嫌いになりたい⑥


  

 しばらくその場から動けなかった。

 ハンカチをカバンから引っ張り出して、涙を懸命に拭う。

『だいじょうぶ?』
「大丈夫だよ。うん、ありがとう」

 ジラーチは、涙でぐずぐずになってしまった私を、心配そうに見上げている。

 ダンデがここに来た経緯はなんとなく把握できた。

 はじまりは、おばあちゃんの願い「が幸せになりますように」から。

 私がしし座流星群の夜に「家族が欲しい」と願い。
 ちょうど同じ日。あっちの世界でダンデがムゲンダイナと対峙した。

 同じ日。同じ時。2つの世界に流れ星由来の力が満ちていた。

 たくさんの偶然が重なり――ジラーチは流れ星由来の力を借りてダンデをこちらの世界に運んできたのだ。

 全ては、「おともだち」の家族のため。
 純粋なこの子の善意の結果。

 なかないで』
「ん……うん、……うん……。皆、皆、何で……」

 おじいちゃんから始まったジラーチとの縁。

 短冊はおじいちゃんからおばあちゃん、そして私へと受け継がれた。

「皆、強くて優しい……。自分のためじゃない。誰かのために願いを、短冊を、使えるんだね……」

 それに比べてどうなんだ、私。

「私、ダンデと離れたくないからって、短冊のこと黙ってて……あっちの世界に行くのも諦めないかな、とか……酷すぎるよ。自分のことしか考えてない……」

 あとからあとから涙が零れて、ジラーチの頭に落ちていく。ジラーチはぬいぐるみのフリをするのも忘れて、私の頬に手を添える。

 おねがい する?』

 私はジラーチに笑いかけた。

「うん。私は、私は……、」

 私は、

「ダンデのために――大切な人のためにこの短冊を使うよ」

 きっと、その使い方が正しい。
 おじいちゃんとおばあちゃんが道を示してくれていた。
 2人は――ううん、お父さんもお母さんも、家族皆が納得してくれるはずだ。

 好きな人の幸せを願う。
 
 それが、私の幸せになる。

「自分の幸せのために誰かの幸せが犠牲になるのは、間違ってる」

 やっと決心が、ついた。

 ダンデについていこう。
 私も世界を渡ろう。

 例えいつかお別れの日が来たって、大丈夫。
 ダンデが幸せでいれば、それでいい。
 それが、私の隣でなくたって。

「ダンデに短冊のこと、話そう」

 泣くのはおしまいにしよう。

が それで しあわせなら ぼくは いいよ』

「ありがとう、ジラーチ」

 私は笑顔でジラーチを撫でる。

「そうと決まれば、今すぐに家に帰ろうか」


***


 公園を出てしばらくして。

 そういえば、今は何時だろうとスマホを確認したら、なんと、ダンデから5回くらい着信が入っていた!

 メッセージも来ていた。「あとでまたかける」だって?

 今までこんなことはなかった。何かあった? 緊急事態?

 不安に襲われ、歩きながら電話をかける。
 ダンデはワンコールで電話に出た。

「もしもし」


 いつものダンデの声が晴天ならば、今は曇天だ。

 何があったんだろう。
 思わず足を止める。

「どうしたの? 何かあっ、」
『なあ、。キミはオレのことが分るよな?』

 私の言葉を遮るようにダンデが問う。

「ん? どういう意味?」
『キミはオレがダンデだと、認識している、よな?』

 何を当たり前のことを。

「もちろん」

 やや間があって、

『オレは――オレがどういう人間なのか、教えてくれないか』

 懇願するような。縋るような。
 本当に、珍しい。

 こんなに弱ったところを見たのは、2回目かも。
 1回目は、ダンデが風邪をひいたあの日。

「どういう人間って……」

 ダンデ、真剣に悩んでる。
 私もちゃんと答えよう。

「ええと、まず、ポケモンが好きでしょう?」

 そう。ポケモンの話をするとき、ダンデはいつもより生き生きとしている。
 そのときの顔がたまらなく好きだ。まるで好奇心旺盛な少年の顔をしているから。

「バトルも好きだよね。というか、ポケモンといるのが好き。帽子が好き。赤が好き。興味がないことにはトコトン興味がない。だけど、興味を持ったものには一直線。何だって極めちゃう」

 料理に興味がなくて早食いするくらいだったのに、今は私のためにお弁当を作ってくれる。

「あと、家族思いだよね。自分の家族だけじゃなくて、他人の家族にも……」

 私の家族のために手をあわせてくれた。
 キミは家族に愛されて育ったんだな、と言ってくれた。

「あー、あと。意外に頑固だよね。こうと決めたら動かないの。意思が強いとも言うのかな?」

 その頑固さがバトルの強さにもなってるのかな、とか考えてみたり。

「まだまだたくさんあるけれど、1番は」

 そう、1番は。

「私の大好きな人だよ」

 自分で言っておいて頬が熱くなる。
 やっぱり柄じゃない! 言わなきゃよかった!

『……』
「ちょっと」
『……』
「ダ、ダンデ返事してよ……」

 ずっと無言なのいたたまれないんだわ!

『……
「うん」

 やっとダンデが言葉を発する。
 2分くらい何もないから電源切れたのかと思った。

『何で今、キミが目の前にいないんだろうか。……抱きしめたい』
「それは恥ずかしいからやめよう?」
『イヤだ!』

 弾むような声。笑ってるのかもしれない。

『ちなみに、オレがチャンピオンなのは忘れてないよな?』
「忘れてないよ? うーん……。私、ダンデがチャンピオンだから好きになったわけじゃないんだよ。そこら辺、分かってる?」

 また沈黙があった。

「えっと、もしもーし?」

 不安になるからやめて!

『――ああ、うん。そうだ。そうだったな。キミは、最初から、そうだった……!』

 少しだけ、声に元気が戻ってきたような気がする。

『はあ……。キミにまで忘れられていたら、どうしようかと思ったぜ……』

 いや、本当に一体どうしたっていうの?

「ダンデ? 用件ってこれ?」
『ああ、いや。違うんだ』

 一拍間があって、

『どうやらオレは、存在しない人間になってるみたいだ』

 とんでもない言葉が返ってきた。

「――え?」

 どういう、こと?

『後でSNSを確認してみてくれないか。オレたちが出ているゲームにバグが発生しているだろ? その影響なのか、「オレ」という存在が、この世界の人間たちから忘れ去られているようなんだ。記憶が改竄されているようだ』
「えっ、……嘘」

 さあっと血の気が引いていく。

 ――こっちの世界にいるから、なんだろうか。

『ゲームでは、ガラルのポケモンチャンピオンは空席なんだそうだ。行方不明だとかなんとか』
「そんな! でも、ダンデはガラルのチャンピオンでしょ!? 私は分かってる! 覚えてる! それにおかしいよ。ゲームとそっちの世界は別じゃないの?」
『オレも思ったさ。でも、どうやらこっちの世界のゲームとオレのいた世界は、互いに影響し合ってるみたいだ。繋がりがあるんだぜ、きっと』
「そんなこと……!」

 私は口を閉ざした。ない、とも言い切れないのが悔しい。

『とりあえず、詳しい話はキミが帰って、きて、から……。んん? キミ、今は会社じゃないのか?』

 あ、気付かれてしまった。

『休憩には早いだろ?』
「えぇと……、」
『何かあったのか?』

 私は胸に抱いたままのジラーチに視線を落とす。

 キョトンとした顔でジラーチはこちらを見つめ返している。

「あった、よ。うん……」

 言わなきゃ……。
 覚悟、決めたんだから。

「あのね……あっちの世界に帰る手段が見つかったんだ」
『――本当か!?』
「わ、」

 思わずスマホを耳から離した。
 キーンってした!

『すまない! 大声を出してしまった!』

 ダンデが慌てて謝罪する。

「だいじょぶ、うん。詳しいことは会って話す! 今から帰るね!」

 やっと言えた! 帰る手段があるって、言えた!

『キミ、会社休んだのか』
「うん。体調不良とかじゃないから平気だよ! ……あ、」

 頬に何か冷たいものが掠った。思わず空を見上げる。

「あ、雨降ってきた……」

 分厚い灰色の雲が空を覆っている。
 ポツポツポツポツ、だんだん雨が強くなってきた。
 私は小走りで駅へ向かう。

『外なのか? 傘、持ってるか?』
「忘れてた」

 今朝は天気予報確認する元気もなかった。この空みたいに気が重かったから。

『今どこなんだ?』
「会社から2駅離れたところ。もうすぐ駅だから、そんなに濡れずに済みそう」
『それなら迎えに行くぜ。家の近くの駅に着いたら待っててくれ』
「え、」

 それは嬉しいけど……。

「傘買って家に行く方が早いと思う。だってダンデ、迷うでしょ……?」
『いや、今回は迷わない! はずだぜ!』

 私はくすりと笑った。

「うーーん、どっから来るんだろうね、その自信」
『自分の足でキミに会いに行きたいんだが、ダメか?』

 そういう訊き方されるとダメって言えない。

「分かったよ、待ってる」
『すぐ行く!』

 電話が切れた。
 さて、何分待つことになるんだろう。

 うれしそう』
「嬉しそうじゃなくて、嬉しいんだよ」

 ジラーチが首を傾げる。

『ダンデ すきだから?』
「うん。そうだね」

 私は胸を張って答える。

「本当、言葉で言い表せないくらい。……愛してるよ」


***


 ジラーチは変わらず私の腕に抱かれている。人肌恋しいようだ。

 電車に揺られ、いつもの駅に到着。家には15分歩けば着くんだけど、ダンデが来てくれるというから待つとしますか。

 改札付近。邪魔にならない所で待機。
 そして、到着したとメッセージを送信しておく。

「雨、強くなってるなあ……」

 土砂降りだ。これは確実に濡れる。

「やっぱり傘買って帰った方が早かったよね」

 でも、こうしてダンデを待つのも悪くないか。迎えに来てくれるの、あの忘年会ぶりかも。

「――さん?」

 なんて考えてたら、

「あれ、カシワギくん……?」

 何で、ここにいるの?

「久しぶり」

 カシワギくんが笑顔でこちらに駆け寄ってくる。まるでボール遊び中のワンパチみたい。……とポケモンに例えて考える辺り、私はダンデに影響されているのだろうか。

「ひ、さしぶり……」

 どうしよう。

 食事とかお誘いとか断っていた手前、とても気まずい!

 ダンデが来る前に、どうにかカシワギくんとの話を切り上げないと……!