
おはよう、チャンピオン
暗闇があった。
光を通さないほどの暗闇があった。
何も見えない。
でも、オレは歩いている。
どこに?
歩いている。
歩いている。
歩いている。
――おめでとう、今日からキミがチャンピオンです。
始まりは、そうだ。
オレは、ポケモンが大好きな、ただの子どもだった。
バトルを通して、ポケモンたちと分かり合える、その瞬間が好きだ。
――チャンピオン。
――チャンピオン。
――チャンピオン。
いつしかチャンピオンと呼ばれることが多くなった。
――さすがチャンピオン。強いな。
――君を負かせる奴がいるのか。
――もうバトルはやめたんだ。
――自信を失うよ。あなたは天才だ。
違うんだ。オレは、ただ、好きだから。楽しいから。それが、皆にも伝わればいいと思って。
ガラルの皆が強いポケモントレーナーになって、もっともっともっと、バトルが楽しくなるように。ポケモンが好きになるように……。
――いいか? オレ様が次に絶対に、勝つ。オマエに敗北をもたらすのは、このオレだ!!
ライバルもできた。オレに何度でも立ち向かってくる、骨のある男だ。
他のジムリーダーたちだってそうだ。
オレを――チャンピオンを倒そうと果敢に挑んでくる。
――アニキに勝って、オレがチャンピオンになる!
弟だってオレを追いかけてきている。憧れを超えるためにオレに挑むと意気込んでいた。
だが、だが、だが!
届かない。玉座に座るオレには、まだ誰も届かない。
歩いている。
歩いている。
ふいに立ち止まる。
しかし、振り返ることは許されない。
オレは、敗者の上に玉座を築く。その上に座っている。
勝負とはそういうものだ。勝者がいれば、敗者がいる。シビアな世界。
チャンピオンとは、勝者の頂点にいる者で。
チャンピオンとは、常に追われる者で。
チャンピオンとは、人々の希望で。
チャンピオンとは――。
オレの、ことで……。
チャンピオンとオレの境目が、きっとオレには分からなくなっていたんだろう。
なあ、。
キミは、ポケモンのいない世界の、トレーナーでもない、ただ普通の人なのだろう。
でもな、。
その普通の人だと言うキミが、オレを……、ダンデを、見つけてくれたんだぜ。
ありがとう。
……光を感じる。
あちらの世界で観たことがある。北極星のような、光。
オレは唇をなぞった。
まだ、彼女の熱が、残っている気がした。
また、歩く。
しっかりとした足取りで。
行くべき場所が分かった。
と、腕を掴まれる。
振り向けば、オレのリザードンが「そっちじゃない」と首を振っていた。
オレはリザードンの首の辺りを軽く撫でた。
――ここでもオレは方向音痴だな。すまない、リザードン。導いてくれないか。
リザードンは低空飛行で、オレの先頭を行く。
ああ、光のある方は間違ってなかったのに。オレは見当違いのところを歩こうとしていたらしい。
――でもな、リザードン。オレ、分かってたんだぜ。こう、物理的な……、実際に歩くのがダメなだけで。
分かってる。そう答えるように、リザードンが鳴いた。
オレは――、走る。
光を目指して。
もう大丈夫。
オレはチャンピオンだ。
オレはダンデだ。
不思議と息は切れなかった。
光が迫っている。
――リザードン!!
――ばぎゅあ!!
リザードンに飛び乗る。
――突っ込むぞ!
光へ飛び込む。
瞬間、視界が白い光で覆われ、闇は白一色で塗り潰された。
遠くで、ジラーチの鳴き声が聞こえた。
「……キ!」
「ピオン……!」
「いました! 早く! こっち――」
「誰か、担架を――」
「いやポケモンの方が早い。救護隊のカイリキーを呼んで!」
「ダン……デさん!」
周りが騒がしい。
夜明けで空が白んでいる。
「……ってきた、かえって、きた……?」
掠れた声しか出ない。身体が重い。眠気もある。
「アニキ! アニキ! しっかり!」
「ダンデさん!」
――ホップとマサルくんの姿が視界の端に映る。瞼が重い。すまない、また、後で……。
次に目が覚めたのは、病院のベッドの上だった。
病室には、涙を堪えているホップと、心から安心したようなマサルくん。それから、目頭を押さえる母さんと、笑顔を見せるソニアがいる。
「大した怪我もなくてよかった!」
「一時は行方不明でどうなることかと……」
話を聞く限り、ムゲンダイナを捕まえてから1日も経っていないようだ。
とは4ヶ月も過ごしたのに、こちらでは1日も経っていない……?
ジラーチの言っていたように、あちらとこちはでは時の流れが違うようだ。
「そうだ、ジラーチは? オレの近くにポケモンはいなかったか?」
「ポケモン? アニキのポケモン以外はいなかったぞ」
「そうだねホップ……あ。でも、不思議な石? のようなものがありました」
そう答えたのは、マサルくんだった。曰く、宝石の殻のようなものがオレの傍に置いてあり、一瞬光ったあとスッと消えてしまったそうだ。
「そう、か……」
ジラーチはもう1000年の眠りについたわけだ。お礼を言いたかったが、仕方ない。
「なあ、ソニア。あとで、ジラーチについて調べてくれないか。多分、ガラルではない別の地方で初めて発見されたポケモンだと思うんだが」
「ジラーチ? 聞いたことないポケモンだけど……」
「頼む。あの子には随分助けられたんだ」
「? ……分かった、調べてみる」
「あ。あと、傍と言えば、カバンもあったぞ。アニキのか? いつの間に持ってきてたんだ?」
ホップが指差したのは旅行カバン。が貸してくれたもの。
「それから、これも握ってましたよね。これって、何ですか?」
マサルくんが差し出したのは、が作ってくれた手作りのお守り。
「……」
込み上げてくるものがあった。
胸がどうしようもなく、熱い。
「大切な人から貰ったんだ。お守りというらし、――ん?」
お守りを握ると、中に何か入っていることに気付いた。何か、中に入っている? 紐を緩める。中身を取り出せるようになっているようだ。
「ダンデ、それは……?」
母さんが不思議そうに訊ねる。
「写真?」
お守りの中身は写真だった。小さく折り畳まれているので折り目がついている。浅草の、雷門で撮った写真だ。
「この人は、一体……?」
2人で寄り添って撮った写真。
いつの間に現像していたんだろうか。
「……あれは、夢じゃない。夢じゃ、なかったんだ」
声が震える。
一瞬だけ不安になった自身を叱った。そうだ、オレは、4ヶ月間を彼女と共に過ごしてきたじゃないか。
。かけがえのない人。オレの大切な人。
「母さん。この人は、オレを、見つけてくれた人なんだ……。あとで詳しく話すよ。説明するには少し複雑なんだ。でも、絶対に話すから」
あとで母さんから聞いた話だが、このときのオレは見たこともないような穏やかな顔をしていて、父さんにとてもよく似ていたらしい。
一旦、母さんたちには病室から出てもらって、リーグ関係者たちを呼び出す。
ローズ委員長は自首したのだと耳にした。恐らくリーグ全体が混乱している。
今、ここで指揮をとるべきなのは、オレだ。
チャンピオンとしての責務を果たす。
「やあ。ベッドからですまない」
ガラルの皆が楽しみにしている。皆を待たせている。あのバトルを。
オレ自身も楽しみにしている。マサルくんと戦えるのを。ポケモンをあげたあの日から、随分とたくましくなったあの子と相対するのを。
――きっと、最高のバトルになるに違いない。
「おはようございます、チャンピオン」
「ああ。おはよう」
おはよう、チャンピオン。
おやすみ、ダンデ。
「早速本題に入る。中断していた決勝戦、3日後に開催したいんだ。ガラルの皆を待たせている。何としてでも、再開したい。チャレンジャーとの熱いバトルを! 届けたいんだ!」
さあ、チャンピオンタイムを、ここに。