「オマエはコメディアンじゃないだろ!」②


***


 結論から言うとの推測通り、ダンデはワイルドエリアの〈ミロカロ湖・北〉にいた。

 呑気に手を振るバトルタワーオーナーの姿を確認したキバナは、フライゴンの背から降りるなりダンデを軽く小突いた。

「すまない、キバナ」
「すまないと思うなら迷うなよ! 何でここに?」
「いや、ナックルシティに用事があってリザードンで向かっていたんだが、途中でユウリくんに出会ってな。勝負したんだ」

 オマエらバトルタワーで散々勝負してんじゃん、という言葉をキバナはぐっと飲み込んだ。新チャンピオンもダンデに劣らず戦闘狂である。

 キバナもジムの仕事がなければダンデやユウリとポケモン勝負がしたい。見かけたら挑む気持ちも分からなくはないのだ。

「ちなみにリザードンは?」
「勝負をしたから、オレを乗せるだけの体力はほとんどなかったんだぜ。回復の道具も生憎使い切ってしまっていて……ははは。ユウリくんに分けて貰えばよかったな」
「タクシーを使う頭は?」
「キバナに電話する前にしたが、残念ながら場所が分からないと匙を投げられた」
「そーかよ……。オレさまが来て良かったな」
「まったくだ! 今度、何か奢らせてくれ」

 ダンデが豪快に笑い飛ばす横でキバナはやれやれと首を振る。

「いや。礼はうちの事務員に言ってくれ。が一発でオマエの居場所を言い当てたんだ。じゃなけりゃ、もっと捜すのに時間がかかっていた」
……、そうか。ありがとう。彼女に礼をしなくては」

 とりあえず今日はもう遅いから、とダンデをシュートシティまで送ることになった。

「つーか、アポは取れよ。急に押しかけるな」
「連絡はしたはず――いや、すまない。忘れていたようだ。日を改めるぜ」
「そうしてくれ」

 フライゴンに頑張ってもらい、キバナはダンデを送り届けた。時刻は18時半だった。
 
(さすがにリョウタたちは帰ったよな)

 今日の業務はどうなっているのだろうか。スマホに業務の進捗状況は届いていたが、一応ナックルジムに連絡を入れてみる。

 数コールの後、

『はい、ナックルジム受付窓口です』

 ――なんと、が出た。

「あー、? オレだ。キバナ」
『まあ、キバナ様ですか。お疲れ様です。ダンデさんは見つかりましたか』
「おー。の推測通りだったぜ。すぐにダンデは見つかったよ」

 キバナはに感謝を伝える。

「ところで、他のジムトレーナーは? 帰ったか?」
『ええ。今日は帰りました。明日で決算報告は全て終わります』
「そうか、サンキュー。も帰れよ」
『私は――たまたま忘れ物を取りに戻ってきただけですので。キバナ様は直帰されますか』
「いや、荷物諸々ジムに置いてるから取りに戻るわ」
『そうでしたか。では、お待ちしております』

 聞き間違いか、とキバナは慌てた。

「いや、は帰れって」
『そうもいきません。ジムの戸締りはセキュリティ強化のために少々複雑で時間がかかりますでしょう? 私が施錠して間を置かずキバナ様が解錠するなんて、面倒ではありませんか。それなら、キバナ様が帰ってくるのを待ってジムを出た方がいいですよ』
「あー? なるほど……? オマエを待たせることになるけど、いいのかよ」

 ふふ、とが笑った。
 瞬間、キバナの耳はの囁き声に敏感に反応した。

『ええ。待つのは得意ですから。慌てずに帰ってきてくださいね』
「……分かった」

 キバナは電話を切った。

 天を仰ぎ――大きな手で顔を覆った。

(オレ、ASMRに毒されてないか? 何での声に反応しちまうんだよ)

 就寝前にあの声を聴いて寝ているせいなのか。日常生活の一部になってしまったせいなのか。跳ねた心臓を落ち着かせようと、キバナはSNSのチェックを始める。

「あー、待て待てフライゴン。ちょっと待てな。オレさま、急にときめいた心臓を落ち着かせないとオマエに乗れないわ。……っとと」

「乗らんのか」と言わんばかりに擦り寄ってくるフライゴンをあやしながら、もう片方の手でスマホを操作していると、ひとつの呟きに目が止まった。

『今日のAMSR生配信は開始時刻が30分遅れます! 待機してる皆、ごめんね』

 ハートマークやら汗マークやら合掌マークやらで装飾された、可愛い絵文字つきのの投稿。

「! 間に合う!!」

 キバナは小さくガッツポーズした。

「フライゴン、とりあえずジムまで頼む!」
「ふりゃ〜!」

 フライゴンは任せろとばかりにひと鳴きすると、キバナを乗せてナックルジムへ向かったのだった。


***


 それからキバナは途中でショップに寄り、フライゴンお気に入りのフードと、がよく好んで飲んでいる缶の飲み物を買った。彼らは今日ダンデ捜索に尽力してくれたMVPだからだ。

「よしよし、フライゴン。もうちょっと頑張ってくれ」
「ふりゃ!」

 まるで女性の美しい歌声のような羽音を響かせ、フライゴンはナックルジムへ向かう。眼下の街は人工灯が煌めき、夜を照らす道標となっている。

 伝統的な街並みの中、一際大きな建物――ナックルジムにもやはり灯りが点っていた。が待っている。

 フライゴンは危なげなく着地すると、キバナに向かって「ふりゃふりゃ!」と力強く鳴いた。早く行ってやれ、ということらしい。

 キバナは目尻を下げて笑った。

「サンキュー、フライゴン。これ食べて待っててくれ。すぐに戻る」

 先程買ったフードを渡して軽くフライゴンの頭を撫でる。

 いつもより大股でジムの奥へ奥へと進む。ガサガサと飲み物が入った袋が揺れた。

 執務室にはがいた。こちらに背を向けて何かやっている。どうやら部屋の書類を整頓してくれているらしい。



(そうだ。ただ渡すだけじゃ、つまらないな)

 これもコミュニケーションの一種だ。ちょっと驚かせてやろう。キバナの心にムクムクと少年のような悪戯心が湧き上がってくる。

(いつもクールなは、どんな反応するんだろうな)

 いつものキバナなら、こんなことはしないだろう。職場の人間、ましてや女性である。下手に刺激したらどうなるか。最悪「セクハラ!」と叫ばれるかもしれなかった。

 だが、今のキバナはダンデを早く見つけられたことと、の配信に間に合いそうなことに嬉しくなって――ちょっと、いや、かなりハイになっていた。

 買ってきた缶入りの飲み物は十分に冷えて水滴を纏っている。キバナは袋を近くのテーブルにそっと置いて缶を取り出し、持っていたハンドタオルで水滴を拭った。そして、まるで背後からポケモンを捕まえるように音も立てずへ近づいていく。

 抜き足差し足忍び足……。

 歩幅が大きいのも手伝って、ものの数秒でキバナはの背後に到達。
 持っていた冷たい缶を彼女の右頬に押し当てた!

「おつ、」
「ひやぁぁんっ!?」

 ビクリ!!

 飛び跳ねる
 声に驚くキバナ。

「な、ななななっ!?」

 人間から逃げるコソクムシのようには目にも留まらぬ速さでキバナから大きく飛びすさった。

「びっ! ……くりしました……キ、キバナ様でございましたか。おかえりなさいませ」
「お、おう……その……ただいま」

 キバナはなんとか言葉を絞り出して曖昧に笑った。
 心臓は早鐘を打ち、頬は急速に熱を帯びる。

「いやその……悪かった、……。つい出来心で……」
「あ、ええと……」

 は目に見えて狼狽えていた。それもそうだ、急に背後から驚かされたのだ。たまったものではない。

 キバナは持っていた缶をにずいっと押し付けた。

「今日はありがとな。こんなんで悪いけど、お礼。オマエこれ、好きだったよな?」
「あ、はい。ご丁寧にありがとうございます……」

 キバナは視線を逸らして、ヘアバンドをずり下げる。

「マジで悪かった。ホント、ごめんな?」
「いえいえ。女性ひとりジムに残っていると危ないから常に後ろも警戒せよというキバナ様からのご忠告ということでしょう?」
「は? え、いやそんなこと……いいぜ、それで、もう」

 は動揺から回復したらしく、キバナに向かって微笑んだ。

「ありがとうございました、キバナ様」
「とりあえずはもう帰っていいぜ。戸締りはオレさまがしておくから。な?」
「ですが、」
「いいからいいから!明日もよろしくな!」

 有無を言わさぬキバナの勢いに押し負け、は不承不承うなずいた。

「は、はあ……。ありがとうございます。では。お疲れ様です」
「気をつけて帰れよー」

 ひらひらと手を振るキバナ。

 の足音が遠ざかっていく。
 3分ほど待つ。
 静寂。

 部屋を見渡して誰もいないことを確認。





 キバナはゆっくりと息を吐き出して――。

 膝から崩れ落ち、その場に四つん這いになった。


「は、はあーーーーーーーー? なんだったんだよ!! 今のは!? の声!! なん!? はあ??」

 まるで推しを前にした限界オタクのようである。

「か、かわいい……まじでかわいい……」

 語彙が溶けていた。日本語に直したらひらがなでしか喋られないくらいに溶けていた。

「あれはフェアリータイプだろ……? マホイップのクリーム並の甘さ? 癖になりそうだって……。普段のから考えられないような声。ギャップ……ヤバいだろあれ……」

もフェアリータイプっぽい声してるからな。そのせいだろうな……)

 キバナは息を吐き出して、ノロノロと立ち上がった。そして、グローブをしている方の手で口元を押さえる。

「あー、オレさまどんな顔してたんだろ? 赤くなってんのバレてないよな? あんなことしておいてなんだが、結構……よかったかもしれない……」

 また聞きたい。あの声。

「……そうだ、の配信!フライゴンを待たせてるんだった!」

 キバナは慌てて戸締り確認をする。があらかじめやっておいたようで、チェック表にはレ点がついていた。念のため、とキバナは素早く窓や扉などを確認し、セキュリティーを起動させるとフライゴンへ飛び乗って一目散に帰宅したのだった。





『今日は遅くなってごめんね。皆、待っててくれてありがとう』

『冷やしたジェルボールとかどう? これね、メタモンの柔らかさを再現したんだって。気になるから買ってみたんだ。早速配信で使ってみるね』

『頑張って偉い偉い。あなたが気持ちよく眠れるように、お手伝いさせてね』

『寝落ちしても大丈夫。おやすみ』

 ポケモンたちのお手入れなど帰宅してからのルーティンを終わらせたキバナは、ベットに潜り込み、目を瞑る。

 優しくて甘い、癒しの声と音が、キバナの耳から脳内へ運ばれていく。

(ああ……。音もいいけど、やっぱり……)

 瞼が重くなってくる。

 眠気がやってくる。

 の囁き声を聴きながら、キバナはゆっくり瞼を閉じた。

(やっぱり、の声が好きだな……)