。 
 あ、あれ? なんかあの、バトルのときの目つきになってません?

「あ、あのー? ダンデさーん?」
「やっぱりキスしよう」
「何で!?」
「キミが可愛いのが悪い」

 どん、とダンデが両腕を棚についた。壁ドンならぬ棚ドン再び。私はダンデから逃げられなくなってしまった。

 ダンデの瞳は私だけを映している。
 私の瞳もダンデだけを映している。

 視線が交わり絡みあう。
 離さない、と訴える。

 顔が近付いてきて、
 睫毛の1本1本がはっきり見えて、
 お互いの熱を食むような、

「――、」

 甘くて柔らかな声で名前を呼ばれた。

 あ、キスされる。

 目を瞑ろうとした。
 ――瞬間、ダンデの頭にフォトフレームが直撃した。

「いたっ!?」
「えっ!?」

 ダンデが怯み、私から離れる。
 フォトフレームは音を立てて床に落ちた。ちょうど、写真を下にした状態で。

「大丈夫!?」
「あ、ああ……」

 ダンデは頭を押さえて若干涙目になっている。

「一体何が起きたんだ……?」
「フォトフレームが落ちてきた。多分、ダンデが棚に両手ついたときの衝撃で?」

 私はフォトフレームを拾い上げた。一体誰の写真なんだろう。

「あ、おじいちゃんのだ……。孫の危機を察知したのかも……なんて、あはは」
「危機……」

 ダンデは神妙な顔で「そうか」と呟くなり、自分の両頬を叩いた。パシン、といい音がした。

「すまなかった、。キミの言う通り、確かにオレは冷静じゃなかったみたいだ」
「うん、本当にそう思う」
「……キミの嫌がることはしたくないし、キミを傷つけたくない。ちょっと頭を冷やしてくるぜ」
「冷やすって?」
「いつもの夜間飛行だ」

 ああ、なるほど。夜はまだ冷える。頭を冷やすにはちょうどいいのかもしれない。

「いつも言ってるけど、ちゃんと厚着していってね。風邪ひかないでね」
「ああ。気をつけるさ」
「ん、ならいいよ。いってらっしゃい。あ、でもちょっと待って」

 立ち上がりかけたダンデを引き止める。

「もう一度言うけど、嫌じゃないからね。心の準備ができてなかっただけで! キス自体は『嫌がること』じゃないから。そこは、間違えないでほしい! それだけ!」

 だってその、

「ダンデとキス、は……私も、したい……です……」

 するとダンデは呆けたように口を開けて、

「ずるいなあ、キミは」

 と、笑った。

「じゃあ、今はこれで我慢するぜ」
「!」

 頬に柔らかな感触があった。ダンデにキスされたんだ。それに気付いた瞬間、私の頬は一気に熱を帯びる。

「――っ!?」
「ハハハ、カジッチュのようになってるぜ!」

 真っ赤と言いたいのか!?

「あれ?」

 突如、ボールに入っていたリザードンが外に出てきた。モンスターボールって、ポケモンの意思で出られるようにもなってるのね……?

「ばぎゅあ!」

 リザードンはふんと鼻を鳴らすとダンデの襟首を掴み、私から引き離した。

「リ、リザードン?」
「ぎゃう! ぎゅああ!」

 なんかダンデにお説教してる?

「叱ってる……?」

 あ、ダンデ掴んだまま玄関に歩いていく。子猫を運ぶ親猫みたいだな……。

と喧嘩はしてないんだぜ! むしろ逆だ! リザードン?」
「ぎゃう!」
「え? 下手したら嫌われていた? ……否定できないぜ」

 あ、リザードンはダンデの暴走(?)を咎めているのね。
 し、紳士では……? めちゃくちゃいい子では?

「リザードンありがと……」

 リザードンは「もっと早く止めてあげられなくてごめん」とでも言うように一声鳴くと、ダンデを掴んでいた手を離した。

「このまま外に出るつもりなのか? オマエ出られないじゃないか。一旦ボールに戻し――に迫ったりしない! 大丈夫だぜ!」

 ポケモンに釘を刺される人間って図、なんか不思議だわ。
 ダンデはリザードンをボールに戻してダウンジャケットを着込んだ。

「えーと。改めて、いってくるぜ」
「あ、うん。いってらっしゃい!」

 手を振ってダンデを見送り――私はへなへなと床に崩れ落ちた。

「あ、あああああ……」

 耳に心臓が移動してきたんじゃないか? そのくらい心音がうるさい。

「夢じゃないの? 嘘じゃないの? ダンデと両想いって、好きって、頬にキスって……?」

 バレンタインでこんなことになるなんて思いもしなかった。
 顔がにやけてしまう。今の自分を鏡で見たら相当気持ち悪いんじゃないか。

 これで寝て起きたら夢でした、とかそんな展開じゃなきゃいいな。
 試しに頬を抓ったら(ダンデにキスされてない方)ちゃんと痛かったので一安心である。

「あ、そうだ。これ、戻しておかないと」

 しばらく床にうずくまって心を落ち着かせた私は、手に持ったままのフォトフレームの存在を思い出した。
 あ、落ちた衝撃でフレームの角が欠けている。他におかしなところもないか、引っくり返して隅々まで確認する。

 ああ、なるほど。後ろのスタンド部分の金具が緩くなってるから、ダンデが棚ドンした振動で落ちたのかもしれない。

「ごめん、おじいちゃん。あとで新しいのを――あたら、んん?」

 隅々まで観察して気付いたことがある。

 この写真、なんか、変だ。

「ダンデが前から『違和感がある』って言ってたよね」

 言葉に言い表せない違和感。何だろう、これ?

 フォトフレームからおじいちゃんの写真――厳密には、若いときのおじいちゃんとおばあちゃんが手を繋いでるものだ――を取り出す。うん、この時点でも何かおかしい。

 穴が開くほど見つめて、私はあることに気付いた。

「この写真、切り取られてる?」