嫌いになりたい⑧


  

 ダンデはジラーチに興味津々だった。

 というか、ポケモンと話せることに感動しているようで(厳密にはテレパシーとかそういう類なのだろう)、帰り道はずっと、ジラーチを質問攻めにしていた。

「1000年も眠るってどんな感覚なんだ」「どんな技を覚えてるんだ?」「カレーは食べたことあるか? 美味いんだぜ」とか、リザードン以外のポケモンに会えたことが相当嬉しいようだった。

 不思議なことに、ダンデはジラーチというポケモンの存在を知らなかった。

 まあ、ダンデはポケモン博士ではないし、知らないポケモンくらいいるだろう。

 でも、元の世界に帰る方法として、ネットで伝説や幻のポケモンを調べていたんだよ? ジラーチの「ジ」の字くらい見かけていたと思うんだけどな……?




 家に帰り、ひと息ついたところで、私はダンデに短冊のことについて話した。

 私のおじいちゃんがポケモンの世界から来たこと。
 ジラーチと、恐らくフーパの力でトリップしてきたこと。
 おじいちゃんが短冊を家族のために残してくれたこと。
 おばあちゃんが、私の幸せを願ったことで、ダンデがトリップしてきたこと。

 例のおじいちゃんの手紙を読んでもらって、短冊も見せて、ジラーチにも話してもらって。

 身体が温まるようにと出した紅茶が、すっかりぬるくなってしまった頃。

 私はやっと、ダンデがこちらに来た経緯を説明し終えたのだった。

「――今まで黙っていて、ごめんなさい」

 私はダンデに頭を下げた。

 最近は私の隣に座っていたダンデだけど、今ばかりはテーブルを挟んで向かい側に座ってもらっている。

「ダンデに帰ってほしくなかったの。独りになりたくない。耐え切れない。好きな人と離れ離れになっちゃう……。そう思ったら、言い出せなくなって……」

 ごめんなさいで済む問題じゃないよね。
 私がダンデの立場だったらどうだろう?
 どうしてそんな大事なことを黙っていたのか、と詰め寄ってしまうかもしれない。

「ダンデにだって家族がいる。皆待ってる。分かってるはずなのに、私、自分のことばっかり優先して……。ごめんなさい……」

 怖くてダンデの顔が見れなかった。
 軽蔑されたかもしれない。

「私が願ったから……、ダンデはトリップしてきて、悪いのは……、私で……!」

 ……駅で吞気にしていた自分が馬鹿みたい。数時間前の自分を恨む。
 ダンデがヤキモチ妬いてて微笑ましいなー、とかそんな場合じゃなかったというのに。



 ダンデが穏やかに、私の名前を呼んだ。

「……ダンデ」
「顔を上げてくれないか」
「でも、ダンデ」
「いいから」

 恐る恐る顔を上げる。

「ダンデ、本当ごめ、」

 ダンデが人差し指で私の唇に触れた。
 静かに、ということなのか。
 私は口を閉じるしかなかった。

「キミは悪くない。皆、純粋に、各々の幸せを願った結果だったんだぜ?」

 もう謝らないでくれ、とダンデは言った。

「キミの気持ちは分かるから」

 例えるなら、それは夕暮れ。
 窓に差し込む、橙色。
 ねえ、ダンデ。
 そんな表情、できるんだね。

「オレもの立場だったら――、言い出せなかったかもしれない。キミが元の世界に帰ってしまう。そう考えたら、ここが、苦しくなった」

 とん、と。空いてる方の手で、ダンデは自分の胸を押さえた。

「言っただろ。キミといると、色んな感情を知ることができるって」

 ダンデが唇に当てていた手を離し、はにかんだ。

「大丈夫だぜ。キミがキミ自身を許せなくても、オレがキミを許すから」

 じぃんと胸が痺れて熱くなる。
「ごめん」と言いかけて、思い直した。

 今言うべきは、

「ありがとう。ありがとう、ダンデ……!」

 この言葉だ。


***


 私たちが話している間、ジラーチはボールから出ていたリザードンと遊んでいた。

 何十年もこっちの世界にいた、唯一のポケモンだ。自分以外の仲間に会えたのが嬉しいみたいで、リザードンの周りをくるくる飛び回っていた。

「そういえば、ダンデ、電話で言ってたよね? こっちの世界でゲームの自分が忘れられていってるって」
「ああ。SNSを覗いてみるといい」

 言われた通りスマホで調べてみると、「ダンデっていうキャラいたっけ?」「ガラルはチャンピオン不在だろ」といったものがちらほら見受けられた。
 どうりでダンデが不安になって、電話をかけてくるわけだ。

「オレが帰ったら、ゲームのバグも含めて、全てが元に戻るんじゃないかと思っている」
「……そうだといいんだけど……」

 恐らく、ゲームのキャラとしてのダンデが忘れられている。
 だけど、ここにいるダンデは忘れられていない。
 現に、私はちゃんと覚えている。多分、ズシも覚えているはずだ。

「やっぱり、こっちの世界のゲームとあっちの世界って連動してるのかな?」
「どういう原理か分からないが、そういうことなんだろうな」
「じゃあ、早く帰らないとダンデ、あっちの世界でも忘れられるってことに……」

 それは嫌だ。好きな人が忘れられてしまうなんて。

「すぐに準備して帰らないと、だな。――そう、か」

 ダンデは、ふいに夢から覚めたような顔つきになって、

「そうか。オレ、帰れるんだな」

 と、しみじみ呟いた。

「なんか、変な感じだ。帰れるのに、素直に喜べないというか」
「どうして?」
「どうしてって。……なあ、

 ダンデが頬杖をついた。

「うん」
「キミ、言ったよな。帰る手段が見つかったら、恋人になってくれるって」

 ……あ。

「そ、そうだった!」

 短冊のこと隠してたから素直に「うん」とうなずけなかったけど、私はすっかりダンデを恋人として見ていた……、ような気がする。それに、ダンデも私を恋人扱いしていた節がある。

 私の(結果が分かりきってる)返事待ちだったんだよね。

「それを踏まえて訊くんだが」

 ダンデはニヤッと笑った。

「恋人に、なってくれるか?」

 返事はもちろん決まっている。

「うん」

 だって私、

「ダンデが好きだから。……恋人にもなりたいし、あっちの世界についていきたい」

 ダンデが金色の瞳を丸くした。

「いい、のか?」
「うん。ダンデと離れたくない、から……。ジラーチにお願いして、一緒に世界を渡ろう?」

 突然、ダンデが立ち上がった。
 何が始まるのかと私は身構えた。

「え、何」

 ダンデは私の前で立ち止まり、

「ひょわっ!?」

 私を力強く抱きしめた!

「ちょ、なん、ダンデ!? ダンデって感極まると抱きしめる癖でもあるの!?」

 しかも熱い! 体温高い!

「ありがとう!」

 ダンデが更に腕に力を込めた。

「オレは簡単に『こっちの世界に来たらいいじゃないか』と言ったが、勇気のいることだよな。未知の世界に飛び込む気持ちを、オレは知っているのに」

 だからこそ、とダンデは続ける。

「キミの決断が、とても、すごく、嬉しい!」

 わああああああ!

 夏の太陽みたいな笑顔を直視してしまい、私は心の中で絶叫してしまった。

 目が! 潰れる! 眩しい!

 顔を覆いたいのにダンデに抱きしめられているので身動きが取れない。

「離れて……。なんか、私、色々キャパオーバー……」

 ご自分の顔がいいのを自覚してください!
 ダンデは名残惜しそうに私から離れた。

「そうと決まれば早速準備だ! 何から始めればいいんだろうか」
「え? えーと、何だろうね?」
「とりあえず、荷造りか? そうだ、冷蔵庫の中身を空にしないといけないな……?」

 グルグルと右腕を回して、ダンデはキッチンへ行ってしまった。やる気満々だ。

 おはなし おわった? だっこ して』

 ジラーチが飛んできて、私に抱っこをせがむ。
 おじいちゃんの孫というだけで、こんなに懐かれていいんだろうか。

『どうしたの』

 ジラーチが上目遣いで訊ねる。
 ……。
 可愛いからいいか、抱っこしよ。

「リザードンと遊んでもらって楽しかった?」
『うん』

 リザードンはといえば、カーペットに伏せて目を閉じていた。

「ありがとね、リザードン」

 リザードンは返事の代わりに片目を上げて、また閉じた。
 面倒見のいいお兄さんって感じ。本当、ありがとね。

「あ、ねえ。ジラーチ。最後の短冊を使ってお願い事をしたいんだけど」
『いいよ どんなおねがい?』
「えーと、『とダンデがポケモンのいる世界へ行けますように』ってお願いなんだけど」

 するとジラーチは、しょんぼりとした顔で答えた。

『…… せかいをわたるのは むずかしいかも』
「え?」

 一瞬、くらりと眩暈がした。

 世界を渡るのが難しい?

 どういうことなんだろう。

 ジラーチはあらゆる願いを叶えるんじゃなかったの――?