「何をそんなに慌てているのですか」②
「あら」
はキバナの机に取り残されたスマホロトムに気付いた。
「充電中……」
キバナは今、新チャンピオンのユウリとスタジアムで勝負をしている。
「キバナ様、スマホロトムがないと困るのではないかしら」
は公式戦でのキバナの姿を思い出す。ダイマックスするときは、スマホロトムと息の合った連携で自撮りをしていたはずだ。
「キバナ様は勝負中の写真もSNSに上げるし、勝負が終わったあとのお届け――だと困るわよね、きっと」
あのユウリとの勝負である。きっと白熱しているに違いない。
忘れ物を届けるために勝負を中断させるわけにもいかない。
「私が撮りましょう。キバナ様の姿が遠くなるけれど。ファンの方には申し訳ないけれど……」
急ぎの仕事はない。休憩がてら覗いてみよう。
それに、少し、興味がある。ジムチャレンジから更に強くなったユウリと、日々強くなるドラゴンストーム・キバナのポケモン勝負に。
はよし、と小さく呟いてスタジアムへ向かった。
充電が完了した、キバナのスマホロトムを手に持って。
***
ナックルスタジアムは砂嵐が巻き起こっていた。
言わずもがな、キバナによる戦法である。
「【ドラゴンクロー】!」
フライゴンの技がユウリのサンドパンに炸裂する。サンドパンは数メートル吹っ飛ばされたがすぐに態勢を立て直した。
「サンドパン、いける? ――オッケー。【あなをほる】で攪乱して。トリトドン、フライゴンに【げんしのちから】。撃ち落とすよ」
「ギガイアス、【すなじごく】でトリトドンを妨害。フライゴンはギガイアスのフォロー。サンドパンが出てきたところを狙い撃つ!」
ダブルバトルは考えることが多い。状況判断もさることながら、ポケモンたちが混乱しないように的確な判断を下さなければならない。
「砂あらし」で視界は非常によろしくない。キバナとユウリ、審判役のリョウタは目の保護のためにゴーグルをしている。ナックルジムに挑むトレーナーたちにはジム側で支給しているのだ。
(やっぱりオマエとの勝負はいいな、ユウリ)
ダンデがチャンピオンを退いたからといって、キバナの闘志が燃え尽きることはない。
ダンデはライバル。
ユウリもライバル。
増えたライバルたちが強ければ強いほど、倒しがいがあるというものだ。
熱い。熱い。
血潮が滾る。
だが、思考は冷静に。
(ユウリがこのまま何の捻りもなく力技で押し切ってくるわけがない。『砂あらし』対策でじめんタイプのポケモンで固めているなんて、そんなつまんないことしねえよな)
「どうしたユウリ。試合開始前の威勢はどうした?」
「これからです!」
サンドパンが倒された。
ユウリが次に繰り出したのは――キバナには馴染みが薄いポケモンだった。
「いっておいで、カメックス!」
「! カントーのポケモンか」
「ダンデさんのお師匠さんから貰ったポケモンが進化したんです! さあいくよ、トリトドン【あまごい】」
フィールドに雨が降る。
砂嵐は止み、みずタイプに有利な環境が整っていく。
「ここからですよ」
「オマエも天候を戦術に入れるか。だが、オレさまがそう簡単に天候の主導権を渡すかよ。見てろよ、すぐに『砂あらし』に変えてやるからな」
天候を操り自身の得意なフィールドに持ち込む戦法は、ユウリよりキバナに一家言ある。
「させません! カメックス、【ハイドロポンプ】。トリトドン【ねっとう】」
「フライゴン、もう一度【ドラゴンクロー】。ギガイアス【ロックブラスト】」
4匹の技と技がぶつかり合う。
ガン、バゴォ、という派手な音を立ててフィールドの中央で技が弾けた。
4つ分の技の衝撃派が広がる。キバナは思わず目を瞑った。
「――きゃあ!」
(え?)
ふいに飛び込んだフェアリータイプ――もとい、の悲鳴。
キバナは瞼を無理矢理押し上げた。
「!?」
スタジアムの入り口にが立っている。
激しく降る雨が彼女の身体を打つ。
技の衝撃はキバナたちが戦う中央から波紋のように広がり、髪を、服を、なびかせる。
は腕で顔をガードしているから気付かない。
ギガイアスが放った【ロックブラスト】の複数の破片がに向かって飛んできていることを。
「まずい!」
キバナは叫ぶ。このままではに直撃してしまう。
思わず身体が動いていた。長い脚を必死に動かしのもとへ駆ける。
「ふりゃあああ!」
フライゴンも危険を察知しての方へ飛んでいく。【しんそく】もかくやという速さだが、
(くそ、間に合わない)
下手に技も出せない。破片ではなく技がに当たるかもしれない。
万事休すかと思われた、その瞬間、
「チルルルっ!」
綺麗な歌声が辺りに響いた。
が腰につけていたモンスターボールからチルタリスが飛び出てきたのだ。
そして、綿毛のような羽毛を身体の倍に膨らませの盾となる。
「【コットンガード】か!」
のチルタリスの【コットンガード】がクッションとなり破片を弾く。
残りの破片はフライゴンが尻尾で軌道を逸らし事なきを得た。
「!」
キバナはに駆け寄ろうとしたが、チルタリスに阻まれてしまった。
「チルッ!」
まるで「近寄るな」と言わんばかりにチルタリスがキバナにすごむ。
「頼む、が無事が確認したいだけなんだ!」
「ふりゃあ~」
「チルッ! チルッ!」
フライゴンがキバナを援護するように話しかけたが、チルットは首を横に振る。
(何でこんなに拒絶するんだ、このチルタリス)
トレーナー以外に懐かないポケモンはいるが、このチルタリスは少し変だ。
(を守ろうとしているのは分かるが、過剰じゃないか)
訝しむキバナの耳に、
「……ごめんね、チルット。キバナ様は大丈夫だから」
マホイップのクリームのように甘いの声が届いた。
「この人はすごい人よ。優しくて強いの。[[rb:あの人とは違うから > ・・・・・・・・・]]、ね。大丈夫。私を守ってくれて、ありがとう」
「ちーるぅ……」
チルタリスは【コットンガード】を解くとにすり寄った。
「……」
キバナはしゃがみ、と視線を合わせる。
「悪い、オレさまの指示した技がオマエにとん、で、き、て……?」
のメイクは落ちかけていた。ああ、こういうのは見られたくないよな、とキバナは視線を下にして――ぎょっとした。
は白いブラウスを着ていた。
彼女はジムトレーナーではない。事務員だ。ジムチャレンジなど何かしらのイベントがあるときはユニフォームを着るが、それ以外の日の服装は、基本的にオフィスカジュアルなのだ。
未だに【あまごい】の影響でスタジアムは雨が降り続いている。
一体はいつからスタジアムにいたのか。髪も服も濡れている。
……服が、透けている。
白の向こうに水色の――。
(あー……)
キバナは視線を明後日の方向に彷徨わせ、手早くパーカーを脱いだ。そして、
「、これ着てくれ。それから、シャワー室使っていいぜ。予備のユニフォームがあるからそれに着替えておけよ」
「キバナ様……、ありがとう、ございます……」
何で急に視線を逸らしたのかしら、と思いつつもはキバナからパーカーを受け取った。そして、自身の恰好に気付き、素早く羽織る。
「すみません、色々と」
「いや……」
動揺を悟られないよう、キバナは必死で自分を落ち着かせる。
(思春期か! ティーンか!)
平然を装っているが、キバナの心の中は大変に騒がしかった。
***
コンコンコン、とノックを3回。
「、入っていいか」
「はい、大丈夫です」
キバナは休憩室に足を踏み入れた。
はこちらに背を向けて座っていた。顔を少しだけキバナの方に向けて小さく会釈する。
彼女の傍らにはチルタリスがおり、ふわふわの羽毛で彼女を慰めていた。
「よく育ってるな、そのチルタリス」
「ありがとうございます。子どもの頃、父に付き添ってもらって初めて捕まえたチルットがこの子なんです。でも、何故か私を妹分だと思っているようで……。チルタリスに進化してからは世話焼きに磨きがかかりまして……。不思議ですよね」
だから警戒心が強いのだろうか、とキバナは思う。
先程のチルタリスの行動は「妹に触れるな」という気持ちの表れだったのかもしれない。
はチルタリスをひと撫ですると「ちょっと入っていてね」とボールに入れた。
「すみませんでした。ご迷惑をおかけしまして」
「気にすんなって。オレさまも悪かった」
「いえ、そんな……。ああ、そういえば、チャンピオンにも謝られてしまいました。私が好きでスタジアムに入ったのだし、あれは故意ではないのだから気にしないでとは言いましたが」
ついさっきまでユウリがいたらしい。勝負の決着はまた今度ということで日を改めることになった。
ユウリは空飛ぶタクシーでハロンタウンの実家へ帰った。キャンプばかりしてないでたまには帰ってきなさい、と母親に言われたそうだ。
「客席にはポケモンの技が飛んできても防げるバリアシステムがあるが、今回は全部に作動させてなかったからな」
審判を務めたリョウタがいる客席側しかシステムを作動させていなかった。
「とにかく、キバナ様に落ち度はありません。急にスタジアムに入った私のミスですので」
「そんなことはないだろ。オマエはオレのスマホロトムを持ってきてくれたわけで……。その件は、まあ、追々な。ほら、飲むか? ティーバッグで悪いが」
キバナはのために紅茶を淹れていた。彼女お気に入りのメーカーのものだ。
「何から何まですみません。いただきます」
は素直に紅茶を受け取った。
それを見届けて真向かいに座ったキバナだったが。
の顔を見るなり、
「……。あー、悪い。、だよな?」
椅子から転げ落ちそうなほどに仰天した。
「はい。そうですが」
いつものこおりタイプの声。
下した髪。眼鏡。
、ではあるが。
であることを、キバナの脳が拒絶していた。
「何をそんなに慌てているのですか」
「いやだってオマエ、……か、かお……」
女性に向かって「顔が変わってる」とは口が裂けても言えない。
(、メイクを取るとそんな顔なのかよ……)
ミロカロスかと思ったらマホイップだった。
この表現が一番しっくりくる。
メイクの顔がミロカロスのような綺麗系なら、すっぴんはマホイップのような可愛い系だ。
(そんな、そんな……、変わるようなもんなのかよ!? 嘘だろ……?)
コイキングのように口をパクパクしていると、
「ああ、すみません。その、簡単にしかメイクできずに……、驚かれましたよね。いつものは時間がかかりますし、定時も近いので、色々と省略させていただきました」
「省略」
キバナは目を瞬かせる。メイクは省略可能らしい。
メイクは奥が深いようだ。世の中の女性のほとんどがこの技術を取得していると考えたら恐ろしい。
「……変、ですよね」
「いや、別に」
素っ気なかったな、とキバナは言葉を付け足す。
「どっちもだろ。驚きはしたが、変だとは思わない」
「ありがとうございます。私、その、自分のすっぴんがあまり好きではなくて。メイクで強気な雰囲気を出しているんです」
確かにメイクをしたはクールで強気な大人の女性だった。
すっぴんの今は、マホイップのように愛らしく、守ってあげたくなるような雰囲気の女性である。
(これと似たようなの、どこかで見たな。今日の……あ)
そこでキバナは、ルリナが出演していたアイシャドウのCMを思い出した。
猫背の少女が変身したあのCM。
メイクをしたあとは、この世の全て、逆風を生き抜いていく強い女性に変身していた。
――なりたい私で、生きていく。
あのCMでは確か、そう言っていた。
「メイクの顔が、オマエの『なりたい自分』なんだろ? それなら、何も、恥じることはないぜ。変という方が変だろ。胸を張れよ」
(正直オレはすっぴんの方が好きだ)
個人的な感想は心の中にしまっておく。
「……。そう言っていただけると嬉しいです」
は微笑んでいた。
こおりタイプの声が溶けて、春のような、お菓子のような、甘い声が滲み出ていた。
なるほど、その見た目ならばフェアリータイプのような声は完璧にハマっていた。
(もしかして、地声もわざと変えているのか?)
どうしてわざわざそんなことを、とキバナは疑問に思う。
まるで別人になろうとしているようではないか。
(そういえば、チルタリスをなだめたとき、『あの人とは違うから』って言ったよな……。あの人って誰なんだ)
が「あの人」のせいでわざと地声を隠しているのなら、キバナにとっては大損害ものである。なにせ、お気に入りのポケチューバー、のような声の持ち主なのだから。好みの声が毎日聴ける機会を失ったのだ。【うらみ】をかけたい気分である。
訊きたいことは山ほどあるが、恐らくは答えてくれないだろう。
(オレたちには見えない境界線がある)
誰にだって踏み越えてはいけないラインというものが存在している。
「あの人」とは誰なのか。どうして別人のようになろうとするのか。
これを訊くのは、ラインを踏み越えるのと同義。
親しい間柄でもなければ、きっと答えてはくれない。
今の自分たちは上司と部下の間柄。プライベートでも交流はない。
(どうにか……、どうにかと距離を縮めたい……)
の声は好きだ。あの声は救いだ。
なんたって[[rb:眠れなかった数ヶ月前> ・・・・・・・・・・]][[rb:の自分を癒してくれたのだから > ・・・・・・・・・・・・・・]]。
彼女が傍にいてくれたらどれほどよいか、とキバナは思う。
動画越しでは、それが叶わない。
自分の望む言葉が、得られない。
顔も知らない。声しか知らない。
もっと、一番傍で、手の届く範囲で、聴かせてほしい。
会えないのは分かっている。
だから、面影を――似たような声を無意識で探してしまっている。
(の声、に似ていて好きなんだよ。あー。もっとその声、聴かせてくれ)
ゆっくりと紅茶を啜るを眺めながら、キバナはそんなことを思うのだった。