
嫌いになりたい③
私はズシに断りを入れて、スマホの出力をスピーカーにした。ダンデにも聞いてもらうためだ。
『なんかね、昨日から急にゲームが進行できなくなったらしいの。ムゲンダイナを捕獲したあと、チャンピオン・ダンデとバトルしようとするとエラーが出て画面が真っ暗になるとか』
『バトルの勝敗が決まって、ゲームはエンディングを迎えるのよ。進行できないってことは、ゲームクリアができないってことで』
『公式が対応中だから、そのうち修正されると思う。バグなんてどんなゲームにもあるんだから珍しいことでもないんだけどさ。でも、今こっちにはダンデがいるじゃん?』
『もちろん、バグの原因がトリップにあるかは分からない。トリップがデータに影響を及ぼすなんてあり得ない。ごくごく普通のありふれたバグかもしれないけど……。でも、こう……さ。考えちゃうじゃない? チャンピオンと戦えないバグは、ダンデのトリップと関係がありそうだって』
ズシの口調は、いつもより歯切れが悪かった。
ダンデは沈黙していた。表情がいつもより硬い。
私はスマホをじっと見つめていた。こうしていても状況が変わるわけでもないのに。
ダンデのいた世界と、こっちの世界にあるゲームは別物だ。それは分かる。
だって、あっちの世界ではホップと旅立ったのはマサルで、メジャークラスにいるのはオニオンとマクワという違いがある。それに、ゲームのバージョン違いで登場するポケモン(ヌメラやモノズなど)は、あっちの世界では同時に生息している。
似ているようで違うのだ。
だから、ダンデがこっちにいることが現実世界に影響するとか、そんなことあるんだろうか?
いくら考えても分からない。私たちは名探偵じゃないので。
だから、私はこう答えた。
「……私もズシと同じこと考えた。でも、正直分かんないよね。情報が少ないから。関係があるかもしれないし、ないかもしれない。とはいえ無視はできないから、ちゃんと心に留めておく必要はありそう」
今どんな顔で喋ってるんだろう、私。
『そうよね。杞憂で終わればいいんだけど。ダンデ、ごめん。不安にさせるようなこと言っちゃって。でも、万が一もあるし、一応教えてあげたかったの。あんたのんびりしてられないわよ? 早く帰る方法、探さないと』
「ああ、ありがとう。気合い、入れ直さないとだな」
ダンデの声色は意外にも明るかった。
「ガラルの皆が待っているんだった」
この瞬間のダンデは、明らかにチャンピオンの顔をしていた。
キュッと心臓を掴まれたような気がした。同時にもうひとりの私が「嘘つき!」と叫ぶ。帰る方法を知っているのに。言えばいいのに。
私のダンデが遠くに行ってしまう。
そう思ってしまって、ダメだった。
「SNSでの目撃情報はそれなりに集まってきている。ポケモン探しはいいアイディアだったみたいだぜ。問題は、現地に訪れる必要があることだな」
『あー。あんたが方向音痴じゃなかったらひとりで送り出してやるんだけどね。か私の付き添いが必要なのがねえ』
「リザードンも出せないからな」
『当たり前よ。出さないでよ』
2人の会話が遠い。私、2人と一緒にいる資格がないんじゃないかな……。
「――、大丈夫か? 顔色が悪いんじゃないか」
『なに、体調悪いの? 大丈夫?』
2人に心配されてしまった!
「え、嘘。大丈夫! 元気!! 気のせいだって」
「そうか? 無理はしないでくれ。キミが辛いとオレも辛い。何か不安があるなら、遠慮なくオレを頼ってほしいんだぜ」
「うん! ありがとう」
本当、心配される資格もないよ。今はその優しさが、逆に辛い。
今の私、𠮟られるのが怖くて自分の悪事を言い出せない、幼い子どもみたいだ。
『――ねえ。ちょっと。なんか、あんたら、あった?』
突然、ズシがそんなことを訊いてくる。
『ちょっとチャンピオンさん?』
え、何。声がすごく低い。
「うん?」
『あんたまさか、新年のあれ忘れてないでしょうね?』
「あれって……?」
『っかぁー! 忘れてる! に手を出したら承知しないって言ったわよね!?』
え、何? ズシってばダンデとそんな話をしてたの? 私が酔っ払って寝落ちたあの日に?
「手は出してないぜ! 口は出した!」
『そういうことじゃない!』
「そういうことじゃない……」
私とズシの言葉が重なった。
『なんかこのやりとりデジャヴ! ってか口は出したって何? ねえ、バレンタインにかこつけて何かやらかしてない? どうなの、』
「ここで私に振る!? 特にはない、よ?」
『怪しい! ホントのことをお言い!』
「なあ、。あっただろ? オレはキミを恋人にしたいって言ったじゃないか」
「ぎゃー!! ダンデー!!」
面倒くさい気配を察知したから敢えて「特にない」って言ったのに!!
『ちょっとそこ動かないでよ。私今からそっち行く』
電話越しにズシの殺気が飛んでくる。地獄の鬼も裸足で逃げ出しそうだ。
「ねえ何する気」
『チャンピオンさん、私言ったわよね? ……削ぐわよ』
「どこを!?」
ズシが物騒だ! ダンデがお姉さんになってしまう! それは色々まずい!
「ダンデものほほんとしてないで、何か言って! 謝って!?」
「うーん……。忘れてた、すまない。だが、オレはが大好きだ! もオレが大好きだと言ってくれた! 所謂両想いというやつだろ? ズシ、オレたちの関係、キミでは引き裂けないんだぜ!」
『そういうことじゃない!』
「そういうことじゃない……」
また私とズシの言葉が重なった。なんなんだ、これ。なんなんだ、このやりとりは。
電話越しにズシの溜め息が聞こえてくる。遠い目になってるんだろうな。多分私も同じ目をしている。
『でもさあ、正直こういうことになる予感はあったんだ。……やっぱりそうなるのね』
ズシがしみじみと呟いた。
ああ、ズシはお見通しだったんだ。私より先に、私の気持ちに気付いていたんだね。
『でもどうするの。付き合うの? 世界が違うじゃん……、文字通り』
「恋人云々は保留中」
「その問題を解決したら恋人になる予定だ!」
『難儀なことしてんのね〜。、すぐに首を縦に振るかと思ってたけど、やっぱりそこら辺は慎重になるか』
「まあね……」
なんてね。
……帰る手段が見つかったらとかさ、建前だよ。
本当はね、恋人になりたいよ。
家族になりたいよ。
帰る手段がなくなればダンデは傍にいてくれる。そんなズルい考えを持っている。
ダンデを待っている人たちがたくさんいると分かっていても、私は私のワガママを通そうとしている。
いつまでも傍に縛り付けようとする悪い人間なんだ、私は。
どうやったら私、ダンデに短冊のこと伝えられるんだろう? 元の世界に帰れるって言えるんだろう?
短冊に書けるお願い事は、1個だけ。
仮に『とダンデがポケモンのいる世界へ行けますように』と願ったとしても……。
……私の居場所があっちの世界にあるのだろうか。
だって万が一、ダンデの気持ちが変わってしまったら? 家族になれなかったら? 私、別れたら、あっちの世界で今度こそ独りだ。
自分の気持ちだって分からない。
他人の気持ちだってもっと分からない。
たらればを考えてもしょうがない。キリがない。分かっているのに、止められない。
私、あっちの世界に行くのが怖い。
だから、ずっと、こうして短冊のことを隠してた方がいいんじゃないか。
他に方法が見つかるまで……、こうして傍にいてくれないかな。
恋人未満の関係のまま、
ぬるま湯のような、
この関係で……。