嫌いになりたい⑤


  

 突如として現れたジラーチ。

 ふよふよと宙に浮いて私を見つめている。

『なつかしい かんじがする』

 ネットで見かける「こいつ……直接脳内に……!」みたいなネタが実際に起きている。
 
 日本語――ううん、人の言葉が通じてる。これは、テレパシー? エスパータイプのポケモンだから、超能力みたいなものが使えるのだろうか。

「うん。私、おじいちゃん――ヨウスケの孫だから。血を継いでるんだよ。ええと、4分の1。だから懐かしいのかもね」
『ねえ  だっこして』

 言うやいなや、ジラーチは私の胸に飛び込んできた。

「わ、わわっ」

 慌ててジラーチを抱き留めた。
 リザードン以外のポケモンに触れるなんて……!

 ちっちゃくて、あったかくて、可愛い。

 人間の赤ちゃんが生まれたときの身長は、平均50センチらしい。ジラーチはそれより遥かに小さく、体重も軽い。力を込めたら潰してしまわないだろうか。


 そんなことを考えていると、ジラーチがきゅっと私の服を掴んだ。

「ジラーチ?」
『あったかい いのちのおとがする』

 左胸にジラーチは顔を寄せる。

「……うん。そうだね」

 私もジラーチが生きているんだって分かるよ。
 この重みは、命の重み。
 この温かさは、命の温かさ。

「ねえ、ジラーチ。どうして今、私の前に姿を現したのか教えてくれる?」

 ジラーチはこくり、とうなずいた。


***


 ひとまず会社に欠勤の連絡を入れた。け、仮病を使ってしまった……。悪い大人だわ……。


 それから私は、会社から2駅離れた場所へ移動した。駅のトイレであのまま話すわけにはいかないから。

 ジラーチは、私の腕の中で大人しくしている。抱っこが気に入ったようで、私から離れたがらない。姿を消すこともできるらしいが、それだと私が空気を抱っこしている変な人になるから、ぬいぐるみのふりをしてもらうことにした。まさか本物を抱っこしているとは、誰も思わないだろう。

 電車に乗って――何事もなく目的地に到着!

 地図アプリによると、10分くらい歩いたところに公園が……、あった!

 遊具で遊んでいる子どもが3人。ベンチに座っているスーツの男性がひとり。うん、このくらいなら大丈夫かな。

 私は公園のベンチに腰掛けた。そして、カバンからスマホを取り出し、耳に当てる。

「よし、これでオッケー。ジラーチ、お話してくれる?」

 ジラーチはテレパシーで会話をするようだ。こうすれば、私はジラーチのぬいぐるみを抱っこしながら電話する女性に見えるはずだ。

「ジラーチは、元の世界に帰らなかったんだよね?」
『ぼく ヨウスケが しんぱいだった ずっといたの ヨウスケのちかくに あのせかいからきたのは ヨウスケとぼくだけ ぼく ねむっちゃう ヨウスケ ひとりぼっち』

 ジラーチの喋り方は舌っ足らずというか、言葉がたどたどしいというか。まるで、人間の小さな子どもみたいだ。だから私も、自然と子どもに接するような口調になってしまう。

「そうだったの? ジラーチは優しいね」
『おともだちだから』

 おじいちゃんは、ジラーチが自分の手持ちのポケモンになることを望んでいた。まだおじいちゃんが生きていたら、ジラーチの言葉を聞いて喜んでいたに違いない。

 ジラーチは姿を消しつつも、ずっと私たち家族の傍にいたらしい。

『おともだちが だいじにしてたもの ずっとみていたかった 1000ねんさきの ヨウスケたちのずーっとさきの こどもと あそびたかった ぼくと おともだちになってほしかった』

 確か、危険を察知したら眠りながら戦うって説明を見かけた気がする。ジラーチは眠りながらでも外の様子が分かるのだろう。

『でもね あっちとこっちは じかんのながれが ちがうみたい』
「あっちとこっち? ジラーチのいた世界とこの世界のこと?」
『うん ぼく ねむいのに ねむれなくなっちゃった』

 こっちの世界に来て7日が経ち、いつものように眠りについたジラーチ。しかし、時間の流れが違うせいで、寝て起きてを繰り返すことになったようだ。
 そうなると、浅い眠りが、少なくとも50年以上は続いていることになる。

「なんだろう。人間でいう不眠症みたいな感じかな? 時間の流れが違うなら、時差ボケ的なもの? それで眠れなくなったのかな?」

 それはそれで結構、いや、かなりキツいのでは。
 ジラーチは1000年単位で眠るポケモン。
 この世界にいるのは、拷問に近いのかも……?

 私はジラーチの頭をそっと撫でた。

「ごめんね。ありがとう」
『ううん このせかいに いるってきめたの ぼくだから』
「そっか……。今も眠い?」
『うん』

 可哀想になってきた。この世界に残ったのはジラーチの選択だけど、まさか不眠症に悩まされるとは思ってなかったはずだ。

 私は不思議に思っていたことを改めて訊ねる。

「ところで、どうして今、私の前に現れたの?」

 するとジラーチは、こう答えた。

『ハナエの おねがいが かなえられていないみたいだから それが きがかりで でてきたの』
「おばあちゃんの……?」

 ああ。やっぱり、短冊が1枚しか残っていなかったのって、おばあちゃんが使ったからなんだ。

『ハナエが おねがいしたの がしあわせになりますようにって』
「え」

 後頭部を突然ぶん殴られたような感覚だった。

「噓、何で?」

 どうして?

 何でも願いが叶う短冊なんだよ?

 どうして、私の幸せを願うために使ったの……?

 声が掠れる。
 ぎゅっとスマホを握る手に力が籠る。

『しあわせってむずかしい ひとのしあわせって ひと それぞれ だから』

 そうだよね。
 お金がたくさんあれば幸せな人もいる。
 好きな人とずっと一緒にいるのが幸せな人もいる。
 有名になることが幸せな人もいる。
 自分の知識を広げることが幸せな人もいる。

『ぼく かんがえた どうすれば は しあわせなのか それで わかったの』

 私の場合は――、

は あのひ ねがったでしょう? かぞくが ほしいって』

 そうだ。私は家族が欲しかったのだ。

 友達とはまた違う。
 恋人とはまた違う。

 家族が、欲しかったのだ。

 楽しいことは倍になって。
 悲しいことは半分になって。
 互いを支えあう。

 いつか死ぬそのときまで。
 傍で寄り添いあえるような。

 そんな、家族が。

『ぼく ながれぼしから ちからを もらうの あのひは ながれぼしの ちからが みちていて だから ぼく とおくの できごとも わかって』

 ダンデが来る前。あの夜は、しし座流星群が観測できた。

『あっちでも ながれぼしの ちからが みちていて いちばん そのちからに ちかいひとが いたの』

 それは、もしかして、

「ブラックナイトのとき……?」

 そうだ。あっちの世界では、ローズ委員長が人工的にブラックナイトを引き起こして、ダンデが止めにいったんだ。

 そして、あっちの世界にある“ねがいぼし”はムゲンダイナの身体の一部。

『とても やさしくて みんなに あいされてる きっと のことも たいせつに してくれる』

 ああ、

 ああ……、

『ヨウスケとぼくがきたときは ふしぎなりんぐの たすけもあったの こんかいは ちょっとむずかしかったけど ながれぼしの ちからで せかいを こえられた かぞくになれる  しあわせ ハナエのおねがい かなう』

 それなのに、

『どうして は つらそうなの ダンデと かぞくに なれるのに』

 無垢で、無邪気で、優しいこの子が、一生懸命考えてくれた結果だ。

 私たち家族のことを一番に考えてしまったから、その後のことを――ダンデがいなくなることで周囲に及ぼす影響を勘定にいれなかったんだ。

 しあわせにならないと ハナエのおねがい かなえたことに ならない』

 私のせいなのか。
 ダンデがこっちに来たのは、私のせい。

 私が家族を願ったから……、

『あめ……?』

 ジラーチの頭に雫が垂れた。

 ううん、違うよ。

「ごめん……ごめんね……」

 頬に伝う生温いそれを懸命に拭う。

「ごめん、なさい……」