
スターゲイザー③
『はな江さんへ
僕と君が出会って随分と長い時間が経ちましたね。
君が僕を助けてくれなかったら、僕はこの世界で独りぼっちのまま死んでいたことでしょう。大袈裟ではありません。この世界では、僕は存在しない人間だったはずだから。
前にも少し話したと思うけれど、僕は違う世界から来た人間です。
はな江さんは「冗談でしょう」と信じてくれなかったね。でも、こればかりは本当のことです。
思い出してもみてください。僕が君と初めて出会ったときのことを。僕は日本の常識も知らず言葉も話せず文字も書けなかったでしょう? それが、異世界から来た証拠です。
僕は「ポケモン」という不思議な生き物がいる世界からやって来ました。
この世界の犬や猫、鳥といったものとはまた違う、不思議な力を使える生き物です。
僕らはポケモンを相棒として、バトルをしたり、コンテストをしたり、冒険したり、人間の生活のお手伝いをしたり……。家族のように共に暮らしています。そんな世界が、信じられないけれど、あるのです。いや、僕からしたらこの世界にポケモンがいない方が不思議なんだけれどね。
では、僕がこの世界にやって来た経緯をお話しまょう。
僕にはね、夢がありました。学者になる夢です。でも、父はそれを許してくれませんでした。僕は家業を継がなきゃいけなかったからね。でも、到底それを受け入れられなかった。夢を諦めたくなかったんだ。
ジラーチのことを知ったのは、偶然でした。とある文献に、興味深い一文があったのです。
「1000年間で 7日だけ 目を 覚まし どんな 願い事でも かなえる 力を 使うという」
説明を見つけたとき、心が震えたよ。
運命だと思った。神様がチャンスをくれたと思った。
僕の夢をこのポケモンに叶えてもらおう。
今にして思えば、なんともくだらない動機でジラーチを探そうとしていたね。……でも、それほどまでに僕は追い詰められていたんだよ。
僕は何かに取り憑かれたようにジラーチの研究を始めました。
「清らかな 声で 歌を 聞かせて あげると 1000年の 眠りから 目を 覚ます。 人の 願いを なんでも かなえると いう」
「目覚めた とき 頭の 短冊に 書かれた 願い事を かなえると 大昔から 語り継がれてきた」
調べれば調べるほど、ジラーチが魅力的なポケモンに思えてきました。絶対に会いたい。いや、会わなければ。前回はいつ目覚めるのだろうか。僕は必死に調べて、次の目覚めが3ヶ月後に迫ってると知りました。
ああ、運命だ! すぐにジラーチを見つけよう!
そう決意して、すぐさま僕は旅立ちました。
地方のあちこちを猛スピードで渡り歩きました。寝食を惜しんで。雨の日も風の日も。ただただひたすら、ジラーチを探し求めました。
その甲斐あって――、ついに僕は、ジラーチが眠る結晶体を見つけ、目覚めの瞬間に立ち会うことができたのです。
ジラーチは、あの子は……、まるでお星様のようなポケモンでした。君の言葉を借りるなら精霊のようで。とても愛らしいポケモンでした。それに、無垢でした。人間の赤子のように、何も知らない、無邪気なポケモンでした。
1000年に一度、7日間だけしか目覚めないせいなのでしょうか。ジラーチは非常に甘えん坊で、僕によく懐きました。まるで生物の刷り込み(インプリンティング)のようです。一緒に遊んでやるうちに、僕の中には罪悪感が生まれました。
ポケモンを道具として見ているのではないか、と。
そもそも学者になる夢を叶えてもらおうなんて、虫が良すぎる話です。自力で叶えなければ意味のないものです。悩みました、ものすごく。このままジラーチに願っていいのだろうかって……。
でもね……。僕は思い留まれなかった。なんとしてでも学者になりたかった。決められた人生を、もう歩みたくなかったんだ。
短冊を1枚貰って願い事を書こうとしたとき、事態は思わぬ方向へ進みます。
とある……そうですね、悪の組織と言えばいいのでしょうか。そのような人間たちが、自分たちにそのポケモンを譲れと脅迫してきたのです。そいつらは、僕の住む地方では有名な組織でした。
ジラーチを渡したらどうなってしまうのでしょうか。その組織は黒い噂しか聞きません。ポケモンの扱いだって酷いものです。しかも、連れているポケモンは他人から奪ったポケモンのようでした。
僕は拒みました。確かに僕は願いを叶えてほしかった。始まりは僕のエゴです。僕は僕のためにジラーチを探しました。その点では、悪の組織と同じようなものかもしれません。
でも、ジラーチを傷つけようとは思わない。
ポケモンは大事な存在です。友達です。家族です。
僕が君を愛してるように、ポケモンも愛すべき生き物なのです。
ジラーチを不幸にさせたくない。
僕らは抵抗しました。
僕はポケモンバトルが苦手です。トレーナーに向いていない性分なのです。でも、必死に戦いました。
ジラーチも戦ってくれました。珍しいポケモンだからなのか、可愛らしい見た目に反してとても強くてね。一時は善戦していたんです。
でも――組織側が切り札として出したポケモンで状況は一変しました。
それは、リングを持ったポケモンでした。
見たことのないポケモンでした。
もしかしたら、ジラーチのようにとても珍しいポケモンだったのかもしれません。
そのポケモンは不思議な装置で操られているようで、とても苦しそうにしていました。リングを使った強力な技は僕らを追い詰めます。
リングに触れた僕の手持ちのポケモンはどこかへ消えていきます。今でもよく分からないけれど、あれはどこか違う場所へ繋がっていたのかな。
……僕のポケモンは全て戦闘不能か、行方不明に。ジラーチの体力も残り僅か。僕らは絶体絶命のピンチに陥りました。
僕は絶対ジラーチを奴らに渡したくなかった。リングのポケモンの扱いから、その思いを更に強くしました。
そして、僕は短冊を持っていたことを思い出します。逃げられるよう、願い事をしよう。ジラーチにはあらゆる願いを叶える力がある。この程度など朝飯前のはずだ。
リングのポケモンが迫ってきます。僕はジラーチを抱き寄せて、慌てて短冊に願い事を書きました。
――違う場所へ逃げたい。
書けた! そう思った瞬間、短冊が光り輝きました。と同時に、リングのポケモンが僕らをリングの中に閉じ込めました。
万事休す。僕はジラーチを抱きしめて目を瞑りました。
そして次に目を開けたら、
僕らは知らない場所に立っていたのです。
それから3日後。僕は君に、はな江さんに出会いました。
あとは知っての通り。君と僕は同じ時間を歩み始めました。
ちなみに、君はジラーチと出会っているんだよ。なんなら写真も残っているのに、君は未だにあれを夢だと思っているようだね。でも、無理もないのかな。君はあのとき、面白いくらいに酷く酔っていたものね。記憶を失くすまで飲むのはやめた方がいいよ。
そうそう。ジラーチは7日間しか起きられない。再び眠って結晶体になり、宙に浮かんでどこかへ消えてしまった。
……この世界にポケモンはいない。短冊に「ジラーチが元の世界に帰れますように」と書こうとしたら、ジラーチに拒まれてしまった。僕が帰らないならジラーチも帰らないって言われてしまったよ。どうやら、僕はジラーチにとても好かれてしまったようです。可愛いな。許されるなら、僕のポケモンになってほしかったよ。
多分、ジラーチはこの世界で僕らの営みを見守ってくれているのでしょう。
僕はね、はな江さん。元の世界に帰る気はないんだ。
ポケモンはいないけれど、僕はこの世界が好きだ。仮に戻っても、僕には決められた未来しかないからね。それに、学者にもなれたしね。そう。ある意味、僕はジラーチに夢を叶えてもらったんだ。
大切な家族もできたし、僕はこの世界に骨を埋めるつもりです。
それでね、はな江さん。君は家族だから、本当のことを話しておきたかったんだ。
やっぱりこれ読んでも嘘だと思うかな? しょうがないか。荒唐無稽だよね。でも、知っていてほしかったんだ。
僕は、これを遺書というか、まあそのようなつもりで書いてます。
僕は身体があまり丈夫ではないから、何度も入退院を繰り返している。子どもが成人するまで生きていたかったけど、もしかしたら無理かもしれない。できれば孫も見たかったんだけどな……。いつどうなるか分からない。君に遺せる物は少ない。
だから僕は、ジラーチの短冊を君に託す。
願い事はあと2回残っている。
君の幸せのために使ってほしい。
僕はもういいんだ。「丈夫な身体になりますように」ってお願いをしようかと考えたさ。でも、いいんだ。僕の願いは叶ったし、はな江さんと家族になれた。子どもも生まれた。これ以上の幸せはない。なら、次は、僕の大切な人にこの短冊を譲ろうと思う。
ジラーチに訊いたから大丈夫。眠っていても、願い事は叶えられるらしい。短冊にはジラーチの力がたっぷり宿ってる。短冊に書かれた願い事を叶えるというのは、嘘じゃないんだよ。
なんでも叶う不思議な短冊だから、きっと君の助けになるよ。
ねえ、はな江さん。あの日僕に手を差し伸べてくれてありがとう。
家族になってくれてありがとう。
君の幸せを僕は願っている。
君を、ずっと愛している。
ヨウスケより』